この作品は、作品自体の出来を語られる以前に、小津監督が長年温めていた脚本を田中絹代の第二作目の監督作品として提供されたというエピソードがまず語られる、そういうきわめて著名な作品として記憶されています。
いつも思うのですが、製作過程のエピソードの賑わいによって、その作品の出来如何に関係なく、大衆が語り継ぐエピソードの影で、タイトルだけはしっかりと生き続けてしまうという過酷な運命を背負わされた作品というものがあるような気がします。
そして、その作品が、大衆の過酷な「注目」に耐えることができない脆弱な作品にすぎなかったら、なんだか映画史によって、永遠に「晒し者」にされてしまうような残酷な感じさえ受けます。
いえいえ、「月は上りぬ」が、そういう脆弱な作品だといっているわけではありません。
「月は上りぬ」は、実に愛らしい佳作だと思います。
秘めたる恋心を抱く青年に、どうしても自分の気持ちを打ち明けられずにいる内気な次姉のために、影ながら恋の手助けをして姉の恋を成就させた妹が、いざ自分のこととなるとどうしても頑なになってしまい、恋人になかなか心を開くことができず、自分に正直になれずに苦しむという作品です。
しかし、この作品が「実に愛らしい作品」だとはいっても、決して不満がないわけではありません。
現代から見ると、杉葉子演じる次姉が、あまりにも淡白に描かれすぎていて、彼女が久しぶりに逢った幼馴染の青年に本当に恋心を抱いているのだろうかという疑問が湧いてきますし、男にしても、彼女への気持ちを確かめるための友人の問い掛けに対して無関心をよそおい、最初は素気無く否定さえしています。
きっと、この辺の描写に物足りなさを感じてしまうのは、現代僕たちが、常日頃見慣れてしまっているドラマの顕著で見え見えな過剰な伏線と、話運びの振幅の激しさに、すっかり慣らされ毒されてしまったために、いつのまにか日本人の感情の機微と繊細にして静謐な陰りの部分に鈍感になってしまい、理解することもできなくなってしまったというのが、その証左かもしれません。
よく注意して映画を見ていると、相手への思いを直接は語られてはいくとも、その回想のエピソードには必ず相手の気配があって、自分でも「それ」とは意識していない相手への思いがなんとなく潜んでいることが描写されています。
ここで描かれているものは、臆病というのとは少し違う、誰かの力添えがなければ、決して溶けることも前進することもできない「心の抑制」のかたちです。
しかし、それらの抑制と不能を、この作品では決して不甲斐ないものとも煮え切らないものとも描いているわけではないような気がします。
むしろ、それは「気高いもの」として描いているのかもしれません。
そして、さらに、その秘めたる思いも、誰かの手助けがなければ、そのまま「何も起きずに」すれ違い、通り過ぎてしまうという、もうひとつの「無」の現実が語られているともいえます。
ここまで考えてきて、不意に、小津監督が述べていたという「映画は、ドラマだ」という言葉を思い出しました。
あれは確か、吉田喜重監督が、小津安二郎について回想するというテレビ番組の中で語られていた言葉だという記憶からすると、生誕百年の年のことだったのでしょうか。
しかし、この言葉、当初は、揶揄と韜晦で自分というものを表には出したがらない小津監督の「言葉」にしては、あまりにもストレートすぎて、小津監督の「言葉」だとは、にわかに信じることができませんでした。
状況としては、「権威」に反抗する若手監督が、酔った勢いで「大御所」に執拗にからみ、小津監督もその無礼な放言に対して、遂にまともに受けて逆上したうえ、激昂の中で吐かれたという、ストレートさの意味としては、十分に想像できることではありました。
しかも、相手は、「物語の破壊」を標榜している吉田喜重です。
このエピソードを知ったとき、これは乱れた宴席だけでの完結した話しだとずっと思ってきました。
しかし、よく考えて見れば、激昂し逆上のなかで吐かれたストレートな言葉だからこそ、そこには韜晦と揶揄の装いから自由になった飾られていない小津監督の生の肉声が込められているのではないかと考えるようになりました。
そして、この「月は上りぬ」との遭遇です。
きっと、小津監督が撮っていたら、もう少し違う映画にはなっていたかもしれません。
ラストの仲直りの愁嘆場などは、「風の中の雌鶏」や「宗方姉妹」の愁嘆場からすると、あんなものじゃないだろうという気がどうしてもします。
しかし、日本人の気高いまでの抑制と、「誰かの手助けがなければ、そのまま何もなくすれ違い、そしてなにごともなく通り過ぎてしまうに違いない」冷ややかな現実と人間関係のむなしさが同時に語られている「月は上りぬ」は、小津監督の「映画は、ドラマだ」という言葉を裏付けている作品にちがいないという確信は、たしかに「あった」のだと感じました。
(55日活)企画・日本映画監督協会、製作・児井英生、監督・田中絹代、脚本・小津安二郎・斎藤良輔、撮影・峰重義、美術・木村威夫、音楽・斎藤高順、録音・神谷正和、照明・藤林甲
出演・笠智衆、山根寿子、杉葉子、北原三枝、安井昌二、三島耕、佐野周二、増田順二、小田切みき、田中絹代、汐見洋、
1955.01.08 11巻 2,805m 白黒
到底無理なこととは十分に承知しているのですが、現在の多忙な仕事から解放されて、もし、自由な時間ができたら、ぜひ「小津安二郎論」を書いてみたいという願望というか、ほとんど妄想みたいなものを長年抱き続けています。
しかし、それはなにも、現在でさえも数限りなくある「小津安二郎論」と比べて取り分け際立って突出したものが書けるなどというそんな大それたことを思っているわけでは毛頭ありません。
でも、ただひとつだけ「これならどうだ」というアイデア(ほとんど、思い付きの域をでないものではあります)がないわけでもないのです。
当初の、これは行けるぞという思いは、時間が経つにつれて徐々にしぼみ掛けているので、急いでメモ程度のものを残しておかないと忘れてしまうという危惧から、書き留めておく気になりました。
例えば、具体的な作品でいえば、ひたすら暗い「東京暮色」とか、あるいは胸の詰まるような「宗方姉妹」と遭遇したことによってもたらされたものだったような気がします。
そうですねえ、ネーミング的には、さしづめ、その「章」に、「小津安二郎の自壊衝動」とでも名づけたらなどとあれこれ考えながら、この思い付き、結構面白いものになるんじゃないかななどと、ひとりで悦に入ったものでした。
「東京暮色」と「宗方姉妹」に共通している重苦しさの核にあるものといえば、登場する主要人物の自殺か、自殺とおぼしき死が描かれている点にあると思います。
ともに主人公とはいえないかもしれませんが、「東京暮色」においてストーリーを大きく展開させるのが、有馬稲子演じる「妹」の自殺なら、「宗方姉妹」において、それと同じような役割を担わされているのが、山村聡演じる「夫」の泥酔の果ての唐突な「死」だろうと思います。
しかし、その死の理由について、「東京暮色」のように「宗方姉妹」においては、明確に説明されているわけではありません。
むしろ、その死の態様と理由を明らかにしないことで、妻・田中絹代が長年心に秘めてきた上原謙への思いに迷いを生じ、あるいは逡巡し、やがてその恋を断念する直接の(説明的ではありますが)原因とする必要があったために、その死は「自殺の可能性」という疑惑の段階に留めておいたのだとも考えられます。
では、なぜ、もし夫の死が「自殺」であったなら、それが上原謙と結ばれることを諦めなければならないことに繋がるのかといえば、自分は少し前まで、例えばこんなふうに考えていました。
夫・山村聡は、他の男に密かに心を移している妻に苛立ち、嫉妬に苦しみながらも、一方で自分が妻にとってはただの邪魔な存在でしかないことを十分に認識していて、その葛藤に苦しんでいる様子が描かれています。
それは、自分を裏切り続けている妻に対する苛立ちと限りない憎悪に燃えながらも、一方では、美しい妻にまだまだ執着する不甲斐ない自分もあって、そのふたつの思いに引き裂かれる苦しみであり、この苦悩からどうすれば逃れられるのかという葛藤が、あえて自分をこの世から消滅させ、かすかにでも残っていた妻への愛情をどうにか妻に伝えることができれば、現在のあまりにも惨めな境遇に堕ちた自分をミズカラ救えるという境地に達したのではないか、という考えでした。
彼女にとって障碍でしかない自分をこの世から消滅させることによって、妻が上原謙と結ばれることを影ながら後押しし、許し、妻へ平穏な幸福をプレゼントするという意思表示だったのではないかと。
妻・田中絹代も、自分に対する夫の、死を掛けた優しい思いやりに始めて気づき、その「気づき」によって、同時に上原謙への思いも色褪せて、彼との別れを決意したのだと考えてきました。
さらに言えば、妻もいままでなら魅力的に見えていた上原謙の優しさが、夫の決然として壮絶な死のまえでは、毒にも薬にもならないウジウジした優柔不断なものでしかないという「正体」を見透かしての「別れ」だったのではないかなどとも考えました(それは、少し前のシーンで、「そのまんま」のこと・優柔不断さを、高峰秀子が上原謙に向かって詰っている場面もあったのですから、そんなに飛躍した考えでもないような気がしていました)。
それは、夫の死を前にしてからの妻を毅然として演じた田中絹代の堂々たる演技から、そのような印象を受けたとしても、それはきわめて自然なことだったと思っています。
しかし反面、そうはいっても、監督・小津安二郎たるものが、そんな甘々な大人のお伽噺みたいなものを撮るとは、どうしても考えられないという思いもありました。
夫・山村聡という人物は、小津作品では珍しいくらい、相当に屈折した捻くれた男として描かれています。
妹・高峰秀子が、上原謙に対して苛立ち思わず激昂して非難しなければいられなかった優柔不断さと比較しても、そのうじうじとした鬱屈と陰湿さにおいて、さらに上を行くほどの始末の悪いものだったと思います。
嫉妬に狂い、妻の行為のことごとくが疑わしく、彼女がどこまでも貞女ぶって弁解すればするほど、そのこと自体が気に入らない夫は、憎しみと怒りをこめて妻の頬を繰り返し叩きます。思わず目を見張る壮絶な場面です。
夫の気持ちの中に微かでも妻への思いの灯が残っていれば、あのように執拗な叩き方などできるわけがないと思うくらいの執拗さで、憎しみをこめて叩き続けます。
堰を切るように為されたあの夫の激昂と逆上のシーンに、「妻に幸福になってほしいために、夫は、あえて自殺を選んだ」などという甘やかな空想を許すようなものがあるわけもありません。
それまで妻の側から一方的にこの物語を描いてきた小津安二郎が、ここでは徹頭徹尾夫の側に立って彼の心情のすべてを吐露しているように感じました。
自分に対してではなく、ほかの男への妻の秘められた長年の恋心を知った夫は、その裏切りに対して、しかし、ここで怒りをあらわにしてしまえば、なおさら惨めになるのはそれこそ自分自身であることを十分に知っていたからこそ、貞淑な妻を演じ続ける彼女を、苦々しくは思いながらも無視し続けることで、惨めさのこちら側で辛うじてバランスをとっていたに違いありません。
しかし、その鬱屈を押さえ切れずに爆発させたとき、夫はすべての均衡を失い、やがてこの世に生きている理由や矜持の何もかもを失って自壊せずにおられなかったのだと思います。
そして、夫の抑制が切れて、怒りを暴力によってあからさまに真っ向から妻へぶつけた非難は、妻にもまた、それまでとり続けてきた偽善(それは、彼女の「生きる」うえでの技術だったのだと考えられます)の中で生き続けることの不可能を悟らせたに違いありません。
それは、常に自分が虐げられた妻=被害者の仮面を被りつづけて守ろうとしてきた欺瞞を剥ぎ取られることによって、長年の恋人・上原謙の優しさの正体を優柔不断と見透かすことができたことと無縁ではなかったでしょう。
一人の男の死を契機として、登場人物3人それぞれの思惑が揺れ、そして深く傷つき、取り繕った見せ掛けのだけの生き方や思いを悉く剥ぎ取られてあとで、人間関係の幻想性が徹底的に壊されていく過程が、赤裸々に突き詰められていくこの「宗方姉妹」を見ていて、ふっと黒澤明の「羅生門」のようなテーマだなと感じました。
そう感じた直感をそのままにしておくことができずに、さっそく製作年度を調べてみました。
なんと、奇しくもこの両作品ともに1950年8月の25日と26日の封切日であったことが分かりました、これは直感などというよりも、まさに胸騒ぎだったのだと感じました。
しかし、テーマの近似が、監督の資質の近似を意味するものでないことは当然なのでしょうが、ダイナミックなストーリーづくりに限りない意欲を燃え立たせ、その物語の最後にあってもささやかな希望と人間性の再生の兆しを描き込むことを忘れなかった黒澤明に対して、おそらく小津安二郎は、人間関係の解体と絶望的な途絶を徹底して描くことで、価値観と目的意識を失ったまま暴走する耐え難い世相に対して、苛立ちと怒りをこめて(夫・山村聡がとり続けたように)無視の姿勢を表しているのだと見受けました。
あるいは、あの異常なまでに執拗に描かれた妻への暴力描写は、さらにその一歩先で、やがて「無視の姿勢」を保つことができなくなって距離感と平衡感覚を失い、怒りの側へと大きくバランスを崩し、自分に関わるすべてのものの解体と自滅への不吉な予感が描きこまれているような気がしました。
「宗方姉妹」を、そのような作品と認識しているところです。
(1950新東宝)監督・小津安二郎、原作・大仏次郎、脚本・野田高梧・小津安二郎、製作・児井英生・肥後博、撮影・小原譲治、音楽・斉藤一郎、美術・下河原友雄、録音・神谷正和、照明・藤林甲、編集・後藤敏男、助監督・内川清一郎、製作主任・加島誠哉、巧芸品考撰・沢村陶哉、西洋美術品・彭新田
出演・田中絹代、高峰秀子、上原謙、高杉早苗、笠智衆、山村聡、堀雄二、斉藤達雄、藤原釜足、坪内美子、一の宮あつ子、堀越節子、千石規子、河村黎吉
1950.8.25 12巻 3,080m 112分 白黒
先週来から、気持ち的にちょっと引っ掛かっていることがあるので、それを書きます。
9月10日(木)の日本経済新聞の40面(文化面)に、「黒澤明監督への賛歌、ベネチアでシンポジウム」と題するコラムが掲載されていました。
その内容は、以下のとおりです。
「ベネチア国際映画祭は1951年に黒澤明監督の「羅生門」に金獅子賞を授与し、クロサワの名前を世界に知らしめた初の映画祭との自負がある。
その命日に当る9月6日、開催中の映画祭で、来年迎える生誕百年に先駆けて記念のシンポジウムが開催された。
ディレクターのマルコミュラー氏によれば、「来年のクロサワ・イヤー」を前に、ベネチアが先達として黒澤の重要性を強調し、黒澤の映画が今日もなお、生きていることを示す狙いがある」という。
午後3時から開かれたシンポジウムでは、会場に詰め掛けた熱心なファンや映画関係者を前にピーター・カウイー氏、ドナルド・リチー氏ら、各国を代表する映画研究家5人が、黒澤が世界の映画界に与えた影響やその作品の特徴などを熱く語り合った。
そのほか、黒澤の仕事を支え続けてプロダクションマネージャー野上照代氏が、身近な証言者としてエピソードを披露、「黒澤明の人生を変えた」ベネチアに対して感謝を捧げた。
最後には、コンペに新作を出品中の塚本晋也監督が、飛び入りで登場し、「七人の侍」が映画監督を志す切っ掛けだったことを吐露するなど、発言のひとつひとつから亡き巨匠への愛情が伝わってくる感動的なシンポジウムとなった。」(文化往来)
「生誕百年に先駆けて」行われたシンポジウムなのですから、そういう機運が日本においては全然盛り上がっていないからといって、苛立ったり憤慨したりするような筋の話でないことは、十分に認識している積りです。
とはいっても、少しさびしい気持ちは否定できませんが。
日本のマスコミは、局地的日本における、ごく最近の事件とか直近過去のスキャンダルのタグイのものしか追いかけようとしないし、しかもそれを報道する姿勢が、ごく狭い視野でしかなされない、そんなメディアに繰り返し巨大で同じような情報を吹き込まれ続けている僕たちのアタマには「酒井法子が保釈になるかどうか」は気にかかっても、「黒澤明の生誕百年」のことなど決して念頭に浮かぶわけがありません。
もちろん、「来年」になれば、マスコミは一斉に「黒澤明の生誕百年」を取り上げるかもしれませんが、しかし、それは、ベネチアが思い描いた「生誕百年」などでは決してない。
「酒井法子が保釈になるかどうか」の見出しと同じ商品価値しかない「生誕百年」にすぎないことを僕たちは、いやというほど思い知らされています。
日本のメディアは、センセーショナルなスキャンダルか、あるいはセンセーショナルなスキャンダルに近い話題しか飛びつかないし、また必要ともしないために、「酒井法子」と「黒澤明」には、それほどの違いがなくなってしまっているような気がします。
ですから、いまの時点で日本で「黒澤明の生誕百年」が取り上げられないからといって、その無関心や冷淡さに対して苛立ったり、憤慨する振りをするつもりは毛頭ありません。
ただ、上記のコラムの中でちょっと引っ掛かる部分があるといったのは、そういうことではなくて、冒頭の
「ベネチア国際映画祭は1951年に黒澤明監督の「羅生門」に金獅子賞を授与し、クロサワの名前を世界に知らしめた初の映画祭との自負がある」
という書き出しに強烈なショックを受けたのでした。
この文章を、最初、ベネチアが黒澤明を見出したことを自慢げに自画自賛しているだけの手前味噌的なコメントと、ナニゲに読み過ごしていました。
読み過ごし、そのことに関してなんの意識もしないまま何日かがすぎて、あるときふっとこんな疑問がアタマをヨギリました。
自分は、この文章を、「黒澤の天才は、いずれどこかの国の誰かが見出すはずのものを、ベネチアが先駆けて認めて、世界に知らしめた」と読んだのですが、もしかしたら、この文章の真意は、日本だけで閉じ込められ続けていたら、「この天才を世に出すことができたかどうか」・・・「いや、きっと日本発では世界に届けることはできなかただろう」という絶望的な否定がこめられていたのではないか、と思えてきました。
ずっと遅れて認識されることとなった「小津安二郎」の場合を考えれば、その危惧は事態を明確に見通していたかもしれません。
小津安二郎作品を「日本人の感情の機微を繊細に描いたこんな偏執的で独特な作品が世界に分かるわけがないし、受け入れられるわけもない」と決め付けた日本の映画人の負の思い込みと、日本人独特の劣等感が、その認知を遅らせたことを思えば、日本において「酒井法子」と同じだけの重さしかない「黒澤明」が、自分のコダワリのために製作費ばかり費消するアクの強い映画監督として日本映画史だけに埋没してしまったかもしれない可能性は、十分に考えられることだったであろうと。
先週来、「ベネチアの自負」の重さが、日増しに募っていくような感じがしています。
結納を届けることを依頼され、仕方なく友人の結婚話を進めていくうちに、その妹に恋してしまい、あれこれと紆余曲折があってその娘と結婚の約束を取り交わすまでの過程を描いたほのぼのとしたラブ・ストーリーです。
ただ、随分迂闊だったのですが、見ているうちに、劇中で唐突に話される「敵を殲滅する」とか、「味方の犠牲を最小限に抑える」などといった過激なセリフから、初めてこの映画が戦前の作品であることに気がつきました。
結婚話に揺れる乙女の心情を描いたこのドラマからすると、これらの雄々しいセリフは、ドラマ全体の雰囲気とは、無理やり挿入したような違和感は拭えません。
まあ、考えてみれば、結納の代理を頼みに来た友人の藤田進の、結納を届けることができなくなった理由というのが、突然の召集令状を受け取ったために急いで帰郷しなければならなかったからだし、同級生でもある当の婿さん(江川宇礼雄が演じています)というのも、大陸浪人みたいな感じですし、そもそも主人公の河野秋武自身が「航空研究所」とやらで、爆撃機の飛行安定性を研究しているという設定なので、もうこれで十分戦時色満載の映画だったのに、過激なセリフから、やっと戦意高揚の国策映画であることに気がつきました。
とにかく、予備知識もないままに見始め、しかも、冒頭の「四つの結婚」というタイトルが出たあとは、キャストもスタッフの名前さえも紹介されないまま、突然本編が始まってしまったので、これがどういう作品なかの、見当もつかないまま見ていました。
しかし、それにしても、出演者が物凄い顔ぶれです。
入江たか子に山田五十鈴、山根寿子に高峰秀子という、それぞれが主演して4本軽く撮れてしまいそうな豪華キャストです。
しかも四姉妹のお話ということなので、これではまるで「細雪」みたいです。
しかし、考えてみれば、この「不自然すぎる豪華さ」というあたりが、力にモノを言わせた国策映画たる所以なのかもしれませんね。
それに当時の東宝もみずから進んで国策に寄与していたのですから、この御忠信ぶりの反動が、後年の「東宝争議」に繋がっていったのだと聞いたことがありました。
婚約者の家を初めて訪れた婿の江川宇礼雄が、「20年も経てば、我々が中国大陸に注いだ血の結晶として日本の大木が雄々しく繁る」みたいな大言壮語を吐く場面があるのですが、この映画が公開されたのが昭和19年の9月だったことを考えると、ほんの数カ月先ではどうなるかも分からないまま、時の権力に盲目的に従わざるを得えずに、きっと半信半疑だったであろう大仰なセリフを無我夢中で言わねばならなかった俳優たちの演じることの残酷さを感じないわけにはいきません。
実はこの映画、日本映画専門チャンネルで、「生誕100年 原作・太宰治 映像の世界」と題した記念番組の一本として放映されたものであることをあとで知りました。
太宰治がこのような戦争協力小説を書いていたということが、まずは意外でした。
戦後文学の旗手、無頼派の一人という先入観があったので、「無頼派」→「反骨」→「反戦」という勝手なイメージを描いていた思い込みが、打ち砕かれたような感じをもちました。
つまり、太宰治という人は「反骨」などとは無縁な、ただ時代に迎合し、そして「ご時世」に添い寝するタイプの作家にすぎなかったのかという感じを受けました。
彼が自虐の果てに公言していた「生きる恥ずかしさ」の意味とは、こういうことだったのかと、この戦意高揚の国策映画を見ながら、なんだか納得するような気持ちで見続けました。
(1944東宝) 製作・山下良三、監督・青柳信雄、原作・太宰治「佳日」、脚本・八木隆一郎、撮影・川村清衛、美術・北川惠笥、音楽・服部正、録音・倉辺正雄
出演・入江たか子、山田五十鈴、山根寿子、高峰秀子、河野秋武、清川荘司、江川宇礼雄、藤田進
学生時代には、誰よりも突出して成績が良かったようなヤツが、社会に出てから思わぬ不遇をかこっている噂などを聞かされると、社会で生きることの厳しさを、つくづく思い知らされることがあります。
人それぞれに持って生まれた性格や、他人との付き合いのうえでの天性の気配りのセンスとか、世渡りの上手下手など、学生時代にブイブイいわせた「点取り技術」だけではどうにもならない部分での世間の評価は厳しく、学生当時、クラス一番の秀才だったヤツが、いまではウダツの上がらない万年外回りの営業マンなどにこき使われてうんざりした汗をかいているなんていう話は、自分も含めて結構ザラに聞く話だと思います。
「容疑者Xの献身」における湯川と石神の関係を眺めながら、なんだかそんなセチガライことを考えてしまいました。
見るからに御清潔感溢れる好青年・誰からも等しく好意をもたれる恵まれた天才・湯川と、見かけも貧相で、うまい世渡りもできず、世に入れられず失意を抱えながら社会に押し潰されるように息をひそめて俯いて生きる数学の高校教師・不遇な天才・石神との対比が、やはりこの映画を見るうえでのダイナミズムといえるかもしれません。
しかしこの二人、それにしても、どうしてこうも生きる方向性が違ってしまったのでしょうか。
大学時代、偶然に出会った彼らは、ともに学問を孤独に愛する共通の明晰さを理解しあい、そして深い絆で結ばれながらも、湯川は大学教授という社会的な地位を得たのに、石神は不遇のなかで絶望しながら生きるという不運にみまわれています。
この理不尽なギャップについて、僕たちが、極力妬みや反撥心などの雑念を抑えながら、もし、客観的に、「あいつと俺とは、いったい何が違うんだ」という純粋な疑問をつきつめていっても、きっと明確な答えを見つけ出せないまま、結局は、この映画で描かれているような破滅的な成り行きを辿らざるを得ないのだとしたら、それも随分疲れる運命論で決め付けられてしまうのだなあとイササカうんざりしてしまいました。
天才数学者でありながらウダツのあがらない高校教師にあまんじている石神哲哉のように、結局社会に対する怒り(この場合は、犯罪の加担というカタチになりますが)にしかつながらないとしたら、なんという絶望的なシチュエーションかと、胸がツカエ、息詰まるような遣り切れない気持ちだけが残ってしまいました。
多くの推理ものの映画から得られる独特のスカッとしたものが得られなかったのは、こうした重々しいテーマが挟み込まれていたからかもしれませんが、しかし、どうもそれだけでもなかったような気もします。
映画を見たあとで、いつも自分がよくやるのですが、感想をひねり出そうとして訳が分からなくなったときは、一歩さがってこんなふうにラディカルな問いを自分に課してみます、「この映画に本当に感動したか?」と。
自分が、果たして「容疑者Xの献身」という映画に本当に感動しただろうかと問われてみれば、改めて、それは多分「しなかった」と答えると思います。
権力に寄り添う「良き天才」が、「悪しき天才」の完全犯罪を頭脳によって突き崩すという頭脳ゲームをスポーツのように楽しむのなら、湯川の中途半端さを際立たせないような、どこまでも能天気なスポーツ感覚の向日性の描き方が必要だったのではないか、という気がします。
天才の作った難問を、もう一人の天才が解明すること(たぶんこれだけなら、「遊び感覚」の範疇で語られるべきものです)が、同時に相手を窮地に追い込むことを認識しながら「そう」せずにはいられないことに関して、当の湯川教授はどう考えているのか、あらゆる不正は解明されなければならないし、裁かれ、そして断罪されなければならないのだという正義感と倫理観に凝り固まった偏執に囚われているわけでもなさそうな湯川教授が、なぜ、偽りの罪に服そうとしている石神哲哉の「嘘」を更に暴き、もうひとつの殺人まで暴く必要が果たしてあったのかが理解できませんでした。
湯川のその「冷徹さ」は、石神哲哉が隣家の主婦・花岡靖子のアリバイ工作のために、名もなきホームレスを冷静に殺してしまう「冷酷さ」と同質のもののような気がします。
それでもシャーロック・ホームズみたいに、見過ごしても全然気にならないようなゲーム感覚で物語が語られるのならともかく、生々しい生活臭(虐げられた者の怨念みたいなものだと思います)が、この映画では、あまりにも前面に現れすぎてしまっていて、スポーツ感覚では済まされない遣り切れない思いにさせられるのが、ひとつの理由だったかもしれませんし、さらにもうひとつ、この映画でどうしてもひっかかるものがありました。
石神哲哉が命に掛けて守ろうとした隣家の主婦・花岡靖子です。
別れたDV亭主に付きまとわれ、相変わらずの暴力に苦しめられたすえに、思い余って主婦・花岡靖子は、暴力亭主の首をコタツのコードで絞め殺してしまいます。
この成り行きを偶然に知った石神哲哉は、以前から花岡靖子に思いを寄せていたこともあって、彼女の苦境を完璧なアリバイを創作することで救おうとしますが、最初のうちの花岡靖子は、石神哲哉のアドバイスのとおりに動くものの、次第に指図されることに苛立ちを募らせたすえに、こんなふうにキレてしまいます。
「これじゃあ、以前とちっとも変わってない、亭主が石神哲哉に代わっただけじゃないの」と。
しかし、このセリフは明らかに変です。
DV亭主が、彼女を理不尽な暴力によって苦しめ続けたのに対して、石神哲哉はただ彼女を助けようとしているだけなのです、石神の恋情を知ったために、それが彼女には同じように「重たいだけの拘束」としか感じられなかったとしたら、身に降りかかった状況というものを一切考慮しよしとしない身勝手な女の感情的な言葉にすぎず、ストーリーはこの一言によって完全にぶち壊されるという、これは随分絶望的な状況なのではないかという気がしました。
もしかしたら、彼女は最初から石神の救助など必要としなかったのかもしれない、この凶行から、娘の関与を外すことさえできれば(父親の腕には、抵抗を封じた娘の指の痕跡が痣としてくっきりと残っていました)、彼女だけなら最初から自首する積りだったのだろうか。彼女は、どこまで石神哲哉の思いを受け入れようとしたのか、結局なにひとつ分かりませんでした。
これは、石神哲哉の思いに対する花岡靖子の拒絶の物語なのかという袋小路にまで行き着いて、ついに「感想」は迷宮に迷い込んでしまいました。
(2008東宝)監督:西谷弘、製作:亀山千広、企画・大多亮、エグゼクティブプロデューサー・ 清水賢治、畠中達郎、細野義朗、プロデュース・鈴木吉弘、臼井裕詞、プロデューサー・牧野正、和田倉和利、プロデューサー補・大西洋志、菊地裕幸、脚本:福田靖、撮影:山本英夫、音楽:福山雅治、菅野祐悟、照明・小野晃、美術・部谷京子、整音・瀬川徹夫、録音・藤丸和徳、編集・山本正明
出演:福山雅治、柴咲コウ、北村一輝、松雪泰子、堤真一、ダンカン、長塚圭史、金澤美穂、益岡徹、林泰文、渡辺いっけい、品川祐、真矢みき、
むかし、ブラック系のアメリカン・ジョークで、こんなジョークを聞いたことがありました。
スーパーマンが拳銃自殺を試みようとしても、もともと拳銃の弾など撥ね返してしまう超人の彼は、どうしても死ぬことができず、それならばと鉄道自殺を企てても、機関車よりもチカラが強いスーパーマンは、やはり、轢かれるどころか列車を持ち上げてしまうばかりで、死ぬに死にきれませんでした、という辛口の小話だったと思います。
その話を聞いたのは、きっとスーパーマン俳優ジョージ・リーヴスが、すでに自殺した後のことだったに違いありませんから、このジョークを聞いたときに、彼の自殺を踏まえたこの話の残酷さを、自分がどれくらい認識できたか、今となっては思い出すこともできません。
このジョークに出会ったとき、自分がもう少し「大人」だったら、このスーパー・ヒーローに対する彼を見る世間の冷ややかな眼差しと、冷笑を込めたような独特の揶揄を、少しでも理解できたのになあと、この映画を見ながら考えました。
この「ハリウッドランド」という映画が描いているものは、スーパーマンという当たり役を手に入れ、子供たちのヒーローになってしまったために、一俳優として彼が直面し、また、浴びせかけられねばならなかったそういう「揶揄の視線」や、偏見に満ちた「冷笑」だったのだと思います。
次第に彼は「スーパーマン」という偏見と呪縛のなかで、「俳優」であることを奪われていきます。
ようやっと手にした端役で出演した「地上より永遠に」の試写会場において、多くの映画人から浴びせられる揶揄の言葉から、彼はそのことをしたたかに思い知らされます。
そして、このシーンを見ながら、ふっとあることを思い出しました。
渥美清が亡くなったとき、どこかのテレビ局で彼の死を追悼するドキュメンタリーが放送されました。
最後の「車寅次郎」を、深刻な段階に差し掛かっていた業病に蝕まれ、動かなくなっていた自分の体に、さらに鞭打つようにして演じているロケ現場の渥美清の悲痛な姿を、そのドキュメンタリーはとらえていました。
そして、その番組の最後で渥美清は言います「飛び続けることのできないスーパーマンを、映画を見に来るお客さんは許しちゃくれないからね。スーパーマンは、いつでも飛んでなくっちゃいけないんだ」と。
死なない限り、「車寅次郎」に笑わせてもらおうと映画館に詰めかける観客も、あるいは彼に取りすがるスタッフも、そして、さらに彼が「車寅次郎」以外の役を演じることも、あるいは休むことも、決して許しはしないだろうということを誰よりも渥美清自身が知っていたからだったと思いました。
彼は、すでに「渥美清」というひとりの俳優などではなく、「車寅次郎」以外の何者でもなくなってしまっていたからだと思います。
そのドキュメンタリーを見ながら、画面に大写しされる病み疲れたその老人は、「車寅次郎」という役に蝕まれ、「俳優」はおろか「人間」であることも失った荒廃した人間の抜け殻のように感じました。
この「ハリウッドランド」という映画の感想を幾つか読んでいくと、落胆を表明した多くの感想に出会いました。
そして、その多くは、ジョージ・リーヴスが果たして自殺だったのか、他殺だったのか、映画の最後でも、この結論が下されようとしていないことへの不満だったと思います。
しかし、いくら探しても「犯人」は見つからないかもしれないし、確たる自殺の証拠を探し当てることもできないかもしれません。
それは、きっとこの作品のテーマにとって、そういう解明をさほど重要なこととは判断しなかった証しだったからだろうと思います。
たとえむかし、仮面ライダーを演じたことがあるからといって、俳優としてのそのキャリアを非難されるような土壌がない日本とは、ちょっと事情が違うのかもしれませんが。
(2006アメリカ)監督・アレン・コールター、製作・グレン・ウィリアムソン、脚本・ポール・バーンバウム、撮影・ジョナサン・フリーマン、音楽・マーセロ・ザーヴォス、美術・ レスリー・マクドナルド、衣装・ジュリー・ワイス、編集・マイケル・ベレンバーム
出演・エイドリアン・ブロディ、ダイアン・レイン、ベン・アフレック、ボブ・ホスキンス、ロイス・スミス、ロビン・タニー、ラリー・セダー、ジェフリー・デマン
映画がはじまり、流れ過ぎるスタッフの字幕を何気なく眺めていたら、原作者に椎名麟三の名前が出ていたので、あわてて「煙突の見える場所」の製作年を確かめてみました。
確か「煙突の見える場所」も、同じく椎名麟三の原作だったことを思い出したからです、なるほど製作年は1953年とありました。
この「鶏はふたたび鳴く」が、1954年の製作ですから、あの「煙突の見える場所」で得た高い評価によって、もう一度、五所監督は、椎名麟三の原作を採用してみようとしたのかもしれません。
記事によると、この作品は、コンビ3作目と書かれていました。
確かに善良で馬鹿正直な人間の設定などに椎名麟三と五所平之助の共通点は幾つかあると思いますが、しかし、ピッタリと重なり合うかといえば、どうもそうとは思えません。
なにか決定的なところで相容れない異質なものがあるに違いないという思いをずっと抱き続けてきました。
例えばそれは、椎名麟三の小説の印象として、絶望的な状況の中で貫かれる飄々とした求道精神とか、登場人物たちの世間や他人に対する距離のとり方など、いままで観てきた五所平之助作品と比較してみれば、あえて「神」などという大仰なモノを持ち出すまでもない、そこには俗世に生きることの素晴らしさだけで充足できている庶民の生き方を描くだけで完結できてしまっている、もはやそれだけで十分な五所監督の物語世界を確信している自分にとっては、「神」を持ち出すなど、ただただ気恥ずかしく、気後れをさえ感じるだけにすぎない気がします。
「煙突の見える場所」や「大阪の宿」で描かれている人間たちは、もっと「俗世間」にべったりと密着していながら、同時にその世界に受け入れられない疎外感を絶えず抱いているような孤独な人物たちです。
しかし、それが決して暗さに繋がるわけでもないし、身動きできない絶望に繋がるわけでもありません。
この「鶏はふたたび鳴く」は、僕にそういった印象を更にはっきりとイメージさせた作品でした。
この映画を図式的に説明すると、食い詰めた流れ者の労務者たちと、「死ぬ時は一緒に死のう」と決めた自殺同盟で結ばれたハンディを抱えた3人の娘たち、そして、社会に適応できない異質な彼らを排除しようとする共同体という巨大な存在との確執が描かれています。
そこに、会社の金を横領した詐欺師が絡んでストーリーを掻き回して展開するという喜劇風なドタバタの側面はあるにしても、その「掻き回し」は、あたかもそのおどけた体裁の背後にある、弱々しい異端者が、巨大な共同体から敗北者として強引に弾き飛ばされるという本当の硬質なテーマを、気恥ずかしげにカモフラージュしているようにさえ見えてきました。
それは、また、「煙突の見える場所」や「大阪の宿」で描かれていたことと、よく似ていることに気づかされます。
そして、五所平之助という監督は、決して安易な「和解」を描こうとしない監督なのではないかという気がします。
雇主の突然の自殺によって天然ガス試掘の仕事を失い、絶望の只中にあった労務者たちは、「石油技師」を名乗る詐欺師によって、石油発掘の希望を与えられます。
たとえそれが、つかの間の「夢」にすぎなくとも、「夢」を与えられて活き活きと仕事に没頭する彼らの姿を見て、死ぬことばかり考えていた娘たちも生きる意味を見出します。
娘たちも労務者の中にも、薄々それが詐欺師の嘘なのではないかとちょっぴり疑いながら、与えられた「夢」をしっかりと受け止め、疑いもせずに生きる糧に肯定して生きようとする労務者たちの生き方を見て、騙されることを恐れていた者たちも、やがて生きる(それだけで、素晴らしいのだ)ということの意味を見出したのだと思います。
この世には何も「真実の夢」と「虚偽の夢」とがあるわけではなく、ただ「夢」があればそれだけで十分、生きることはもっと単純であってもいいのだという彼らが到達した境地は、しかし共同体にとっては相容れるものではないことを、この映画は彼らが土地を追われるラストでしっかりと描き出していました。
(新東宝)監督・五所平之助、製作・内山義重、脚本・椎名麟三、撮影・小原譲治、照明・折茂重男、音楽・黛敏郎、録音・根岸寿夫、美術・下河原友雄、
出演・佐野周二、伊藤雄之助、中村是好、南風洋子、小園蓉子、左幸子、坂本武、渡辺篤、佐竹明夫(片桐余四郎)、東野英治郎、三好栄子、沢村貞子、飯田蝶子、柳谷寛、小高まさる、谷麗光、小倉繁、杉寛、小峰千代子、
1954.11.30 13巻 3,230m 118分 白黒
いま見逃せば、二度と見るチャンスがめぐってこないかもしれないと危惧される映画(多くは大量生産された無名のプログラム・ピクチャーです)などは、努めて見るようにしています。
二度と見られないかもしれないと思う基準は、例えば、ネットで検索しても、まともな情報がなにひとつ存在しないということなども、ひとつの目安になっているかもしれません。
戦前に寛プロで活躍した並木鏡太郎が、戦後新東宝で撮った「魚河岸帝国」1952は、まさにそういう作品だったと思います。
たまたま「日本映画専門チャンネル」のプログラムを見ていて偶然に見つけ、さっそくチェックをしておきました。
日本映画史上に燦然と輝く多くの巨匠たちのように、自分の中から溢れ出る独自のイメージを大切にして、あらゆる周囲の抵抗障碍を排して信念を貫き、ついには「芸術作品」を完成させるという創作態度もひとつの生き方なら、会社から求められるままに求められるとおりのものを創造するという職人的なプログラム・ピクチャーの仕事も、同じように尊重されなければならないのではないかと、最近とみに思うようになりました。
うだつの上がらないサラリーマン生活を長いあいだしていると、どうしてもB級映画とその監督に対して、こんなふうな同情的な考えに傾いてしまうのも、あるいは無理からぬことなのかもしれません。
単なる「寸景」としてではなく、映画の舞台として、どっぷりと「魚河岸」が扱われるというのは、随分と珍しいことなのだと映画の解説をした女性アナウンサーが話していました。
市場を扱った映画なら、これまで結構見てきたような気がするので、「本当かなあ」という気持ちで見ていたのですが、結局この映画が終わるまでに、これに類する「魚河岸」映画を、具体的には、なにひとつ思い出すことができませんでした。
この映画で描かれている多くの人間が蝟集する「魚河岸」の圧倒的な猥雑感は、同タイプの映画に思いを馳せるなどという雑念を封じるだけの迫力があったということなのかもしれません。
ひとりの男をめぐる女二人の恋の鞘当てを描いた主たるストーリーよりも、むしろ、その背景に映し出されるおびただしい魚河岸の人たち、戦後社会を生き抜こうとしている生活者のパワーに圧倒された映画だと思います。
冒頭、山村聡演じる社長の「帝国」が、新入りの運転手・塚本良介(田崎潤が演じています)の運転の技量を確かめるというよりも、むしろ度胸試しのために、オート三輪で魚河岸の雑踏のなかを猛スピードで走り抜けることを強要するシーンがあります。
忙しくひしめくようにして立ち働いている市場の人々のなかに、オート三輪は猛スピードで突っ込んでいきます。
人々は驚愕し(言うまでもなく、運転手自身が驚愕し、恐怖で顔を引き攣らせています)、あやうく飛びのき、罵声を浴びせかけながらも、次の瞬間では何事もなかったように、再び忙しそうに足早に去っていく姿が描かれています。
これら猥雑な人の群れは、まるで虫の集合体のように見え、一人くらい轢き殺しても一向に差し支えないのではないか、という気にさせられるくらいです。
それが「戦後」という時代が持った活力の生き生きとした真の姿だったのような気もします。
ここに映し出されている人たち、その猥雑さのなかで右往左往している人間たちのことごとくが、現在では、おそらくはほとんど死に絶えてしまっているだろうという感慨も含めて、映画の不思議さと残酷さを痛感しました。
生々しい映像に気を取られて、本編のストーリーは「二の次」みたいな言い方をしたことを、ここで少し訂正しなければならないかもしれません。
確かにこの映画に描かれているのは、善良な青年をめぐる二人の女の恋の鞘当てを描いた恋物語であり、恋の結末が、社長の娘ではなく、足の不自由な貧しい女の方を選択するというあたりも、いかにも映画的だと感じました。
しかし、この娘の足を不自由にしたのが、青年自身が起こした事故によるものだとなれば、簡単にハッピーエンドで片付けられない深刻な行く末を感じさせないわけにはいきません。
娘の心の片隅には、男が自分と結婚したのは、事故によって自分の足に障害を負わせた責任と義務からに違いないという疑心がいつまでもくすぶっているだろうし、そんなふうに思い続ける限り男の愛情を確信することなど、できるはずのものではありません。
男にしたところで、結婚を決意させたその「義務と責任」の信念が揺らぐような事態に至れば、なおもその虚妄の観念を堅持して自己犠牲に甘んじられるかどうかきわめて疑問ですし、そもそもエゴがぶつかり合う結婚生活を「義務と責任」などという弱々しい観念によって無謀にも維持しようと思い立ったこと自体に最初から無理があったような気がします。
映画の最後、疾駆するオート三輪の運転席に並んで腰かけている二人は、どちらかが軽い冗談の積りで投げ掛けた軽口が相手に素直を受け取られず、遠慮気にではあるものの少しむかっ腹を立てて、互いに顔をそむけ合う象徴的なシーンで終わっていることが、とても印象的でした。
この若夫婦を近々みまう気持ちの行き違いのぎすぎすした結婚生活の延長線上に「何がジェーンに起こったか」がなければいいのですが・・・。
(1952新東宝)製作・野坂和馬、佐野宏、監督・並木鏡太郎、脚本・池俊行、戸田伊太郎、原作・宮本幹也、撮影・鈴木博、構成・小国英雄、音楽・斎藤一郎、美術・河野鷹思
出演・花柳小菊、田崎潤、片山明彦、野上千鶴子、龍崎一郎、山村聡、三條利喜江、三原純、伊藤雄之助、千秋実
1952.03.14 10巻 2,820m 103分 白黒
きっとそれが優れた映画の証なのだと思うのですが、見たあと、かなりの時間が経過したにもかかわらず、ある特定のシーンがどうしても気になって、繰り返し思い出すという作品があります。
ここ最近でいえば、やはり「おくりびと」が、自分にとってそういう作品のひとつだったといえるかもしれません。
気になるシーンというのは、お風呂屋のおばちゃん(吉行和子が演じています)が、妻・広末涼子に幼い頃の本木雅弘のことを話す場面です。
本木という子供は、どんなに悲しいことがあっても、人前では決してつらそうな顔は見せず、表面では快活を装いながら、陰でひとりだけで耐えるような子供だったと。
彼がまだ子供の頃、父親と母親が離婚したときも、人前では平気な顔をしていたけれど、お風呂屋で一人きりになったとき、本木少年がひそかに泣いているところを見てしまったと、おばちゃんは、妻・広末涼子に話します。
だから妻のあなたには、彼の「そういうところ」を十分に理解してあげてほしいのと。
夫の性格形成期の子供時代に遭遇した深刻な事件のことを、かなり的確に知っている人から、夫がどういうふうに育ってきたかという示唆を受け、そして、そういう頑ななところがある不器用な彼を十分に理解してあげてね、と言われたら、妻はどういう思いでこの言葉を受け止めたのだろうかということが、ずっと気に掛かっていました。
あるいは、おばちゃんは、このことをただの世間話として妻に話したわけではないのではないか、という疑いも生じてきました。
「あの子のことを、もっと分かってあげて」と乞う言葉の裏には、彼のことを少しも分かろうとしない彼女の冷ややかさがあからさまにあって、そのことが夫婦のあいだに溝を生じさせてしまっていることにも気づきもせず、また、その行き違いを直視しようともしないままに、ただお互いが避けているだけで、どうすることも出来ないでいる無力な妻に、見るに見かねたおばちゃんは、暗にそのような助言をしたのではないかと、ふと考えてみました。
もし、若い妻に、そのように暗示される「性格的欠陥」が本当にあったとすれば、当然彼女の方も(そのような「彼女」だからこそ)おばちゃんの示唆には、ただただ不快感を禁じるだけであっただろうし、素直にその言葉を受け入れることなど到底できなかったことは容易に想像ができます。
妻は当初、決して夫の「おくりびと」という仕事を理解しようとも受け入れようともせずに、ただ激しく拒絶し、結局、予期せぬ妊娠が判明するまで彼の元には決して帰ろうとはしませんでした。
夫にしても、「おくりびと」という仕事に、次第に意義を感じ始めた時点でさえ、妻に告げることを躊躇し、どうしても告げられないまま、結局は彼女が「葬儀の教材ビデオ」を発見するまで、ずるずると時を過ごすばかりでした。
そして、夫が、その忌まわしい仕事を続けるのなら、自分は家を出ると妻が脅しをかけてきた時でさえ、彼は妻を引き止めず、躊躇なく仕事を選んでいます。
それなら妻が、どの時点で、夫の仕事に対して理解を示し始めたかというと、おばちゃんの急死を受けて、夫がとり行う荘厳な「おくりびとの儀」を間近に見、死者を送るその儀式のなかに、この世に生き残る者たちに対する癒しとか優しさの意義を見出したからだろうと思います。
それは、きっととても説得力のある結論かもしれません。
しかし、女性たちのこだわりと長年格闘してきた自分としては、到底納得できる結論とはいえず、違和感に満ちた奇麗事の結論のようにしか思えませんでした。
僕の知っている女性たちなら、多分、まさに映画が終わろうとしているときでさえ、こんな恨み事を言い続けると思います。
「あのとき、どうして追いかけてきてくれなかったのよ。あんたは、そういう薄情な人なのよね。」って言い続けるに決まってるんだ。
決め付けるんですよね、女の人って。
死者への畏敬など、彼女たちにとっては何の興味もない、ただ自分を選択しなかった恨みの方がよっぽど重要であり、その恨み言を終生言われ続ける覚悟がなければ、自分などとても「おくりびと」の仕事など勤まるわけなどありません。
もし、この妻役を宮沢りえが演じていたら、果たしてどういう夫婦像になっていただろうか、ないものねだりとは、十分に認識していながら、内に籠もって我慢してしまう不器用な男の孤独を、遠くからもう少し温かく見守るようなひたむきな演技がみられたかもしれないな、とふと考えた次第です。
久しぶりに「鉄道員」を見て、いろいろな思い出がよみがえってきました。
当時感じたことなど、例えば、この作品の描いている家族愛とか人情描写の世界が、きわめて日本的で、まるで木下恵介監督の作品のようだと勝手に思い込み、人にもそんなふうに吹聴していたことなどです(それほど木下恵介作品を見ていたわけでもないのにね)。
しかし、いま思えば、それはただ、耳学問で知った木下恵介という監督のイメージをたよりに何となく連想しただけのことで、いまなら、木下恵介作品に「鉄道員」に匹敵するストレートに下町的な義理人情を扱った作品など存在しないのではないかと考えています。
むしろ、初期の小津安二郎監督作品のなかにこそ、そのような下町情緒ならありそうだなという気がします(「出来ごころ」だとか「長屋紳士録」とか)。
たぶんその頃、すでに小津安二郎の名前は、もはや忘れられた古臭い映画監督で、きっと誰もがそのように考えていて、ひとむかし前の過去のものとなりつつあるその大御所の名前など、あえて語ろうとする映画評論家も映画ファンなども誰ひとりいなかったように記憶しています(海外からの示唆がなければ、日本人が独自で小津安二郎を過去から再発見することなど、まずなかっただろうという記憶しかありません。)。
時代は、すでに才人・木下恵介の全盛期であり、撮るたびにその斬新な試みは話題となり、飛ぶ鳥を落とす勢いの大監督として持て囃されていたことも合わせて思い出されます。
「鉄道員」を見て、自分のその見当違いな思い込みに気がついたことに加えて、もうひとつ大きな思い出があります。
それは、イタリア語の独特の響きの美しさです。
当時、その物悲しいイントネーションに心引かれ、全編を見終わった後でもう一度、目を瞑ってただ聞いていたいとさえ欲したことも思い出しました。
そういう思いは、フェリーニ作品を見たときにも感じましたし、また、ジャン・ギャバンやアラン・ドロンの話すフランス語の美しさにも同じように魅せられていたと思います。
そういえばベルイマンのスウェーデンの言葉の響きにも魅せられました。
しかし、そのとき、思いました、外国人も日本の映画を観て、自分が感じたように日本語の美しさを感じるようなことがあるのだろうかと。
試みに、目を瞑って映画の中で語られる日本語のセリフの響きに耳を傾けてみます。
映画にもよるのでしょうが、しかし、どうのように聞き込んでみても、日本語には、あのイタリア語やフランス語のような音楽的な響きに恵まれているとは思えません。
決して卑下ではなく、このような抑揚のない一本調子の話し方では、外国人が日本語の言葉の響きに魅せられるとなどということは、到底有り得ないだろうなと若いときからずっと考えてきました、ある時期、その考えを他人に話してみたこともあります。
賛同を得たこともありますし、反発されたこともあります。
しかし、多くの反応は、「そんなこと、どうでもいいじゃないか。要するに映画がおもしろいか、そうじゃないか、というだけのことだろう。」というものでした。
まったく、そのとおりかもしれません。
「鉄道員」が作られた同時代のイタリア映画にだって、汚いイタリア語を話す下卑た映画もあったでしょうしね。
そして同時に、このことを人に話すことの無意味さと、そのように考えた自分の意図に気がつきました。
自分としては、ただ聞くに堪える美しい日本語というものが、はたして存在するのだろうかという疑問に、なんらかの回答を誰かに示唆して欲しかったのだと気がつきました。
それからずっと、ついに最近にいたるまで、その回答を見つけることができませんでした、つい最近まで。
あるとき、テレビを見ていたら、秋田県男鹿半島のナマハゲの紹介番組が放送されていました。
突如ナマハゲが民家になだれ込んできます。
そこで待ち受けた戸主が、酒をふるまいナマハゲと問答する様子が写されています。
子供たちは、隣の部屋や押入れに隠れ、母親に抱かれて恐怖に震えています。
ナマハゲ「うぉー。泣ぐ子いねえが。怠け者いねえが。言うごど聞がね子どらいねえが。親の面倒み悪りい嫁いねえが。うぉーうぉー。」
戸主「ナマハゲさん。まんず座って酒っこ呑んでくなんしぇ。」
ナマハゲ「おめでとうございます。」(大晦日の夜に各戸に降臨します)
戸主「おめでとうございます。なんと、深け雪の中、今年も来てけで、えがったすな。」
ナマハゲ「親父、今年の作なんとであった。」
戸主「お陰でいい作であったすでば。」
ナマハゲ「んだが。子どら、皆まじめに勉強してるが?」
戸主「おらいの子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だがら。」
ナマハゲ「ほんとだが? 学校から帰ってけば、すーぐテレビゲームばりして、勉強さねで、手伝いもさねでねが?」
戸主「なんも、なんも、ナマハゲさん。おらいの子どら、ゲームばするども、その後、勉強さして、手伝いもしてけるすよ。」
ナマハゲ「んだが。親父、子どら、言うごど聞がねがっだら、手っこみっつただげ。へば、いづでも山がら降りてくるがらな。どれ、もうひとげり探してみるが。うぉーうぉー」
戸主「ナマハゲさん。まんず、この餅っこで御免してくなんしぇ。」
ナマハゲ「親父。子どらのしづけ、がりっとして、えの者皆まめでれよ。来年まだ来るがらな。」
さて、ナマハゲを紹介する番組は、以下のようなコメントで締めていました。
子供たちは、恐ろしいナマハゲに早く帰って欲しいと願っているのに、父親はのんびりとナマハゲに酒や餅をすすめて、むしろ、できるだけマナハゲの滞留時間を長引かせているかのようにも見えるほどです。
「この習俗の真の姿は、この問答それ自体にあるように考えられます。
戸主は、ナマハゲと問答しながら、ナマハゲの口を借りて、ここで家族に対し言いたいことを言わせ、別室に隠れている家族にあえてそれを聞かせることによって、家族を守らねばならないという戸主の役割・強さと優しさを示し、家族に伝える意味があるのではないか、そして、家族もまた戸主に見守られているという安心感を得るとともに、その期待に応えるために一層努力しようと決意して、家族の絆を深め、各家族が協調し合う集落の人間関係を構築するとともに、それを後世に伝え遺そうとしているのではなかろうか。」
ナマハゲと戸主のあいだで交わされる言葉のイントネーションの美しさに、思わず聞きほれてしまいました。
「標準語」というものに、散々に侵食されてしまったとはいえ、日本には、まだまだ豊かな言葉が、こうして各地にのこされているのであって、かつて日本語の響きに失望した自分の不明をこそ恥ずべきだったことを思い知ったのでした。