世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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マドモアゼル ふたたび

映画を見て、感銘した作品について感想を書いたり、あるいは落胆した作品についても努めて感想を書くことを続けてきたこのブログを、曲がりなりにも現在までどうにか持続させることができたのは、きっと、自分の感じ方に少しばかり「特異」な部分があって、それが反発の「バネ」になり継続につながったからだと思います。

メディアやネットに表れる多くの「感想」や「批評」が、自分の感じ方のそれと大差のないものなら、きっと自分は書き続ける意欲も意味も見失い、「映画収集狂」というブログの看板なんてさっさと下ろして、躊躇なく口を閉ざし、心静かに「沈黙」を選ぶこともできたと思います。

なにもわざわざ大勢の考え方をなぞるような「提灯持ち」や「迎合」をしてまで、苦労して「キャッチコピー」の更なるコピーをアップするような愚をおかすことだけはすまいというのが、自分に課した一応の指針であり覚悟でした。

ですので、逆に言えば世間に流布される「大勢」に対する違和感が、自分のブログを持続させてきた原動力・推進力だったといえるかもしれません。

さて、今回、映画「マドモアゼル」のコラムを書くにあたって、語句の解釈を確認するために語句検索をかけていたら、こんなロイター電に遭遇しました。


題して
≪消える「マドモワゼル」、フランスの行政文書で使用禁止に≫とあります。
フランスのフィヨン首相は、今後同国の行政文書に、未婚女性の敬称「マドモワゼル」を使用しないと発表した。
国内の女性団体が昨年9月、この単語の使用が性差別に当たると陳情しており、首相がこれに対応した形となった。
首相は、正当な理由なく女性の婚姻区分を示す単語が書類に使用されていると言及して、新たに印刷する書類から「マドモワゼル」は消去され、女性を示す性別欄は「マダム」で統一されることになる。
なお男性には従来から選択肢がなく、一律で「ムッシュ」とされている。
「マドモワゼル」には、若さや未熟といった意味合いも含まれており、一定の年齢に達しても結婚しない女性にはそぐわない言葉だった。
[パリ 2012年 02月23日 ロイター] 


なるほど、「マドモワゼル」という言葉にそんな微妙な意味(一定の年齢に達しても結婚しない女性に「若さや未熟」はそぐわない)もあったなんて、この記事を読むまで知りませんでした、迂闊です。

女性が結婚していようがいまいが、行政文書における「性別欄」の表記は、男(ムッシュ)がそうであるように、「マダム」と単一表記に統一すべきという、つまり「性差別を含んだ用語の使用を禁止する」という、いささか遅すぎた感もありますが、これは歴史的な措置なのだと分かりましたが、しかし、この記事が示唆しているのが、それだけではなくて、婚期を逸した未婚女性には「若さや未熟」(つまり、処女性です)を連想させる言葉は似つかわしくない・相応しくない、という意味もあるとも読めました。

「結婚していようがいまいが、大きなお世話だ」とする女性たちの性差別への抗議が結実したその一文に、知らぬ間に取り込まれた「(単に表示としての)処女性の否定」という付帯概念まで女性たちは認識し、容認したのだろうかという疑問です。

この年になって、いまさら「処女」がどうのなんて、ちゃんちゃらおかしいわよと冷笑するか、

幾つになっても女として「処女(若さや未熟)」の初々しさを失わずに持つことは大切なことだわと思うか、です。

このロイター電がどこまでのことを言おうとしているのか、その及ぼす「射程」について考えてしまいました。

そもそも、この記事に出会った切っ掛けというのが、映画「マドモアゼル」のコラムを書くための語句検索の途上だっただけに、なんだか複雑な思いです。

映画「マドモアゼル」は、女性差別を告発したり啓蒙したりするようなタイプの映画ではありません。

ジャンヌ・モローが演じている村の女教師は、どう見ても35歳~40歳の女性で、僕の子供時分の言い方からすれば、「オールド・ミス」(いまでは、こう口にするだけで糾弾されかねない恐れとオノノキを感じてしまうくらいの世間を憚る死語になっています。そういえば「シスターボーイ」なんて懐かしい言葉もありました、まあ関係ありませんが)というジャンルに属する女性です、しかし、当然ながら「マドモアゼル」の方がはるかに素敵で響きもよく、「淑女」という印象さえ感じられていると思っていたら、この言葉には、リスペクトのほかに、暗に「老いた未通女」とでもいうべき揶揄も含まれていると町山智浩がyou tubeで話していることを知り、ちょっと意外な感じを受けました。

しかし、たとえそうだとしても、「オールド・ミス」の呼び方の酷さ(救いも温かさもない蔑称という印象です)は、到底その比ではありませんし、だからなおさら、「性的抑圧」というニュアンスをこの言葉から一層感じ取ってしまうのかもしれません。
このトニー・リチャードソン監督作品「マドモアゼル」は、確認できる限り、いまでもネットにおいては、「理解不能」と「嫌悪感」の大合唱に満たされている作品です。


自分が投稿サイトで読んだ感想は、だいたいこんな感じでした。

≪マドモアゼルがイタリア人の出稼ぎ労働者マヌーに惹かれ、実際森の中でするsexも執拗に描写されているのに、なぜ彼女は彼に対して態度を豹変させたのか、そこがどうしても理解できない。
マドモアゼルは、どういう理由でいつ殺したいと思うほどの殺意が芽生えたのかが正直わからない。
故意ではなかった最初の火事が、どうして邪悪な「水門の破壊」や「放火」や「家畜の毒殺」にまでエスカレートしたのか、その後の事件を起す動機がまったく理解できない。
第一マドモアゼルとマヌーの関係は、どちらかといえば物語の中では希薄な印象で、むしろ、マヌーと直接接触する以前、彼女は、マヌーの息子ブルーノに意識的に接近し、執拗に親切にしようとしたかと思うと、すぐに態度を変えてみすぼらしい服装を非難したり貧しさを罵声する場面(まったくひどい話です)の方に比重をかけて描いているのにも理解できない。マヌーの気を引くためにそうしているとも思えないし、なんだかあの前後の辻褄があわないような気がする。
これってただの女性特有の単なる気紛れとか、ヒステリーなのか。
いずれにしてもマドモアゼルの悪意(心理と行為)の在り方が謎すぎて追えない。
冷徹な抑えた映像と乾いた暴力的な描写には「映画」として惹かれるものがあったけれど、この邪悪な物語自体には嫌悪感さえ覚えたし、ストーリー的にはチンプンカンプンだった。≫


この難解な作品からすれば、「そりぁそうだ」と、この感想氏の疑問符には自分も全面的に同意したい気分になりました。

しかし、これらの反応が、別にいまさら湧きおこったことでもなんでもなく、1966年カンヌ映画祭に出品されたとき以来の疑問符が、現在まで継続して投げかけられ続けている反応にすぎず、そうだとすれば、多くの映画ファンは、この「マドモアゼル」という作品に馴染めないまま、「理解不能」と「嫌悪感」(解明できない「違和感」という癌細胞)を抱えて、実に半世紀ものあいだ悶々としてきたことになります。

その非理解(「理解」の放棄)と拒否反応は、現代においても維持されていて、それがそのまま、ネットにおける情報のあまりの少なさに反映しているような気がします。

当時の時代的限界を踏み越えたアンモラルなこのテーマ(水門破壊、放火、飲料水への毒物混入、淫乱、児童虐待、愛人への裏切り)は、あらゆる批評家から愚劣なポルノ映画にすぎないと決め付けられ、迫害と無視の仕打ちにあいます、それにトニー・リチャードソンとジャンヌ・モローのスキャンダルなども加味され、モロー本人の人間性と才能を疑問視されたうえ、彼女の仕事を選ぶ基本的な能力までをも疑われるなど、作品は深刻なダメージを受けて興行的にも失敗を余儀なくされました。

いわば、この映画で描かれた「家畜を溺死させた水門破壊、焼死者を出した放火、家畜の飲料水への毒物混入による家畜の毒殺、貧しさのための粗末な服装をみっともないと罵った児童虐待、そして淫乱と裏切り、そして罪を着せた愛人の撲殺」のどの犯罪に対しても理解を得ることや賛同を得ることが困難だったとしても、しかし、将来の長きにわたって、この作品を決定的に拒否させたものは、映画の最後でマドモアゼルの犯罪のすべてを許容したかに見える(否定的姿勢といえば、せいぜいマヌーの息子ブルーノがマドモアゼルに唾を吐きかける場面があるくらいです)演出者トニー・リチャードソンに対する観客の嫌悪と拒否でした。

「長距離ランナーの孤独」において、ゴールライン直前で「勝たないこと・負けること」で有産者階級への厳しい抵抗を示したあの「怒れる作品」とは、わけが違います。そこにも、この作品に対して観客が抱いた厳しい違和感と拒絶の根があったかもしれません。


半世紀もの長きにわたって、良識ある世界から一貫して拒絶され、一度として受け入れられることのなかった異色作「マドモアゼル」は、主演女優・ジュンヌ・モローのその死に際しても、それが彼女の輝かしい経歴の中に数えられることもなく、まるでそんな作品など最初から存在しなかったかのような「無視」の扱いを受けています。

その間、このアンモラルな映画が、最初から嫌悪と拒否のなかで終始全否定されて不遇な扱いを受けてきたかというと、決してそうではありません、「理解」への努力は為されたはずです。

しかし、この作品に描かれているジャンヌ・モロー演じるマドモアゼルの悪意に満ちた密かな数々の奇行と犯罪のなかに、仮に「狂気」を想定したとしても、最後には結局悉くその「理屈」の予測は裏切られてしまう、絶え間ない「否定」に次ぐ更なる「否定」の連続という「ちゃぶ台返し」(「愛の不在」などという生易しい次元ではこの謎解きはできません)にあい、肩透かしを食わせられる苛立ちと、男に対する異常な関心・性的欲情と罪悪感も、フロイトの尺度だけでは到底測り得ないと気が付いたときの自棄的な「駄作呼ばわり」とか、あるいはお座なりな「階級対立」の絵解きだけでは到底説明のつかない覚束なさとか、この作品の掴み所のなさに対する苛立ちと嫌悪感に満たされている印象を自分もまた受けてきました。

そして、いままで得られなかったその答えというのが、はたして老いた未婚の処女(マドモアゼルでありオールド・ミス)が抱いた狂気の妄想と「犯罪」として具現化された奇行にあるのか、自分もまた「この地点」までようやく辿り着いたまま、その先に進めず、タジロギ、身動きができなくなりました。

一両日「この先」を考えたのですが、しかし、書き加えるべき1行のアイデアも思い浮かばず、自分に課した許容時間も過ぎました。
しかし、答えはきっと、「聖ジュネ」の中に記されているはずです。

ギブアップの苦し紛れついでに「聖ジュネ Ⅰ」「すべてであるに至るためには、何事においても何ものでもないように心がけよ」の章の298頁上段(註11)に掲げられているエピソードを紹介しておきますね。

≪ジュネは自分の子供を殺したいという誘惑につかれている病女に問うたことがある。
「なんだって子供を殺すの。君の夫ではだめなの?」
すると彼女は答えた。
「だってわたしはそれほど夫を愛していないんだもの」≫

自分も文中で
「愛の不在」などという生易しい次元ではこの謎解きはできません
などと言ってしまっている以上、ここに書かれている「愛していないんだもの」も一筋縄ではいかない屈折したものと理解せざるを得ません。


(1966ウッドフォール)監督・トニー・リチャードソン、脚本・マルグリット・デュラス、原案・ジャン・ジュネ、製作・オスカー・リュウェンスティン、音楽・アントワーヌ・デュアメル、撮影・デヴィッド・ワトキン、編集・ソフィー・クッサン、アントニー・ギブス、美術ジャック・ソルニエ、製作会社・ウッドフォール・フィルムズ・プロダクションズ、字幕翻訳・中沢志乃
出演・ジャンヌ・モロー(Mademoiselle)、エットレ・マンニ(Manou)、ケイス・スキーナー(Bruno)、ウンベルト・オルシーニ(Anton)、ジェラール・ダリュー(ブーレ)、ジャーヌ・ベレッタ(Annette)、モニー・レイ(Vievotte)、ジョルジュ・ドゥーキンク(The priest)、ロジーヌ・リュゲ(Lisa)、ガブリエル・ゴバン(Police Sergeant)、
シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ/シネスコ、モノラル、35mm



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# by sentence2307 | 2017-08-19 11:36 | 映画 | Comments(2)

マドモアゼル

今月の初めに検査入院とやらを経験しました。

6月の定期健診で腫瘍マーカーの値が基準値を超えているといわれ、専門医の診察を受けるようにという指示の書かれた検査表に、「紹介状」も添えられていました。

まあ、ことがことだけに、いままでのように無視するわけにもいかず、さっそく近くの中規模の専門病院に予約を入れて診察を受けにいきました。

特に中規模病院を選んだ理由は、仮に検査の結果が思わしくなかった場合、その病院でそのまま「手術」→「入院」という一連の手続きができるからと考えたからです。

自分の身近にも、健診センターで「悪結果」が出て町医者に掛かり、そこで改めて一からの検査を受け直して、再び「悪結果」が出たとき、ここでは手術ができないからと、さらに手術のできる大きな病院に回され、そこでまた改めて初めから検査を受けさせられるという時間のかかる例を幾度も見てきたので、それならと、最初から一つの検査で、「手術」→「入院」とストレートに済む中規模病院を選びました。

いままで自覚症状らしきもの(それが「自覚症状」と言えるとしてですが)なかったわけではありません、ごく軽い「残尿感」とか「頻尿」とか、もっと軽い「尿漏れ」とか、そういうものなら、確かに幾つかは思い当たるものがあった気がします。

あっ、そうそう、ここのところ「ノコギリヤシ」の新聞広告なんかも、やたら目についたということも、あるいは「自覚症状」のひとつだったかもしれません。

そんなふうにして受けたMRIの検査結果では、とくに異常なものは見つからなかったのですが、さらに検体検査をやってみましょうということで、冒頭の1泊2日の「検査入院」ということにアイなった次第です。

入院手続きの際、受付の人に「これなども入院ですか」と聞いたら、目をむいて「もちろんですよ」と怒られてしまいました、なにかその人のプライドを傷つけてしまったようなことを言ってしまったのかと軽い罪悪感に襲われたのですが、あるいは、たまたま彼の腹の虫の居所が悪かっただけだったのかもしれませんが。

実は、「入院」と名の付くものは、今回がまったくの初めてで、どうにも勝手がわかりません。

もちろん不安はありますが、いくら心配したって、検査とか治療の方は自分ではどうすることもできない、まさに「俎板の鯉」状態なので、ここは腹をくくるしかないと思い定めて、むしろそれ以外のことを考えることにしました。

これまで幾人かの友人の入院を見ていると、共通しているのは、持て余す時間をどう埋めていくかにかかっているような印象を受けています。

入院手続きの際、その受付の人からテレビを契約するかと聞かれたのですが、思わず入院患者が一日中ぼんやりとテレビを見ている生気のない姿が思い浮かんできて、どうあっても「あれだけは避けたいな」とすぐに思い、それなら、パソコンを持ち込むのだって、同じようなものだと考えて両方とも取りやめました。

しかし、改めて考えてみれば、これってまさに「一日だけ自由な時間が与えられる」願ってもないチャンスなわけですよね、勤めのある自分にとって、夢のような解放された「自由時間」なわけで、そういうことなら結論はきわめて簡単です、思い悩む必要などありません。

「晴耕雨読」の生活が夢だった自分にとって、ここは、やはり読書しかありません、読みながらまどろみ、まどろみながら読む、これ以上ない、なんという「至福」だろうかと考えたとき、不意に、それならいつも通勤電車でやっていることと同じじゃね~かという思いに虚を突かれ、「青い鳥」じゃありませんが、人間って結構、どのような生活を送っていても、知らないうちにほんの少しずつ、それなりの「理想」に近づこうとしているものなのだなと考えた次第です。

こうして1日だけの入院生活は、絶え間ない読書とまどろみによって終わりました、「読書三昧」ということなら、理想的な1日だったと言うことができると思います。

そしていまは、その検査の結果を待っているという状態です。

「しかし、あのさあ、これってアンタのたった1日だけの入院生活の話でしょ、タイトルの『マドモアゼル』とは、なんの関係もないじゃないですか」

お叱りはごもっともです、ごもっともですが、しかし、こんなことで驚いちゃいけません、いままでだって自分のブログは前振りのダベリが長すぎて、横道にそれっぱなしで、主題を見失ってしまったことなんて、そりぁ数えきれないくらいありました、否定はしませんが、今回の場合に限っていえば違います、大いにね、隅々に至るまですべてが緻密な計算で張り巡らされて「主題まっしぐら」なのですから。ホントです。

なので、その話をしますね。

入院に際し、例の「絶え間ない読書とまどろみ」のための1冊を選ぶお話をすれば、きっとその辺の空気感を分かっていただけると思います。

本選びに際して、自分がまず考えたのは、いままで読んだことのない「新刊」を持参するか、あるいは、かつて読んだことのある「既読本」を持っていくかということですが、それは考えるまでもなく「既読本」です、当然じゃないですか、いまさら新たな感動など求めたって仕方ありません。

前記した「晴耕雨読」という言葉が象徴している状態は、新たな感動を得るなどという攻めの状態ではなく、むしろ乱読で読み飛ばして、いままで振り返ることもしなかったかつての「感動」のひとつひとつをもう一度静かに辿り直したい・振り返りたいという「守り」の思いしかありません。

実は、自分は学生時代にサルトルに嵌った時期がありました、著作の中では、特に「聖ジュネ」に大いに感銘を受けました、当時、世間的にも自分的にも一種の「倒錯ブーム」みたいなものがあったと思います。

ですので、今回の入院に際し、ぜひ「聖ジュネ」を読み直したいという気持ちから、例の人文書院刊のクリーム色の本を時間ギリギリまで探したのですが、どうしても見つけ出すことができません。

残念だったのですが、仕方なくサルトルの「嘔吐」を持っていくことにしました。

これも、自分に大きな影響を与えた本でした、哲学書としてではなく、風変わりな小説として。

特に、登場するタイプとしての「独学者」の人間像に強く惹かれました。

「嘔吐」の書き出しは、こんな言葉から始まっています。

≪いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことであろう。はっきり理解するために日記をつけること。取るに足らぬことのようでも、そのニュアンスを小さな事実を、見逃さないこと。そして特に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、人々を、刻み煙草入れを見ているかを記すべきだ。なぜなら、変わったのは、「それ」だからである。この変化の範囲の性質を、正確に決定しなければならない。≫

辛抱強く書き続けることが、なによりも大事なのだと説きながら、一方で、それが生活の、ひいては生きるための技術を説いているようにも読める、そんなふうにこの小説を「入院」している間に読みました。

実は、退院してから、溜まってしまっていた新聞を、1頁1頁目を通していた時、ジャンヌ・モローの訃報に接しました。
そこには彼女の出演作が紹介されています。

「死刑台のエレベーター」1957、「雨のしのび逢い」1960、「突然炎のごとく」1961、「ジャンヌ・モローの思春期」1979、

どれも彼女の女優人生にとって重要な作品には違いありませんが、もっとも彼女らしい作品と思っていた「マドモアゼル」1966が掲げられていないことが、自分にはなんだかとても不満でした。

入院前の慌ただしい時に、サルトルの「聖ジュネ」を堪らなく読みたくなって、探しまわったことも、なんだか啓示のように感じられてなりません。

トニー・リチャードソン監督「マドモアゼル」は、泥棒にして性倒錯者ジャン・ジュネが、シナリオに参加した異色作です。

(1966英仏)監督・トニー・リチャードソン、脚本・マルグリット・デュラス、原案・ジャン・ジュネ、製作・オスカー・リュウェンスティン、音楽・アントワーヌ・デュアメル、撮影・デイヴィッド・ワトキン、編集・ソフィー・クッサン、アントニー・ギブス、美術ジャック・ソルニエ、製作会社・ウッドフォール・フィルムズ・プロダクションズ、字幕翻訳・中沢志乃
出演・ジャンヌ・モロー(Mademoiselle)、エットレ・マンニ(Manou)、キース・スキナー(Bruno)、ウンベルト・オルシーニ(Anton)、ジェラール・ダリュー(ブーレ)、ジャーヌ・ベレッタ(Annette)、モニー・レイ(Vievotte)、ジョルジュ・ドゥーキンク(The priest)、ロジーヌ・リュゲ(Lisa)、ガブリエル・ゴバン(Police Sergeant)、
シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ/シネスコ、モノラル、35mm


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# by sentence2307 | 2017-08-13 18:52 | 映画 | Comments(2)
少し前の日経新聞に興味深い記事(コラムです)が掲載されていて、捨てきれずにそのページだけ保管していたことを、いまのいままで、ついうっかり忘れていました。

これはまずいぞと、さっそく当初感じたことなどを書き留めておこうと思い立った次第です。

それは「それでも親子」というコラム欄で、執筆者は劇作家の永井愛、題は「父が教えた人間の悲喜劇」(2017.7.11夕刊)という記事です。

画家だった厳しい父親は、劇作家としての娘(永井愛)の仕事をなかなか認めてくれようとせず、1996年の紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞したときでさえも、「世も末だ」と言っただけで特に褒めてはくれなかったと述懐しています、その後、やっと認めてくれたと感じたのは2002年だったと書いています。

このコラムの主旨は、その父の生誕101年を記念し、今年の4月練馬にオープンした「永井潔アトリエ館」の館長として、彼女が運営に携わっていることを自から紹介したものですが、衝撃だったのは冒頭部分で触れている、彼女が幼い頃(2歳)に離婚して家を出ていったという母親と17歳のとき久しぶりに会ったときの思い出が記された部分です。

自分にはその箇所が、ことのほか強烈に印象に残り、それで、そのままこの記事を忘れてしまうわけにはいかないなと感じたのだと思います。

その箇所をちょっと引用してみますね。

「17歳のときに母から突然連絡があり、会いに行きました。手作りのトンカツをごちそうしてくれたのですが、ほぼ初対面の女性にいきなり母親のように振る舞われて違和感がありました。どんな映画が好きかと聞かれ、「戦艦ポチョムキン」と「旅情」と答えると、「2つとも好きというのは矛盾」と言われ、論争になりました。母をすっかり嫌いになって、会わずにいるうちに亡くなってしまったのが心残りです。」

ただ、これだけの文章なのに、何故か胸を塞がれるような堪らない気持ちになってしまいました。

自分的には、好きな映画は何かと聞かれ、「戦艦ポチョムキン」と「旅情」だと答える17歳の少女の飾らない澄んだ率直さに感銘したのですが、しかし、その奇妙な取り合わせに違和感を抑えられなかった母親は「そう」ではなかったのかもしれません、たとえ実の母娘とはいえ、ふたりの間には15年もの空白の時間が流れてしまっています。

母親が、いかに娘への愛情を募らせ、思いを込めて語り掛けても、「なにをいまさら」という思いを抱えている娘は素直になれないまま、母のその不自然な過剰さと、常識にこだわる杓子定規な切り返しに苛立ち、違和感と反発しか覚えることができなかったのだと思います。

たとえあの時、母親の問い掛けに対して、娘が≪「戦艦ポチョムキン」と「旅情」≫と答えていなかったとしても、ぎくしゃくと空回りするしかないふたりの会話には、いたるところに、また別な火種が潜んでいて、再び同じような「論争」をギスギスと繰り返したに違いありません、おそらくは、定められた「破綻」に向けて。

馴れ馴れしくされればされるほど苛立ち、自分には母親なんかいなくとも、これから先だって「ひとり」で立派に生きていくことができるのだ(今までだって「そう」してきた)と反発する娘の気持ちは、とうに母親から離れていて、ひたすら突っ掛かっていくことしかできなかったのだと想像できます。

そして幾年か経ち、母の死の知らせを聞いたときに感じた彼女の、会っておけば良かったという「心残り」も、仮にその「知らせ」が少し先送りされていたとしたら、たぶん「心残り」の方もその分だけ少し先送りされていたに違いない、その程度の心残りだったのだと想像することは極めて容易です、そのことはすでに現実が証明してしまっていますし。

いずれにしても娘は決して、そしていつまでも母親に会いにいこうとはしなかったはずだと自分は強く確信しました。

そして、「そう」感じた瞬間、自分の中に鮮明な映像として怒涛のように流れ込んできたのが、岩井俊二監督作品「リップヴァンウィンクルの花嫁」の、安室(綾野剛が演じています)と七海(黒木華が演じています)が、娘・真白(Coccoが演じています)の死を母親に報告に行くあの鮮烈なラストシーンでした。

長い間、疎遠だった娘の突然の死を知らされた母親(りりィ生涯最高の名演です)は、家を出て行ったきり、いままで連絡のひとつも寄こしてこなかったあんな娘など、もはや自分の子だとは思っていないと、コップに満たした焼酎をあおりながら、頑なに否定し続けます。

そこには、母親である自分を徹底的に否定し、見捨てて去っていった娘に対する憤りというよりも、どんな窮状に見舞われても決して親の自分を頼ろうとしてこなかったことに対する(侮辱されたような)怒りだったに違いありません。

母親は、仏壇の横に飾られた娘の写真を手でなぞりながら、あの子の目はこんなじゃなかった、あの子の顔はこんなじゃなかった「これじゃまるで別人だ」と吐き捨てるように言い捨てます。

そして、ポルノ女優になったと知った時の驚きを苦々しく述懐し始めます、よりにもよって人様の前で裸をさらし、恥ずかしい姿を撮られて世間にさらされるような、そんないかがわしい仕事をしなくたってよさそうなものじゃないか、わたしゃ世間様に恥ずかしくって顔向けができなかったよと掻き口説く母親は、酔いで体を揺らしながら、娘の死の報告に来た安室と七海の前で、突然着ている服を脱ぎ始めます。

母親のその突然の行為に、当初はただの「だらしない酔態」と見て、あっけにとられていた安室と七海が、しかし、徐々に母親の真意を理解するという傑出した場面です。

冷酷で厳しいこの社会を、女がひとりで生きていこうとして(なにか必然的な過程のなかで)ポルノ女優という過酷な職業を選ぶ、人前で「脱ぐ」ということが如何に恥ずかしいことか、生活のために娘が耐えたその辛さと惨めさを少しでも理解しよう・少しでも近づこうとして母親は、悲しいくらい必死に脱いだのだと思います。

彼女たちだって、なにも特別な人間なんかじゃない、世間では悪意の込もった卑猥な薄笑いで語られる「AV女優」という偏見に満ちた「特殊さ」を、(りりィが「脱ぐ」ことによって)「恥ずかしさに耐える」という常識の域まで引きずりおろしてみせた岩井俊二の心優しい悲痛な「思い」に自分は撃たれたのだと思います、撃たれないわけにはいきません。

売れない俳優が集まって副職として結婚式の親戚代行業をしていくなかで、余命わずかな孤独な女優(真白)のために、画策して密かに「花嫁」(心を通わせられる親友)を妻合わせるという、少し強引なこの癒しの物語の背後には、岩井俊二の密かな「哀悼」の思いがひそんでいるのではないか、劇中名に使われた「皆川七海」や「里中真白」や「恒吉冴子」の仮名を眺めながら、ぼろぼろになって早世を余儀なくされた不運な女優たちのことを思わず連想させられてしまったのは自分だけだったのか、いまは確かめるすべもありません。


(2016東映)監督原作脚本編集・岩井俊二、エグゼクティブプロデューサー・杉田成道、プロデューサー・宮川朋之、水野昌、紀伊宗之、制作・ロックウェルアイズ、撮影・神戸千木、美術・部谷京子、スタイリスト・申谷弘美、メイク・外丸愛、音楽監督・桑原まこ、制作プロダクション・ロックウェルアイズ、製作・RVWフィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ、日本映画専門チャンネル、東映、ポニーキャニオン、ひかりTV、木下グループ、BSフジ、パパドゥ音楽出版)
出演・黒木華(皆川七海)、綾野剛(安室行舛)、Cocco(里中真白)、原日出子(鶴岡カヤ子)、地曵豪(鶴岡鉄也)、和田聰宏(高嶋優人)、佐生有語(滑)、金田明夫(皆川博徳)、毬谷友子(皆川晴海)、夏目ナナ(恒吉冴子)、りりィ(里中珠代)、

映画第40回日本アカデミー賞(2017年) 優秀主演女優賞 (黒木華)
第41回報知映画賞(2016年) 助演男優賞(綾野剛、『怒り』『64-ロクヨン- 前編/後編』と合わせて受賞)
第31回高崎映画祭(2017年) 最優秀助演女優賞(りりィ)
第90回キネマ旬報(2017年)日本映画ベスト・テン 第6位



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# by sentence2307 | 2017-08-06 09:24 | 映画 | Comments(0)
ずっと見る機会のなかった周防監督の伝説の映画「変態家族 兄貴の嫁さん」のテープを、酒の席の雑談でたまたま友人が所有しているのを知ったときのその驚きと喜び(そのとき瞬時に「これは借りられるな」と思いました)は、いまでも忘れることができません、日を置かずにさっそく借りて見ることができて、これでやっと積年の願いが叶いました。

実は、そのとき同時に借りたテープというのがあります、瀬々敬久監督の「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」1994、「牝臭 とろける花芯」1996、「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」2001の3本です。

いまでこそ、「64-ロクヨン-前後編」などメジャーな作品を立て続けに撮っている瀬々敬久監督ですが、かつては「ピンク映画四天王」の一人といわれて数多くの傑出した作品を残しています、今回借りたこの「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」も「牝臭 とろける花芯」も「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」も、この「分野」では、いずれも高い評価を受けた作品と聞いています。

あの酒の席での雑談で、友人に、かつて自分が「黒い下着の女 雷魚」のコラムを書いたと話したことを覚えていて、それで今回わざわざ貸してくれたのだと思います、

しかし、それにしても、これらの作品、その内容からは遥かにかけ離れた、相当物凄いタイトルです。

ピンク映画会社の集客のための営業戦略とはいえ、それぞれの作品に付されたこの淫靡で過激なタイトルから、その内容を憶測することは、ほとんど不可能です。

このコラムを書こうと思い立ってからの自分も、いくら頑張っても、ついに結びつきができないので、仕方なく、タイトルと簡単な内容とを対照したカンニング・ペーパーを作ったくらいでした。

ピンク映画のタイトルといえば、それこそ、オナニーやら強姦やら近親相姦やら、思わず目を背けたくなるような淫語の大パレードなわけですが、しかし、それも「掴み」のコツさえ分かってしまえば、なんてことありません。

使われる用語とその組み合わせは、意外なほどに単純でパターン化されているので、「ピンク映画」のもつ独特のタイトルの限定的な発想(淫語の種類などタカが知れていて、セイゼイその限られた熟語の組み合わせにすぎません)に慣れてしまえば、異様な性的意匠の外見や挑発的な用語にたじろぐ必要など毛頭ないことがだんだん分かってくると思います、いわば「慣れ」ですよね。

逆に、そのパターン化・記号化された単調さのために、かえって縁もゆかりもないタイトルから作品の内容がどんどん欠落・剥離し、タイトルが本来課せられているはずの内容を象徴する機能と役割を十分に果たせなくなっている印象です、いや、むしろ、その結び付けの試みを頑なに放棄しているようにさえ見えるくらいです。

例えば、「変態家族 兄貴の嫁さん」の描く世界は「近親相姦」の話ですが、このタイトルから、そのまま現にこの社会に存在する深刻で生々しいリアルなノンフィクションと思う人などは、まずなく、場数を踏めば、ただの妄想・とんでもない欲望ファンタジーみたいなものだと自然に「読み替え」ができるようになると思うのですが、しかし、一般の観客にとっては、「そう」はいきません。

お隣の妙齢なお嬢さんと世間話をしながら「ローマの休日」について話すみたいには、これらの作品(「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」や「牝臭 とろける花芯」のお噂)をタイトルをあげて話すことなど、やはり躊躇し、憚られるものがあります。

しかし、それもこれも、見る者を厳しく選別する一種の「業界用語」みたいな記号だと分かってしまえば、その作品が持つ真正な価値をきっと見失うこともないだろうと信じながら、書くべきことを箇条書きに整理し始めました。

そして、だんだん分かってきました。

もしかすると、これって最初から、そういうチャラチャラした層の観客を拒絶する戦略的意味合いもあったのかと。

ピンク映画においては、固定客(リピーター)以外の観客などハナから相手にしないどころか、「イチゲンさん、お断り」みたいに拒絶する・切り捨てるという戦略で、「分かる人だけが見に来てくれればいい」という立ち位置こそ、一般の価値観から距離をとって作ることができる本来の「ピンク映画」の在り方なのかもしれないと。

しかし、それにしても内容を象徴できないタイトルなんて全然意味がないと思うし、作り手の立場からすると、随分残酷な話のようにも思います。

以前自分がコラムに書いた「黒い下着の女 雷魚」のタイトルならまだしもです、このタイトルなら映画の内容も鮮明に想起することができますからね。

しかし、「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」や「牝臭 とろける花芯」や「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」のどこに、自立してその内容を瞬時に想起させることができる象徴性というものがあると言えるでしょうか、もはやスレスレの域を超えて、きわめて疑問と言わざるを得ません。

ピンク映画において「撮る自由」を獲得できた若き映像作家たちは、その見返りとして、内容を象徴するタイトルの「命名権」を失ってしまったのではないか、剥奪されてしまったのではないかと思えるくらいの無残な印象です、しかし、これってとても重要なことだと思いませんか。

習作時代の作品のタイトルを問われ、つい口ごもる彼らは、タイトルを失っために「作品」そのものも失ったことをそのとき気づくのではないかと。

でも、「自由」を獲得できるということは、本来そういう本質的なものの犠牲と喪失のうえに成り立っているものなのかもしれません、そんな気がしてきました。

さて、自分にとって、これだけの前振りがないとピンク映画の感想が書けないのかというと、そんなことはありません。

タイトルが内容の象徴的機能を果たせないのならば、かわりに「比喩」でその作品の全貌を言い表せないか、考えてみました。

まず「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」の印象です。

全編死の影に覆われたその殺伐とした風景描写(精神の荒廃も表しています)から、仮に「ゴダール風」と仮定してみましたが、しかし、ゴダールの描く人物像は、いずれもクールで淡白、極く乾いた印象で、こんなにも濃密に人間が人間にかかわろうとする関係(愛憎によって人を殺すに至るまでの激しい情感)を描いたものなどかつて見たことがないので、まずこれは違うなとすぐに否定し、しばし考えたのちに、ぴったりと重なる映画に思い当たりました。ミケランジェロ・アントニオーニの「さすらい」1957です。ラストの墜落自死ばかりでなく、風景の荒廃が魂の荒廃を映しているところなど、ぴったりなのではないかと思いました。

そして「牝臭 とろける花芯」は、直感的にロベール・アンリコの「冒険者たち」1967を連想してしまいました。底抜けの明るさに照らされながら、しかし、それは単に不吉な予兆にすぎず、「明日」に怯えている喪失感の不安みちた切迫感が作品全体を引き締めている、その感じが、思わず自分に「ロベール・アンリコ」を連想させたのだと思います。



そして、「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」は、断然ベルイマンだと思いました。絶えず「死の時間」を問いながら「死」を生きる者たちの緊張感に満ちた映像体験ができました。


冒頭、「生まれる前の時間と、死んだ後の時間って、どっちが長いと思う?」という問いからこの映画は始まります。

それは、この世に生まれ出るまでの待機の時間(そんなものが、果たしてあるのかと思う)と、死んだあとに無限に続く喪失の時間の長さを比較しようという、考えてみれば、なんと奇妙で空しい問いかと一瞬あきれてしまいます。

たとえ、それがどのような「時間」であろうと、空虚と化した自己にとってはもはや無縁以外のなにものでもない「時間」のはずです、それをあえて数えようという苦痛の虚無行為に、人はどれだけ耐えられるのかと思います。

しかし、この「ふたつの不在」を問う問いとは、つまり、そのまま、いま頼りなく生きているリアルな時間の卑小と無意味を問いただすことでもあるのだと気が付きました。

「死ぬまでどう生きるかはお前の自由だ」という悪魔の囁きも、荒廃した「現在」の限られた時間を、不確かでなんの拠り所もなく怯えて生きることの不安のどこに、「自由」などと呼べるものがあるのかという過酷な反語以外のなにものでもないような気がします。

時間軸が交錯し(というよりも「錯綜」し)「来たるべき死」は、予告されると同時に過去において決行され、頼りなげな幾つもの「生」は絶えず「殺意」に脅かされながら、生きる意味も見失い、動揺し、またたく間に「不条理な死」に強引になぎ倒される。

地下鉄サリン事件、東電OL事件、天安門事件など重くのしかかる時代の不安を核に、幾組かの男女の過去と未来、生と死、そして暴力と殺人の物語が交錯しながら描かれます。

やはりこれは、ベルイマンだなと思いました。


(時系列の整理、しときますね)
1995年、バイクに乗っていたケンヂ(石川裕一)は、街に散布された毒ガステロに遭い、この世を去ります。その死の瞬間、以前付き合っていた恋人ハルカ(佐々木ユメカ)を思い出します。
1997年、そのハルカは、父親へのトラウマから昼はOL・夜は娼婦という生活をしています。ある夜、ウサギの着ぐるみを着たサンドイッチマンの男とラブホテルに入り、そして、その死神を名乗るそのサンドイッチマンの男に、ホテルで撲殺されます。
1995年、ケンヂが死んだ日、ハルカと偶然町で擦れ違ったトシロウ(伊藤猛)は妻がいながらOLの真知子(佐々木麻由子)と不倫を重ねており、二人はSMプレイに溺れますが、事後トシロウは出産間近の妻の元へ急ぎます。
1989年、ケンヂのアパートにはバンド仲間のハギオ(佐藤幹雄)とミチ(奈賀毬子)、シンイチ(川瀬陽太)とアユミ(えり)が住んでおり、友人の葬儀の夜、それぞれ互いの恋人を相手に秘密で性行為に耽ります。翌日、シンイチは拳銃でアユミの頭を撃ち抜きます。
2002年、死んだケンヂとハルカは生まれ変わって再び出会い、やがて安らぎに満ちた新しい物語が始まろうとしています。



★高級ソープテクニック4 悶絶秘戯(迦楼羅の夢)
(1994国映)監督・瀬々敬久、企画・朝倉大介、脚本・羅漢三郎(瀬々敬久、井土紀州、青山真治)、撮影・斎藤幸一、照明・金子雅勇、編集・酒井正次、録音・銀座サウンド、助監督・今岡信治
出演・伊藤猛(イクオ)、栗原早記(メイコ)、下元史朗(トミモリ)、葉月螢、滝優子、夏みかん、小林節彦、サトウトシキ、上野俊哉、山田奈苗
製作=国映 配給=新東宝映画 1994.04.22 62分 カラー ワイド

★牝臭 とろける花芯
(1996)企画・朝倉大介、脚本・井上紀州、瀬々敬久、監督・瀬々敬久、撮影・斉藤幸一、編集・酒井正次、録音・シネ・キャビン、助監督・榎本敏郎
出演・穂村柳明、槇原めぐみ、川瀬陽太、伊藤清美、下元史朗、伊藤猛、小水一男
製作=国映 配給=新東宝映画 1996.07.26 61分 カラー ワイド

★トーキョー×エロティカ 痺れる快楽
(2001国映)監督脚本・瀬々敬久、企画・朝倉大介、プロデューサー・衣川仲人、森田一人、増子恭一、助監督・坂本礼、撮影・斉藤幸一、音楽・安川午朗、録音・中島秀一、編集・酒井正次、監督助手・大西裕、
出演・佐々木ユメカ(ハルカ)、佐々木麻由子(小谷真知子)、えり(アユミ)、奈賀毬子(ミチ)、石川裕一(ケンヂ)、下元史朗(サンドイッチマンの男)、伊藤猛(来生トシロウ)、佐藤幹雄(ハギオ)、川瀬陽太(シンイチ)、佐野和(ウサギ)、
製作=国映=新東宝映画 配給=国映=新東宝映画 2001.08.31 77分 カラー ワイド




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# by sentence2307 | 2017-07-30 22:30 | 映画 | Comments(0)
前回、周防監督作品「変態家族 兄貴の嫁さん」の自分のコメントに、CB400Fさんから
「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」
と強烈なツッコミを入れられてしまい、その一言を胸に秘めながら、ただただ反省と悔恨の日々を過ごしました。

自分のあのコメントは、結論をはぐらかした、はっきり言って苦し紛れの「逃げ」のコメントだと言われても仕方ないくらいの支離滅裂さで失速し、中途半端に頓挫したわけですので、CB400Fさんのあのツッコミは、当を得た至極当然な発出だったと思います、しかし、弁解がましくなりますが、自分的には、本題へのアプローチに若干の齟齬をきたしたというだけで(結果的に、です)、目指した方向性とか姿勢に関しては、それほどの間違いをおかしたわけではないという気持ちが強いので、今回もまたその辺のところを含めながら書いてみたいと思います。

いま思えば、自分の反省としては、「オマージュ」と「パロディー」とを取り違えて論を始めようとした迂闊さに、そもそもの原因があったのだとはじめて気が付きました。

周防監督作品「変態家族兄貴の嫁さん」は、決して「『雪国』文体模写シリーズ」のような「パロディー」を目指したものなんかじゃなかったことは、夜の床で周吉が百合子(あっ、「紀子」じゃない!)に「夫婦のしあわせ」について語り掛ける場面の、オリジナル作品の「なぞり方」の忠実さと誠実さを見れば明らかです、これこそ「オマージュ」以外のなにものでもないのだと思いました。

周吉「そりゃ、結婚したって初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになれると思う考え方がむしろ間違っているんだよ。幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで創り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が、新しいひとつの人生を作り上げていくことに幸せがあるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ。お前のお母さんだって始めから幸せじゃなかったんだ。長い間いろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でも、お母さんはよく辛抱してくれたんだよ。お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持ってくれたような温かい心を、今度は佐竹君に持つんだよ、いいね?」

この日本映画史上特筆すべき高潔なセリフを周防監督は、別段茶化して言わせているわけでもないし、あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもありません。

少なくとも、このセリフの「なぞり方」は、「『雪国』文体模写あそび」とは、まったく異質なものだと改めて感じました。
しかし、自分は、この「あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもない」という部分に、とても深い違和感を覚えました。

そもそも、この映画を成り立たせている物語の骨格は、新たに家に迎えた肉感的な兄嫁に対する家族の並々ならぬ性的関心の物語です、カテゴリー的にいえば、「近親相姦・総当たりトーナメント」みたいなSMを絡めた「なんでもアリ」の艶めかしい雰囲気につつまれた家族映画です。

ですから、義父・周吉が嫁・百合子に語りかけるあのしんみりとした夜の床の場面でも、嫁はすでに夫(周吉には息子)に逃げられていることでもあり、義父と嫁の「(性的な)絡み」の機は十分に熟したと見ている観客にとって、ここは当然、義父・周吉が、すきを見て嫌がる嫁・百合子を強引に引き寄せたりなんかして、「いいじゃないか百合子さん、キッスくらい、なっ、なっ」てなことを言いながら、タコの吸出しのように口をとがらせて真っ白な肌(興奮で薄っすら赤味がさしています)の百合子にキッスを迫り、勢いで顔をなめまわし、かたや百合子は、誘うように身をくねらせ弱弱しい抵抗をみせながら「いやいや、いけませんわ、お父さま。ウ~ン、ダメェ、あっあー・ソコ」みたいな、そういった煽情的な場面を大いに期待しているにもかかわらずですよ、見せられたものは例の「そりゃ、オマエ、結婚なんてものはね」とかなんとか、実に興ざめなシャチホコばった長セリフが登場するわけですから、そりゃあ、観客の違和感たるや相当なものがあったわけですが、しかし、考えてみれば、周吉に好意を寄せていたバー「ちゃばん」のママとの「関係」にしてもなんら深められることなく、あっさり長男・幸一に横取りされてしまうというシチュエーションなども考え合わせれば、「あっ、これがオマージュってやつなんだよな」(汚れなき義父です)と変に納得してしまいました。

いやいや、理由を書かずに、すぐ納得なんかしてしまうと、また、CB400Fさんから「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」と言われてしまいますので、もう少し時間稼ぎをしてみますね。時間稼ぎとかじゃないだろ。あっ、はい。自問自答

自分は、「忠臣蔵」の大ファンで(お、おい、全然違う話が始まっちゃってるけど、大丈夫なの? まかしてください、大丈夫です)、御園京平の「映画の忠臣蔵」(講座・日本映画)という記事を座右に置いて常に繰り返し愛読しています。いつか、この記事をパクッて(お、おい!)、「大忠臣蔵列伝」を完成させたいと思っています。ちょっと考えただけでも、日本映画史を縦断・横断する物凄いものができるに違いありません。ぞくぞくしますよね。

こんな自分なので、タイトルに忠臣蔵と付いているだけで、なにを置いてもその作品は真っ先に見ることにしています、特に変種のものには、目がありません。むかし、「ワンワン忠臣蔵」なんてのもありました。

最近も、白竜主演の「極道忠臣蔵」(2011監督・片岡修二)という作品を見ました。

縄張り争いのゴタゴタもあって、侮辱されたことで逆上した組長が相手の組長に切りかかったことで本部から破門され、さらには陰謀によって雇われ殺し屋に暗殺され、そして若頭・白竜が出所してきて、苦難の末に親分の仇をとるという物語です。さしずめ、白竜が「大石内蔵助」です。

もし、タイトルに「忠臣蔵」となければ、すこぶる淡白に見過ごした可能性があります、第1回ピンク大賞監督賞を受賞した片岡修二監督作品といえどもね。

あっ、この場面は、「あの場」だと、いちいち記憶と照合する楽しみがあってこその「忠臣蔵」なのです。

そして、こういうことが「オマージュ」というものではないのかなと感じた次第です。


極道忠臣蔵
(2011)監督・片岡修二、企画・山本ほうゆう、プロデューサー・渋谷正一、脚本・片岡修二、撮影・河中金美、
出演・白竜、小沢和義、本宮泰風、武蔵拳、河本タダオ、國本鍾建、木村圭作、Koji、BOBBY、堀田眞三、松田優、加納竜、原田龍二



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# by sentence2307 | 2017-07-28 19:58 | 映画 | Comments(0)

変態家族 兄貴の嫁さん

少し前、古い友人と会ってお酒を飲んでいたとき、話のはずみで周防監督の「終の信託」の話になりました。

「それでもボクはやってない」の捜査官(副検事だったかも)の熾烈な取り調べの場面は、実にリアルで、恐ろしいくらいでしたが、「終の信託」の検察官(大沢たかおが憎々し気に演じていました。)もまた、それに劣らぬ「権力」というものの存在感を露骨に見せつけて(薄気味悪いくらいでした)、かなりの衝撃を受けたことを覚えています、そのことについて話しました。

時代劇なんかによくあるじゃないですか、お奉行さまの取り調べが佳境に入ったりすると、突然「役目によって言葉を改める」とかなんとか豹変して威儀を正し、一切の反論は絶対に許さない、ただ、お前は黙って罪を認めておればそれでいい、みたいな強硬なあの手の場面ですが、「終の信託」における大沢たかお演じる検察官も、かなり強引で冷ややか、恐ろしいくらいの名演でした。

リアルに「役人」というものが「権力」の一部であることを露骨に気づかせ、スクリーンでまざまざと見せつけました、いままで、あんなに「権力」を誇示した冷厳な役人像は、あまり見た記憶がありません、だから一層衝撃を受けたのだと思います。

そう思わせるくらい、「権力」を後ろ盾とした、あからさまな「検察官像」だったと思います(それもこれも周防監督の演出力の力量を示したものに違いありませんが)、あの場面を見ていて、「権力の走狗」という言葉が(最近は、あまり耳にしませんが)、自分の中から自然に沸き上がってきたくらいですから、それはもう大変な演出力でした。

映画「それでもボクはやってない」でも、取調官の手元には、すでに事件についての調書(下書きかも)が用意されていて、実際の対面での取り調べは、単にその作文をなぞって確認するだけの「復習=復唱」にしかすぎず、被疑者が「その部分は事実と違う」と必死に抗弁しても、「余計なことを言うな! お前は、本官が尋問したことだけ答えればいい」と一喝され、そうした恫喝のもとで成立した検察官の調書(たとえそれが脅迫によって捏造されたものであっても)を認め、署名捺印でもすれば、それで権力のメンツは立ち、そのあとで、「罪を認めれば許してやるぞ」的な「寛容な恩情」によって「二度とやるなよ」と放免されるという国家権力の「裁きのシステム」を、周防監督は、あの作品によって如何なく白日の下に暴き出したのだと思いますし、その指摘が「冤罪」を生み出すシステムであったことにも気づかせた結果、司法を痛撃し、国を動かしたことも事実だったと思います。

いや、まずい、まずい、酒の席で、ついテンションをあげてしまい、こんなカチンコチンの硬派な話をしてしまって、久しぶりの貴重な邂逅の時間を台無しにするところでした。

なにも、こんな陰気で深刻な話をするつもりなど、さらさらなかったのですが、つい場の勢いでこんな話になってしまいました。

その責任の一端は自分にもありますので、あわてて話を周防監督のデビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」に捩じ向けました。

この作品の話なら、深刻にも陰気にも、なろうはずはありません。

これは実にいい機転だったのですが、いかんせん、周防監督のこのデビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」を、自分はまだ見ていませんでした、この時点ではね。

しかし、この作品、小津監督へのオマージュ作品としての評判だけなら、むかしから嫌というほど聞かされていたので、作品の方向性というか、「作られ方」みたいなものの見当はだいたいつきます、「見てない」ことはぼかしながら、ひたすら小津監督サイドから話を向けていけば、なんら問題はなしと、適当に話を合わせていたのですが、そのうちに作品の細部についての「同意」の要請に対して幾たびか口ごもり・失敗し、やがて自分がこの作品を「見てない」ことが、ついにバレてしまいました。

そうなれば、ここはふてぶてしく開き直るしかありません、長い会社人生、いままでだって自分はそうやって立派に生きてきました、自分で言うのもなんですが。

まあ、そんなふうに頑なにならなくたっていいのですが、言ってしまえば気が楽になり、「見てないことのどこが悪い」と逆に居直り、あとはひたすら聞き役に回りました。

そして、聞いているうちに、彼がそのテープを保有していることが分かりました。

「えっ、あるの?」、「なら貸してよ」と図々しくおねだりし、その次の飲み会のときに、ついに周防正行監督デビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」を入手しました・できました。

そして、見終わったのが、いまのいまなのですが、う~ん、この作品にどのような「感想」を自分が抱いたのか、実のところ戸惑っています。

最初は、話の筋を忠実にたどってみました。

しかし、そこに、どのようなヒントも隠されていないことは、明らかです、「そういう」映画として作られた映画ではないわけですから。

あっ、そうそう、自分が読んだエピソードの中に、「こんな奇妙な作品を撮って、映画会社が激怒した」なんていうのがありました。

煽情的な場面を期待してピンク映画館にやってきた客も、会社と同じように大方はきっとそうだったに違いありません。

小津監督の整理された画面、整理された時間、整理された枠組みを模倣するとなれば、当然そこには如何なる「情動」も入る余地がないということになるのかもしれません。ですので、こうして小津的に規制されて撮られた作品によって「エッチの気持ち」になりたいなどと願うこと自体、どだい無理な話だったのです。

しかし、自分がいままで経験した「オマージュ作品」っていうものは、もう少しデフォルメされていて、ときおり「自分」の作家性をも気づかせるために、オリジナルから少し必要な距離をとっている、その絶妙な距離感が「オマージュ」だと信じていたので、この「変態家族 兄貴の嫁さん」の「そのまんま」には、たとえそれが単なるパロディだったとしても、逆に「解釈」が必要なのではないかと悩んでしまいました。

つまり、この「距離感のなさ」を自分的に納得しなければ、この作品を「どう楽しめばいいか」ということも分からないのでないかと考えたのかもしれません。

そのとき、ふっと「あること」を思い出したのです。

ずっとむかし、和田誠の著作に、川端康成の「雪国」の出だしの文章を、当時の流行作家たちが書いたらどうなるか、というパロディ本があったことを思い出しました。

書名はちょっと思い出せませんが、実にユニークな着想で、感心し、腹を抱えて笑ってしまった記憶だけは鮮明に残っています。

さっそく「和田誠」をキーワードにして検索してみました、まずは国会図書館のサイトから。

そこでは、なんとヒット数は3744件、その中には、再版・重版(刊行日が違っても、それを1とカウントしているみたいです)も含まれているみたいなので、実数としてはもう少し少ないかもしれませんが、3744件とは、これはまた驚きました。

この中から、書名さえ分からない本を探すのは、至難のワザです。ましてや、(デジタル公開されていて内容が確認できるのならともかく)漠然としか分からない内容と、不明な書名とを勘で結びつけるなど、出来るわけがありません。

そこで、とっさの思い付きですが、苦し紛れにダイレクトで「和田誠 雪国」と検索してみました。

ありました、ありました。

なるほどね、最近になって重版されたみたいですね、この本。

書名は、和田誠「もう一度 倫敦巴里」とあります。(ナナクロ社刊、デザイン協力:大島依提亜、判型 :A5判上製176ページ、カラー多数、価格:2200円+税、発売:2017年1月25日)

そして、その内容の紹介には、

≪和田誠、1977年初版の伝説的名著『倫敦巴里』が、未収録作を加え、『もう一度 倫敦巴里』としてついに復活!
★川端康成の『雪国』を、もし植草甚一が、野坂昭如が、星新一が、長新太が、横溝正史が書いたとしたら。(『雪国』文体模写シリーズ)
イソップの寓話「兎と亀」をテーマに、もし黒澤明が、山田洋次が、フェリーニが、ヒッチコックが、ゴダールが映画を作ったとしたら。(「兎と亀」シリーズ)
ダリ、ゴッホ、ピカソ、シャガール、のらくろ、ニャロメ、鉄人28号、星の王子さま、ねじ式、007、「雪国」……数々の名作が、とんでもないことに!?
谷川俊太郎、丸谷才一、清水ミチコ、堀部篤史(誠光社)の書き下ろしエッセイを収録した特製小冊子付。(※丸谷才一さんのエッセイのみ、再録となります)
※本書は、1977年8月、話の特集より刊行された『倫敦巴里』に新たに「『雪国』海外篇」「雪国・70年2月号・72年11月号・73年12月号・75年2月号・77年2月号のつづき」を加え、再編集したものです。著者監修のもと、原画がカラーで描かれていた作品は、カラーで掲載しています。≫


とあり、かつて自分が読んだのが「★『雪国』文体模写シリーズ」だったんですね。

さっそく、この本を図書館から借りてきました。

せっかく借りてきたので、「もし村上春樹が『雪国』を書いたら」を転写しておきますね。


≪昔々、といってもせいぜい五十年ぐらい前のことなのだけれど、そのとき僕はC62型機関車が引く特急の座席に坐っていた。とびっきり寒い冬の夜だった。
機関車は逆転KO勝ちを決めようとするヘヴィー級ボクサーのようにスピードを上げ、国境のトンネルをくぐり抜けた。やれやれ、また雪国か、と僕は思った。
一日がガラス瓶だとすれば、底の方に僕たちはいた、果てしなく白い底だ。
信号所に汽車が停止したとたんに、「月光価千金」のメロディが聴こえた。向かい側の座席にいる女の子が吹く、澄んだ星のような音色の口笛だった。彼女は人目をひくほどの美人ではなかったけれど、おそろしく感じのいい女性だった。
彼女は立ち上がって、僕の前のガラス窓を落とした。雪の冷気がかたまりになって流れこんだ。
「駅長さあん、駅長さあん」
窓いっぱいに乗り出して、アルプスでヨーデルでも歌うみたいに彼女が遠くへ叫ぶと、闇の中から黄色い光を放つカンテラをさげた男がやってきた。光は闇の対極にあるのではなく、その一部なのだ、と僕は感じた。≫


転写に集中していたら、この「文体模写シリーズ」と「変態家族 兄貴の嫁さん」が、どのように繋がるのか、繋がりを持たせようとしたのか、そのアイデアをすかっり忘れてしましました。

思い出したら、また書きますね、ごきげんよう。

(1984国映、新東宝)朝倉大介(企画)、周防正行(監督)、井上潔(監督助手)、富樫森(監督助手)、周防正行(脚本)、長田勇市(撮影)、滝影志(撮影)、周防義和(音楽)、TOJA2(演奏)、種田陽平(美術)、矢島周平(美術)、大坂正雄(音楽録音)、ニューメグロスタジオ(録音)、小針誠一(効果)、長田達也(照明)、豊見山明長(照明)、菊池純一(編集)、磯村一路(製作担当)、斉藤浩一(タイトル)、
出演・風かおる(間宮百合子)、山地美貴(間宮秋子)、大杉漣(間宮周吉)、下元史朗(間宮幸一)、首藤啓(間宮和夫)、深野晴彦(従兄・間宮秀三)、麻生うさぎ(「ちゃばん」のマダム)、原懶舞(九州の若夫婦)、花山くらら(九州の若夫婦)、

1984.06. 62分 カラー ビスタサイズ


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# by sentence2307 | 2017-07-22 08:27 | 映画 | Comments(1)

稲妻

「えっ~、まだ見てなかったのぉ!?」なんて言われてしまいそうですが、そうなんですヨ、成瀬巳喜男監督作品「稲妻」1952を通して見たのは今回が初めて、しかも、いまさらながら、そのことに、まったく気づかず、やっと今回、そのことに改めて気づかされたというわけなのです。

「はぁ? なに言ってんだか、さっぱり分からないよ、それじゃ」

そうですよね、そりゃ、うまく説明しないと、この辺の事情は分かっていただけないかもしれませんよね。

今回は、「その辺の事情」というのも含めて成瀬作品「稲妻」について書いてみたいと思います。

メディアによって紹介されることの多い名作映画にはよくあることですが、この「稲妻」も、かなり頻繁に取り上げられていて、そのたびに必ず映し出されるのがラストシーン、三女・清子(高峰秀子が演じています)が母親(浦辺粂子が演じています)に

「どうして自分たち兄妹を、同じ父親の子として産んでくれなかったのよ」

となじる場面だけが切り取られたカタチで、僕たちはいままで繰り返し見せられ続けてきたような気がします、数え切れないくらいにです。

大写しの高峰秀子が、悲嘆と怒りに歪めた泣き顔で母親に必死に訴えかける、悲痛で、それだけにとても美しい場面です。

もし同じ父親から生まれた子供だったら、自分たち兄妹は、こんなにもバラバラにならずに済んだかもしれない、いや、きっとそうだ、こんなにも気持ちを荒ませ、疑心暗鬼で互いを傷つけ合うこともなかったと詰る痛切な場面は、間違いなくこの作品の「核」になる最も重要な場面と言っても、決して過言ではありません。

それに、清子が母親をなじるまでに気持ちを高ぶらせたのは、その直前に、隣家の心優しい兄妹(根上淳と香川京子が演じています、香川京子の清らかさと美しさに思わず目を奪われてしまいました)の仲睦まじさを目の当たりにして心和ませ、羨望の思いに捉われていた彼女に、その兄・根上淳から逆に「ご兄弟は?」と問い返されて、思わず口ごもって表情をくもらせる場面に、他人に依存しなければ生きていけない家族への嫌悪と、自分が切り開こうとしている将来の希望など、清子の一連の心情が的確に描かれている傑出した場面です。

その兄・根上淳からの突然の問いに、思わず、清子が、兄妹の存在そのものまで否定へと揺らいだことは明らかで、もしかしたら、彼女のその「くもらせた表情」のなかには、たとえ微かにでもその否定に動いてしまった罪悪感も、母親への「なじり」に込められていたはずです。

そもそも清子に、家族を捨て山の手の下宿先へ家出同然の(突然の)転居を決意させたものは、・・・などと彼女が少しずつ積み重ねてきたストレスのひとつひとつを逆に辿っていけば、母親をなじるに至る感情の軌跡と、その思いの複雑さは徐々に明かされるとは思いますが、しかし、いま、ここで問題にしているのは、このぶつ切りにされて見せられ続けてきたラストシーン、「清子が母親をなじる」というシーンだけを孤立して見せられ続けたことによって、自分が「稲妻」という作品のイメージを、いつの間にか「別のもの」として作り上げてしまっていたらしいこと(自分的には「刷り込まれた」と言いたいのですが)を説明したかったのです。

ずいぶんウザッタイ持って回った言い方をしてしまいましたが、要するに自分は、いままで、この母親をなじる高峰秀子の悲痛な顔のアップに「終」の字が被るに違いない、これがこの作品のラストシーンだといつの間にか思い込んでしまっていました、実際にこの作品を見る「つい昨日」までは。

しかし、今回見て、それが自分のまったくの思い違いであることに気が付きました。

清子は、母親をなじり、激高のすえに両手で顔を覆って泣き出します。

一瞬「東京物語」のラストシーンの原節子を思わせるくらいの実に美しい場面です。

すると母親は、「私だって、なにも好きこのんでそうしたわけじやない」と抗弁し、その時その時の過酷な現実に翻弄された思いをよみがえらせ、そのときだって精一杯誠実に生きてきて今の現在があるのだと、積み重ねた苦労に胸詰まらせ、そのように生きるほかに自分はどうすればよかったのだと、やはり泣き出します。

そして、「兄妹のなかでお前がいちばんいい子だと思っていたのに、母親をこんなに泣かせるなんて、なんて悪い子だ。」と清子を逆になじります。なんで私が非難されなけりゃいけないんだとでも言うように。

その言い方、その声の調子は、まるで聞き分けのない幼い子を叱る母親の柔らかさに満ちていて、虚をつかれた清子はふっと顔をあげ、思わず苦笑気味に愚鈍な「母親」を見つめます(「見つけます」と言ってもいいかもしれません)。

幾人もの男たちに依存して生きてきたそのだらしなさと愚かさの結果が、「父親違いの子供たち」というイビツな現実を生み出してきたのだとしても、そのようにしか生き得なかった母親の無防備な善良さに不意を打たれた清子は、それさえも愚かしいと唾棄し、罵り否定できるのかと戸惑います。
どうあろうと、この人が私の母親に違いないのだという感じでしょうか。

理解や同意まではできないとしても、この母親もそれなりに・彼女なりに懸命に生きてきたことを受け入れようとする娘と、どこまでも「被害者」として理解を押し付けてくる母親とが、かろうじて心かよわせる安らぎと柔らかさに満ちたシーンです。

帰る母親を駅まで送る夜道で、母親は何かを拾います、「なんだ、王冠だ、五十銭銀貨かと思った」と言って捨てる姿に「いまどき五十銭銀貨なんてないわ」と苦笑で応じる清子の眼差しには、ついさっきまでの母親への非難の厳しさは、すでに消えています。

これが、成瀬作品「稲妻」の本当のラストシーンです。

そうか、分かってしまえば、なんてことありません。

自分の「刷り込み」から妄想した悲嘆と絶望の大アップが、この映画の最終画面だなんて、少し考えてみれば、そんな切羽詰まった終わり方をするなど、もっとも成瀬巳喜男作品らしからぬ「有り得ない終わり方」であったことくらい、すぐにでも分かりそうなことでした。

しかし、これで自分の中に長い間わだかまっていた「オリ」のようなものが、氷解しました。

ここまでは、思い込みが如何に恐いかというお話なのですが、ここで話が、すこし飛びますね。

以前、「映画好き」が集まるある会合で、この自分の思い違いを話したことがあり、この話を聞いた参加者はどっと沸いて、座を大いに盛り上げたことがありました。

しかし、そのすぐあとで、こんなことを言った人がいました。

≪この「稲妻」は、いったい「誰と誰」との物語なのだろうか≫というのです。

座を盛り上げた自分の話が、あたかも「清子対母親」の物語のように聞こえ、その人は、そのことに違和感を持ったのかもしれません。

そのように言う以上、その人にも、また別の意見があるに違いないと考えた自分は、「あなたは、どのように考えているのか」と尋ね返してみました、実際には、この時を得た極めて恰好な話題が一座の関心を一気にさらい、談論風発の状況を呈して、自分の問いなど、その多くの人たちのザワメキの中に飲み込まれてしまって届きませんでしたが。

いちばん多かった意見は、やはり、全編を通して描かれている、金のチカラによって清子を無理やり我が物にしようと画策したパン屋・綱吉(小沢栄太郎が実に嫌らしく演じています、名演です)との確執でしょうか。

いや、この場合「確執」というのはおかしい、綱吉は清子につきまとっているだけで、嫌悪から避け続けている清子にとって「確執」という交渉まで至っていないというのが、本当のところかもしれません。
だとすれば、それは、物語を大きく包み込む「不吉な影」ではあったとしても、決してそれ以上のものではなかったような気がします。
綱吉の経済力に全面的に依存しているこの家族にとってその「不吉な影」は、結局は「恐怖」でしかなく、物語をひとつひとつ推進させるチカラ(まさに確執こそが「それ」です)にはなり得ていないような気がするからです。

あえて「確執」というなら、盛んに綱吉との縁談をすすめようとする長姉・縫子(村田知英子が演じています)とのギスギスとした関係の方が、むしろ相応しいのではないか。

しかし、なぜ長姉・縫子は、清子を綱吉に結びつけようとしたのか、もちろん、そこには清子に対する綱吉の並々ならぬ感心(あからさまな肉欲です)があったからには相違ないのですが、すでに綱吉とカラダの関係を持っていたに違いない長姉・縫子にとって、自分の位置を脅かしかねない清子を、あえて綱吉に人身御供としてあてがうメリットはあるだろうか。

いやいや、まさに次姉・光子(三浦光子が演じています)の例があるじゃないですか。

自分に欠けているもの(綱吉の欲望を満たすだけの性的魅力)を「次姉・光子」にカラダで担わせて、自分・長姉・縫子は利益(見返り)の方だけをちゃっかり頂戴しようと思っていたところ、結局は、自分の地位を脅かされていることに気づいて、不安と疑心暗鬼のすえに大喧嘩して、次姉・光子の家出・行方不明という事態を招きます。

ここには長姉・縫子が思い描いていた「姉妹の協力=役割分担」など、到底有り得ないことだったと彼女自身も思い知らされたわけですよね。

それは、次姉・光子にしても同じことだったと思います。利用されたとみせかけて、身をくねらせて綱吉の欲望を満たし、その見返りに金を引き出そうとした彼女も、姉の嫉妬によって企みがすべて瓦解するという「姉妹バラバラ」の事態を招いていますから、それはどうにも身動きのとれない、この先物語がどう展開するのか、まったく予測できない膠着状態をきたします。

そこで、ふたたびラストシーン、三女・清子のあのセリフ
「どうして私たち兄妹を、同じ父親の子として産んでくれなかったのよ」
に返りますね。

いままで考えてきたことすべてを受けたこのセリフの響きに、当初感じた突き放し、見捨てたような響きが、幾分薄らいできたことに気づきました。

少なくとも、清子は、綱吉を嫌悪したのと同じように、姉たちを見ているわけではない、もしかしたら、一時の怒りに激高した思いをこえて母親を許し、受け入れたのと同じように、欲望に翻弄された姉たちをもまた、許し、受け入れようとしているのではないかという思いさえ抱きました。

いずれにしても、高峰秀子の陰影のある奥深い演技があったればこそ、ここまで考えさせられたことは事実です。

思えば、この作品「稲妻」が撮られた1952年から、まさに女優・高峰秀子のピークに駆け上る成熟期のスタートの年として記憶されています。

稲妻(1952大映東京)
カルメン純情す(1952松竹大船)
女といふ城 マリの巻(1953新東宝)
女といふ城 夕子の巻(1953新東宝)
煙突の見える場所(195エイトプロ3)
雁(1953大映東京)
第二の接吻(1954滝村プロ)
女の園(1954松竹大船)
二十四の瞳(1954松竹大船)
この広い空のどこかに(1954松竹大船)
浮雲(1955東宝)


しかし、これらの「名演技」を、高峰秀子自身が、どのように自覚していたか、「子役スターから女優へ」という傑出したインタビュー記事が残されているので紹介しますね(聞き手は、佐藤忠男)。


佐藤 でも例えば「稲妻」なんて大映ですね。非常に細かいちょっとした仕草みたいなものが、非常に意味がある映画のようなものですね。「稲妻」は私、高峰秀子さんの最高傑作のひとつだと思っています。

高峰 忘れちゃった、あれはバスの車掌さん・・・。

佐藤 バスガールで、浦辺粂子さんの娘で種違いの兄妹がいる。村田知英子と三浦光子と、植村謙二郎が村田知英子のご主人で、・・・。

高峰 それで私どうするんですか(笑)。

佐藤 それであなたは、よりよく生きたいという理想を持っていて、だけれども、実に現在の生活がみじめったらしい。経済的にみじめったらしいというのではなくて、精神的にもみじめったらしく、何もものを考えていそうにない家族ばっかりで、こんな家にいるのは嫌だと。嫌なんだけれども、血肉の愛情があって、捨てるわけにもいかない・・・。

高峰 それで浦辺さんと移動で歩いていて、浦辺さんがなにか拾ったら、ビンの栓だった。そこだけ覚えている。あと何にも覚えてない。

佐藤 それはお金かなと思って拾った。何てまあいじましいんでしょうという。

高峰 そうそうそう。あれ変だな、だって「秀子の車掌さん」というのもバスガールですね。

(講座・日本映画、6巻「日本映画の模索」より)

高峰秀子生涯の名演技に話しを向けたところ、すぐにいなされ、「秀子の車掌さん」に逃げられる、そこには彼女一流のテレもあったかもしれませんが、高峰秀子という人の資質を十分に伝えてくれる逸話だと思います。


そもそもこの座談が、高峰秀子の「忘れちゃった」という一言で始められているのも、出色ですよね。



このラストでも成瀬巳喜男は、説明的なセリフや強い感情をモロに伝えるセリフを嫌い、田中澄江の脚本を大幅に改変し、日常的にしっくり嵌らないセリフはことごとく削除・省略したといわれています、とくにこのラストにおいて。

母娘の言い争いが収束にむかう会話

清子「母ちゃん・・・こんど浴衣一枚買ってあげるわ。売れ残りの安いのを」

おせい(機嫌はなおっています)「いやだよ、売れ残りなんて」

この会話を受けて田中澄江の元の脚本では、ラストシーンは、こんなふうになっていたそうです。

夜の道

ときおり稲妻が光っている

並んで歩く母娘


おせい「帰ってくるよ・・・きっとお光は。あの子小さい時から雷が嫌いでね。雷が鳴り出すと私にしがみついたもんだ」

「終」


しかし、成瀬巳喜男の「削除・省略」を経た実際のラストシーンは、「こう」なりました。

下宿の一階

家主「お帰りですか」

おせい「お邪魔しました」

家主「お構いもしませんで」

おせい「どうぞよろしくお願いします。(すぐに家主の作っている人形に気づき)あっ、お人形ですか。まあまあ」

清子「お母ちゃん!」

おせい(あきらめて)「あいよ。それじゃ」


そして、夜の道

並んで歩く母娘

おせいは何かに気づき、拾い上げる

清子「お母ちゃん、なに?」

おせい「50銭銀貨かと思ったら、ビールの口金だよ」

清子「50銭銀貨なんて、今ありゃしないわよ」

おせい「そうだよ。あたしも変だと思ったよ」

清子「いやあね。あ、ねえ、お母ちゃん、あのルビーの指輪ねえ、見てもらったら本物だって」

おせい「そうだろう。そうだとも。お前のお父っつぁんは、嘘なんかつけない人だったよ」


「終」


そういえば、誰やらが書いた成瀬本の書名に「日常のきらめき」というサブタイトルがあったのを、いま思い出しました。

(1952大映)監督・成瀬巳喜男、脚本・田中澄江、原作・林芙美子、企画・根岸省三、撮影・峰重義、美術・仲美喜雄、音楽・斎藤一郎、助監督・西條文喜、撮影助手・中尾利太郎、美術助手・岩見岩男、録音・西井憲一、録音助手・清水保太郎、音響効果・花岡勝太郎、照明・安藤真之助、照明助手・田熊源太郎、編集・鈴木東陽、製作主任・佐竹喜市、装置・石崎喜一、小道具・神田一郎、背景・河原太郎、園芸・高花重孝、移動・大久保松雄、工作・田村誠、電飾・金谷省三、技髪・牧野正雄、結髪・篠崎卯女賀、衣裳・藤木しげ、 スチール・坂東正男、記録・堀本日出、
出演・高峰秀子(小森清子)、三浦光子(次姉・屋代光子)、村田知英子(長姉・縫子)、植村謙二郎(縫子の夫・龍三)、香川京子(国宗つぼみ)、根上淳(つぼみの兄・周三)、小沢栄(栄太郎)(パン屋・綱吉)、浦辺粂子(清子の母・おせい)、中北千枝子(田上りつ)、滝花久子(杉山とめ)、杉丘毬子(下宿人・桂)、丸山修(清子の兄・嘉助)、高品格(運転手)、宮島健一(バスの老人客)、伊達正、須藤恒子、新宮信子、竹久夢子、
製作=大映(東京撮影所) 1952.10.09 9巻 2,392m 87分 白黒





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# by sentence2307 | 2017-07-16 09:09 | 映画 | Comments(0)

喜劇 駅前競馬

前回、映画「ぶっつけ本番」のコラムを書く前に、この作品の予備知識を得ようと、ネットで検索した結果、意外な収穫があって、作品評はそっちのけで、作品の時代背景について、つい熱中して書いてしまいました。

いえいえ、そのことについて反省しているわけではなくて、むしろ「収穫 その2」があるので、そのことを書いておこうと思っています。

実は、このコラムを書く前に、この作品が公開された1958年という年の「キネマ旬報ベスト10」をチラ見しました。

まあ、当時の批評家が、評価を含めてどんなふうにこの作品を見ていたか、その距離感というか、空気感みたいなものを知りたいと思ったのが動機です。

結果は、こうでした。

1 楢山節考(木下恵介)
2 隠し砦の三悪人(黒澤明)
3 彼岸花(小津安二郎)
4 炎上(市川崑)
5 裸の太陽(家城巳代治)
6 夜の鼓(今井正)
7 無法松の一生(稲垣浩)
8 張込み(野村芳太郎)
9 裸の大将(堀川弘通)
10 巨人と玩具(増村保造)

なるほどね、ここまでが、ベスト10圏内の作品ですか。

さすがに、映画「ぶっつけ本番」が圏内に入っているとは最初から思っていませんでしたが、それにしてもお約束のとおり、ベスト10といえば、やはり、名実ともに「ベスト10監督」に相応しい名匠・巨匠がずらりとランクされているわけですが(「なにをいまさら」という当然すぎる話ですが)、しかし、もし仮に、ここに、軽妙洒脱な異色作「ぶっつけ本番」がランクインしていたら、ずいぶん面白いだろうなとチラッと思ったりしました。

べつに、偏ったジャンル(「社会問題」とか「政治的陰謀の暗示された事件」)にこだわった作品や、「深刻さと重厚さと悲壮感」ばかりの「見せかけ」だけ整えた作品が必ずしも優れた映画とは思わないし、むしろ、コメディやエログロに徹した映画の中にも傑出した映画はたくさんあることをいままで学んできた(「思い知った」といった方が相応しいかも)わけで、強引な演出力で最初からグイグイ映画の中に引き込んでくれる、たとえば山中貞雄作品のような、いわば、映画の本質を瞬時に分からせてしまうような映画を、自分的には、ずっと待ち続けながら、日々映画を見漁っているような気がします。

しかし、やはり結果的には、この時代特有の「もっともらしい深刻さと重厚さ」を過大評価する「時代の囚われ」から自由でいられた映画批評家など、ただの一人もいないのだということは、この1958年のベスト10の場合だってなんら変わらないのだということが、すぐに分かりました。

いつの時代でも、評価されるのは、「それ(真実)」ではなく、「それっぽい(深刻ぶった)」作品や人なのであって、鑑識眼が脆弱なら、見極めの基準として「深刻さと重厚さと悲壮感」を頼りにでもすれば、それほど低劣な評価の失敗を世に晒さなくて済むというわけなのかもしれません、やれやれ、結局、今も昔も(右も左も、ですが)映画批評家なんて、やっぱり「右向け右」の人種といわれても仕方ないのかもしれませんね、痛感しました。

さて、わが異色作「ぶっつけ本番」が、ベスト10内に見当たらないので、仕方なく視野を広げて(「下げて」です)少しずつカウントダウンしてみることにしました。

そして、ようやく「19位」に「ぶっつけ本番」を見つけました(しかし、思っていたより高評価でした)、その間の順位は以下の通りです。

11 陽のあたる坂道(田坂具隆)
12 鰯雲(成瀬己喜男)
13 一粒の麦(吉村公三郎)
14 白蛇伝(薮下泰司)
15 赤い陣羽織(山本薩夫)
16 悪女の季節(渋谷実)
17 蛍火(五所平之助)
18 つづり方兄妹(久松静児)
19 ぶっつけ本番(佐伯幸三)
20 谷川岳の記録・遭難(高村武次)


とありました。そして、このベスト10を紹介しているサイトのなかで、合わせて「有名人のベスト10」という記事も併載してありました、面白いのでちょっと紹介しますね。

その「有名人」というのは、安部公房、武田泰淳、花田清輝、淀川長治の4名ですが、安部公房だけは、「洋画」のみを選出対象としているので、この際は除外しなければなりません。


それではまず、武田泰淳から。

1 彼岸花
2 夜の鼓
3 楢山節考
4 裸の大将
5 赤い陣羽織
6 無法松の一生
7 白蛇伝
8 隠し砦の三悪人
9 張込み
10 森と湖のまつり

まあ、取り立てて奇抜さも特徴もなく、「ごくフツウじゃん」という感じです。
それにしても「森と湖のまつり」(泰淳の原作です)があって、「炎上」を入れてないのは、なんだか三島由紀夫に対するジェラシーと思われても仕方ないかもしれませんね。
いかに内田吐夢の力作とはいえ、「森と湖のまつり」と「炎上」では、最初から優劣が明らかにされているわけで(遠慮がちの「10位」という位置づけも、なんだかその辺を自認しているような)、それをどう転倒させてみたところで、世間の人は「奇抜」とは見てくれないと思いますが。

つぎに、淀川長治です。

1 炎上
2 楢山節考
3 彼岸花
4 隠し砦の三悪人
5 杏っ子
6 白蛇伝
7 結婚のすべて
8 紅の翼
9 裸の太陽
10 無法松の一生

こちらは、「ジェラシー」がない分、「公式のベスト10」に接近し、より一層堅実な印象を受けてしまいます。
逆に言えば、映画紹介者としてのバランス感覚に満ちた「公式的見解」に寄り添った、平均点的な大人しい「ベスト10」という感じがしますが、しかし、すでに「公式ベスト10」というものが存在する以上、面白味がまるでない(邦画を面白がろうともしていない)姿勢みたいなものを感じます。「杏っ子」を除いてはね。

そして、最後の花田清輝、見た途端ぶっ飛びました、なんと「ぶっつけ本番」を第4位にランクしているではありませんか、実に驚きです。批評家など皆「せいぜい右向け右の人種だ」などと悪口をいった手前、赤面する思いで「花田ベスト10」をじっくりと眺めました。

以下が、そのベスト10です。

1 張込み
2 炎上
3 夜の鼓
4 ぶっつけ本番
5 隠し砦の三悪人
6 若い獣
7 巨人と玩具
8 大菩薩峠・第二部
9 裸の大将
10 鰯雲

なるほどね、自己主張が、「しっかり見える」力強い印象を与えるベスト10だと思いました。

そして、続いて花田清輝の「選評」(そう言っていいですよね)が紹介されていたので、ちょっと引用させてもらいますね。

≪一般的にいってこの種の行事の選者たちには、ほかの芸術の領域においても同じことだが、大家とかなんとかいわれる人の作品を選ぶ傾向がある。私は次の時代をになう人たちの作品に注目し、一貫してそれらを見てきた。その結果比較的未熟であっても、未来への可能性をもっている作品を選んでみたのである。

決定をみて、ちょっと感じられるのは、こういう選者たちの傾向として、比較的最近封切られた作品が印象に残り、それを推してしまうということである。文学などと違って、たやすく読み返しができぬという映画の特殊性があるとはいえ、いささか不満である。≫


なるほど、なるほど。

「大家・時系列」偏重説ですか、自分がうだうだ言ったことをズバリと言われて、ますます顔が赤らみました。

そして、このサイトの管理者のコメントが続きます。

≪「ほほう、ちょっと個性を感じる10本ですね。当時若手の野村芳太郎の『張込み』を1位に挙げ、石原慎太郎が初監督した『若い獣』まで入れてます」

「若い世代を積極的に評価したい、と主張する花田は翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうです」≫

この文中、「翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうだ」とあるのに注目しました。

「愛と希望の街」を翌年に撮り、その次の年には、いよいよ「青春残酷物語」を撮って松竹の看板監督の地位に一気に駆け上る(背景には従来の松竹作品『大船調』の低迷と不振があります)、そういう年だったんですね、この年は。

この時期の勢いを得た大島渚の気負った顔がありありと見えるようです。

半裸の桑野みゆきを、これもまた裸の川津祐介が、思い切り張り倒す、張り倒された女の苦痛に歪んだ顔の大写しが描かれた煽情的な宣伝ポスターに、まるで煽られたかのように大衆は雲霞のごとく映画館に押し寄せました。いままで楚々としたメロドラマ調に慣らされてきた松竹映画ファンには恐ろしくショッキングな驚天動地の「事件」だったと思います。

そのときの小津監督のコメントがあります、「これからも松竹は、筏の上でズロースを干すような映画を作るつもりなのかね」

木下恵介「あの人たちの作ったものを見ているとまったく遣り切れない気持ちになるよ。僕の見た場面で、一人の男が豚のモツで顔を叩かれるというのがあったが、あの人たちはどうしたらお客を不愉快にできるかということに心を使っているのではないかと思った。暴力や愛欲シーンをどぎつく描かなければ、自分の意図が表現できないとすれば、それは演出が未熟だということになる。映画はやはり娯楽であり、美しさが必要だと私は信じている。」

そして、大島渚は、こう言います(木下さんの堕落は『二十四の瞳』以来のことと切って捨て)「いまの松竹は撮影所のスタッフを全部戦後派で固めること。百歩ゆずっても、小津安二郎、渋谷実、野村芳太郎以外の戦前派監督はいらない」とまで言い切っています、木下恵介への痛烈な批判です。

ステージ上で野坂昭如と殴り合った大島渚のあの傲岸不遜は、なにもあれが最初というわけではなく、遠く松竹時代、監督としてスタートをきった時もそのまま「傲岸不遜」だったことは、これでよく分かりましたが、ただ、そのとき、不意にあるひとつのことを思い出しました。

以前、you tubeで、大島渚のナレーションで、日本映画の100年を振り返る「100 Years of Japanese Cinema (1995)」というドキュメンタリー映画を見たことがあります。

その中で、大島渚は、自分が映画界に入ったのは、木下恵介の「女の園」に衝撃を受けたからだと告白しています。

「二十四の瞳」と「女の園」、その作品に対する愛憎の落差のなかに「大島渚」という男の人間像が浮かび上がってくるような気がしますよね。

なんだか、雰囲気が盛り上がってきたので、自分もなにかコクりたい気分になってきました、佐伯幸三監督絡みで、ですが。

実は、リアルタイムで見た「喜劇駅前競馬」1966という作品があります。

競馬にハマッタお約束の面々が、例のドタバタを繰り広げる佳作ですが、その1シーン。

馬券を当てたフランキー堺が、恋人か女房(大空真弓が演じていました)にセーターを買ってあげようと、メジャーで胸を測って寸法をとるという場面です。

それまでに二人の雰囲気は、すでに熱々、相当にヒートアップしていて、ネチネチ・コチョコチョとてもあやしいムードになっています。

メジャーを胸に回され、くすぐったそうに身をくねらせる大空真弓のその悦楽の表情を楽しみながら、フランキー堺は、さらに乳首(薄いブラウスからはっきりと透けて突き出て見えてます)をメジャーで挟み、その柔らかさを楽しむみたいにコリコリと刺激し、妻は身もだえします、これってまるで「前技」です。
当時思春期真っ只中の自分は「これ」にはまいりました。

外の世界は、世情騒然たる時局にあって、暗い映画館の片隅でひとり、密やかな股間の高揚に戸惑っていた、これが自分の佐伯幸三体験の最初でした。

(1966東宝)監督・佐伯幸三、脚本・藤本義一、製作・佐藤一郎、金原文雄、音楽・松井八郎、撮影・村井博、編集・諏訪三千男、美術・小島基司、照明・今泉千仭、録音・原島俊男、スチル・橋山愈、
出演・森繁久彌(森田徳之助)、フランキー堺(坂井次郎)、伴淳三郎(伴野孫作)、三木のり平(松木三平)、山茶花究(山本久造)、藤田まこと(伴野馬太郎)、淡島千景(景子)、池内淳子(染子)、大空真弓(由美)、乙羽信子(駒江)、野川由美子(鹿子)、北あけみ(紙子)、稲吉靖(白馬)、松山英太郎(五郎)、藤江リカ(安子)、千葉信男(由在巡査)、館敬介(駒山)、三遊亭小金馬(ゲスト)、安藤孝子(安藤女史)、星美智子(しるこ屋の女将)、北浦昭義(若い警官)、島碩彌(アナウンサー)、渡辺正人(解説者)、
製作=東京映画 1966.10.29 7巻 2,483m カラー 東宝スコープ


≪参考≫
1.1958.07.12 喜劇 駅前旅館 豊田四郎
2.1961.08.13 喜劇 駅前団地 久松静児
3.1961.12.24 喜劇 駅前弁当 久松静児
4.1962.07.29 喜劇 駅前温泉 久松静児
5.1962.12.23 喜劇 駅前飯店 久松静児
6.1963.07.13 喜劇 駅前茶釜 久松静児
7.1964.01.15 喜劇 駅前女将 佐伯幸三
8.1964.06.11 喜劇 駅前怪談 佐伯幸三
9.1964.08.11 喜劇 駅前音頭 佐伯幸三
10.1964.10.31 喜劇 駅前天神 佐伯幸三
11.1965.01.15 喜劇 駅前医院 佐伯幸三
12.1965.07.04 喜劇 駅前金融 佐伯幸三
13.1965.10.31 喜劇 駅前大学 佐伯幸三
14.1966.01.15 喜劇 駅前弁天 佐伯幸三
15.1966.04.28 喜劇 駅前漫画 佐伯幸三
16.1966.08.14 喜劇 駅前番頭 佐伯幸三
17.1966.10.29 喜劇 駅前競馬 佐伯幸三
18.1967.01.14 喜劇 駅前満貫 佐伯幸三
19.1967.04.15 喜劇 駅前学園 井上和男
20.1967.09.02 喜劇 駅前探検 井上和男
21.1967.11.18 喜劇 駅前百年 豊田四郎
22.1968.02.14 喜劇 駅前開運 豊田四郎
23.1968.05.25 喜劇 駅前火山 山田達雄
24.1969.02.15 喜劇 駅前棧橋 杉江敏男



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# by sentence2307 | 2017-07-08 08:19 | 映画 | Comments(0)

ぶっつけ本番

昼過ぎから「半日出張」に出かける予定だった木曜日、たまたまその午前中に、以前から気になっていた佐伯幸三監督作品「ぶっつけ本番」1958が放映され、ようやく見る好機に恵まれました。

友人から推薦されて以来、意識しながら十数年ものあいだ、ずっと見る機会がなかったわけですから、この巡り合わせは、まさに「好機」といっても差し支えないと思います。

鑑賞前、ざっくりとした知識でも得ようかとネットで検索してみたのですが、その「ヒット」のあまりの少なさには、意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました、「見る機会の少なさ」というものが、あるいは、こういうところにも象徴的に表れているのかなと、チラっと思ったりもしました。

それでも、だいたいの雰囲気を知る情報だけは得ることができました。

ざっとこんな感じです。

≪戦後の混乱期、ニュース・カメラマンとして活躍した松井久弥の、カメラマンとしての逞しく厳しい生涯を描いた異色作で、同僚の水野肇と小笠原基生の原作を笠原良三が脚色し、佐伯幸三が監督した。

終戦後、戦地から戻り、ニュース映画会社に復職した松木は、突撃的な事件カメラマンとして著名な数々の事件現場(下山事件、メーデー事件など)を迫真の映像でとらえて高い評価を受けたが、品川駅で引上げ列車を取材中に列車にひかれて殉職した。

作品には、随所に彼が撮った実写映像が挿入され、迫力ある戦後動乱期を回顧する歴史的ドキュメンタリーの趣きもある作品である。≫

そして、映画を見始めてすぐに松井久弥(劇中では「松木徹夫」です)の最初のスクープとなる下山事件・総裁轢断現場の激写のクダリで、あの綾瀬・北千住間の生々しい現場の実写映像が挿入されています、ああ、このフィルムも松本久弥の仕事だったのか、これなら確か熊井啓の「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」にも一瞬衝撃的に使われていたアレだなと気が付きました。

そこには、後進の多くの優れた映像作家たちの心を震わせる緊迫した冷然たる時間がそのまま切り取られたようなワンショットが写し込まれていました。

あるいは、「三鷹事件列車転覆」、「伊勢湾台風による大洪水」、「オイルタンカー火災」、「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突」、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、それらどの事件の「迫真の映像」も、いささかも揺るぐことなく、それぞれに圧倒的な迫力で当時の緊迫した死の気配を臨場感をもって伝えています。

しかし、その迫力に満ちた映像が世評で高く評価されればされるほど、松木への同業者からの風当たりは強く、仲間内の申し合わせを無視する「抜け駆け野郎」と陰口をたたかれ、スクープ狙いのその孤高の突撃スタイルは、そのたびに同業者からの熾烈な批判に晒され続けていることも描かれています。

オイルタンカーの火災現場を、生命の危険を冒してまでスクープ撮影に成功した松木は、会社の幹部とともに意気揚々と試写に臨みます。

当然、迫力に満ちたそのスクープ映像を皆から称賛されるものと思っていた松木に、しかし、管理職や同僚からの非難が集中します。

「たったこれだけかね」と山田製作部長は松木に尋ねます。

「たったこれだけかって、600フィートも回したんですよ」と松木は部長の冷ややかな言葉を訝しく思いながら抗議します。

山田部長「これじゃ燃えている船が映っているだけで、客観性もなにもないじゃないか」とさらに指摘します。

小林製作課長「客観描写っていうのはな、人物を描き込むってことだよ。例えば、事故を見守る人たちとかね。これじゃ客観描写の欠落って言われても仕方ないぞ」

同僚「いくら松木でも、今度のやり方は反対だな。子供を危険に晒したり、巻き添えにして、燃えているオイルタンカーまで小舟を漕がせたそうじゃないか? そんなスクープ精神は、根本から間違っていると思わないか」

しかし、松木は、この身内からの非難の渦中にあるときでさえ「いまの俺には、ほかにはなにもできないから、この仕事に体を張るしかないんだ」と内心思っていたに違いない、と自分的には確信しています。

たしかに、映画では「そう」は、描いていません。いや、むしろ「逆」かもしれません。

ストーリー的にこの映画を追えば、松木は、人間味を欠いた「スクープ精神」を非難され、少し反省して、「孤児の親探し運動」の人間味あふれるニュース映画を撮り(この仕事で彼は実際に高い評価を得ています)、「改心」して人間的に「成長」したかのように描かれていますが、しかし、それはあくまで「映画」として話を整えただけなので、実際の松本久弥はどうだったかといえば、それは、ラストの「列車で轢死」という事実が証明しているように思えて仕方ありません。

松木は、相変わらずスプーク狙いのために、がつがつと、ひとりホームから線路に降り立ち、危険も顧みず、線路上を彷徨いながら、格好のアングルを探しているそのサナカに列車にひき殺されました。

そして、その直前、同じ取材をしている同業者から、またしても「抜け駆けするなよ」と皮肉を言われ、松木はそれを無視してやり過ごすというシーンも描き込まれています。

このラストは、松木という男のハングリーさが、最初から最後まで、なにひとつ変わっていなかったことを示している証左ではないかと思えて仕方ないのです。

サラリーマンなら、与えられた仕事をこなすだけで、自分の好みで「仕事」を選ぶことなど、とてもできるわけがないことくらい常識です。

その仕事の履歴をつなげて、それがあたかも人間的な成長の軌跡であるかのように描くこの行き方は、なんだか脚本の巧みなウソに嵌められたような嫌な違和感を覚えました。

この「自分の違和感」が、どこから始まったのか、この映画を少しずつ巻き戻しながら探してみました。

メーデーの皇居前騒乱の現場取材で大けがを負った夫・松木を気遣い、妻・久美子は病院で「いつまでもあんな危険な職場にいたら心配だ」と、不安を夫の上司に話す場面がありました。

そこで山田製作部長が「こりゃあ、なんとかせにゃあいかんな」と小林課長(佐野周二の好演がひかります)と話す場面があり、そのすぐあとに松木が、風物を撮る仕事(明らかに閑職です)に職場替えされて、刺激のない仕事に心底腐って、飽き飽きしている場面が描かれていますが、すぐに国会詰めの部署に回されて、紛糾する国会乱闘を夢中になって取材するという場面に続き、松木は改めて事件現場を取材する仕事の充実感を味わい、その喜びを嬉々として妻に話す場面に繋がっていきます。

事件取材ができる仕事の充実を嬉しそうに語る夫の笑顔を見ながら、妻は「あなたは、やっぱり、そういう仕事が好きなのね」、そして、「実は、自分が職場転換を会社にお願いしたのだ」と告白します、松木は激怒し、「自分が今までどんな気持ちで『風物』を撮っていたか、その気持ちがお前に分かるかと」と言い捨てて、家を飛び出す場面です。

ここで松木が怒るのも無理はありません、仲間が嬉しそうに事件取材に飛び回っているのを横目で見ながら、意に添わぬ「風鈴や金魚」を撮っていたわけですから、話の筋は十分に通っています。

しかし、彼がなぜ「国会詰め」(この仕事は明らか事件現場です)にこんなにも早く戻されたのかが不思議でした。

会社は、彼の身の安全や体の心配をしたから(奥さんからの申し出もありました)彼のことを気遣って「風物」に配転したのではなく、なにかの「ほとぼり」が覚めるまで事件現場から意識的に彼を遠ざけていただけなのではないか、という気がしてきました。仕事上のトラブルに巻き込まれたときなど、事態が沈静化するまで一時配転させる(時期がくれば戻すという前提です)ということなら、会社ではよくある話です。

TV業界に転職する仲間(親友・原もそのうちの一人です)の送別会のあとの二次会で、松木は小林課長に「自分の職場転換は、誰が指示したのか、妻が願ったからか」と問いただします。

「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事なんか動かすと思うか。君の職場転換を具申したのは自分だ」と小林課長は答えます。

驚いて「どうして」と松木が問い返すと、

小林課長は、「これから、TVの速報性にはかなわない時代がくる。君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。これからどういうものを撮ればいいか、自分でよく考えろ」と諭します。

ここで自分の職場転換が妻の希望だったのかという疑念は否定され、迫りくるTV時代に対抗するためにはどうすればいいのか考えろという話に(強引に)引き戻されます。

そう諭されて考え込む(かに見える)松木の描写に、自分の違和感は増幅しました。

それは、時代がどのように動こうと、松木がそんなものに捉われて仕事をしたことが、かつてあっただろうか、という思いからです。

彼は、事件現場にいち早く駆け付け、誰もが躊躇するような危険な場所に踏み込み、誰にも撮れない現場を激写した熱血漢です。

警察が張った規制線のさらに遥か後方から「あちらに見えるのが事件現場です」などととんでもない見当違いの場所から安全に中継するチャラチャラとダレきった愚劣なTV報道なんかとはワケが違う。

いまのTVにできることといえば、お笑い芸人の馬鹿笑いを3台のカメラで必死になって追いかけるくらいが関の山ですから。

どのような時代がこようと、誰よりも「踏み込んで撮る」姿勢で撮ってきた松木にとって、TV時代の到来など何ほどのことでもなかったはずです。

この男と、その仕事にとって、TVの隆盛は、果たしてそれほどの脅威だったのか。

どんな職場であろうと、身の危険を冒してでも、突撃取材することが、この男の仕事のやり方である以上、「TVとは、違った方法」など、最初からとるにたりないものだったと思います。

ですので、この一連のやり取りは、なんだかとてもおかしい、不自然と感じた所以です。

TVの速報性は、確かに「脅威」だったに違いありませんし、それに、入場料をとって見せるニュース映画に比べれば、ロハで見られるTVニュースの廉価性の脅威というのも確かにあったでしょう(しかし、この二つが、TVが芸術性から見放され、猥雑で無様な弱体とアンモラルな荒廃を招いたことも明らかで、このことはいつか機会があれば別のときに話したいと思います)。

しかし、当初から松木(松本久弥)が目指していたものが、そもそも速報性なんかでもなければ、「廉価」でもなかったのは明確です。

「下山事件の轢断現場」にしても、「三鷹事件列車転覆現場」や「伊勢湾台風出水現場」や「オイルタンカーの火災現場」や「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突現場」にしても、また、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難事件」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、そのどれをとっても、『君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。』の言葉が当て嵌まるとは思えません。

彼のニュースが多くの人々の気持ちを引きつけ捉えたのは、まさにその≪迫真の映像によって、驚きや感動≫を与えたからです。

そういえば、小林課長の「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事をすると思うか」も言わずもがなで、あまりに当然すぎて奇異な感じさえ受けます。

そして、その転換の理由が何かといえば、

「ニュースが記録と思っているうちはダメだ。本当のニュースキャメラマンになって欲しいんだ」という小林は、なんとも抽象的な理由しか述べていません(元々「ない」のだから、理由など述べられないというのが本当のところかもしれませんが。)。

そこで、ふたたび、松木の「風物撮影」への職場転換の話に戻しますね。

なぜ彼は「一時的」とはいえ、唐突な職場転換をさせられたのか、なんらかの差しさわりがあって、事件取材のセクションから、当分のあいだ遠ざけられたのではないか(会社ならよくある話です)という仮説を立ててみました。

このコメントを書き始める直前に行った「検索」で、映画「ぶっつけ本番」でヒットした事項が気抜けするくらい少なかったことを書きました。文頭に戻って読み返してみると、それを「意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました」と表現しています、なんだか尋常じゃありません。

実は、その「数少ないヒット」のなかで、二つの記事に出会っています、それを紹介しておきますね。

少し長文の引用になるので、その引用文の最後につける予定にしている一文をここに書いておきますね、つい忘れてしまいそうなので。

≪なるほど、なるほど。それでたまたま飛んできた投石に当たって負傷したとしておく方が、すべてにわたって好都合だったと、こういうわけですね。これで、自分の疑問も氷解しました。≫


★引用(文中、松本久弥の名前を目立たせるために墨付きパーレンで囲いました。)

まず最初の引用です、昭和26年3月15日付けの「第010回国会 法務委員会 第10号」議事録となっています。
当日の議題は、3点「犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案(内閣提出第五二号)」、「有限会社法の一部を改正する法律案(内閣提出第一〇〇号)」、「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」で、その3つ目の「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」の中でこんな質疑が交わされています。
「○上村委員 まず第一に、三月七日に東京都北区の朝鮮人学校において、その前に行われた朝鮮人の不当な捜査に対する事件真相発表演説会というものが持たれました。そのときに、朝鮮人の会合する者二千人、これに対して約三千の警官が参りまして、それを解散しようとしたのでありますが、その光景を写さんといたしまして、日本ニユースのカメラマンの【松本久彌君】がそこへ行つて撮影しておつたのでございます。ところがその撮影が当時の警官の気に入らぬために、そこで暴行を力えられ、右後頭部に非常に強烈な打撃を加えられて、鮮血淋漓たる状態になつて昏倒したのでございます。この事実を一体法務府ではお調べになつておりますか。お調べになつたとすれば、暴行を加えた警官の人たちを取調べておるかどうか、そういう点について詳細の御説明を願いたいのであります。
(中略)
○上村委員 ここに【松本久弥】自身の手記が私どもの方へ届いておりますが、これによるとカメラのサックを忘れて来たので、それを届けに労働者風の人が来て、そいつを受取つた。そうするとそばにおる二人の警官がいきなり、どういう理由ですか、そのカメラのサックを届けたところの青年に手錠をかけてしまつた。そして自分の持つておるカメラをとろうとするので、自分は同業の朝日の記者を呼んだ。そうするとそれがどういうふうに向うへ聞えたか、いきなりそばにおる制服の警官が自分を、こん棒でもつて右の後頭部をたたいた。そして自分はその間に足がよろめき頭が混濁して来た。こういうふうにはつきり言つておるのであります。そうするとそれに対しては、今警視庁と捜査機関としては、そういう点を見のがしておるのでございますか。そういうのを基準にして捜査を進めておるということでございますか。
(中略)
○猪俣委員 これはちつと法務行はうかつでございますよ。そうなつております。そこで当時の新聞を見ますと、トップに出るような大事件について、ニュース写真が載つておらぬのはふしぎだというようなことを、新聞記者が自嘲的に書いておる。それはおわかりにならなければそれでよろしい。そうすると、これは法務府でもごらんになつておらぬと思うのでありまして、これをぜひひとつ法務府でもごらんになつていただきたいし、これは法務委員長に私お願いがあるのですが、あとで国会でこのニュースを映写してもらいたいと思います。どういう理由でこれが一般に映写されないのであるかわかりませんが、事実映写はできないそうであります。
 そこでなおいまひとつ法務府にお尋ねいたしますが、この【松本久彌】が王子駅前の岸病院にまだ入院加療中であります。ところが警視庁の捜査第二課の田島領四郎という警部補がしよつちゆう行つて、お前の傷はぼくらがなぐつたんじやない。あれは石が当つたんだぞということを言い聞かせておる、こういうのであります。一体自分たちがなぐりもせぬのに、病院に行つて、かような病気見舞においでになることは、殊勝なことであるけれども、ちつと異例だと思うのであるが、この辺について何か事情をお聞きになつたことはございませんか。

そして、引用の二つ目です。

青丘文庫月報(第264 号 2012.11.1 1)とあります。
「朝鮮戦争中の1951 年2 月と3 月に米軍政部と日本政府当局による都立朝鮮人中高等学校への武力弾圧が行われた。それを『警視庁史』はこのように記している。
〈2 月23 日占領目的阻害文書を所持した都立朝鮮人中・高校の生徒を検挙し調べたところ、同校内で印刷していることが判明したので、2 月28 日早朝に同校の捜索を実施し多数の印刷物を押収した。翌日、それを不当として朝鮮人が抗議に押しかけ、3 月7 日同校において「真相発表大会」という無届集会が開催された。主催者に対し大会中止を勧告したが応じずに集団暴力行動を行ったので実力で解散させ首謀者を逮捕した。〉
3 月7 日約700 名の警官が出動し校内に突入した際、多くの生徒・教員以外にも取材中の日本映画社カメラマン【松本久弥】も警棒で頭を殴られ重傷を負った。【松本】は翌日、事件に関する一切を布施に委任した。3 月の中・下旬の国会法務委員会では上村進、羽仁五郎らがこの事件を取り上げ、報道の自由の侵害と警官の暴力行為を追及し、ついで4 月27 日には暴行した警官を刑事告発している。
しかし警視庁は警官の暴力を認めない姿勢であるので、同年11 月に東京都と警視総監田中榮一を相手に「謝罪状及びこれに附帯する慰謝料請求」という民事訴訟を提訴することになり、数回の公判が開かれた。
しかし結局この裁判は1960 年に取下げられている。裁判の中心人物である布施が1953 年に病死し、原告【松本久弥】自身も1956 年事故死したこと、さらに警官の暴行を立証するのは非常に困難なことなので、敗訴の判例が出るのを避けるためにも取下げることにしたのではないかと推測される。」

なるほどね、これじゃあメディアもビビッてドン引きするわな。

「はい、こちら事件現場です」なんて呑気なこと言ってる場合じゃないしね。


(1958東京映画)製作・佐藤一郎、山崎喜暉、監督・佐伯幸三、脚本・笠原良三、原作・水野肇、小笠原基生「ぶっつけ本番 ニュース映画の男たち」、撮影・遠藤精一、音楽・神津善行、美術・北辰雄、録音・酒井栄三、照明・伊藤盛四郎
出演・フランキー堺(松木徹夫・ニュースキャメラマン)、淡路恵子(松木久美子・徹夫の妻)、大谷正行(松木隆・長男三歳)、二木まこと(松木隆・長男七歳)、板橋弘一(松木明・次男)、小沢栄太郎(製作部長・山田)、佐野周二(製作課長・小林)、仲代達矢(キャメラマン・原)、増田順二(キャメラマン・川崎)、堺左千夫(キャメラマン・ドンちゃん)、天津敏(キャメラマン・小山)、守田比呂也(キャメラマン・大木)、中村俊一(企画部員・後藤)、佐伯徹(企画部員・長谷川)、内田良平(企画部員・関口)、吉行和子(編集部員・飯田マサ子)、光丘ひろみ(女事務員・北村)、山田周平(他社のキャメラマン・森)、沖啓二(他社のキャメラマンB)、木元章介(他社のキャメラマンC)、三谷勉(他社のキャメラマンD)、水の也清美(アパートの主婦)、黒田隆子(病院看護婦)、塩沢登代路(赤線の女)、中原成男(宗谷船員A)、鷲東弘功(宗谷船員B)、池田よしゑ(相談所の先生)、坂内英二郎(院長)、磐木吉二郎(父親)、川内まり子(産婦人科看護婦)、森静江(産婦人科看護婦)、田辺元(運転手・平さん)、

配給=東宝 1958.06.08 10巻 2,712m 白黒



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# by sentence2307 | 2017-07-02 08:37 | 映画 | Comments(0)
先週の木曜日、毎月恒例の「半日出張」というのがありました。

最近は、もっぱら若い課員たちの持ち回りで行われていたので、永い間、この「半日出張」から自分は遠ざかっていたのですが、本当に久し振りにお鉢がまわってきました、そのワケというのを書きますね。

大企業の出張といえば、華々しい「ニューヨーク出張」とか、「ロンドン出張」ということになるのでしょうが、わが社では、せいぜい東京近郊の営業所に顔を出して、現場で最近の営業成績の報告を聞き、それを報告書にまとめて本社の担当部長にあげるだけの、半日あれば十分こと足りる楚々とした可愛らしい出張です。

まあ、営業所とのコミュニケーションを図るというのが主たる目的ですね。

それでもバブルの頃は、このミーティングのあとには「酒席」が用意されて、現場の営業所員の慰労も兼ねた賑やかな親睦の会が持たれていました。

なにしろ、景気のいいピークのときなどは、コンパニオンの綺麗どころをよんでチークダンスを踊ったり、飲めや歌えの大騒ぎをしたなんてこともあったんですよ、実にシアワセな思い出です、いまとなっては大昔の夢物語です。

なので、当時は、これは課長(あるいは、それに準ずる管理職)の特権的な出張ということだったのですが、現在のこの深刻な営業成績の大低迷期にそんな浮かれた「酒宴」などとんでもない話で、最近では、若手が順番に営業所に出向いて報告を聞き、そのまま帰ってくるという素っ気ない出張に落ち着いています。「落ち着いてきた」というのは、言い換えれば、「ダレ始めてきた」ということでもあったかもしれません、後述しますが

そして先月、ちょっとした事件がありました。

当日、出向く予定だったわが課の若手担当者が、その朝になって俄かに急用ができて、営業所に
「急に行けなくなったので、こちらで報告書を上げておきますから、行ったことにしておいてほしい。ついては、そちらの方も口裏だけ合わせてください」
と連絡したのだそうです。

これはなにも悪気があって会社の方針に楯突くとか叛逆するとか、そんなダイそれたことではありません、「急用ができたので仕方ない」という素直な気持ちから(たぶん上記の「ダレ始めていた」ことが、その発想を後押ししたとしても、「出張拒否」までの意識はなかったと思います)、彼は定石通り「ホーレンソー」の「連絡の項」をチョイスし、忠実に責務を果たしたのだと思います。

連絡を受けた営業所も、営業報告なら定期的に逐一本社に送っているわけだし、なにも本社の人間がわざわざ出向いてくるには及ばない、しかも来る人間といえば何の権限もない若手ばかり、といっても、本社の人間がわざわざ来るとなればムゲにもできず、時間を割いてそれなりの対応をしなければならない、そのうえで実際に話すことといったら決まりきった儀礼的な話をするだけで半日つぶされてしまう、日ごろはこちらの事情も無視して「もっと頑張れ、稼げ、稼げ」などと無理難題を吹っかけてくるくせに、なにもこの忙しい時期に形骸化した鬱陶しい慣行を押し付けて営業の邪魔をしなくたっていいじゃないか、本社はなにを考えているんだ、マッタクモウ、こんなもの「さっさとやめてしまえ」というのが、常日頃の営業所の「本音」なので(時間をとられるということでは、本社の若手課員の方だって同じです)、この申し出には営業所の方もすぐにのってきて、架空の相互アリバイ工作は成立しました。常日ごろ、抑制していた不満が噴出する切っ掛けみたいになって、互いに共鳴してしまったという感じです。

もともと形骸化していた「半日出張」です、相互で「懇談」があったことにすれば、あとは営業所が本社に告げた数字を教えてもらい、定型文書の空欄にそれを書き込み、通常ルートでハンコをもらって、上へあげておけばそれでオシマイというわけです、「なんの支障もありません」とこの若手社員は考え、このダレた半日出張のその「ダレ」感を、営業所ばかりでなく、本社の担当部長も共有しているに違いないといつの間にか思い込んでいたのが、そもそもの誤りだったのかもしれません。

この、「あったことにする」という口裏合わせの企み(甘い誘惑)は、出張の当事者なら誰もが一度は妄想した魅惑のアイデアには違いありませんが、それを実行に移すかどうかは、また別の問題です。けれども、実際、出向いた営業所で話されることといえば、先月だって先々月だって、半年前だって1年前だって、いつも同じなので、口裏を合わせるもなにもそんな大仰なことでなく、虚を捨てて実を取るという観点からすれば、この「相互アリバイ工作」、それなりに合理的な考えだったことは否めませんが、のちにこの事件が発覚した時、事件にかかわった関係者のすべてが、基本的にこの考え(「口裏合わせ」には「やめてしまえ」が強く作用しています)に同調したことは明らかで、これが「半日出張」を立案した担当部長の怒りをさらに一層煽って逆上させたといえるかもしれません。

「無礼者! 会社の決め事をどう考えておるのだ」という感じです。

さて、「事件の発覚」の話に戻りますね。

この事件、関係書類さえ完璧に整っていたら、あるいは、「発覚」までは至らなかったかもしれません、たぶん、ここで話はおしまいだったはずでした。しかし、この企み、ひょんなところ(ささいな書類の不備)から「足が付いた」のです。

営業所とのミーティングには、さすがにお酒こそ出ませんが、その都度、人数分のコーヒーを近所の喫茶店からとることは許されており、コーヒー代は予算にもしっかり計上されています、そのほかには電車賃相当額の「出張旅費 請求書」と「半日出張手当 請求書」というのが、部長の元に集まることになっており、それを部長が一括して専用ファイルに綴り込むというのが手順になっています。

つまり、担当部長の手元には、その日の「出張報告書」、「半日出張手当 請求書」、それに当日出された「コーヒーの請求書」と「交通費請求書」がセットになって提出されるのですが、そのときの書類のセットに、「コーヒーの請求書」だけが欠落していることを部長は気づきました、経理に問い合わせても、それらしい「領収書」も「請求書」も届いてないという返事がかえってきました。
担当部長は、当初、

「なにも遠慮することないじゃないか、コーヒーくらい頼めよ」

と慰労するくらいの積りで(そのときは、当然上機嫌でした)担当者を部長室に呼びました。

サラリーマンなら、誰しも「部長室に呼ばれる」ということが、いかにプレッシャーであるか、お分かりいただけると思いますが、なにしろ、われわれはまさに「ここ」で、突然の僻地への「異動」を命じられたり、君には本当に申し訳ないが、なにしろこの不景気でねと「減俸」を告げられたり、酒席での暴言を咎められて「譴責」を受けたり、果ては悪夢のような「解雇」だって言い渡されかねない、そういうさまざまな「理不尽で忌まわしい命令」に甘んじて受けなければならない実に恐ろしい処刑場のような場所なので、「部長室に呼ばれ」た若者が、部長室に歩を運ぶまでに「自分がなにか悪いことでもしでかしたのか」と恐る恐る妄想をめぐらし、「もしかしたら、あの半日出張の口裏合わせ!」と思い至り、「ああ~あれか!」と恐怖・恐慌に襲われた瞬間がちょうど部長室の前、震える手でノックするときには、顔面蒼白、血の気が一気に失せて、部長の問いにもまともな返事ができないまま、すぐに「出張報告書」が虚偽であることを自供しました。
A部長が、烈火のごとく怒ったのは、当然といえば至極当然のなりゆきといえます。

この「半日出張」は、いまも担当部長をしているこのA氏の肝いりで始められたプロジェクトだけに、「会社の決め事を無視した」よりも、「自分のプライドを傷つけられた」と思ったとしても無理ありません。

たぶん、どこの会社もそうだと思いますが、「本社」と「営業所」は、なにかと敵対し合い、いがみ合って、つまらないことで仕事そっちのけの見苦しい足のすくい合いをします。

営業所勤務の長かったA部長は、かつて当事者だっただけにそういう事情(弊害です)には精通・熟知していて、それをとても気に病んでおり、なんとかして本社と営業所との風通しをよくしようと様々な施策を講じてきました、チームワークなくして営業成績アップなんて、とても望めないのだと全社員に力説し続けてきたのです。

その施策のひとつが、「半日出張」で、A部長にとってはとても思い入れの深い施策でした。まさに、A部長にとっての理想(本社と営業所が手を取り合い、かばい合い、和気藹々と協力し合って一丸となって仕事をする)につながる大切な施策です。

みんなが努力すれば「全社一丸」は夢物語なんかじゃないと固く信じている「半日出張」推進の懸案者で推進当事者でもある担当部長(「一人は皆のために、皆は一人のために」が口癖です)にとって、この「半日出張」こそは、その精神性のシンボル的な仕事として位置づけ、重要視し、とても熱心に注視していたことが、あとで分かりました、この出張は部長にとっては「形骸化」でもなんでもない、とても重要な施策だったのです。

その大切な施策を虚偽の出張報告で誤魔化そうとしたことは、たぶん、A部長のプライドを深く傷つけただけではなく、同時に、この虚偽報告を通して、本社と営業所のほとんどの人間がこの「半日出張」を批判的に冷笑していることを瞬時に察知したのだと思います。

それは、徳川綱吉が、目の前で「生類憐みの令」の愚かしさ・馬鹿々々しさ・愚劣さを家臣から正面切って直接罵倒され嘲笑され冷笑されたようなものだったかもしれません。誰一人自分の理想を理解しようとしないA部長の失望と怒り(社員のすべてが自分を揶揄する敵に見えたに違いありません)は、想像を絶するものがあったのだと思います。

疑心暗鬼になったA部長の怒りの嵐は、本社と営業所を揺るがしました、部長室には入れ替わり立ち代わり関係者や無関係者(人事課長とか営業所長とか)が慌ただしく出入りし、そのたびにトビラは叩きつけるように閉められたり、恐る恐る開けられたり、その一瞬開いた扉の向こうからは誰のものとは分からない悲痛な絶叫「お前たちはな!」とか「そんな理由で有能な社員を・・・」などというさまざまな声が入り乱れて漏れ聞こえてきます。

それを同じフロアで逐一聞かされている当の青年はじめ社員たちは、身をすくめて、真っ青になって聞いていました。

やがて、部長室の騒ぎもだんだん収まってきたのが雰囲気で分かるようになった頃、部長室の扉が静かに開いて人事課長の顔が現れ、自分を手招きしています。

ジェスチャーで「わたし?」と自分を指さして目を見開いた顔が、我ながらなんとも間抜けだなと思いましたが、この際そんなことを気遣っている場合ではありません。

フロアにいる社員全員の注視を受けながら、おずおずと部長室に入りました。

実は、A部長と自分とは同期です。

例の「コンパニオンとチークダンス」の際も、一緒になって泥酔して騒いだ仲です、たぶんそのときが、彼と「同僚」として付き合った最後の時期だったかもしれませんが。

その後、彼はめきめきと頭角を現し出世街道を邁進しました。

しかし、相変わらず、その根っから「叩き上げ」のような貪欲な仕事ぶりから、彼が、とんでもない高学歴の持ち主であることが、どうしても結びつかず、その辺の愚直さも周りから好感をもたれたことのひとつだったと思います。

そして、この部長室に呼び入れられたとき、自分は気心の知れたかつての同僚として「事態の収束」の役目を課せられるのだなと察しました。

A部長は、まず、今度の虚偽出張は、社員の無自覚と綱紀の緩みにあるが、そもそも、そういうことを許した管理職にも責任の一端があり、自分としては、当事者数人を処分すれば、それで今回の問題が済むなどとは少しも考えていない、「半日出張」なんてつまらないことかもしれないが、会社の仕事で「つまる」ことなんてどこにある、円滑な人間関係があってはじめて・・・とかなんとか話をまとめたA部長は、自分に向かって、

「そこで当分のあいだ、半日出張は、営業所に顔の利く〇〇さん(自分です)に、行ってもらうことにしましたので、よろしく」と指示しました。

一連の騒動は、これでお仕舞いになりました。

管理職が皆退出したあと、自分は、ガチガチになっている虚偽出張の当事者の若者を呼び入れて、ともに部長に謝罪し、深々と最敬礼しました。

部長は青年に歩み寄り、肩に手を置いて「これからは気をつけろよ、君にもいい薬になっただろう。この経験を忘れるな」と言い渡しました。

元はといえばこの事件を引き起こした当の本人が、ごく間近で、身をすくめながら騒動の一部始終を見ていたわけですから、それだけで十分な制裁を受けたと判断した部長の、これがいまの彼ができる精一杯の励ましなのだなと思いました。

さて、これでようやく自分が「半日出張」に行くようになったイキサツが書けました。

それが文頭の
「先週の木曜日、毎月恒例の『半日出張』というのがありました。」
です。

ですが、なにせ午後から出かければいいので、前夜床に入る際には、翌朝はぎりぎりまで朝寝をして、午前中は家でゆっくりできるなと思いながら寝付いたのですが、結局、骨身にしみた貧乏性のために、いつものとおり午前6時前には目が覚めてしまいました。

いったん、目が覚めてしまうと、体まで目覚めてしまい、それ以上横になっていることができません。

起きだして自分が最初にすることは、新聞なんか読むより先に、今日どんな映画を放送するか、プログラムを眺めて確かめることから始まります。

そんなことをしても、会社のある日には、ほとんど見られないのですが、眺めて「こんな作品をやる」と思うだけでも楽しいのです、これはストレスではなく、十分な楽しみな習慣のひとつになっています。

その木曜日、なんと日本映画専門チャンネルで午前6時30分から佐伯幸三監督の「ぶっつけ本番」(1958東宝)が放映されると書いてあるじゃありませんか。

この作品の高評価は、ずっと以前、友人から聞いたことがあったのですが、いままで見る機会がありませんでした。

まだ間に合う、いやいや、間に合うどころじゃない、大セーフだ、それに今日は午後出張だから、ゆっくり見られます。

実にいいタイミングだ、こんな巡り合わせって、滅多にありません、初めての経験です。

「あなた、出張、大丈夫なの」と女房に嫌味を言われながら、見事全編を見通しました。

ということで、次回は、佐伯幸三監督「ぶっつけ本番」(1958東宝)のコラムを書こうと考えています、予告先発みたいですが。


さて、このコラム、実は、フランス映画「パーフェクトマン 完全犯罪」(2015、監督・ヤン・ゴズラン)を見たときに、思わず最近の会社であったこの騒動を連想し、しかし、完全犯罪映画の傑作といえば、やはり「太陽がいっぱい」だろう(死体をビニールでぐるぐる巻きして処理した感じが似てました)と連想がさらに飛び、あの死体のバラシ方が「パーフェクトマン 完全犯罪」の方では随分あっさりしていて淡白なので、やはり、そのあたりを凝りに凝って見せた「太陽がいっぱい」は、やはり名作だったんだなという思いを込めて書きたかったのですが、実際の生々しい事件を前にしては、どうもしっくり嵌りませんでした。


パーフェクトマン 完全犯罪
(2015フランス)監督ヤン・ゴズラン、製作チボー・ガスト、マシアス・ウェバー、ワシム・ベシ、製作総指揮ウーリー・ミルシュタン、脚本ヤン・ゴズラン、ギョーム・ルマン、撮影アントワーヌ・ロッシュ、音楽シリル・オフォール
出演ピエール・ニネ、アナ・ジラルド、アンドレ・マルコン、バレリア・カバッリ、ティボー・バンソン、マルク・バルベ、ロラン・グレビル



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# by sentence2307 | 2017-06-25 09:28 | 映画 | Comments(0)