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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗
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折鶴お千

映画を漫然と見ているうちに、それがいつしか惰性におちいり、次第に緊張感を欠いてしまい、ただ「流されて」しまうだけの状態になることを常に恐れています、それだけは避けなければと、注意しているつもりです。

不幸にして、たまたま、そういう「期間」に見てしまった映画が、たとえそれが、いわゆる「名作」と呼ばれる作品だとしても、ほかの多くの駄作に巻き込まれるかたちで、十把ひとからげ的に無感動に(正確にいえば、むしろ「無感覚」という感じかもしれません)スルーし、忘却という「ゴミ箱」に直行して、まったく印象に残っていないという苦い経験をかつて幾度も経験しました。

でも、また新たに意識を整えて再度見ればいいじゃん、とか言われてしまいそうですが、最初の出会いをこんな怠惰なかたちで損なってしまうと、あとはどうやっても「建て直し」ができない感じが以後ずっと付きまとってしまいます(そこは、ホラ、男女の出会いと一緒かもしれません)。

つまり、自分的には、その作品の存在を「見失ってしまった」ことと同じで、あとは他人の価値観や認識を借りて映画をなぞるだけという、自分の価値観や認識でスキャンすることに失敗したわけで、やはり、初めての作品に対する接し方はとても大切だと思うので、努めてそこは慎重に準備しなければと考えていますし、たとえば、自分なりの「基準」なども設けて鑑賞しています。

具体的にいえば、その映像作家の最良の作品を常に念頭に置くという方法なのですが、たとえば、溝口健二作品でいうと、やはりそれは「残菊物語」ということになるでしょうか。

晩年に海外で大いに評価された「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」などは、たしかに優れた作品なのかもしれませんが、それは溝口健二の溢れ出る才気や優れた技術を誇示した作品というだけで、しかし、はたしてそれらが、溝口が本当に撮りたかった作品だったかといえば、それはまた別なハナシという感じがして仕方ありません。

やはり、「基準」という観点からすれば、献身と忍従によって自我を貫いた一途な明治の女を凄絶に描いた「残菊物語」が、やはり一頭地を抜いた作品ではないかと考えています。

この作品を筆頭に、ほか一連の「女性像」を描いた作品の系譜があるからこそ、「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」が成立したに違いないと思っています。

しかし、こんなふうにして見た「折鶴お千」ですが、実は、そんな「基準」を設定してしまったことに、すぐに後悔した作品でもありました。

この「折鶴お千」には、あの「残菊物語」の衝撃も感激も残念ながらありませんでした、ただ、納まりどころのつかない苛立ちだけが自分の中にワダカマッテしまった感じです。

その「苛立ち」のひとつは、お千(山田五十鈴が演じています)の苦労・苦衷を最後まで理解することのなかった宗吉(夏川大二郎が演じています)の鈍感さが気になりました。

そこに溝口健二らしからぬリアリズムの欠如を感じたからかもしれません。

お千は、最初から脅かされるままに嫌々悪党の手先にさせられて、ときには騙す相手への餌として、その美貌や肉体を提供させられ、ずるずると悪事の加担を強いられてきただけの哀れな女です。

彼女自身に、悪事に対する才覚もその覚悟もあったわけではなく、ただ地獄のような屈辱的な生活から逃れたいという一心があって、やがて、同じように悪党たちから虐待される薄幸の孤児・宗吉への同情が次第に共感となって膨張・共振し、爆発してこの苦界から逃れることができるのですが、やがて、ふたりが居を共にし、お千が宗吉の学業を援助するという後半へつながっていくことを思えば、お千の気持ちのなかに憐れな宗吉に対する「ほどこし」の気持ちだけで居を共にしたわけではないことは十分に認識できます。

宗吉を支えることが彼女の生きる励みともなったその思いが強すぎて、一方で、彼らの生活を支えなければならないお千に、最初から生活の経済的基盤を確保するだけの生活能力が欠如していたこと(そのために、ふたりの生活の破綻はすぐにやってきます)を、当のお千自身が、当初はそれほど深刻には考えていなかった(認識すること自体ができなかったとも考えられますが)ことは理解できるとしても、それは、あくまでも「お千」なら「そう」かもしれないというだけのことで、将来は医学博士にでもなろうかという優秀な青年・宗吉もまた、ごく近い将来に自分たちの生活が破綻をきたすという予想や認識をできなかったとは、どうしても考えられないのです。

ましてや、かつて悪党たちの屈辱的な支配に甘んじていた頃の弱々しい(誰かに寄生しなければ生きていけない生活無能力者といってもいい)お千をつねに身近に見てきて、彼女の卑弱さを十分に知っていた宗吉が、やがて彼らのうえに襲い掛かる生活苦を、そのようなお千が支えきることができるなどと考えたとは、どうしても思えないのです。

ここまで書いてきて、ひとつの仮説が浮かび上がってきました。

悪党たちが、お千の美貌と肉体を散々食い物にしたように、宗吉もまた、お千の好意に寄りかかって、この都合がいい生活をできるだけ長引かせてやろうとしたのではないか。

宗吉の計画は、お千の不注意によって(客が財布を忘れ、届け出る前に彼女は捕縛されてしまいます)この都合のいい生活の破綻は意外に早くやってきてしまいますが、宗吉には、お千以上に世慣れた才覚があり(もともと優秀なのですから、当然の成り行きです)、すぐに次のパトロンを探し当て、将来への途を開きます。

この最後の部分、腹のなかで「舌」を出してほくそえむ宗吉を辛らつに描いたとしても、溝口作品らしさという意味でいえば、それこそ可能性の範囲なのではないかと考えました。

男たちから散々に食い物にされた哀れな女たちを描きつづけ、多くの優れた作品を残した溝口健二への共感が、自分にここまで妄想させたのだなと思いましたが、はたして本当に「妄想」だったのか、この作品が「回想」によって大きく括られていることが、始終気になっていました。

あの「回想」が、どういう意味だったのかといえば、それは、宗吉が、その栄達の間中、「お千のことをまったく忘れていた時間」のことだと思い当たりました。

最後の場面、宗吉が、たとえ取ってつけたように泣き崩れたとしても、「忘却」というその残酷な事実は、消しようがありません。

そのとき、不意に、むかし、加川良が歌っていた歌を思い出しました。

題名はたしか「忘れられた女」だったかとうろ覚えながらネットで検索したら、これは、マリー・ローランサンが作った「鎮静剤」という詩なのだそうですね。

you tubeで確認したところ、高田渡の歌っているものもありましたが、やはり加川良の歌のほうが、メロディの感じなんかがよくつかめるような気がしました。

自分も加川良の歌を聞いて覚えていました。

まさに映画「折鶴お千」のための詩なのではないかと思えるくらい、ぴったりした詩だと思いました。


「鎮静剤」
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは 寄る辺ない女です。
寄る辺ない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


(1935製作=第一映画社 配給=松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、 高木孝一、 伊地知正、 坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・泉鏡花 『売食鴨南蛮』、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、岡田積、選曲・松井翠聲、装置・西七郎、美術・小栗美二、録音・佐谷戸常雄、録音補・室戸順一、三倉英一、照明・中西増一、普通写真・香山武雄、衣裳・小笹庄治郎、技髪・高木石太郎、結髪・石井重子、衣裳調達・松坂屋、解説・松井翠声、
出演・山田五十鈴(お千)、夏川大二郎(秦宗吉)、羅門光三郎・芳沢一郎(浮木)、芝田新(熊沢)、鳥井正(甘谷)、藤井源市(松田)、北村純一(盃の平四郎)、滝沢静子(お袖)、中野英治(宗吉の恩師・教授)、伊藤すゑ(宗吉の祖母)、
1935.01.20 帝国館 10巻 2,634m 96分 モノクロ/スタンダード シネマ・スコープ(1:2.35) 解説版
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# by sentence2307 | 2016-08-22 13:13 | 映画 | Trackback | Comments(0)

マリアのお雪

you tubeで手軽に見られるところから、ここ最近、古典的な日本の名作映画を立て続けに見てきたのですが、一本だけどうしても見ることを躊躇した作品がありました。

溝口健二の1935年作品「マリアのお雪」です。

最初は、溝口健二らしからぬこの「マリアのお雪」という題名が、どうにもなじめず、「隠れキリシタン」でも扱った映画なのかとイラヌ憶測をしたり、やたら重そうなその雰囲気に、見る前から既に圧倒されたことも敬遠した理由のひとつだったかもしれません。

そして、さらに、この作品に関する批評や解説のあまりの少なさもあったと思います。

どちらにしろ、かの溝口健二が撮った作品ですから、見る者を厳しく選別するような暗鬱な作品であることには違いありません。

そんなおり、ある本を読んでいて、長い間、自分が影響(はっきりいって、「呪縛」です)を受けてきた文章に、ついに邂逅したのです。

その本は、三一書房が1970年頃に出版した「現代のシネマ」というシリーズの中の一冊、ミシェル・メニル著「溝口健二」の末尾に付された解説(佐藤忠男筆)の中にありました。

「1970年頃」といえば、自分的には、「すべて」のことが起こり、そして終わってしまった季節と重なります(「ように思える」と書き直すべきか、迷います)。

そのあとの時間を「余生だ」といった友人もいたくらいで、思えば、ずいぶんと長い「余生」ではありましたが。

この三一書房の「現代のシネマ」は、当時の、生真面目で融通がきかない、小難し好きの時代の空気をよく現わしていて、刊行されたシリーズのラインナップを見れば、そのことがよく分かると思います。

①ジャン・リュック・ゴダール(ジャン・コレ著)
②ミケランジェロ・アントニオーニ(ピエール・ルブロオン著)
③ルイス・ブニュエル(アド・キルー著)
④溝口健二(ミシェル・メニル著)
⑤アラン・レネ(ガストン・ブーヌール著)
⑥アンジェイ・ワイダ(アドラン・トリノン著)
⑦フェデリコ・フェリーニ(ジルベール・サラシャ著)
⑧セルゲイ・エイゼンシュタイン(レオン・ムシナック著)
⑨オーソン・ウェルズ(モーリス・ベシー著)
⑩ロベルト・ロッセリーニ(マリオ・ヴェルドーネ著)

いまもって、いささかも色あせていないこの不滅の映画作家たちの揺るぎない重要度には、あらためて驚かされます、自分たちは、とくに異国の感性に写る「溝口健二」を、夢中になって読みふけったものでした。

そこに、日本の映画監督が外国の知識人たちに認知される恍惚感に酔った部分のあったことも否定はしません。

さて、ミシェル・メニルの「溝口健二」末尾に付された解説(佐藤忠男筆)ですが、該当箇所を転写してみますね。

《溝口健二は、サイレント映画時代にすでに第一級の監督として名声を得ていた。1930年代の後半から40年代においては、後輩の小津安二郎や内田吐夢とともに、日本映画界で最高の敬意を受けていた。が、当時、すでに、多くの賞賛と同時に批判が書かれている。
そして戦後には、賞賛よりも批判を受けることが多くなり、それは、「西鶴一代女」がフランスで評判になる時期までつづいた。
批判の要点は、彼の主題と技法が古くさい、ということであった。
たとえば、批評家岸松雄は1930年代のいわゆる「明治もの」をこう批判した。
「右を向いても左を向いても芸術の自由は奪われているのではあるまいか。それならいっそ旧き世界の美しさに帰ろう。ゲテモノ趣味も悪くない。ラムプ、陶磁器、手織の着物にも数寄を凝らそう。ゲテモノ研究に耽っていたこの当時の溝口健二に会った者は誰でも、凝りに凝りやしたナ、と呆れたよう御世辞を言いたくなるものがあった。
「神風連」「滝の白糸」はなるほどおもしろい。考証にもぬかりはない。「折鶴お千」「マリアのお雪」はしかしおもしろくない。というのは、時代考証だけが幅を利かせはじめて、かんじんの人間がお留守になってしまったからだ。少しむずかしいいい方をすれば、時代と人間との相関関係を描くことを忘れたためである。往来を走る二頭立ての馬車は本式かもしれない。畳の上に投げ出される太政官紙幣もでたらめではないだろう。としても、それだけではどうにもならない。溝口健二は、ゲテモノ趣味の外形に淫してしまったのではあるまいか。」(「日本映画様式考」1937年)》

いまとなっては、かつて自分がこのクダリを「確かに読んだのか」という確証は、なにひとつありませんが、自分の中の「溝口健二のいわゆる明治もの」に対する「駄作」という偏見を植え付けられた「元凶」があったとすれば、(海外批評家から認知される以前に)この手の批評を繰り返し読み続けてきたためにモタラサレタものだということは、そうだろうなと言えると思います。

批評家岸松雄なる者が、ほんとうに「折鶴お千」「マリアのお雪」において「人間がお留守になる」という状態をなにを根拠に評したのかの検証はさておき(佐藤忠男が岸評言を引用した動機も、おそらくは同じネガティブな意味でだったでしょうが)、しかし、ここで問題にしなければならないのは、「溝口健二のいわゆる明治もの」が、本当に箸にも棒にもかからないクダラナイ作品なのかという論点整理です。

そして、長年にわたって自分の中に植えつけられた「偏見」にあがらいながら、自分はこの「マリアのお雪」を鑑賞しました、you tubeで。

ときは「西南の役」、戦火が迫る熊本の町を、急いで乗合い馬車で逃れる庶民の姿が描かれます。

その乗合い馬車には、士族の一家もいれば豪商や僧侶もおり、そのなかに二人連れの流しの女芸人も乗り合わせています。

身分の卑しい女芸人などと同席することを、士族一家や豪商夫婦はとても嫌がり「けがらわしいから馬車から降りろ」となじりますが、そんなおり、悪路のために馬車は転倒し、大破して立ち往生、一行は身動きとれなくなります。

やがて猛烈な空腹に襲われる士族一家や豪商夫婦は、流しの女芸人たちが所持していた「弁当」を思い出します。

かつて、馬車の中で「こんなときに弁当など持って花見にでも行くつもりか」と嘲笑して馬鹿にしたあの「弁当」です。

しかし、幾ら金を積まれようと、さっきの屈辱を決して忘れていないおきん(原駒子が演じています)は、「ざまあみろ」とせせら笑い、見せびらかしながら弁当をおいしそうに食べますが、お雪(山田五十鈴が演じています)は、「もしよかったら」と弁当を彼らに譲ってしまいます。

おきんは、お雪の行為が理解できず、唖然としますが、屈辱を受けた憤りのおさまりがつかないまま、お雪に対しても微かな苛立ちが、その歪んだ表情にうかがわれるシーンです。

ここまできて、やっぱり「マリア」は、あの「マリア」のことなのだな、と思いはじめました。

そういえば、朝倉晋吾(夏川大二郎が演じています)の率いる官軍に囚われたとき、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの延命のために娘を朝倉に人身御供として差し出そうとする場面、この作品において個々の「人間の質」が問われる重要な場面ですが、泣いて怯える娘の哀れを見かねて、まず、おきん(原駒子)が、朝倉晋吾にしなだれかかり、「なんにも知らないあんな生娘なんかが相手じゃ、面白くもなんともないじゃないかね。私でどう、いい思いさせてあげるわよ」と誘う場面があります(自分など、「いやいや、生娘の方で結構でやんす、イッヒッヒ」などとヨダレを拭いながら思わず口走ってしまいたくなる場面ですが、ここはまず自重して映画のつづきに集中します)。

性技百般、手練手管でいままで男をさんざん蕩かしてきた「その道」のプロです、クンズホグレツのsexのことなら、十分に自信のあるおきんですから、これは当然の申し出だったかもしれませんが、それはあくまで、朝倉晋吾に「その気」があった場合のことで、そもそも、ことの発端の「娘の人身御供」の考えは、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの被害妄想から発した恐怖心の何の根拠もない「仮定」による先走った提案にすぎないので、その妄想の延長線上にあるだけの「おきんの申し出」は、朝倉晋吾にとって、はなはだ迷惑、おおきなお世話以外のなにものでもなかったわけで、その辺の「行き違い」を整理と理解ができていないおきんは、朝倉晋吾から拒絶されたことに激怒します。

理解の道筋としては、「この道」で一度として男から拒まれたことのなかった彼女の(性的)自尊心が傷つけられ、激怒につながったと(一応は)見るべきなのかもしれません。

やがて、このコジレタ関係は、さきの「弁当事件」と同じ経過をたどって、ふたたび「お雪」が解きほぐすことになりますが、おきんの場合と異なり、この「お雪」→「朝倉晋吾」の心的紐帯が、すでに、朝倉が士族一家や豪商夫婦たちが画策した保身のための「人身御供」などという卑劣な行為を罵倒する場面において、山田五十鈴の「なんて素晴らしい人だろう」という思い入れたっぷりに朝倉晋吾を見つめる正面からの美しいショットで、すでに十分に語り尽くされているので、朝倉晋吾へのお雪の接近(もはや「恋愛関係」にあります)が、おきんの場合と決定的に異なることが分かります。

いつも「美味しいところ」だけはお雪が持っていってしまうことに対して、なにごとにつけても不器用なおきんには、はなはだ面白くありません。

しかし、その怒りは、ひたすら朝倉晋吾にぶつけることしかできないでいます。

ラストシーン、窮地から逃れてきた傷ついた朝倉晋吾を、敵軍に引き渡すと言い張る憎悪に燃えるおきんに対して、その憎悪こそ朝倉晋吾に対する恋情だとお雪に指摘されてはじめて、おきんは自分が間違っていたことを理解します。納得したかどうかは、ともかく。

「急転直下」、まるでミテリー小説のような終わり方をしてしまうこの「大団円」(お雪のひとことが、まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります)に関しては、自分としては少し不満な思いを抱きました。

同じようにまた、おきんを演じた原駒子も、もうひとつこの役の終わり方に対して、消化不良みたいなものを感じたのではないかという感じも持ちました。あるいは、彼女はこの役を「演じきれなかった」と思ったかもしれません。

ぼくたちが接することのできる「原駒子」像といえば、乱した日本髪で不適な薄笑いを浮かべながら、着崩れた着物の懐から拳銃をちらつかせて正面を三白眼で睨み据えた物凄い形相の大迫力の毒婦役として認識しています。

それが、「まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります」などで、本当にこれで良かったのだろうかという思いが残りました。

むしろ、原駒子にとって「一度として男から拒まれたことのなかった彼女が、朝倉晋吾から拒絶されたことに性的自尊心が傷つけられ、激怒した」ままの方が、なんぼか彼女らしかったかのではないか、という「残念」な思いだけが残った感じがしたのでした。

朝倉晋吾に言い寄った理由が、生娘を救うための身代わりであろうと、あるいは心底から愛していたためであろうと、そんなことはどうだっていい、おきんは、いずれにしても、やはり同じ行動をとっただろうと思ったのは、「性愛」こそが、ヴァンプ女優・原駒子の真骨頂だと感じたからでした。

以前見た三浦大輔の「愛の渦」のなかで、「好きになってんじゃねえよ」という新井浩文の吐くセリフが、ふと脳裏に過ぎったことを申し添えます。それもひとつの真実かなと。

(1935製作・第一映画社、配給・松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、高木孝一、高橋富次郎、坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・川口松太郎「乗合馬車」(原案:モーパッサン『脂肪の塊』)、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、内炭吉四郎、宮西四郎、選曲・高木孝一、伴奏・中央トーキー音楽協会、指揮・酒井龍峯、金馬雄作、装置・西七郎、斎藤権四郎、西山豊、録音・室田順一、擬音・西沢都時、照明・堀越達郎、編集・石本統吉、技髪・高木石太郎、美髪・石井重子、衣裳・小笹庄治郎、字幕・小栗美二、
出演・山田五十鈴(お雪)、原駒子(おきん)、夏川大二郎(官軍・朝倉晋吾)、中野英治(佐土原健介)、歌川絹枝(おちえ)、大泉慶治(宮地與右衛門)、根岸東一郎(権田惣兵衛)、滝沢静子(お勢)、小泉嘉輔(儀助)、鳥居正(官軍大佐)、芝田新(横井慶四郎)、梅村蓉子(通子)
1935.05.30 浅草電気館 10巻 2,370m 1時間16分 白黒
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# by sentence2307 | 2016-08-07 15:15 | 映画 | Trackback | Comments(0)

兵士のアイドル-女優「高峰秀子」を演じることの痛み

このところ、立て続けに書評欄に取り上げられていて、少し気になっていた本がありました。

そして、ここにきて、ついに「日本経済新聞」の書評欄(2016.7.10)にも取り上げられて、やっぱりいま話題の本だったのかと、遅ればせながら認識した次第です。

その書名は、「兵士のアイドル」(押田信子著、旬報社刊、2200円)。

戦時中に、前線で戦う兵士たちのための慰問雑誌が刊行されていたとかで、海軍の肝いりで作られたのが「戦線文庫」、そして陸軍は「陣中倶楽部」という娯楽雑誌だそうです。

「戦線文庫」のグラビアには、現在のアイドル雑誌さながらに映画女優のポートレートで埋め尽くされ、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といった大スターたちが、妖艶なポーズで掲載されていて、たとえば、1938年の創刊号のグラビアでは、ロングドレスに着物と服装は華やかな、そして扇情的なポーズの写真も多く掲載されていたと書かれています。

「これが戦時下の雑誌かと驚いた。」と書評氏(梯久美子)は驚嘆を込めて書いていますが、軍隊(陸・海軍)が、最前線で戦う明日をも知れぬ兵士たちの慰問のために作った雑誌なのですから、当然お色気たっぷりの娯楽に徹した雑誌だったろうなということは容易に想像できます。

あの朝鮮戦争の最前線にヘリで颯爽と降り立ち、疲れた兵士たちを慰問したマリリン・モンローのあの悩ましい腰つきと笑顔に見入る兵士たちの熱狂を思い浮かべれば、「これが戦時下の雑誌か」などと、なにもカマトトぶって驚く振りをするには及びません。

兵士たちは、明日もまた、ことの善悪など超えた凄惨な戦場に赴き、自分が殺されるよりも先に敵を殺さなければならないぎりぎりの修羅場に身を置かねばならないのですから。

この書評を読んでいくうちに、この本の論点は、どうも「兵士のアイドル」などにあるのではなく、「政治と金」ならぬ「軍隊と金」の問題を追求しているらしい「そっち系」のお堅い本であることが分かりました。

素直に「兵士のアイドル」をネタにした芸能雑誌だと早とちりして購入したミーハーの読者(当然自分もその中のひとりです)には、きっと、この鬱陶しい真摯な内容に遭遇して、突然脳天を鉄槌で勝ち割られ、脳髄を打ち砕かれるくらいの驚きと恐怖に見舞われるかもしれません。まさに鼻血ブーならぬ「脳髄ブー」であります(ずいぶん古い)。

書評氏もその辺のところは気にしているみたいで、限られた書評欄にしては、かなりの比重を割いてこの「軍隊と金」の解説に当てています。その部分を以下に引用して、紹介してみますね。

《この「戦線文庫」は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。

制作費は国民からの慰問金である恤兵金から拠出されていたという。

「戦線文庫」とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌「陣中倶楽部」である。

本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。

女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。

一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。

終戦と同時にこの二誌は消え失せ、国会図書館にも保存されていないという。

それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。》

この解説が事実なら、この本の書名は、せいぜい「日本の軍隊と消えた恤兵金」とするくらいの誠実さは示すべきだったかもしれません。

しかし、そんなお堅いタイトルにしたら、いまの時代、本なんか売れるわけがなく、それでなくたって、いま電車の中で、本を開いて読んでいる人の姿など、まったくの皆無といってもいいほど見かけることもなく、もはや書名を工夫したくらいでは、この深刻な出版不況は止められません。

ナチスは、焚書をして「有害書物」の徹底的な絶滅を図りましたが、いまの日本なら、そんなことをしなくたって、すでに誰もが知的好奇心を失ってしまっていて、せいぜいスホマの見出しを読むだけですべてを分かってしまった気になり、それだけで十分満足し、好奇心などさっさと完結して萎んでしまうというのが実態なのです。

早晩、本なんて死滅してしまいそうな勢いの、まさに危機的な状況といえます。

ですので、これが「兵士のアイドル」という書名なら、少しは希望が持てるかもしれません。

アイドル・オタク(どちらかというと、「自分」もそうかもしれません)が「総選挙」のためとか勘違いして10冊くらいは爆買いしてくれないとも限りませんしね。

しかし、やっぱ、この著者、「内容に偽りあり」のタイトルをつけることに少しは気後れしたのか、僅かながらの芸能人のエピソードを挿入することは忘れませんでした。

それはこんな具合です。

《国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのである。

死を覚悟した前線の兵士から、ブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌が見えてくる。》

個々の検証もすることなく、一応に女優たちを「国策に利用された」と決め付ける荒っぽい粗雑な言い方には、思わず「ムッ」とくるものがあって反感も覚えますが、しかし、最初から「女優」を将棋の駒のようにしか考えられないような人ならば、それも仕方のないことかもしれません。

「利用された」などと、映画人だってまったくの木偶の坊じゃないのですから、正確にいうのなら、むしろ、「国策」に群がった女優たちや映画人たちくらいには書くべきだったと思いますし、いずれにしても、そんなことは言い方の問題にすぎず、そもそもが取るに足りないことだと思っています。

「軍部」が権勢を振るった時代が去れば、「利用」された映画人も、「群がった」映画人も、ともに、さっさと見限り、次の権力者である「民主主義」に取り入っただけの話で(歴史が証明しています)、いかなる時代の権力者に対しても適当に調子を合わせながら、映画人は「撮る自由」を守ってきたのだということを理解できないと、やれ「転向した」だの、「裏切った」だの、「矛盾している」だの、つまらない道義心とかに振り回され、「勘違い」を犯して、晩節を汚す醜態を演じなければいいのですが。

この書評の無味乾燥な文章から、いままさに「死を予感した兵士」がスターにブロマイドを返送する行為と、「スター・高峰秀子」が無残に汚れた自分の写真を兵士から受け取るその無残な関係性について、どれほどの「真実」が読み取られているか、この書評に対して自分は少なからず苛立ち、そして疑心暗鬼になってしまったかもしれません。

おそらく、兵士は、「高峰秀子」を、自分にとってかけがえのない夢の象徴、不可能な「未来」や「希望」に代わるものとしたかったにちがいなく、そして、女優・高峰秀子にとっては、戦場から何百・何千と送り返されてくる自分のブロマイドひとつひとつに染み込まれた兵士たちの死の影に覆われた思いの重みに押し潰されないはずがありません。

高峰秀子は、「わたしの渡世日記」に、その苦しい思いを刻みつけるように記しています。

《「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまって済みません・・・。一兵士より」

支那事変から大東亜戦争の終わりまでの間に、私は何百通、何千通の手紙を前線の兵士から貰ったけれど、ほとんど返事を書いた記憶がない。返事を書こうにも、相手の住所も名前も書いてない手紙が多かったからである。今、思えば、それらの手紙の一通一通は、まるで遺書のようなものであった。「日本国 高峰秀子」の七文字だけで、私のもとに届いた軍事郵便に驚くよりも、そんないいかげんなあて名で、果たして届くか届かぬかも分からない手紙をしたためる兵士たちの、やりきれなく、うつろな寂しさを思うと、あの膨大な数の軍事郵便を、なぜ大切にしまっておかなかったのかと悔やまれる。

私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が、北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。

慰問袋から飛び出した私のブロマイドは、いつも歯をむき出してニッコリと笑っていただろう。兵士たちは、私の作り笑いを承知の上で、それでも優しく胸のポケットにおさめてくれた、と思うと、私もまた、やりきれなさで身の置きところがないような気持ちになる。おそらく、私の映画はもちろんのこと、私の名前さえ知らぬ農民兵士の手にも、ブロマイドは渡ったことだろう。彼らは、どこの馬の骨かわからない、見ず知らずの少女の顔を背嚢にしょって幾百里も歩き、そして死んでいった・・・もし、そうだとしたら、何と悲惨な青春ではないか。》(「わたしの渡世日記」血染めのブロマイド)

この高峰秀子の文章には、戦場における兵士たちの絶望を、そして彼らのことをなにひとつ知りもしない薄っぺらな作り笑いをしているだけの自分が、そのたった一枚の写真を大切に抱いて死んでいった若者たちの無残な死に対して、「申し訳なさ」を、苦渋の言葉で綴っています。

戦場で死んでいった若き兵士の胸のポケットで、「歯をむき出してニッコリと笑っていた」自分の空しい作り笑いの醜悪さを、嫌悪を込めて書いています。

筆者が、ことさらに採用したこの「ブロマイドを返送してきた兵士のエピソード」の意味するところは、「ブロマイドの返送」という行為に、当時の若者たちの遣り場のない無残な思いを、ことさらに強調したかったからでしょうが、果たしてその「効果」が意図したとおりにあったかどうか、残念ながら、効果は随分と的外れなものとして終わってしまったのではないかというのが、自分の感想です。

死を目前にした兵士たちは絶望し、疲れ果て、あるいは、ブロマイドを「女優」に送り返したかもしれません。

しかし、写真を抱いて死のうが、送り返そうが、その悲惨な死に様にとって、なにほどの違いがあったといえるでしょうか。

「返送」を悲惨と感じるのは、平和な内地にいて安穏と暮らすドラマ好きの人間たちの妄想にすぎません。
そこに「ある」兵士たちの悲惨は、やはり些かも変わるものではなかったことを、「女優」になりきれなかった少女は見抜いています。

そして、少女は、「女優」を演じ切れなかったことで、兵士たちの思いを受け止められなかったことに傷つき、そこにある自分の醜悪さを嫌というほど思い知ったとき、「女優」として生きることの本当の意味に気がついたかもしれません。

からっぽの人間になって、それが失意のなかで死んでいく若き兵士のポケットの中であろうとなんだろうと、いかなる荒廃も意に介さず、馬鹿みたいに「歯をむき出してニッコリと笑って」みせることだと。

不世出の名女優・高峰秀子の誕生の瞬間(人間性を失うことが「演者」の真髄だと発見した)を、見てしまったような錯覚に捉われました。
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# by sentence2307 | 2016-07-28 13:21 | 映画 | Trackback | Comments(0)

毬の行方 ①

「何が彼女をそうさせたか」を見てから、少しずつ時間が経過するにつれて、そのとき自分が「感動した」と思った気持ちが、果たして本物だったのだろうかと、だんだん自信がなくなってきました。

それは、ちょうどエイゼンシュタインの強烈な映像群に接し、衝撃的映像に強引に捻じ伏せられたときに感じたあの「感動」に似ていることに気がついたからです。

エイゼンシュタインの強引な映像に捻じ伏せられることの快感を、当初は、マギレもなく「感動」だと信じていたのですが、時間がたつにつれて、その「感動」が違和感のある嫌なものに変質し始めたことに気がつきました。

たぶん、その感情は、「唆された」とか、「煽られた」とか、「騙された」みたいな、自分の積み上げてきた映画体験とは程遠い「きな臭い」ものだったからかもしれません。

しかし、「傾向映画」なんていうものは、だいたいがそういうものだよと言われてしまえば、それまでなのですが、偏った政治的主張のために、ただの道具として利用されたり、使い捨てされる現実をみることをは、映画を愛する者にとって、なんだか居たたまれない思いにさせられることには違いなく、それではあまりにも「映画」というものが哀れでなりません。

亀井文夫や山本薩夫、そして今井正など日本の優れた映像作家たちに対して、自分がもうひとつ共感できなかった理由は、たぶんそのあたり(被虐性を売り物にする)にあったのかもしれません。

「何が彼女をそうさせたか」を見て、とても印象深かったのは、孤児・すみ子を食い物にする周囲の悪辣な人間たちを過剰に演じる役者たちの名演技ぶりです。

たとえ過剰であったとしても、やり過ぎだとまでは感じさせないその嫌らしいほどの悪辣さを、堂々と、そして嬉々として演じていました。

エイゼンシュタインは、日本の歌舞伎の大見得からヒントを得て、それを演技指導に生かしたと言われていますから、この「何が彼女をそうさせたか」に登場したバイプレイヤーたちの名演技は、その「逆輸入」の効果が十分に発揮されていたと見ていいかもしれません。

それに引き換え、主人公・すみ子の演技はどうだったか。

過酷な運命に見舞われ、ときには悲しみに表情が顔を曇らせることがあっても、しかし、それはあくまで「微かなもの」でしかなく、だいたいは、まるでバスター・キートンのような無表情を通して、世間の辛酸や虐待に対峙します。

そして、そのすみ子の、終始崩れることのない「無表情」に次第に観客はジレてきて、ついには彼女の負のイメージの妄想を広げることになります。

つまり、このように苛められ虐げられることが、彼女にはいまだ信じられない、それほど彼女は幼く、健気にして純粋無垢、さらに弱々しくて無力な少女なのだと、その運命を先読み・深読みしてしまうことになるかもしれません。。

「これが手だな」と思いました。いわゆる「被虐性を売り物にする」です。

僕のごく少ない鑑賞経験からすれば、ポルノ作品において、例えば男優が加虐の演技をいくら激しくギンギンに演じようと、女優の被虐の演技で上手に受けて合わせないと、どうしてもひとりだけ空回りして男優だけが浮いてしまう、観客を欲情させられない失敗作となってしまうはずです。

僕のごく少ない鑑賞経験からいうと(こればっかり)、受けに回る女優の過剰な「七転八倒」の演技よりも、声を殺して恥じらいに耐える抑制された演技の方が、遥かにイイ効果をもたらすと思います、友人から聞いた話ですが。

日本映画史上屈指の名作「何が彼女をそうさせたか」をポルノ映画の観点から論じるなどお叱りを蒙りそうですが、虐待され苛められるすみ子の無表情にこそ、この「傾向映画」を成功(?)に導いた鍵があるのだと言いたかったのです。

佐藤忠男「日本映画史 1」には、この映画の助監督を務めた木村荘十二のインタビューが掲載されています。

「・・・感情を興奮させるようなモンタージュを使っている。多少煽情的にね。曲馬団の場面では、芸人に苦しめられている次のショットにねずみが籠の中で空まわりしているショットをモンタージュしたりね。・・・客の反応がね、すごいんです。最後の方で主人公が反抗するところがあるんだが、その辺になると『そうだ! やっつけろ』って下駄や草履をスクリーンにぶっつけるんだな。」(303頁~304頁)

しかし、自分は、なにも映画を見て、その煽情的な内容のままに、激昂したり、怒りの拳を突き上げたり、権力打倒の革命歌を歌う積りも、そして、歌わせられる積りもありません。

こんなふうに、名作「何が彼女をそうさせたか」に、確かに感動はしたけれども、その一方で、それと同じくらいの後味の悪さも感じていた折も折、これもまたyou tubeで「毬の行方」という大変興味深い作品を鑑賞しました。

あとで分かったことですが、奇しくも、この作品は「何が彼女をそうさせたか」と同じ1930年の作品で教育映画として作られたとのことで、かたや傾向映画の全盛期を象徴する作品「何が彼女をそうさせたか」と対峙する格好な作品ではないかと位置づけて(自分勝手にですが)、この「毬の行方」を大変面白く鑑賞することができました。

さて、教育映画「毬の行方」ですが、佐藤忠男「日本映画史 1」では、こんなふうに紹介されています。

《貧しい少女と金持の少女との友情を扱った美談調の内容である。貧しい少女は、父親が酔っぱらいで、小学校卒業後、女学校へ進学できない。金持の同級生が同情して、両親に頼んで貧しい少女の父親の死後、彼女を自分の家に引き取って、一緒に通学できるようにしてあげる。貧しい少女は感謝するが、ある日、他人の世話になるのは良くないと決心してこの家を出て自立する。そして何年か後、作家となって成功した彼女は、クラス会で懐かしい友達と再会する。貧しい少年少女が健気に努力するということと、金持の子には意地悪な子と善意の子がおり、意地悪な子はやがて後悔し、善意の子は感謝されるという物語もまた、この時代の教育映画の定型をなしている。》

若干補足すると、貧しい少女というのは「一子」というのですが、「字面的にどうなの」という感じなので、ここではあえて「かず子」と書くことにします。

「父親が酔っぱらいで」とありますが、ただの酔っぱらいなどという人は、この世にはいません(自分もむかし生意気な女から「ただのデブ」といわれて、カッときたことがあります)。
この父親、「馬方」という立派な職業人なのですが、なにせ天候によっては仕事にならない日があるために収入が不安定で、それでたまたま「貧乏」なときもあるというだけ、たぶん金回りのいいときだってあるはずです。

ストーリーを追っていくと、なんだか「酔っぱらい」と「貧乏」とを結び付けたがっているように見受けられますが、それは明らかに誤りです。

肉体的疲労を回復させるか、あるいは一時的に忘れるために疲労した肉体をアルコールで麻痺させることが職業人としての馬方の急務なので、父親としても「酔い」を愉しむなどという段階では最早なかったはずです。
しかし、映画にみるように、だらしなくグデングデンになるまで酔うのは、家計を圧迫するほどの大量な飲酒によるものではなく、すでに健康を害している病的な現われとしての酔態と見るべきで、少量のアルコールでもあのように酔いつぶれるというのは、疑いなく喫緊の病魔が迫っていると見るべきかもしれません、なにしろ、そのすぐ後で死んでしまうのが、いい証拠です。

現代に生きる僕たちには、進学のみならず生活全般も世話してくれる恩人の家を断りもなく密かに出て行くなどというあたりが、もうひとつ理解できない部分で、ここははっきり先様に自分の気持ちをお話しして納得づくで独立するなり、なんらかの行動に出ればよかったのではないかと考えたりもするのですが、そんな甘いもんじゃないよキミと、なんだか明治の人に叱られそうな感じです。

貧乏人にもプライドがある、誰の世話にもならず立派に自立して成功したあと、しかし、受けた恩だけはきっちり返す、というわけです、この自助努力、実に立派です。見上げたものです。

「何が彼女をそうさせたか」の「おねだり姫」のようなすみ子とは、ここが違うのです。

まあ、自分としても、鬱憤晴らしに教会を焼き払ってしまうより(これも凄い話ですが)、どちらかといえば和やかなクラス会の方が好みなので、「ヤッパ、教育映画の勝ち」ということになりますが、佐藤忠男氏の解説の最後の方で「そして何年か後、作家となって成功した彼女は、クラス会で懐かしい友達と再会する。」とあるのは誤りで、「かず子」は作家になったのではなく、お蕎麦屋さんで成功し、かつてお世話になった親友(画家になっています)の絵を大金で購入することで親友の窮地を救うということが、この映画の最後で語られていました。

いわば友情の証しですよね。

(1930サワタ映画製作所)監督・沢田順介、脚色・松本英一、山本夏山、原作・佐藤紅緑(「少女倶楽部」昭和3年1月号~昭和4年7月号連載)、撮影・久山義遠、浜田雄三、活弁士:松田春翠
出演・山口定江(宮下一子)、筒井徳二郎(その父安兵衛)、佐々木美代子(外山礼子)、末吉春人(外山雪堂)、木ノ花澄子(夫人里子)、立花敬輔(矢沢先生)、高井敏子(田圃の小母さん)、関口紀代子(百瀬幸枝)、島岡道子(飯塚芳子)、井上三郎(礼子の弟茂)、工藤正夫(山田の金ちゃん)、
製作=サワタ映画製作所 1930.01.26 大阪敷島倶楽部 6巻 白黒 無声
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# by sentence2307 | 2016-07-16 20:14 | 映画 | Trackback | Comments(0)

毬の行方 ②

参考のために、1930年に作られた作品のうち、自分の知っている監督のものをピックアップした一覧を掲げましたので、参照してください。

結婚学入門(1930.01.05松竹蒲田 小津安二郎)
レヴューの姉妹(1930.01.10松竹蒲田 島津保次郎)
美人暴力団(1930.01.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
摩天楼 愛慾篇(1930.01.14日活太奏 村田実)
女来也 前篇(1930.01.15東亜京都 石田民三)
チャンバラ夫婦(1930.01.21松竹蒲田 成瀬巳喜男)
たゝかれ亭主(1930.01.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
独身者御用心(1930.02.01松竹蒲田 五所平之助)
女(1930.02.01日活太奏 東坊城恭長)
何が彼女をそうさせたか(1930.02.06帝キネ長瀬 鈴木重吉)
俺は天才(1930.02.07マキノ御室 滝沢英輔)
情恨(1930.02.07マキノ御室 並木鏡太郎)
筆禍夢物語 高野長英伝(1930.02.08阪妻プロ太奏 犬塚稔)
運命線上に躍る人々(1930.02.14マキノ御室 マキノ正博/久保為義)
純情(1930.02.14松竹蒲田 成瀬巳喜男)
オイコラ行進曲 湯煙り長屋合戦の巻(1930.02.21マキノ御室 松田定次)
戦線街(1930.02.22右太プロ 古海卓二)
紅唇罪あり(1930.02.22松竹蒲田 清水宏)
人斬伊太郎(1930.02.28マキノ御室 並木鏡太郎)
女来也 後篇(1930.02.28東亜京都 石田民三)
朗かに歩め(1930.03.01松竹蒲田 小津安二郎)
直侍(1930.03.03松竹下加茂 井上金太郎)
剣を越えて(1930.03.07日活太奏 渡辺邦男)
春風の彼方へ(1930.03.14千恵プロ 伊丹万作)
藤原義江のふるさと(1930.03.14日活太奏 溝口健二)
祇園小唄絵日傘 第三話 草枕(1930.03.14マキノ御室 金森万象)
偽婚真婚(1930.03.28マキノ御室 久保為二/マキノ正博)
新訂 涙(1930.03.28松竹下加茂 井上金太郎)
大東京の一角(1930.03.28松竹蒲田 五所平之助)
踊る幻影(1930.04.03帝キネ 鈴木重吉)
落第はしたけれど(1930.04.11松竹蒲田 小津安二郎)
真実の愛(1930.04.18松竹蒲田 清水宏)
麗人(1930.04.26松竹蒲田 島津保次郎)
腕一本(1930.05.01日活太奏 渡辺邦男)
不景気時代(1930.05.02松竹蒲田 成瀬巳喜男)
岐路に立ちて(1930.05.09松竹蒲田 清水宏)
好きで一緒になったのよ(1930.05.09松竹蒲田 斎藤寅次郎)
この母を見よ(1930.05.09日活太奏 田坂具隆)
続大岡政談 魔像篇第一(1930.05.15日活太奏 伊藤大輔)
名槍血陣譜(1930.05.21東亜京都 石田民三)
かげろう噺(1930.05.23マキノ御室 並木鏡太郎)
微笑む人生(1930.05.24松竹蒲田 五所平之助)
あら!その瞬間よ(1930.05.24松竹蒲田 斎藤寅次郎)
女性誉(1930.05.29日活太奏 阿部豊)
女性の輝き(1930.05.30マキノ御室 衣笠貞之助)
友愛結婚(1930.06.07帝キネ 豊田四郎)
笑へぬ凱歌(1930.06.13マキノ御室 滝沢英輔)
抱擁(1930.06.13松竹蒲田 清水宏)
未果てぬ夢(1930.06.13日活太奏 東坊城恭長)
からす組 後篇(1930.06.13阪妻プロ太奏 犬塚稔)
渦潮(1930.06.14千恵プロ 稲垣浩)
南極に立つ女(1930.06.20マキノ御室 滝沢英輔)
清川八郎(1930.06.20東亜京都 石田民三)
姉妹篇 母(1930.06.26松竹蒲田 野村芳亭)
唐人お吉(1930.07.01日活太秦 溝口健二)
その夜の妻(1930.07.06松竹蒲田 小津安二郎)
若き血に燃ゆる者(1930.07.08帝キネ 木村恵吾)
木屋町夜話 鴨川小唄(1930.07.10マキノ御室 金森万象)
腹の立つ忠臣蔵(1930.07.13マキノ御室 久保為義/マキノ正博)
石川五右衛門の法事(1930.07.13松竹蒲田 斎藤寅次郎)
大都会 爆発篇(1930.07.13松竹蒲田 牛原虚彦)
素浪人忠弥(1930.07.15日活太秦 伊藤大輔)
天国其日帰り(1930.07.25日活太秦 内田吐夢)
エロ神の怨霊(1930.07.27松竹蒲田 小津安二郎)
奪はれた唇(1930.07.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪我功名仇討譚(1930.07.31東亜京都 石田民三)
盲目の弟(1930.08.01マキノ御室 二川文太郎)
ぶらいかん長兵衛(1930.08.01マキノ御室 並木鏡太郎)
巨船(1930.08.01松竹蒲田 島津保次郎)
仇討破れ袴(1930.08.08松竹下加茂 井上金太郎)
海の行進曲(1930.08.08松竹蒲田 清水宏)
海坊主悩まし(1930.08.08松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪談累ケ淵(1930.08.15マキノ御室 二川文太郎)
女よ!君の名を汚す勿れ(1930.08.15松竹蒲田 五所平之助)
鬼鹿毛若衆(1930.08.15日活太秦 池田富保)
アラ!大漁だね(1930.08.22松竹蒲田 斎藤寅次郎)
処女入用(1930.08.22松竹蒲田 五所平之助)
恋車 前篇(1930.08.28千恵プロ 渡辺邦男)
愛は力だ(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
押切新婚記(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
辰巳の小万(1930.09.01松竹太奏 犬塚稔)
アイスクリーム(1930.09.05マキノ御室 滝沢英輔)
剣道見世物師(1930.09.12松竹下加茂 井上金太郎)
この太陽 第一篇(1930.09.12日活太奏 村田実)
野獣群(1930.09.15帝キネ 木村恵吾)
素浪人商売往来(1930.09.19河合 千葉泰樹)
青春の血は躍る(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
浮気ばかりは別者だ(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
諧謔三浪士(1930.09.19千恵プロ 稲垣浩)
裏切小天狗(1930.09.19東亜京都 石田民三)
この太陽 第二 多美枝の巻(1930.09.19日活太奏 村田実)
ザッツ・オー・ケー いゝのね誓ってね(1930.09.26松竹蒲田 島津保次郎)
この太陽 第三篇(1930.09.26日活太秦 村田実)
関東大殺篇 国定忠治(1930.10.01河合 千葉泰樹)
子守歌(1930.10.01帝キネ 鈴木重吉)
かたわ雛(1930.10.03松竹下加茂 井上金太郎)
足に触った幸運(1930.10.03松竹蒲田 小津安二郎)
腕(1930.10.03帝キネ 鈴木重吉)
絹代物語(1930.10.10松竹蒲田 五所平之助)
恋の借金狂ひの戦術(1930.10.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
逃げ行く小伝次(1930.10.10千恵プロ 伊丹万作)
日本晴れ(1930.10.10日活太奏 阿部豊)
興亡新選組 前史(1930.10.17日活太奏 伊藤大輔)
御浪人横丁(1930.10.24マキノ御室 松田定次)
天保夜鴉伝(1930.10.24河合 千葉泰樹)
興亡新選組 後史(1930.10.31日活太奏 伊藤大輔)
霧の中の曙(1930.11.01松竹蒲田 清水宏)
母三人(1930.11.07日活太奏 阿部豊)
愛慾の記(1930.11.10松竹蒲田 五所平之助)
潜行戦線(1930.11.14マキノ御室 滝沢英輔)
百姓万歳(1930.11.14帝キネ 木村荘十二)
若者よなぜ泣くか(1930.11.15松竹蒲田 牛原虚彦)
中山七里(1930.11.21) マキノ御室 並木鏡太郎
遊侠白浪囃(1930.11.21) 河合 千葉泰樹
秋はアパートの窓に(1930.11.21) 帝キネ 川口松太郎
おさらば伝次(1930.11.28河合 千葉泰樹)
色気だんご騒動記(1930.11.28松竹蒲田 斎藤寅次郎)
旅姿上州訛(1930.11.31日活太秦 伊藤大輔)
涙の街(1930.11. 松竹下加茂 犬塚稔)
破恋痴外道(1930.12.05マキノ御室 二川文太郎)
煙突男(1930.12.05松竹蒲田 斎藤寅次郎)
新時代に生きる(1930.12.05松竹蒲田 清水宏)
忠直卿行状記(1930.12.05千恵プロ 池田富保)
心驕れる女(1930.12.05帝キネ 豊田四郎)
お嬢さん(1930.12.12松竹蒲田 小津安二郎)
切られお富(1930.12.19帝キネ 石田民三)
雪の夜話(1930.12.24松竹下加茂 井上金太郎)
血染の伽羅 前後篇(1930.12.25日活太奏 渡辺邦男)
酒場の女(1930.12.28日活太奏 東坊城恭長)
艶麗春の粧い(1930.12.31松竹下加茂 大久保忠素)
蒲田ビックパレード(1930.12.31松竹蒲田 島津保次郎)
一心太助(1930.12.31千恵プロ 稲垣浩)
日活オンパレード(1930.12.31日活太奏 阿部豊)
大食漢地獄往来(1930. 東亜京都 石田民三)
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# by sentence2307 | 2016-07-16 20:12 | 映画 | Trackback | Comments(0)

何が彼女をそうさせたか

会社の方が、ここのところ、とても忙しくてずっと残業が続いていました。

土曜出勤も2週続けてあったりして、忙しさのあまり、ぼんやり息抜きする時間もなかったので、なんだかストレスが溜まりに溜まってしまった感じです、これはかなりヤバイ状態です、カラダによくありません。

なので、やっと時間に余裕ができた最近、失った時間を取り戻すみたいに、気分転換も兼ねて、努めて出掛けるようにしていて、そういう場所のひとつに神保町の古書店街があります。

あてなどなく、駿河台下の交差点から九段下あたりまでの古書店を気ままにブラつくというのが、自分のストレス解消法のひとつになっています。

しかし、古本を見て回るといっても、なにも高価な稀覯本を買うというのではありません、常に手元不如意状態の自分などには、高価な本などハナから手が出るわけもなく、まさに「とんでもない話」です。

まあ、せいぜい、店頭のワゴンに無造作に並べられている100円、200円の廉価本を物色して、もし、その中に掘り出し物でもあれば、慎重に吟味してから買うという程度の「小心者のお買い物」です。

あるとき、そうした廉価本のなかに、緒形拳の「恋慕渇仰」(東京書籍、1993.11.1刊)という本を見つけました。

四六判縦長変型の、見るからにとても手のかかった立派な装丁(特に装丁者の名前の記載がないので、緒形拳自身が装丁したのかもしれません、いい趣味です)の本で、思わず、これが100円ですか、とお店の人に確かめてしまいたくなりそうな、本当にちゃんとした創りの本なのです。

それにしても実に惜しい俳優を亡くしましたよね。緒形拳という俳優は日本映画界を牽引してきた特別な存在だったと思いますし、つい最近もwowowで「魚影の群れ」を見たばかりでした。

そうそう、改めて言うのも変な話ですが、あの作品って、「漁師」という職業を人間の宿命のように生きた父と娘の葛藤の映画だったんですよね(なにをいまさら、と言われてしまいそうです)。

久しぶりにこの作品を見て、最愛の夫を海に奪われながら、それでもお腹の子どももまた漁師として育ててほしいと願う夫の残した最後の言葉を、妻=娘が悲嘆と希望のなかで聞くという衝撃のあのラストシーンは、まるでこれは神話だなと、いささか動揺し、そして感動しながら見終わりました。

人間の「仕事」というものが、神から与えられた「天職」であって、神聖なものだという思い入れがないと、あのラストシーンの海に生きる者たちの「宿命」や「希望」、父と娘を結びつける業みたいなものを理解することは、ちょっと困難かもしれません。

自分としても緒形拳はNHKの大河ドラマ「太閤記」以来、ずっと気になってきた役者でしたので、いつも変わらぬ強烈な演技の印象が強かっただけに、この「恋慕渇仰」(結局、購入したのですが、活字が大きいせいか、帰宅の電車のなかで読了してしまいました)の中で繰り返し書かれている「自分はこのまま役者を続けていけるだろうか」という不安に揺れる一面のあったことを知り、とても驚きました、あの緒形拳にしても役者を続けていくことを常に迷い、そして苦しみながらもがきつづけていたのかと。

それにしても、緒形拳こそは、役者こそ自分の天職だと思っていたに違いないと信じて疑わなかっただけに、自身の演技や、自分の出演作への言及がとても少なく、まるで避けているのではないかと勘ぐってしまいたくなるくらいの冷淡さは、とても奇異に感じられ、違和感を覚えずにはいられません。

例えば、映画「おろしや国酔夢譚」など、
「200年前、伊勢白子の大黒屋光太夫は、ロシア革命以前のサンクトペテルブルグにいた。
1991年ベルリンの東西の壁が崩れた直後、わたしはレニングラードで光太夫に扮し、白夜の季節の40日を過ごした。」

と、たったこれだけの言及にとどまっています。

思うに、緒形拳は、過去の作品や過去の演技など語るべきでないと考えていたのではないか、常に未来を見つめていた緒形拳らしい生き方といえば、納得できそうな気もします。

しかし、なぜ、自分が、この本の中に、映画「おろしや国酔夢譚」についての記述を探したのかというと、それにはひとつの理由があります、それは、長い間、失われた幻の名作「何が彼女をそうさせたか」がロシアで発見されたイキサツに映画「おろしや国酔夢譚」が、大いに関わっていたからです。

つまり、「恋慕渇仰」のなかで、もしかしたら、緒形拳が、映画「おろしや国酔夢譚」に絡め「何が彼女をそうさせたか」になんらかの言及をしているのではないかと、チラッと考えたのですが、残念ながら、関連する記述はなく、言及は上記のようなきわめて淡白で素っ気無いものにすぎませんでした。

「何が彼女をそうさせたか」のフィルムが発見されたその辺の事情を記した部分をwikiからちょっと引用してみますね。

《1992年になって、ロシア領事館で開催された「おろしや国酔夢譚」(佐藤純彌監督)の試写会に協力した帝国キネマ社長山川吉太郎の孫・山川暉雄からソンツェフ副領事を通じて照会したところ、モスクワの国立ゴス・フィルモフォンドにあるフィルムが、本作(「何が彼女をそうさせたか」)にほぼ間違いはないとの確認がとれた。その後修復・復元された。しかしプリントは、冒頭のクレジット部とラストが欠落している。》

この記事に少しだけ補足すると、帝国キネマというのは、1930年当時、「何が彼女をそうさせたか」を製作した会社で、文中にある山川暉雄氏は、当時の社長・山川吉太郎の孫に当たり、この血脈がロシアからのフィルム返還交渉(当初は政治も絡んできて、返還は困難視されていました)にあたって大いに効果を発揮したと聞いています。

自分としては、いままで気軽にyou tubeでこの「何が彼女をそうさせたか」を何度も鑑賞していただけに、こんなにも困難な経緯があったとは少しも知りませんでした。

今回読んだ資料のなかには、若干温度差を感じさせるような歯切れの悪いものがあったのは、「映画発見・前」と「映画発見・後」の時間差が、自分の読んだ資料に微妙なニュアンスを投影していたのは、そういうことだったのかもしれません。

つまり、この作品は発見(1992年)以後にやっと見られるようになった作品ということだとすると、製作当時に見て以来その記憶しか有していない老世代と、you tubeで気軽に見ることのできる現世代の間には、奇妙な違和感というか、断絶とねじれた空白が横たわっていて、とても不思議な感じを受けました。

リアルタイムで本編を実際に見ているのが「若い世代」で、老世代は、80年あまり前の薄れ掛けた記憶に頼っているのですから。

自分が知っている日本の映画評論家のひとつのタイプとして、フィルムが既に消失してしまい、今ではもはや誰も見ることのできない作品の記憶を、まるで選ばれた者の特権のように自慢げに語るというタイプの批評家がいました(特権的な「思い出話」を語るだけの「批評家」です)。

それは思い出話(当時の世評を含めてです)にすぎないのですが、誰も見ることのできない失われたフィルムなだけに、その妄言は無敵です、見ることが不可能な作品である以上、誰一人としてその「思い出話」に反論などできるはずもありません。「何が彼女をそうさせたか」こそ、まさにそういう作品だったと思います。

古い資料を読むと、そのアラスジだけでも、執筆者によってエピソードの順序が微妙に違っていたり、少女のたどった波乱万丈の職業が少しずつ誤っているものもありました。

しかし、この作品が「傾向映画」の代表的な作品であるという認識では、共通しています。共通はしているのですが、なにか「ひとこと」付いて回るみたいなのです。

自分が読むことのできた中でその典型的な「解説」というのを以下に紹介しますね。

キネマ旬報社が1982年に出版した「日本映画200」という本のなかの「何が彼女をそうさせたか」の解説として滋野辰彦という人が執筆したものがあります。

自殺した父親が、娘の行く末を頼むと記された手紙を、娘・すみ子は叔父に渡しますが、邪悪な叔父は、厄介者のすみ子をさっさと曲馬団に売りとばすあとの場面です。

曲馬団で働く男たちは、日頃から横暴な団長に対して、抑えていた怒りを遂に爆発させ団員全員で団長に抗議におよぶというシーンについて、評者はこう記しています。

《曲馬団の仕事も長くは続かず、一座は不況で解散となる。
芸人と団長との対立が、ここでは労使の対立の象徴に似た扱いを受けているが、こんな労使の衝突で資本主義社会の実体は語れるわけがない。
傾向映画といいながら、社会機構や制度の矛盾が小さな個人と個人との関係に置き換えられ、それ以上の奥行きと広がりを持たない。
それが傾向映画の限界だったといっていいかもしれない。》

「何が彼女をそうさせたか」という作品は、資本主義社会の実体を語れてないからダメだ、傾向映画などといくら偉そうなことをいっても、たかだか小さな個人と個人との関係に置き換えたくらいでは資本主義の歪んだ社会機構や制度の矛盾なんて語れるものではない、それが傾向映画の限界だと言っています。

いままでこのような安直な批評を何本読んだかしれません。

この評者をはじめ、同じように無責任な見解を開陳してきた多くの劣等感に満ちた評者も、いったい映画になにを求めているのか、まったく理解できませんし、果たして彼らがいかなる理想像を有したうえで、こうした愚劣なことを述べているのか、問いただしたくもなります、まさか無責任な安手の学術論文じゃあるまいし、です。

しかし、そもそも日本の社会に自立した左翼思想などというものがあったのか、そのあたりから自分には疑問です。最初から自立した「思想」などといえるものなど、ただの一度もなかったのではないか、と思っているからです。

かつても、そして今も、日本の左翼思想なるものは、一貫して現実から眼をそらし、脆弱で幼稚で未成熟な、まるで受験生の暗記ものか、夢見る少女の机上のお伽噺にすぎないものという程度の感じがしています。

手中の権力を守るために政敵を熾烈に殺しつくし、独裁をしいて人民を圧制し、手向かう者はことごとく処刑虐殺して、その膨大な犠牲を払ったすえに、ようやく破綻に至ったこの最悪な思想が、その破綻まで100年もの時間を要さねばならなかった意味も現実も理解できず、いまだに夢のような「左翼思想」を謳歌する愚昧な無神経には、ほとほと呆れ返るばかりです。

かつて荒畑寒村がロマンチックな「ロシア革命運動の曙」を書いたあの夢見る社会主義の心情から、いまだに進歩できていません。

日本だけにしか通用しない閉鎖的で甘甘な論理を振りかざし、意気揚々と貧苦にあえぐ世界の貧しい人々に施しを与えようとモッタイブッテ出かけて行って、逆に痛烈なしっぺ返しを受けた事件が、つい最近もありました。

世界においては、人道主義などただのタテマエにしかすぎないこと、抑圧された極貧にあえぐ者たちの抑えがたい憎悪の銃口は、まさに「日本人」に向けられていたのに、恩着せがましく「ぼくは日本人です」とわざわざ名乗って射殺された皮肉な錯覚はまさに貴重な「教訓」のはずなのに、まだ分かろうとしないのかと正直驚かされます。

この滋野辰彦の解説に象徴的な一文がありました。

《この映画が封切られて間もなく、筆者の友人で、まだ大学生だった新間俊彦が「キネマ旬報」の読者寄書欄に投じた立派な批評がある。そのなかで彼は車力の小父さんのことを「貧しい財布に五十銭銀貨を入れてやり、荷車に乗せて送ってやる温かさは、無産者の間にのみ見出される相互扶助の人間的情味」だと言っている。》

車力の老人がそっと与えた五十銭銀貨こそ、身寄りのない少女をさらに過酷な運命に落したそもそもの原因だったことからは眼を逸らし、ただその無責任な「善意」を賞賛して一人気持ちよくなっているその身勝手こそ、思想ともいえない日本の社会主義の本質をよく言い当てていると密かに感じ入った次第です。

(1930帝国キネマ演芸・長瀬撮影所)監督脚色・鈴木重吉、原作・藤森成吉、撮影・塚越成治、音響・松本四郎、助監督:木村荘十二
配役・高津慶子(中村すみ子)、藤間林太郎(琵琶師・長谷川旭光)、小島洋々(阪本佐平)、牧英勝(養育院人事院・原)、浜田格(曲芸団長・小川鉄蔵)、浅野節(すみ子の伯父・山田勘太)、大野三郎(山下巡査部長)、中村翫暁(質屋の主人)、片岡好右衛門(玉井老人)、海野龍人(市川新太郎)、二條玉子(県会議員・秋山秀子)、園千枝子(山田の女房・お定)、尾崎静子(天使園主・矢沢梅子)、間英子(島村おかく)
1930.02.06 常盤座 10巻 3,019m 146分 白黒 パートトーキー
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# by sentence2307 | 2016-07-09 16:16 | 映画 | Trackback(1) | Comments(0)

人工知能とのつきあい方

梅雨入りしたというのに、一向にまとまった雨も降らず今日もカンカン照り、テレビでも、貯水池の水がどんどん心細くなってきたという不安なニュースを連日見せられています。

気分にそぐわない快晴の空を見上げながら、なんだかこのところ仕事の方も思わしくなくて、どうにも気分も晴れず、滅入る一方です。ため息さえ出なくなりました。

会社の手前、もろ業績不振を口にすることは憚られるのですが、ランチの席などで同僚と「大丈夫なのかな、今年の夏は」などと抽象的な言い方で、「ぼんやりとした不安」を駄弁ったりした帰りのことでした、会社の廊下で、ある講演会の告知と、そのポスターを見かけました。

テーマは、「人工知能とのつきあい方」と書いてあります。

これまで全然関心のなかった分野なので、普段なら無視して通り過ぎてしまうところですが、こう気分が落ち込むと、なにか起死回生の切っ掛けでもあれば、なんでもいいから縋りつきたい気分ですので、ここは関心があるの・ないのと言っている場合じゃありません。

仕事も私生活も、なんだか下降線をたどっているようなブルーのときには、なにかパッとした気分転換が必要で、ここはひとつ「人工知能」というものと、ひとつ付き合ってみるか、という気持ちになりました。

会社が呼びかけている講演会ですので、いざ行くとなれば、会社から半日の特別休暇が貰えるうえに交通費と入場料が支給され、おまけに「日当」まで付くというタイヘン「おいしい話」です。

まあ、これで行かない手はないだろう、ということになります。

それに、俄然行く気になった理由がもうひとつありました。

ポスターの左下隅に掲載されていた女性講演者(某新聞社の科学部長と書かれています)の顔写真を見て、その若さと美しさに、正直びっくりしてしまいました、女子大生といわれても十分に通用する若さです。

自分が知っている大手新聞社の「部長」といえば、不摂生と睡眠不足と酒の飲みすぎで血圧の上が優に200を超していそうな、病的にでっぷりと青太った、いまにも棺桶の覗き窓からコンニチハをしてしまいそうな、ほぼ死にかけているストイックなゾンビ爺さんというのが、いままでの定番イメージだったのですから、そのポスターに掲載されている科学部長嬢の「若さと美しさ」といったら、それはもう想像を絶する、ユリの花さえ彼女の美しさに負けて恥ずかしくてうつむいてしまうくらいの美貌です。

自分の陳腐な既成概念など根底から引っくり返してしまう、それはもう本当のびっくりでした。

まあ、今回の「講演」参加も、ズバリ言ってしまえば、「美人を見に行く」ということにつきますが、自分も歳をとるに従って、この「見に行く」という行為の奥深さを、最近だんだんと自覚するようになりました。

若いときなら、たとえ超美人でも、他人の眼を意識して見栄や体裁を取り繕り、せいぜい「ちら見」程度だったものが、こう歳がいってくると、そんなことでは到底満足できません。

まるでカラヴァッジョの絵をムサボリ見るように、図々しくごく至近距離まで接近し、眼を擦り付けんばかりの無遠慮さでなめ回すようにジロジロ「見つくす」というのが、本当の「見る」ということなんだよなと、最近つくづく思い至り、また、そうすべきと決心もし、「美人」を見るときには、いつもこの姿勢を貫いています。

女性の方にしたって、結構こういうのって嬉しいんじゃないんですか、なんてこんなふうにぬけぬけ言えるのも、それがまさに自分が正真正銘、ヘンタイ的に「オヤジ化」した証拠なのかもしれません、まさかストリップを見に行くわけじゃあるまいしね。

何もそこまでという感じがしないでもありませんが。

一方で、このままこの「見方」を過激に深化させていけば、なんだかゆくゆくは立派な痴漢になってしまいそうで、なんだかとても怖くて不安で、不吉な予感がします。

しかし、とにかく、動機なんてどうだって構わないのです、ここは躊躇なく速攻で参加を申し込み、入場券を入手しました。

その会場というのは会社からほんの二駅、常日頃ウォーキングに精を出している自分ですから、歩いたってどうということもない眼と鼻の先の距離です。

もし講演がつまらなければ、早々に途中退場して、時間つぶしなら幾らでもある隣接している大歓楽街に繰り出す所存です。心配ありません。

さて当日です、会社の連中と連れ立って30分前には会場入りしました。

すでに場内は、立錐の余地のないほどの超満員です。

まあ、半日とはいえ特別休暇がもらえて、入場料はロハ、さらに足代と日当まで出るとなれば、ご一同連れ立ってのレジャー感覚で即満員になるのというのも、なんだか頷けます。

さて開演、登壇した科学部長嬢は、予想にたがわぬスタイル抜群の超美人でした。

講演がはじまり、そのまた声の美しいことといったらありません、いままで聞いたこともない鈴をころがすような美声です、これが同じ「人間」の声とは、到底信じられません。

自分好みの小柄な美貌に見とれ、スタイルに見とれ、美声に聞きほれているのは、なにも自分だけではありませんでした。

満員のスケベな中年男たちはみな、心に期したはずのジロジロ「なめるように見る」などという邪心もどこへやら、いつの間にかウチ忘れて、しばし呆然と眺めていたというか、正確には、話に引き込まれて放心状態だったというのが相応しいかもしれません。

話は、今年の3月におこなわれた世界トップの韓国人棋士と人工知能の囲碁ソフトが対戦した話題から始まりました。
                                       ああ、その話ならよく覚えています、たしか人工知能の方が勝ったという、あれですよね。

4勝1敗で人工知能が勝ったという話しの衝撃的なところを十分に理解していなかった自分にとって、どれも初めて聞く新鮮な話ばかりで、いつしか「美人科学部長」の話しに引き込まれていったのだと思います。

ずっと以前に、人工知能がチェスのチャンピオンを倒したという話は聞いたことがあります。

そして、つい最近では、人工知能が将棋の名人を負かしたという話もありました。

しかし、当時だって、そしてつい最近まで、人工知能とはいえ、まさか囲碁のチャンピオンには、当分のあいだ勝てないだろうというのが囲碁の世界と、そして世界の常識でした。

というのも、囲碁は、その局面の複雑さにおいて、まさにゲームの「聖域」と考えられていたからです。

囲碁の盤面は広く、1回の対極で考えられる局面の数も「10の360乗」にのぼります。

チェスの「10の120乗」や、将棋の「10の220乗」と比べても、その数は格段に多いゲームです。

いくらコンピューターの計算能力が向上したからといっても、力ずくの計算でも、勝率が高い手を選ぶには、あまりにも局面が多すぎます。

また、チェスや将棋はそれぞれの駒に役割があって、動く範囲が決まっているのに対して、碁石にはそのような制約はありません。

碁石の位置関係によって形勢を判断する人間の「直感」には、コンピーターは、まだまだ人間に劣るとみられていました。

ところが、米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインド社が開発したソフト「アルファ碁」は昨秋、欧州チャンピオンに勝利しました。

しかし、その棋譜を見たプロたちは、世界トップにはまだまだ遠いと考えていました。

だが、実際は、たったの半年のあいだに「アルファ碁」は人間を圧倒する力を獲得してしまいました。

その急成長の秘密は「深層学習(ディープ・ラーニング)」と呼ばれる技術にあります。

たとえば、人間は、猫を何度か見た経験があれば、すぐに、それを猫だと認識することができます。

しかし、従来のコンピューターは、「ひげがある」「眼が大きくて吊り上っている」「しっぽがある」などというような特徴(条件)をひとつひとつ教え込まなければ、猫を識別することはできません。

深層学習(ディープ・ラーニング)は、人間の脳の働きを真似て、自ら特徴を見つけていく方法です。

「アルファ碁」は、プロ棋士の棋譜から約3000万の局面を記憶した上で、同じソフト同士での対局を繰り返し、どのような形が有利で、かつ最終的に勝つ確率が高いかを膨大な対局を通して自ら学習したのです。

それは、碁のルールを教えられなくても、小さな子どもが大人の対局を見ているうちに、打ち方を自然に覚えていくのと、どこか似ているかもしれませんが、しかし、その学習スピードたるや圧倒的に速く、そして、かつ膨大だったのです。

3月の世界トップの韓国人棋士との対局では、序盤で悪手と見られていた手が、結局勝利につながるという場面がありました。

これなど、碁というゲームの奥深さと魅力を人工知能が再発見した好例といえるかもしれません。

講演は、さらに続いていきましたが、もうこれだけで、カルチャーショックというのでしょうか、知的衝撃とでもいうのでしょうか(同じだ!)、十分に感動し、圧倒もされ、もはや彼女の「胸から腰にかけてジロジロ見る」などという失礼な、女性蔑視も甚だしい不純な気持ちも、どこかに吹っ飛び、いまではすっかり真人間になることができました。

さすがに科学部長です、人間がデカイ、おまけに胸も・・・おっと、これは失礼(舌の根が乾かないうちから、もうこれです、やれやれ)。

しかし、周りを見ると、みんな一心になって科学部長の話に耳を傾けています。

講演途中で、ふっと「我」に帰ってしまったのは、どうも自分だけのようでした。

なぜ自分が「素」に帰ってしまったのかというと、科学部長の話から派生的にある妄想に取り憑かれてしまったからでした。

人工知能に「名作映画の条件」をひとつひとつ入力していけば、はたして「名作映画」ができるだろうか、という妄想です。

かの科学部長も講演の最後の方で話していましたが、国内のSF短編小説の賞で、人工知能が人間と一緒に書いた作品が一次審査を通過したとかいう話もあるくらいですから、映画の分野にしたって、まったくの不可能とはいえないのではないかと考えました。

まずシナリオですが、人工知能が小説を書けるくらいですから、同じ方法でそこは十分書けると思います。

それに、なんせこちらは、創生以来100年の歴史の重みがある映画ですから、いままで地球上で創られたすべての「名作映画」を入力しておいて、まず物語のシチュエーションとか、もちろん悲喜劇の選択からはじめ、登場人物などは物語に必須の人物を算出し、それを自動設定器で読み解き、ああすればこうするとか、こうくればああするなどと、各人の行動を微分積分などを駆使して計算し、そして起承転結のポイントとなる重要な場面では、「アップ」だの「パン」だの「ローアングル」などの画面選択装置を使って完成に漕ぎ着けるというわけです。

ジャジャジャーン。どうです、いいアイデアでしょう。

「しかしねえ、あなた。そんな映画、だれが見るわけ」

ですから、ですね。まあ、人それぞれに個人差というものがあるということは十分に承知していますが、しかし、どうしてもこれだけは譲れないという映画に感動する重要な条件というものが誰しもあるじゃないですか(同じこと言ってね)。それがたとえ何百項目あろうと、何万項目あろうと一向に構わないんです、いやいや、これは多いほどいい、それだけ感受性豊かな「観客」ができあがるというものですからね、それを全部入力するわけです。

「はあ、はあ。それで?」

「えっ? それでって? それでおしまい。あとは名作映画を見て感動するだけ」

「だれが?」

「だれがって。人工知能が、ですよ。」

「ああ、そう。人工知能の作った名作映画を、感動しやすい人工知能の観客が見て感動するわけね。」

「そういうこと」

「そういうことじゃねえや、バカヤロー」

(諸説あり、おしまい。)



あっ、変な妄想しているうちに、大事な講演、終わっちゃったじゃないですか。

「まいったなあ、後半の方、全然聞いてなかったよ。残念」

「おれも。科学部長さんの顔と胸を交互に見ているうちに、いつのまにか講演、終わっちゃってた。」

「お前ねえ~」

(本当の お・し・ま・い。)
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# by sentence2307 | 2016-06-18 20:28 | 徒然草 | Trackback | Comments(0)

啄木のローマ字日記①

新聞各紙に掲載された書評をまとめて読めるサイトは、詳細な関連情報も豊富で、それなりに便利なのですが、やはり自分は、紙をガサゴソいわせながらシンプルに読む新聞紙の方が、なんだか落ち着くし、気分もよくて性にあっているみたいです。

小学校の頃から常に「落ち着きなく集中力に欠いている」と通信簿に書かれたムラッ気の多い自分です、眼一杯に広げた新聞を、あちこちそわそわとよそ見しながら、傍線を引きまくったり、四つに畳んだものを更に八つに折り畳んだりしながら、さっき読んだばかりの斜め下の書評となんだか関連がありそうだなどと、その記事と記事とを丸で囲んで繋げたり、なんだかんだと大騒ぎして、そんなふうに「紙」で読むのが自分にはピッタリあっているし、却ってこの方がアタマにもよく入ってくるみたいな気がします。

タブレットで読むとしたら、こうはいきません。

タブレットを十分に使いこなせていないことを棚に上げていうのもなんだか気が引けますが、ガラス板に押しつぶされた寒々しいノッペリとした活字が、そもそも自分には馴染めなく、気が散るばかりで集中力どころの騒ぎではないのです。

それに引き換え、あの紙独特のガサゴソとしたザワメキとか、読んでいるうちにバラバラに解れてしまって収拾のつかなくなったページを順番にまとめる愛すべき面倒くささとか、紙に染み込んだインクの、郷愁に満ちた匂いや温もりなど、どれも気分を落ち着かせてくれるたまらない「ダサさ」が、とても魅力的なのです。

眼の粗い粗雑な紙の上に押し付けられた活字を写すざらついた印影の早朝の駅の売店で買う新聞は、まだインクが十分に乾いてなくて手に付着することさえあり、「やれやれ」などと独り言などを言いながらも、さらに嬉しくなります。

そうそう、朝の電車などで、如何にも図々しそうな中年の太ったサラリーマンが、混雑など一向に気にすることもなく、我が物顔で座席を1.5人分占領したりして、大きく新聞を広げて熱心に読み耽っている姿を見かけることがあります。

周囲の迷惑顔など無視して、図太い体躯を広げた新聞紙に隠しながらも、頭だけがキョトキョト動いているのが見えるその所為がなんだかたまらなく滑稽で、怒る気持よりも先に苦笑してしまうのですが、しかし、果たしてあのオッサン、本当に記事を読んでいるのかと、とても疑問に思ったりします。

あちこち首を振っているその姿を見ていると、もしかすると、ただアタマをあちこちに動かす行為自体に取り憑かれてしまっているだけなのではないかと思うことさえあります。

ペリーの吉野家ではありませんが、「あなた、そうしたいだけ!」と小一時間でも問い詰めたくなりますが、とはいえ、そういう部分に共感してしまう自分がいることもまた否定できません。

自分も含め、「こだわり」を極端に拡大すると、誰もがああなってしまうのではないかと、ふと感じるからかもしれません。

大好きな新聞紙に、こうしてせっせと傍線や丸や三角を書き込んだ満艦飾のその新聞紙を、さて大切にとっておくのかというと、そんなことは毛頭考えていません。

保存しておいて、それをドウコウしようなどという気はハナからなく、読み終った新聞紙は、すぐに四つに畳んで片っ端からさっさと新聞紙蒐集袋に放り込んでしまうので、よく考えてみれば、なんだか物凄く無駄なこと(「傍線」とか「○や△のシルシをつける」こととかね)に時間をかけているわけで、まあ、徒労も甚だしいという気もしないではありませんが、しかし、そういうことを言ってしまったら日常生活のあらゆる行為が、多かれ少なかれ、これに当て嵌まり、ですので、つまり、却ってこういうことこそが「ココロの贅沢」というものなのではないかと勝手に考えています。

ですので、自分のしていることも、あのオッサンの「首振り」と大差ないことなのかもしれないなという気がしたわけで、あえて認めたくはないものの、ワズカながらの「共感」を抱いたユエンです。

さて、先月か先々月の新聞に、立て続けにドナルド・キーンが書いた「石川啄木」(新潮社・2200円)の書評が掲載されていて、そこでほんの少し触れられていた「ローマ字日記」の部分が気になったので、その新聞をしばらく手元に置いておきました。

できれば、まずその本をじかに読んでみたかったので、さっそく週末に近所の図書館に出かけたところ、やはり、同じように考える人は結構いるみたいで、すでに貸出予約が10人もいると聞かされ、ちょっと驚いてしまいました。

当初、貸出し中なら予約するつもりでいたのですが、10人も待っていると聞いてタジロイデしまい、張り切っていた気も一気に萎えてしまいまいた。

そういう事情を分かってしまったうえで、それでも予約するのかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。「10人の人たちが読み終わって」自分の番がくるまでの気の遠くなるような時間をじっと辛抱強く待ち続けている自分の間抜け顔がちらついて、たまらない気持ちになってしまったのだと思います。

「待ち」のあいだ中、興味やモチベーションを保つだけの気力も若さも、残念ながらすでに今の自分にはありません。

しかし、せっかく来た図書館です、このままむざむざと帰るのもなんだか癪なので、「啄木全集」の「ローマ字日記」が載っている巻(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」筑摩書房刊)を借りることにしました、なんといっても原典に当たるに如くはありませんからね。

実を言うと、この本、以前にも借りたことがありました、ですので、この本を手にするのは、これで二度目というわけです。

帰宅して、まず、保存しておいたクダンの書評を取り出して、ふたたび読み返してみました。

重要な部分だけ少し引用すると、こんなふうに書かれています。

《名著「百代の過客」-日記にみる日本人」の著者であるキーン氏は、続編の近代篇ですでに啄木の日記の魅力にふれ、ことに「ローマ字日記」の「赤裸な自己表現」を高く評価している。なぜローマ字が選ばれたのだろうか。「妻に読ませたくない」からだと言うが、同時に啄木は自分の真実を書きたいとも思っている。書きたいが読ませたくないというこのジレンマから彼はローマ字表記という斬新な「意匠」を思いたったのではないだろうか。事実、啄木は短歌の「三行書き」のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。》

この書評について、いくつかの部分に対して、自分のごく狭い認識からひとこと言わせてもらうとすれば、

①日記をローマ字表記としたことを、「妻に読ませたくない」ためだと理由づけていますが、それはちょっと疑問です。
突然ひとり上京してしまった啄木(事実は、啄木の身勝手な「出奔」と呼ぶべき衝動的なものでした)に置き去りにされた一家の生活を支えるために、妻・節子は、函館区立宝小学校の代用教員をしたくらいの教養人ですから、ローマ字など読めないはずはありません。「ローマ字表記」には、もっと他の理由づけが必要です。

②「啄木は短歌の『三行書き』のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。」とありますが、三行書きを最初に世に出したのは、土岐善麿の「NAKIWARAI」(ローマ字三行書きの歌集)が一歩早く、啄木の「三行書き短歌」はその影響下によったものという説が有力です。

しかし、なにより、啄木を理解するために、この書評氏が無頓着・不注意にも「天才であった。」などと口走っていますが、この場合、この文脈で天才という言葉を正確に使おうというのなら、やはり、ここは括弧で括るべきだったのではないかと思います(「天才」とかね)。

啄木の生涯を知れば知るほど、自分は優れた人間=天才であるという異常な思い上がりと過剰な自負と気位の高さ(職業を選択するのに「文学」という幻想から自由になれません)が、その矜持によって、他人をあからさまに「愚か者」扱いするために、常に人間関係に軋轢を生じさせては破綻し、どの職場でも悶着をおこして喧嘩別れしなければならず、結局出て行くのは常に雇われ者の啄木の方で、その結果、常に職を転々とすることになりました。

それに加えて、啄木はこうした失敗を反省したり、以後の戒めにするなどということは一切なく、知人を介して紹介された義理ある職場でも同じような喧嘩と破綻を繰り返すばかり、なかなか定職にも落ち着けず、だから収入も不安定で、常に生活費に不自由する始末です、どう贔屓目にみても、困窮を自ら招いてしまっている啄木のあまりに身勝手な幼さの印象をどうしても拭えません。

その「自負」の極端さは、一種病的でさえあり、つきつめれば、その不遜な対人関係の底に見え隠れするものは、明らかに啄木自身の「コンプレックス」でしかありません。

文才もあり、仕事も最初のうちは積極的に手際よくこなし、評価もそれなりに伴うにもかかわらず、中学校中退という学歴のなさのために、どの会社でも地位は低く抑えられるという現実に直面すると、次第に嫌気がさしてきて(飽きっぽいという性癖も加味しなければなりませんが)、自分のような「天才」が、ただ単に学歴が低いというだけで、大学出の無能な奴らの後塵を拝さねばならないのかという理不尽さへの鬱屈と不満が啄木を苛立たせ、激昂させ、彼をひとつの職場に長く留めさせることができなかったのだと考えられます。

「新潮・日本文学小辞典」には、学歴コンプレックスについて、こう記されています。

《啄木は、美しい魂とすぐれた才能の持ち主であったが、正規の学歴を身につけなかったことは、生涯における最大の不幸であった。せっかく八年にわたる盛岡での学生生活を送りながら、最後の段階で学業を放棄して(試験における二度の不正行為で譴責を受けました)、明治社会のつくり出したエリートとしての資格を失ったことは、その全生涯を決定する痛ましいできごとであった。事実、盛岡中学校を退学してからの、彼の歩んだ道は容易なものではなかった。》

啄木の小説「雲は天才である」のタイトルが、啄木自身の命名であることを考えると、大人気ない負け惜しみみたいな憐れさが先に立って、なんだかとても複雑な気持ちにさせられますよね。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:20 | 映画 | Trackback | Comments(0)

啄木のローマ字日記②

しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、彼の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず、小説こそがまずは本命、それが思わしくないと分かると(多くの小説が未完のまま遺されています)つぎに評論を書くこと(不遇な彼の絶望からの「世の中なんてぶち壊してしまえ」という破壊願望の気分に時の大逆事件に共振しました)に全勢力を注いでいて、それらを評価されて世に出ることこそ、彼が夢見ていたことだと分かります。

啄木の短歌のその「芸術性」については、後述したいと思いますが、まずは「ローマ字日記」から。

上述の書評でも「ローマ字日記」について、「赤裸な自己表現」と書かれているだけで、それ以上踏み込んだ深い分析がなされていないのが、なんだかとても残念ですが、字数の限られたあのようなごく短い書評では、「そこまで」は踏み込めなかったことは理解できます。

ですので、「そのあたり」をどう書いているのか、できれば早くドナルド・キーンの「石川啄木」を読みたかったのですが、まあ、事情が事情ですので、いたし方ありません、諦めました。

実は、自分は、奇妙なところで啄木の「ローマ字日記」の存在を知りました、まずはそのイキサツから語り出すべきだったかもしれませんが。

話は少し飛びますが、まだブレーク前の杏が、早朝のNHK教育テレビ(いまではETVとかいうのかもしれません)で、「Jブンガク」という番組に出演していたことがありました。日本文学の名作を一作ずつ取り上げて、解説・紹介するという教養番組です。

若年者向けの「100分de名著」という感じだったでしょうか。

ネットで確認したところ、放送していた期間は、2010年3月30日~2012年3月29日まで、そこで啄木の「一握の砂」が取り上げられたのが、2010年8月31日か、あるいはリピート放送が9月3日か9月7日か9月10日にしたとありますから、自分はそのいずれかの日に番組を見たことになります。

そして、そこでもうほとんどショックといってもいいくらいの体験をしたのです。

その番組では、もうひとり、若い女性の出演者がいました。

アシスタントというには少し格上で、解説者というにはグッと落ちる、あえていえば、杏の「お友だち」程度の「対等な関係」という設定だったかもしれません、ごくフツーの若い女の子です。

放送日から検索すると、その女の子は、おそらく加賀美セイラという名前であることが分かりました。

その子が、その日のテーマである「一握の砂」などそっちのけで、啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったかを、何度も何度も滔々と捲くし立てるのが気になって仕方ありませんでした。

そこには、未知の(そう演じていただけかもしれませんが)sexについて語る好奇に満ちた若い女の子独特の意地悪そうな薄ら笑いと、上気した卑猥な饒舌さで語られる啄木への興味と嫌悪(このふたつが合わさると、女たちがとても下卑た卑猥な表情に豹変することをそのとき始めて知りました)の入り混じった高揚した熱心さで、ヒステリックに語られる歌人・啄木の淫蕩さは、確かにそれなりにリアルで生々しくて現実感もあり、まるっきりの出鱈目とも思えませんでしたが、なにせこちらは「たはむれに母を背負いてそのあまり」の先入観しかなかったあの同じ清貧の人・啄木だったのですから、陰ではいかにスケベで淫蕩を重ねた女好きだったかという彼女の仄めかすことのすべてが初耳だっただけに、とてもショックだったのです。

放送後、啄木関係の評論集をあれこれと読み漁っているうちに、彼女の言っていた淫蕩に当たるものが「ローマ字日記」の中に書かれていることを突き止めました。

そして、その当時も、この同じ「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」(筑摩書房刊)を借り受けたのですが、彼女の言っていた「啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったか」の箇所は、すぐに見つけることができました。

あっ、そうそう、言い忘れましたが、「ローマ字日記」というだけあって、もちろん原文はすべてローマ字で書かれていて、改めて漢字・平仮名に書き起こされたものが、すぐあとに付けられている形式なのですが、まず驚かされたのは、これだけ屈折した繊細な文章を、啄木はダイレクトにローマ字で書き綴ったのだろうかという疑問でした。

誰が考えても慣れないにローマ字で書くとしたら、ローマ字に変換することに気が散って意を尽くせず、どうしてもたどたどしくなってしまうのではないかと考えると思うのですが、その的確な描写と言い回しの繊細さから、もしかしたら、一度に和文で書き下ろしたものを、改めてローマ字に書き直したのではないかと思うくらい、急迫する生活苦と、小説をかけずに動揺する苦悶と情感を見事に辿った、それはそれは精密な文章でした。

フツー、おそらく、たどたどしくなるに違いないローマ字書きで、果たしてここまで書くことができるのか、とても信じられません、もしダイレクトに書き付けたことが事実だとしたら、それこそ実に驚くべき才能といわねばなりません。

さて、以下が、啄木が「淫蕩」だと決め付けられた問題の部分です。少し長い引用になりますが、転写してみますね。

《明治四十二年四月十日 土曜日
・・・・
いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三-四回も行った、そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ・・・名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのばかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく、股をひろげる。隣りの部屋に人がいようといまいと少しもかもうところがない。(ここが、しかし、面白い彼等のアイロニイだ!)何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行なわれるばかりだ。身体も心もとろけるような楽しみは薬にしたくもない!
強き刺激を求むるイライラした心は、その刺激を受けつつある時でも予の心を去らなかった。予は三たびか四たび泊まったことがある。十八のマサの肌は貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に灯りもなく、異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れてできるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女! 予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くびまで入った。「ウ-ウ、」と言って女はその時眼を覚した。そしていきなり予に抱きついた。「ア-ア-ア、うれしい! もっと、もっと-もっと、ア-ア-ア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。裂いて、そして女の死骸の血だらけになって闇の中に横だわっているところ幻になりと見たいと思った! ああ、男には最も残酷な仕方によって女を殺す権利がある! 何という恐ろしい、嫌なことだろう!》(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」130頁~131頁)

「ローマ字日記」の中で「赤裸な自己表現」の「性的」な部分といえば、おそらく唯一この箇所かもしれません。

啄木の淫らについて熱心に語っていた「Jブンガク」の可愛い少女も、きっとこの箇所を意識して話していたのだと思います。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:15 | 映画 | Trackback | Comments(0)

啄木のローマ字日記③

しかし、この部分を一読すれば、その赤裸々な描写には、確かに驚かされるものもありますが、さらにいえば、その異常な描写の「詳細さ」にも驚かされないわけにはいきません。

啄木は、函館の地に家族を置き去りにして、切羽詰って、ひとり東京に出奔してきました。

理由は、たぶん、才能ある自分が、作家としていまだ世に認められないというその思いつめた焦燥感からだったと思います。この日記のなかでも、いざ書き始めたものの、どうしても書き通せずに中断した「小説」のことについて、たびたび触れています。

その言及が、いちいち挫折感と無縁でないことは、容易に想像できます。

あの赤裸々な性描写も、当時全盛だった自然主義文学作家たらんと欲した啄木の精一杯の足掻き(描写の試み)のひとつだったのではないかと感じました。

それは、「中断した小説」の試みと同じように、たぶん自然主義文学作家としての「描写の練習」くらいの意味しかなかったに違いありません。

しかし、いざ、実際に書き綴ってみると(上記の「性描写」でも明らかなように)、ただ醜悪でいかがわしいものしか彼には書くことができない、永井荷風の抑制の効いた気品ある「性描写」と比較すれば、啄木のチカラ不足(まるで幼い安手のポルノです)は明らかです。

たぶん啄木が、あえて「ローマ字日記」としたのは、自分では気高い「自然主義文学」を目指して書き綴ったものが、出来上がってみると、それは単に「安手のポルノ」でしかないことを自認したからに違いありません。

あえて「ローマ字日記」としたのは、なにも赤裸々な陰の性生活を知られたくなかったからではなく、「高尚な文学」を目指しながら「安手のポルノ」しか書き綴ることしか為しえない自分の卑力と無能の「結果」を人目に晒すことを恥じたからではないかと思います。

「誰にも読まれたくない」「隠したい」というところは、確かに一緒かもしれませんが、それが「淫乱さ」を理由とするからではなく、無残で醜悪な「結果」にすぎないものしか生み出せない自分の無残な実力を人目に晒すことを恐れ恥じたからだと思いました。

そして、破滅型でも露悪型でもなかった啄木が、最初から人間の醜悪な欲望の浅ましさのすべてを書き尽くそうとする「自然主義文学作家」には向いていなかったことは、家庭内の諍いから妻・節子が子を連れて家出したとき、啄木自身が「そのこと」に気がついていままでの生活を悔い、妻の帰宅を切に願い、「自然主義文学」の「無頼」とは無縁の場所にしか生きられない自分を意識したからに違いありません。

妻・節子は、啄木14歳のときに出会った初恋の人であり、紆余曲折はあったとしても啄木の才能を信じて生涯をともにした良き伴侶でした。初恋の人にこだわるロマンチストである啄木にとっては、「自然主義文学」は、所詮実感のともなわない虚構にしかすぎませんでした。

さて、次に、啄木の「短歌」の天才ぶりについて書かなければなりません。
前述した《しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、啄木の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず》という部分です。

話は少し飛びますが、いままで自分が学生だった時も、会社員になってからも、多少の優劣はあったものの、必ず「駄洒落の天才」というのがいました。

当意即妙でいま話したばかりの片言を捉え、実に巧みに「同音異義語」を操ってアクロバット的展開を見せてくれる言葉の粋人で、感心もし、尊敬さえしてしまいます。

その場の絶妙な雰囲気もあるので、字面だけでその「即妙さ」をうまく伝えられか自信ありませんが、例えば、高校生になった妹が、最近、夜遊びをおぼえ朝帰りするようになって両親が困っているとの話で、「兄貴として、もっと指導してあげなくちゃな」という意味を込めて、「妹(リモート)コントロール」とか、まあ、いざ書いてしまうと臨場感がなくて全然つまりませんが、そんな感じです。

そのことと「啄木の短歌の天才ぶり」とが、どう関係するのかという説明の前に、最適な指摘を見つけました。

それは、「新潮日本文学アルバム・石川啄木」巻末に掲載されている渡辺淳一の「一枚の写真-あえて、わが啄木好み」のなかの一節です。少し長くなりますが、引用してみますね。

《少しでもものを書いた経験がある者ならわかるはずだが、努力で書く人より才能で書く人のほうが怖い。

努力の結晶などという作品より、才能のカケラが散らつく作品のほうが無気味である。

そしてその才能の最も顕著に表われるのが、小説なら文章で、歌なら酩酊感である。

いや、これは小説や歌にかぎらず、すべてに共通するもので、才能ある作家の文章には、内側に固有の酩酊感があり、それが読む者を惹きつける。

一般の読者は、文学理論の難しいことはわからない。

しかしこの酩酊感だけは、原初的なものであるだけに、鋭く感知する。読者はそれに酔い、そのことによってイメージを喚起される。

「東海の小島の磯の白砂に・・・」と啄木が詠んだ函館の大森海岸には、小島も、磯も、白砂というべきものもない。

「しらしらと氷かがやき千鳥なく・・・」と詠んだ釧路の冬の海に、正確な意味で千鳥はいない。もし実証家なり、勤勉な歌人がこれを知ったら、啄木のインチキ性をなじるかもしれない。

だが啄木はもともとそういうことには無頓着な、その種の調べはせず、その場の思いつきのまま、フィクションをまじえて歌った人である。

そして困ったことには、それが事実以上に、読む者にリアリティを与えて、酔わせてしまう。

啄木の歌を詠む度に、わたしは歌人にならなくてよかったと思う。あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、酩酊感とともにリアリティをもたせ、そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。この「そっと」という重みの具合がまた適切で、あれ以上、重くても軽くてもいけない。

そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。

これほど巧みで、酩酊感のある作家が、人々に愛されぬわけがない。

これまで、批評家がなんといおうと啄木は生き続けてきた。「後世の史家の判断をまつ」といういい方があるが、史家などに頼るまでもなく、大衆は啄木の歌のなかにひそむ才能に感応し、その歌を守り続けてきた。

まことにものを書く者にとって、啄木ほど大きく、無気味で、心憎い作家はいない。》


石川啄木は、決して自然主義文学の作家ではなかったし、写実主義の歌詠みでもありませんでした。

彼は、あの「駄洒落の天才たち」のように、当意即妙に、そして、何者も為しえなかった最も絶妙な言葉の選択をすることによって、実に「それっぽい」最高の歌を(あくまでも余技として)瞬時にして詠むことのできた、心ここにあらず的な「天才歌人」だったと思います。

いわば、「空虚な人」といえるかもしれません。

後世の人間も含め、そして、もちろん自分も、「東海の小島の磯の白砂に・・・」や、その他の多くの啄木の歌に人々は心から感銘を受け励まされもしてきました。

思い屈した人々を支えたその影響の大きさは、実に多大なものがあります。

しかし、その歌の質を糾せば、実は、駄洒落「妹(リモート)コントロール」に共感するレベルと同じ絶妙な語呂合わせに感銘するものだったのかもしれませんが、だとしても、そのことが、石川啄木の「人」や、「作品」や、そしてその「薄幸」の実態をも、いささかも貶めるものではないことを確認しておかねばなりません。

たとえ「それ」が、虚偽であろうと、あるいは、巧みな語呂合わせにすぎないだけのものであろうと、天才的な言葉のチョイスに酔うということだけでも、それはリッパに文学鑑賞たりうるものだと信じています。

かの「ローマ字日記」に記されたか淫蕩無頼も、おそらくは「そういうこと」だったのだと思います。

しかし、それなら何故、「ローマ字日記」においても、距離を置いた「巧みな語呂合わせ」的な空虚でクールな姿勢を保ち得なかったのか、ましてやあの、いささかも文学の香華を感じさせない過激で下卑な性描写の逸脱に陥り、つい「マジ」に捉われてしまったのか。

たぶんそれは明らかです、啄木をして描写を歪ませてしまったものとは、おそらく、どうにも逃れようもない生活苦という過酷な現実に対しての呪詛のような「怒り」だったのだと思います。

明治43年10月27日、長男・真一死去。
明治44年3月7日、母・カツ肺結核で死去。
同年4月13日、啄木肺結核で死去。
明治45年、妻・節子肺結核で死去。
その後、長女・京子24歳で死去。
次女・房江18歳で死去。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:12 | 映画 | Trackback | Comments(0)