世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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「地獄の黙示録」について「たまごさん」から、とても含蓄に富むコメントをいただき、たいへんおもしろく読ませていただきました。

とくに、文中の「王殺し」のひとことなど、思わずグッときました。

自分は、最近、赤坂憲雄の「結社と王権」講談社学術文庫2007.7)というのを読んでいて、その本に書かれていることと共鳴する部分が少なからずあり、その意味からも、とりわけおもしろく感じたのかもしれません。

たぶん、そのおもしろさを説明するには、本からの引用(咀嚼できてないところはナマのまま提示するかもしれませんが)にかなりの部分を頼らなければならないと思いますが、できるだけ自分の言葉で、自分なりの感じたところを書いてみようと思います。

煩雑な註は、あえて表示を避けました。

ただし、当初は、「地獄の黙示録」との関連など、全然念頭になかったので、「やっぱり、関係なかったみたい」的な「結局、空振り」という事態も大いに予想されます。


これは単なる妄想にすぎないかも、という軽い気持ちで読んでいただければ、当方の気持ちとしても大いに楽なので、その辺はよろしくお願いします。

まず、「王権とは」という問いに、「王殺し」・「道化」・「偽王」・「祝祭」のモメントからアプローチしよう、といいます。

その「王権の象徴論的分析」の起点にすえるのが、山口昌男が示した四つの「王権の象徴性」の指標。

つまり、

① 王権は非日常的な意識の媒体としてはたらく。

② 「文化」を破ることで「自然」の側に移行し、力(マナ)を自分のものとする。

③ 日常的な意識にたいする脅威を構成するゆえに、王権はつねにその基底に反倫理性をもつ。

④ 日常生活における災厄を王権の罪の状況と結びつけることによって、災厄を祓う役割を王権に負わせることを可能にする。

として、こんなふうに説明しています。

「王権とはいわば、共同体または国家に堆積する災厄・罪・穢れの浄化装置である。

それゆえ、潜在的なスケープゴートとしての王。

ルネ・ジラールによれば、王とは「この上もない違犯者、いかなるものも尊重することのない存在、残虐極まりないものであれ、『過剰』のあらゆる形態をわがものにする存在」である。

近親相姦その他のタブーの違犯をつうじて、王はもっとも極端な穢れを具有する存在と化し、そうして王国に堆積する災厄を一身に帯びることによって、原理的には祝祭における供犠の生け贄として殺害される殺害される宿命にある。

フレイザーの「金枝篇」に収録された、王殺しをめぐる習俗や伝承の破片は、いまも検証不可能ないかがわしい仮説として放置されている。」のだそうです。

王は、多くの場合、つねに自身が果たすべき役割を他者に転嫁する巧妙な装置を産出する。

そこに、王の身代わりとしての「反逆の王子」、道化または偽王(モック・キング)といった一連の主題群が登場します。

つまり、先に掲げた「王権の形は、王殺し・道化・偽王・祝祭といった幾つかのモメント」というやつですね。


そして、さらにこのように説明します。

「古代エジプトの最古の道化が、人間の棲む世界のはるか彼方の、幽霊や口をきく蛇のいる神秘の国からやってきた醜い小人であったことに注意したい。

ローマ帝国の富裕な人々が娯楽の目的で家に置いておくことを習慣としたのも、肉体的な畸型者(フリークス)であった。

道化は多く、その身心に不具性・異形性を刻印されていたのである。

中国の宮廷道化とかんがえられる宦官が、去勢されたグロテスクな容姿の男たちであったことを想起してもよい。

さらに、構造として眺めれば、道化と同様に供犠されるべき王の身代わり、裏返された王の分身であるモック・キング(偽王ないし仮王)について語らねばならない。」

さて、この王の身代わり、裏返された王の分身であるモック・キング(偽王ないし仮王)とはなにか。

ここからが、すごくおもしろいのです。

《モック・キングは祝祭(カーニヴァル)の時空における、仮の、いつわりの王である。

古代ギリシャのクロニア祭、ローマのサトゥルヌス祭をはじめとして、バビロニアやチベットのラサの新年祭にいたるまで、主としてインド=ゲルマン文化圏の祝祭のなかにはしばしば、その倒錯的な姿が見出される。

偽王は奴隷や賎民によって演じられた。

王冠をかぶった奴隷は王座のうえから命令をくだし、後宮の妻妾たちをほしいままに扱い、狂宴と蕩尽にふけったあげく、祭りの終わりに生け贄として殺害された。

偽王をいただく祝祭の場にあっては、さまざまな性の禁忌はとりのぞかれ、盗みは合法的となり、奴隷と主人は交代し、男と女は衣装をとり換える。

あらゆる秩序は好んで裏返され、社会的ヒエラルキーは逆転する。

さかしまの世界がそこかしこにくりひろげられるのである。

とはいえ、そうした儀礼的かつ遊戯的な役割転倒は、秩序の転覆といった事態を招来することなく、逆に規範と法を強化するための、王権的秩序そのものに裏側から組みこまれた制度であったとかんがえられる。》

つまり、

《偽王は、奴隷や賎民によって演じられ、狂宴と蕩尽にふけったあげく、祭りの終わりに生け贄として殺害される。

この処刑によって、王権の規範と法は一層強化される。

偽王の存在も、そしてその処刑も、王権的秩序そのものとして裏側から組みこまれた制度のひとつであった。》

というのです。

ということは、「地獄の黙示録」でいえば、カーツも、おそらくは殺す側のウィラードも、王権を担う者ではない「偽王」ということになり、秩序強化のために、ほんのひととき支配者の役を演じたとしても、結局は処刑台にのぼる者たち=偽王でしかありません。

それなら、真の王権たり得る者とは、いったい誰なのかというと、そのイメージは、すぐに浮かびました。

カーツが支配するという密林の奥地に足を踏み入れたとき、沈黙の異様な静さをもってウィラードを迎えた者たち、顔や半裸の全身をけばけばしい絵の具で不気味に塗りたてた沈黙のあの「被支配者たち=大衆」たち、なのではないかと。

彼らが、たとえ「愚衆」の無力の象徴のように描かれていたとしても、その彼らが生き延びるためには、道化を演じさせ、やがて処刑する「偽王」を必要としたのだということが、あの映画の最後で描かれていたのではないかと感じました。

もう何年も「地獄の黙示録」を見ていないので、ストーリーとか、「映像」のそのものの記憶の曖昧さなどは相当にあり、正確さという面では、「それって、どうなの?」的な心もとないものもありますが、「たまごさん」の「王殺し」のひと言から勇気をもらって、あえて強引にこじつけてみました。


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# by sentence2307 | 2016-10-01 20:11 | 映画 | Trackback | Comments(0)

極道のロジック

「職場改善プロジェクト」が終わったあとの飲み会で、資料課の大橋さんと黒澤明の「一番美しく」について話したことは、この前に書いたとおりですが、実は、時間的にいえば、会話全体の、それはほんの一部のことにすぎません。

ほとんどの時間を、タイトルにあるとおり「極道のロジック」について話しました。

「なんだ、そりゃ」と思われるかもしれませんが、別に唐突でもなんでもないのです。

大橋さんの叔父さんが、千葉の方で保護司をしていらして、その同じ保護司仲間にヤクザの社会に精通した「作家」の方(仕事柄なのかどうかは分かりません)がいるのだそうです、そのことは以前にも大橋さんから幾度か聞いたことがありました。

それまで自分は全然知りませんでしたが、お名前を向谷匡史という方で、結構著作もあって、わが社の社内研修でもその人の本を使ったことがあるのだとか(大橋さんが教材の調達の係をしています)、大橋さんは話していました。

「えっ、極道とビジネス、ですか?」と、その取り合わせがあまりにも奇異に聞こえたので、思わず聞き返してしまったくらいでした。

「おかしいですか?」と、大橋さん、「そら、嵌った」みたいなドヤ顔で満面の微笑です。

営業の交渉術とかもそうでしょうが、会社で生き抜いていくためには、相手を納得させて黙らせるくらいのロジックとか雄弁さで、強烈に自己主張することは絶対に必要なことじゃないですか。

すかさず「愛嬌も必要ですヨ」という私の進言をまったく無視して大橋さんは続けます。

そういう会話術みたいなことを、どんなに言葉を飾って上品にいうことは、幾らでもできるかもしれませんが、要するに相手を圧倒して黙らせて、自分の意見を押し通すことですよね。

それくらいできなくちゃ、会社では仕事の実績をあげられないどころか、仕事そのものを得るチャンスも掴みそこなうかもしれません、過当競争に生き残るって、それくらい厳しいことですよね、そういう意味では、残念ながら私もあなたも「敗残のおちこぼれ」の窓際族で出世とは無縁でしたよね。いえいえ、これはワルギで言っているのではありませんから。

ワルギでいわれてたまるか、コノヤロー。おおきなお世話だ。

しかし、こんなことで怒る自分ではありません、職場では、若い女の子たちから、もっとひどいことを(ワルギなく)気軽に言われていますから、もう慣れましたヨ・・・(さびしー)。

私の異変に気がついた大橋さんは、しばし話を中断して「大丈夫ですか」という目顔で首を傾げて覗き込んでいます、アイドルじゃあるまいし首なんか傾げたって可愛くなんかねえや、くそジジイ、とはまさか言いませんが、「いえいえ、大丈夫です、続けてください」と自分。

たとえば、ですね。(そうそう、まだ極道とビジネスの話、続いていたんですよね)

あまり想像したくありませんが、仮に、ヤクザに道で絡まれたとしますよね。先様は、脅かして金でも巻き上げようと考えています。

早い話、クライアントを二、三発殴っておいてから威嚇して、すごんで金を出させるというのが手っ取り早い方法と思うでしょうが、彼らはそんなことはしません。

そんなことをすれば傷害罪で逮捕されてしまうし、費用対効果からいっても暴力がいかに間尺にあわないかを一番よく知っているのが「暴力団」です。

ですから、彼らは、いかに暴力を用いずに済ませるかを常に考えている。

例えば、街頭でチンピラが若者に因縁をつけたとしますね。

「コラッ、黙ってりゃさっきから人のことをジロジロ見やがって、オレの顔に何かついてんのか!」

「見てません」と答える。

と、ここで先様は、「見てるじゃねえか!」とは、返さないで、

「てめえ、オレが嘘をついているとでも言うのか!」とくる。

「いえ・・・」

「じゃ、ジロジロ見てるってことじゃねえか」

つまり、

「見た」「見てない」という次元での応酬を続ける限り、ただの水掛け論になってしまい、果ては煮詰まって「暴力」に行き着くしかない。それはまずい。

だから、ここは素早く論点を変えて

「見たと主張する俺の言葉がウソなのか」と、次元をチェンジして、違う角度から攻めにかかる。

それでなくとも怖い顔で凄んでいるヤクザに向かって

「あなたが、嘘を言っているんだ」とは言いにくいので、

つい、「ウソは、ついていません」と答えたならば、論理的にクライアントが「ジロジロ見た」ということになってしまい、結局、金を出させられる羽目になる。

すなわち、「正しいのはオレで、悪いのはお前」という構図をつくっておいて、

「オレに因縁つけやがって、この野郎!」とガンガン攻めて、「お詫び」として金品を巻き上げるというわけです。

これが、極道のロジック。

ええ

ヤミ金の取立ては、こんな感じです。

「違法金利です」と、債務者が主張したとする。

しかし、先様は、「どこが違法だ」と応じないで、すばやく「次元」をチェンジする。

「借りるとき、金利の話をしなかったか?」


「しましたが・・・」

「だったら納得ずくで借りてるんじゃねえか。てめえ、借りるだけ借りておいて、いざ返すときになってゴネるのか。無銭飲食と同じだろ!」

暴力を振るわず、「正しいのはオレで、悪いのはおまえ」というレトリックに取り込まれてしまうというのだそうです。

「はあ、はあ。そうですか。しかし、大橋さん、これと「ビジネス」と、どういう関係が?」とボケる私に、大橋さんは、さも「どこまでも分からない人だなー」という顔で、「だから、要は、押しと異次元転換というハナシってことですよ。」

などと苛立たしげに言い募るのですが、ますます、分からなくなってしまった自分でした。


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# by sentence2307 | 2016-09-22 21:09 | 映画 | Trackback | Comments(0)

話の前後のイキサツは、すっかり忘れてしまいましたが、ある人と数十年前に交わした会話の中で聞いたひと言が、折りに触れて、唐突に甦ってくることがあります。

それは、

「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」

というものですが、それまで、「一番美しく」をそんなふうに考えたことがなかったので、まあ、それなりの「ショック」を受けたのだと思います。

つまり、「国策映画」の方にではなくて、あの作品を「そんなふうに考える人がいる」ということに対してです。

だいたい自分は、その頃だって、そして今でも、別に「国策映画」だろうと「迎合映画」だろうと別に全然構わないと思っていました、映画など、撮る機会があればトニカク撮ればいいし、そこでスポンサーからなんらかの要求があれば従う方向で検討するのがフツーだし、そこはできるだけ反映させてあげればいいくらいに思っていました。

そういうものは、ただの「条件」にすぎなくて、きっとほかにもクリアしなければならないもの(状況)なら、たぶん幾らでもあるだろうし、「スポンサーの要求」も「国家権力からの圧力」も変わることのないそのうちのひとつ(リスクかストレスかの違いだけで、もとよりそこには軽重の別などありません)いちいち律儀に負い目など感ずるほどのものでもないくらいに考えとけばいいので、重要なことは「映画を撮り切ること」であって、それがどんな作られ方をしようが、映画の本質とはなんら関係なく、その作品の本当の価値は、きっとその内部から自ずから立ち上がってくるものだと考えています。

黒澤明もこの「一番美しく」に対して、国家権力から執拗に干渉と検閲を受け、改変を強いられて憤ったという資料を読んだことがありますが、たとえそのような「改変」を強要されたとしても、それでも、自分は「一番美しく」がこの世の中に存在してくれていて本当に良かったと心から思っています。これは、映画を心から愛する者の本音です。

これはまたあらゆる映画づくりに関していえることだと思いますが、結果的に「国策映画」だろうと「迎合映画」だろうと、そんなものは自分的には全然構わないのです。

そのような無意味なレッテル貼りなど「映画」そのものにはなんの影響もおよぼさないし、作品そのものがすべてと考えている自分にとっては、作品を見もしないうちからそのような偏見で仕分けして作品に対するなど、むしろずいぶん失礼で臆病な見方だなと考えているくらいです、どんなカタチで撮られた映画であろうと、「実際に見れば」作品の優劣などすぐに分かるはず、しかし、そこはまあ、個人の好みというものもあるので、一概に「優劣」などと決め付けてはなりませんが。

「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」と言った人に対して、当時、これだけのことを伝えられたかどうか、記憶も自信もありませんが、最近このことを思い出させてくれた出来事がありました。

話は少し飛びますが、わが社には、1年毎の持ち廻りで各職場から一名委員として代表を出して、会社のいろいろな問題を話し合う「職場改善プロジェクト」なるものがあります。

このプロジェクト、社長直属の秘書課がすべてとり仕切っている委員会ですので、いい加減にあしらったりすると、「あとで」怖い目に遇うおそれがあります、寒冷地への「異動」とかね。

「いろいろな問題」というのは、最近新聞などをにぎわせている事件を取り上げて、「わが社では、どうなってるの、大丈夫よね」とか話し合う意見交換会みたいなものです。

最近で言えば、歴代三社長のパワハラ圧力の恫喝に屈して虚偽の利益をでっちあげた「帳簿改ざん問題」とか、自分の財布と他人の財布の区別がつかない「守銭奴都知事問題」(そのセコさなんか、あの野々村でさえもマッツァオです)とか、女とみればすぐに手を出す桃色の噂が絶えなかったジャーナリスト気取りのおっさんが遂に秘事を暴かれて抗弁もできないという「色魔都知事候補問題」だとか(髪型も変だし、なにかというとしゃしゃり出てくる色情狂の女坊主が背後でうろついてなんだか薄気味悪いです)、責任者不在どころか押し付け合いの醜態を演じている「伏魔殿盛り土問題」とか(あっ、そういえばこれって都庁ばっかりじゃないですか。まさにお金の匂いにハエと蛆虫が群がる典型的な構図ですよね、そのうちに議会のお偉いさんの収賄事件にでも発展しそうな勢いです、どうもアヤシイゾー。
でも、怒って税金返せコノヤローって誰も騒がないのがなんだか不思議ですよね、どうなってるんでしょうかね、都民は?)、まあ、こんな感じで、「職場改善プロジェクト」は、はっきりいって一時間程度のなんてことない雑談で終わるのですが(もっとも、どの「問題」にしても恐れ多くて私らあたりが結論など出せる問題でもありませんが)、こんなダレた無意味な会議でも出席率は常に
100
%、社長も大満足です、というのは建前、皆さん、そのあとの「呑み会」(経費は、会社の「会議・研修費」として予算に計上されているそうです)が楽しみで、かえってオフレコのこちらの寄り合いの方がよっぽど有意義な話が交わされていて、自分などは、最初からここで話をさせて録音でもとれば、すごい成果があがるのではないかと常に思っているくらいです。

しかし、なにせ「予算」で呑もうというタカリ精神なのですから、「高級」とか「小ぎれい」とか「おしゃれ」などという店を期待してはなりません、また、そういう場所が似合うような面々でもありませんしね。

むしろ、汚いくらいの方が気の落ち着く貧乏性の私らですが、それにしても「程度問題」ということもあります、むやみに息をすれば悪い空気を吸って肺でも悪くしてしまうのではないかとか、手で触れたりすれば手から体にばい菌がうじょうじょ沁み込んできて悪い病気にかかって鼻でも落ちてしまうのではないかなどと危惧するくらいの、それはもう汚れ放題の楕円のカウンターの周りに、明らかに尻の幅より小さく作ってある椅子が隙間なくびっちりと並べられた席で(常識的な寸法なら二尻に三脚は絶対必要なはずの過酷な寸法です)、切り詰められた空間に押し込まれ、どうにも身動きのとれない一同が肩を並べて一斉に呑み始めるという壮絶な図ですが、これでもし火事でもおこったら端から静かに人間が燃えてくるのを、ジョッキ片手にただ眺めてじっと待っているしかないくらいの覚悟が必要な、微動だにできない殺人的な鮨詰め状態です。

冷静に考えればこれってシゴク恐ろしい話ですが、しかし、それを上回る「呑みシロ・ロハ」の圧倒的な魅力の前に皆の危機感は完全に麻痺して、死の恐怖も克服し、まさに死んでもいいやくらいの気持ちで(あっ、これって黒木華がCMで言っているフレーズと同じだ)、逆上気味に浅ましく、嬉々として憑かれたようにジョッキをあおり始めています。

自分の席は、経理の門口さんと資料課の大橋さんに挟まれていて、このおふた方とも既に65歳の延長雇用期間もとっくに過ぎており、さらに70歳まで勤めあげようかと頑張っている鉄人です(聞くところによると、70歳が年金加入のできる限度の年齢だそうで、それまでは働き続けて掛け金を払い続け、残された余生をできるだけ安心できるものにしようという計算なのだそうです、その見上げた了見というか魂胆というか、蟻さんのような堅実な心がけには尊敬とともに畏怖さえ感じますが、薄らぼんやりした自分などには、到底及びも付かないことで、願わくば、その70歳到達以前に皆さんの寿命が尽きることのないよう陰ながら切にお祈りを申し上げるばかりです)。

特に、資料課の大橋さんは、若い女の子には絶大の人気があって、女性だけの聖域・洗い場やトイレなどでは「死霊課のゾンビちゃん」という愛称で慕われているご仁です。
しかし、それって蔑称じゃね、などと若い男連中は眉を顰めますが、ご本人は一向に意にかいすることもなく、むしろ、そんなことは十分承知のうえで、ソトメには大変に喜んでおられるように見受けられ、たとえそれが会社にしがみつき続けるための涙ぐましい言い訳と健気なポーズだったとしても、それはそれで爽やかで凄いことじゃないですかと感心していますが、大橋さんの心の闇の深淵をのぞいたわけではなく、本当はどう感じていらっしゃるのかまではちょっと判断がつきませんが。

その大橋さんと隣り合って座れば、よく映画の話をしています。

会話していても変な緊張感がなく、大変話しやすいので、自分もついつい話し込んでしまいます。

ほら、よく若い人たちと話すと、お互いに「知識のひけらかし合戦」みたいになって、ストレスばかり溜まってしまうあの寒々しい感じがとても嫌で、話した後の後味も悪く、そんな思いをするくらいならと、できるだけ若い連中の話の輪には入らないようにしていますし、ましてや彼らと「映画」の話などすることは滅多に、いや、絶対にありません。

それに比べると、(小心なくらいに)なにかと気配りをしてくれる大橋さんと話すのは、実に快適です、話の合間にうつ相槌も的確にして絶妙そのもので、とても優しくて、つい話しに夢中になってしまうのです。

あるとき、やはり例の「会議・研修費」持ちの呑み会でのこと、いつものように大橋さんと隣り合わせました(一説では、私らが皆から煙たがられているので、自然にこの組み合わせに落ち着いてしまうのだとか、たぶんそういうことなら、それで十分と最近はその「自然のなりゆき」に身をまかせています。


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# by sentence2307 | 2016-09-19 21:04 | 映画 | Trackback | Comments(0)

その夜は、こんな話から始まりました。

先年亡くなった小沢昭一が、終戦間際に海軍兵学校に入った話は有名ですよね、その理由ってのを知っていますか、と大橋さんが訊ねてきました。

僕の「知る」とか「知らない」とかの答えなんか待つこともなく、間髪をいれずに大橋さんは続けます、「実はね」と。

実はですね、海軍の鉄拳制裁って有名じゃないですか。
いまでもその伝統は、自衛隊に受け継がれているとかいわれてますよね。あれって新参者や弱者をいたぶり踏みつけにして鍛え上げるという日本独自の人間形成のためのいじめの伝統で(そういうのを「おためごかし」というのですが)、いまでも自衛隊では、そのシゴキに耐えられなくなって自殺者が出るとかいわれているくらいです。

そこで、小沢昭一は、「殴られるより、殴る方に回ろう」と思い、海軍兵学校に入ったというのです。

まともに徴兵検査で入営すれば、日々ぶん殴られたり、殴り合いをさせられて、あるいは柱にしがみついてミンミン鳴く蝉とか、両腕で体を支えて血の気がなくなるまで宙で脚を漕がされる自転車漕ぎとか、いじめの手段は幾らもあって、そうした地獄のような一日を終えた憔悴しきった新兵たちがやっと寝られるというとき、消灯を知らせるラッパの音が「新兵さんは可哀想だね、また寝て泣くのかよお」と聞こえたというのです。

「どうです、面白い話でしょう?」と大橋さんは得意気に言うのです、自分としては別に面白い話だとも思いませんが、「じゃあ、山本薩夫の『真空地帯』って、そういう映画だったわけですね」と振ってみました。

「そうですよ、あの作品で描かれていることが軍隊の実体だったんだ」と大橋さんは、感に堪えるように答えました。「そして、あの作品は、戦中に作られた雄々しい数々の国策映画に対するアンサー映画の意味もあったと思いますよ」

その言葉から、ふっと、遠い時間に埋もれたままになっていた「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」というかつての言葉を思い出したのでした。「本当に、そうだろうか」という疑問とともに。

実は、自分が「一番美しく」という作品を思うとき、必ずいつも一緒に想起する映画があります。

水木荘也の「わたし達はこんなに働いている」というドキュメンタリー映画です。当時「国民映画賞」というのがあって、それを受賞した作品だとかで、それなりに優れた作品だったのだと思います。

そして公開はなんと日本が敗戦する一ヶ月前の1945628日、海軍衣糧廠で働く女子挺身隊の必死の働きぶり・生活ぶりをリアルに描いたもので、いわゆる「国民総動員映画」なので、国民の戦意を鼓舞する作為が込められているのは、たぶん確かでしょうが、しかし、それを差し引いても、ここには当時の逼迫した「状況の真実」が迫真の緊張感で描き込まれています。

資料から、この映画の解説部分を引用してみますね。

《海軍衣糧廠に働く女子挺身隊員の活動記録で、七つボタンの予科練服をはじめ、一日平均78枚の軍服を縫いあげるため、少女たちは一分一秒も無駄にしないようにと、必死の活躍である。カメラはそれを表象するかのように、齣おとしで撮影しているから、映写される画面は、人物がゼンマイ仕掛けの人形のように、起居進退ともに走り廻っている。アナウンスもややかすれた健気な少女の声で、「わたしたちはこんなに働いているのに、なぜ、サイパンは陥ちたのか」と、眼に見えぬ怒りをぶちまけており、仕事の最中にミシンの針が折れた少女の一人は、ミシンの上に突っ伏して泣き出す。

この映画が作られ公開された頃は、サイパンが陥ち、硫黄島が占領され、連日のようにアメリカ空軍機が編隊で来襲し、日本各地の都市や軍事基地が次々と爆撃されていたのである。五体満足の壮年男子はほとんど軍務に徴発され、隣組の婦人たちは竹槍訓練や防空演習に連日奔走し、少年少女たちはそれぞれの適性に応じて、軍需工場の労力奉仕にありったけの精根を尽くした。その間にも、敵は沖縄を陥として、本土の海ぎわにまで接近している。絶体絶命である。居ても立っても居られず、すきっ腹を抱えて走り廻らずにおられぬ状態を、齣おとしのフィルムは、痛ましいまでに表現している。

はたちになってもお嫁に行くなんて間違いだと思え、と監督教官が訓戒する。お嫁に行きたくとも、おじいちゃんや子供ばかりで、相手が居ないではないか。娘たちは文字通り一汁一菜の食事に餓えをしのぎながら、あの山のような仕事に、夢中になって取り組むことによって、明日なき現実を忘れようとしていたのであった。》

この切実な戦意高揚映画になんらかの「作為」があったとすれば、それは「齣おとし」くらしか思いつきませんし、それは彼女たちの奮闘振りを際立たせようとしたためなのでしょうが、ミシンに屈み込み縫製に奮闘する彼女たちの懸命さや、作業中に突然ミシンの針が折れて、切迫した緊張が一瞬途切れた少女が思わずミシンに突っ伏して悔しがる切実さのまえでは、そんな技術的な小手先の「作為」などなんら必要なく、ただうるさいだけの「無力さ」を明かし立てることでしかありませんでした。

むしろ、監督教官が少女たちに「(この戦時下に)はたちになってもお嫁に行くなんて間違いだと思え」と厳めしく訓戒する場面で、それまで謹聴していた少女たちが、思わず緊張がほどけてワッと恥らって笑う場面の瑞々しさ(少女たちにとって「お嫁にいく」こと、愛されて結婚することを夢見ることが、「戦時下」をさえ無力にしてしまうファンタジーであること)によって、この映画がきわめて健康な「戦意高揚映画」である以上の意味で、瑞々しい大和撫子たちの「高揚映画」であることを明かし立てています。

「一番美しく」の公開は1944413日、この「わたし達はこんなに働いている」公開に先立つ一年前とはいえ、すでに北九州では空襲があり、そろそろ本土にも拡大する兆しがみえてきて、いよいよ「本土決戦」の噂も囁かれはじめた時期です(サイパン玉砕は報道管制によって、事実はしばらく抑えられました)。

「一番美しく」は、精密なレンズの検査作業を任された作業において、気の緩みから未修正のレンズを紛らせてしまった少女たちが、作業員としての矜持をもって全員一丸となり徹夜で探し出す作業をやり遂げる、いわばスポ根ものみたいなストーリーです。

この物語において、黒澤明は、少女たちに「人間の矜持」や生きる姿勢としての「完全」を求めたのだと思いますが、しかしこの作品に、あの「わたし達はこんなに働いている」において、「お嫁さん」の話にワッと沸く少女たちの瑞々しさと生々しさがあったかといえば、それは少なからず疑問というしかありません。

その意味において、「一番美しく」は、「わたし達はこんなに働いている」以上の「戦意高揚映画」とはなり得なかったというしかありません。

わたし達はこんなに働いている(1945朝日映画社)演出・水木荘也、撮影・小西昌三、構成・高木たか、

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一番美しく(1944東宝・砧)監督脚本・黒澤明、製作監督助手・宇佐美仁、企画・伊藤基彦、撮影・小原譲治、音楽・鈴木静一、編集・矢口良江、美術・安部輝明、録音・菅原亮八、調音・下永尚、照明・大沼正喜、鼓笛隊指導・井内久、スチール・秦大三、

出演・志村喬(石田五郎)、清川荘司(吉川荘一)、菅井一郎(真田健)、矢口陽子(渡辺ツル)、谷間小百合(谷村百合子)、入江たか子(水島徳子)、尾崎幸子(山崎幸子)、西垣シズ子(西岡房枝)、鈴木あさ子(鈴村あさ子)、登山晴子(小山正子)、増愛子(広田とき子)、人見和子(二見和子)、山口シズ子(山口久江)、河野糸子(岡部スエ)、羽島敏子(服部敏子)、萬代峰子(阪東峰子)、河野秋武(鼓笛隊の先生)、横山運平(寮の小使)、真木順(鈴村の父)、

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# by sentence2307 | 2016-09-19 21:00 | 映画 | Trackback | Comments(0)

時よ止まれ 君は美しい

最近は、不景気な閉館のニュースしか耳にしない名画座ですが、自分が学生の頃は、まだまだ二番館、三番館とよばれる映画館が、都内各地に目白押しに散在していました。

それはまさに、「嫌というほど」という形容詞をつけたくなるくらいのものだったと思います。

そこではたまに、古典と呼ばれる「名作映画」が上映されるので、それをとても楽しみにしていました。

その名作映画群が、幾館でもプログラムされたときは、まる一日掛けてあちこちの名画座を渡り歩いたものでした、いわば、名画座のハシゴですよね。

そこでは、ジュリアン・デュヴィヴィエの「望郷」1936だとか、「舞踏会の手帖」1937なども掛かっていて、もちろん、ヌーヴェルバーグの映像作家や批評家たちからは、デュヴィヴィエの作品が手酷い批判を浴びていたことは知っていましたが、しかし、自分は、むしろ彼のミエミエの通俗さをこそこよなく愛していたので、当時の進歩的な「映研」のトレンドには同調できず、授業を抜け出してはひとり、デュヴィヴィエ作品を見に行ったものでした。

その若きヌーヴェルバーグの作家たちのデュヴィヴィエ対する嫌悪感を知ったとき、日本人とフランス人とでは、「通俗」というものに対する考え方がずいぶんと違うのだなということを強烈に感じました。

ちょっと古いフランスの小説なんかを読んでいると、「プチブル」という中途半端な階級の日和見性を徹底的に嫌悪する、滑稽なくらい潔癖な共産党びいきの親爺というのが、たまに登場したりするじゃないですか。

そういえば、フランス映画の喜劇のつまらないことといったらありません、ルイドフュネスの生真面目すぎて崩れきれないところが、自分にはどうしても笑えませんでしたし、あの感覚は日本人には絶対理解できないと思う。

あれと同じだなという感じで、しかし、いい年こいたその幼児性には、苦笑でちょっと頬が緩んでしまう反面、嫉妬めいたものもないではありません。

自分の友人にも、「オレは純文学しか読まない、探偵小説やミステリー小説などという、あんなくだらないものは絶対嫌だ」というのがいますが、(探偵小説やミステリー小説にしたっていい作品なら山ほどあるのにモッタイナイ)そんなに頑なにならなくてもいいのではないか、ひとつのジャンルを偏見で、そんなふうにマルゴト拒否すると、結局損をするのは自分なのにな、という憐れみの感情がある一方で、そのような乱暴な思い込みだけで世界を理解しようとする強引な決然さには、憧れみたいなものも正直のところ、あるにはあります。

さて、「望郷」や「舞踏会の手帖」ですが、もちろん、それらの作品は当時としても、こてこての古典映画とみられていたし、自分としてもヌーヴェルバーグや、アメリカン・ニューシネマの諸作品とは明らかに異なるもの、いわば古色蒼然たる作品として位置づけて見ていたわけですが、そのことについて、最近、よく考えることがあります。

例えば、それらの作品を見ていた当時の「その頃」を仮に「1970年」と設定した場合、かの「望郷」や「舞踏会の手帖」なんか、せいぜい三十数年前の映画にすぎなかったわけですよね。

なにが言いたいかというと、いま現在の「2016年」という年を基準として考えた場合、その「三十数年前」は、「1970年」どころじゃない、もっと現在に近づいたところに位置するわけで、自分が「望郷」や「舞踏会の手帖」を見ていた状況と、いまの人が「イージー・ライダー」や「真夜中のカーボーイ」や「明日に向かって撃て!」を見ることと「同じ」なのかと考えたとき、デュヴィヴィエ作品も含めたあれらの作品は、(見る人が見れば)実は決して「古色蒼然」なんかじゃなかったのだということに気がついたのです。

つまり、「古典映画」なんてものは、最初からなかったのだと。そうした括り方をすること自体、単なる思い込みや偏見にすぎなくて、「見る」ときこそが、常に「いま」だったのであって、なぜ「あの時」もっとヌーヴェルバーグやアメリカン・ニューシネマをトレンドにのってつきつめて、もっと徹底的に見ておかなかったのかと悔いる気持ちが湧いてきました。

結局、それもこれも自分の「へそ曲がり」がもたらした天邪鬼からきたものなのだろうなということで一応の結論に達した次第です。

とはいっても、いったい何が言いたかったのか、自分でももうひとつ分からないような・・・。
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# by sentence2307 | 2016-09-17 19:51 | 映画 | Trackback | Comments(0)

十日間の人生

サラリーマンの「悲しいサガ」とでもいうのでしょうか、だらだらと惰眠をむさぼりたいような土曜・日曜の朝でも、平日と同じ起床時間にはきっちり眼が覚めてしまいます。

舌打ちのひとつでもして寝なおそうかと思うのですが、既に「出勤モード」になってしまっているカラダもアタマもますます冴えていく一方で、朝の光の眩しさもあり、こうなってしまっては、改めて寝付くことなど、到底できません。

しかたなく、いつもベッドの傍らに置いてあるタブレットを引き寄せて、最近ちょっと習慣になっているyou tubeにアップされている映画を、ゴロゴロしながら見ようかと検索をはじめました。

土曜日の朝の起き抜けにベッドでゴロつきながら、特にすることもないので、「名作映画でも見ようか」などという発想自体、ひとむかし前には、とても考えられなかったことですよね。

かつては、数年に一度しか見るチャンスが訪れないような「名作映画」を見逃すまいと、プログラムに合わせてわざわざ有給休暇をとり、京橋の「フィルムセンター」や「並木座」、池袋の「文芸地下」にまで駆けつけて、長年の思い(自分的には、まさに「百年の恋」状態です)をやっと果たせたなどということを繰り返していたあの頃とは、実に隔世の感があります。

ですので、作品そのものの客観的な評価よりも、抱き続けたその作品への個人的な思いの方がよほど強くて、「邂逅できた」という達成感がなによりも優先し、明滅するスクリーンを見つめる歓びに浸れるだけで十分、その作品が面白いかどうかなど実は二の次で、世間の「評価」など自分にはどうでも良かったのだと思います。

考えてみれば、子供の頃、夜の学校の校庭で行われた「映画上映会」で、風にハタメク布のスクリーンを驚きの目で見つめていたあの無垢な「視線」が持続していたのは、有給休暇をとって見にいった「フィルムセンター」までが最後だったかもしれません。

驚くべきデジタル化の進歩によって、レアな名作映画がいつでも手にはいり、幾らでも見られる環境になった現在、自分はいまでも、一本一本の「映画」を、あの頃と同じように緊張感をもって大切に、そして慈しんで見ているだろうかという忸怩たる思いと、さらなる迷いとに捉われ続けています。

しかし、「失ってしまったもの」があるということは、逆に、「得るもの」だってきっとあるに違いないと信じて、これからも自分なりに映画に対峙していこうと思っています、いや、いくしかありません。

さて、タブレットを手にしながら、そういえば、少し前に内田吐夢の「限りなき前進」(小津安二郎の原案と聞いています)を見かけたのを思い出し、いろいろキイワードを駆使してあれこれと探してみたのですが、どうしても見つけ出せません。

しかし、インターネット検索の面白いところは、あちこちと探していくうちに、当初の目的からどんどん外れていきながらも、むしろそこで思わぬ拾い物をすることもあるので、「当初の目的」などにいつまでも拘っているつもりはなく、そのときも偶然に渋谷実監督の「十日間の人生」に行きあたりました。

この作品に対する予備知識など、まったくありませんでしたが、見ているうちにその風格みたいなものは、すぐに感じ取れました。

そして、見終わったあと、実に優れた作品にめぐり会えたものだという喜びも噛みしめることができました。
しかし、「予備知識が、まったくなかった」という意味は、「調べなかった」ということではなくて、「調べたけれども資料がまったく存在しなかった」ということなので、それは、さらにインターネット上での「情報の貧弱さ」にもそのまま通じていることが分かりました。

それはまた、監督・渋谷実の現代の評価(御三家、五大名にさえ入っていないという意味での無名性です)にも、たぶんそのまま反映されていて、かつて「エスプリの効いたシニカルな笑い」によって高く評価され、また、当時の観客動員数においても小津安二郎や木下惠介に対していささかの引けもとらなかった監督・渋谷実が、いつしかこの松竹二大巨匠に大きく水をあけられ、凡庸な小市民映画の監督に成り下がってしまった理由が、自分には、この1941年作品「十日間の人生」のなかに潜んでいるような気がして仕方ありませんでした。

あっ、それからもうひとつ、この映画で、親に捨てられた孤独な娘役を演じている主演の田中絹代の「発声」についてです。田中絹代って、こんな声だっけ?と思わず隣の人に聞いてしまいたくなるような意外なほどの野太い声に、なんだか彼女の演技の工夫みたいなものが感じられ、そういえば、なにしろ、この前年には「浪花女」による溝口健二監督との出会いがあったわけだし、などとその辺をあれこれ妄想する楽しみは、大いに尽きることがありません。

さて、この作品を、どこから語り出せばいいのか、しばし考えました。

ただ、そもそもこの作品の「あらすじ」というものが、驚くべきことにインターネットには(もちろん、「書籍」的には、なおさらですが)存在しないのです。

作品の理解には「あらすじ」というものは、実に大切なものなのです、特に自分にとってはね。

ですので、この作品「十日間の人生」の「あらすじ」(ネットに存在しないので)をざっと書いてみますね。

船員が三人しか乗ってない小型漁船が、遠洋漁業から帰ってきて、いままさに古巣の港に入港しようとしています。

船の船長(井上正夫が演じています)は、この航海を最後に船乗りを辞めようと決めており、陸にあがって、いよいよ最愛の息子と暮らせるというので、嬉しくて仕方がない様子が描かれています。

一方、工場で働いている羽振りのいい息子・篤一(高田浩吉が演じています)の方は、親爺ほどには同居を喜んでいるようには見えません、「別にどっちでもいいや」というドライな感じで描かれています。

また、宿屋の女中として働いているヤス(田中絹代が演じています)の元に、やつれた父親(水島亮太郎が演じています)が訪ねてきます。実は、ヤスは明日、極北の地・エトロフ行きが決まっていて、彼の地で働く契約の金は、鉱山の投資で失敗した父親の借金の返済に既に充てられたことが、ふたりの会話で仄めかされます。

不甲斐ない父親は、「お陰ですべて無事にすんだよ」と娘に弱々しく礼を言い、娘はほっと安心しながら、父親の「他人行儀」をなじりますが、実は、その父親は、孤児だったヤスを拾って育ててくれた赤の他人=恩人であることが後で明かされます。

やがて、父親が去り、残していった置手紙には、「さらに事業に失敗したこと、最早自殺するしかないこと」が書かれており、ヤスは父親のあとを追って必死で港を探し回ります。

一方、たまたま、父親の自殺の現場に行き合わせた船員と篤一は入水の音を聞きつけ、船員だけが海に飛び込んで父親を引き上げますが、いっとき遅く父親は絶命します。

船員は、一緒に篤一が飛び込んでいたら父親は助かったかもしれない、新調した服が濡れるのが嫌だったのかい、とからかいますが、彼が意気地なしであることは、誰よりも篤一自身が痛いほど分かっていたことでした。

父親の葬儀を済ませた後、船長は、身寄りのないヤス(葬儀のため、エトロフ行きは一週間延期されました)を一時引き取って同居しますが、ヤスに対して疚しい気持ちをもつ篤一は、世話をやこうとする彼女の親身を悉く拒絶します。

船長は、息子と住む空家を探しているとき、同行した船員から、父親が自殺したときに篤一がとった行動(なにも出来なかったこと)を知らされ、不甲斐ない息子に「そんなやつは、自分の息子ではない」と激怒し、激しい言葉でなじります。

深く悔いた息子は、ヤスに代わりエトロフ行きを決め、「親爺の世話をたのむ」とヤスに話します。息子と同居することをあれ程楽しみにしていた船長の気持ちを知っているヤスは、激しく断りますが、「自分の気持ちが済まないのだ、北の地で自分を鍛えなおしてきたい」と、ヤスを無理やり納得させます。

船主の平田(河村黎吉が演じています)から、ヤスに代わって篤一がエトロフ行きを契約したことを聞き知った船長は、急いで港に駆けつけ、「そう決心しただけで十分だ。お前はもう腑抜けなんかじゃない」と息子を押し留め、海に慣れた自分こそが、エトロフ行きには相応しいのだと言い残して、若いふたりの見送りを受けながら北の海へと旅立っていきました。

どうです、まるで、リリアン・ギッシュでも出てきそうな、素晴らしいシチュエーションじゃありませんか。
「あらすじ」だけで、こうも感動させてしまえるのですからね。

ここではただ、万感の思いを抱いて船出する船長に、「ありがとね」と手を振る息子と若き娘(娘は、若いに決まってますが)の幸福感を胸いっぱい味わえばいいのであって、それ以外のなにか余韻のようなものを求めたりしてはなりません。

ここには、「東京暮色」のラストシーン、北海道に旅立つ山田五十鈴と中村伸郎の敗残のやる瀬なさも、「二十四の瞳」の貧しさから学校を退学し奉公を余儀なくされた教え子との別れの痛恨もあるわけではなく、そもそも「そういう映画」ではないわけですから。

そうそう、うっかり書き忘れるところでした。

このストーリー、以前どこかで聞いたことがあるなと、なんとなく考えていたのですが、やっと思い出しました。
「最後の一葉」で有名なオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」です。

貧しい夫妻が、互いにクリスマスプレゼントをしようと思いますがお金がない。

妻は、自慢の長い髪をバッサリ切って売り、そのお金で夫が愛用している金時計の鎖を買い、夫は、妻が欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れて金を作ります。

クリスマスの夜、ふたりは、失なわれた物のためのプレゼントを前にして、やるせないため息をつきますが、オー・ヘンリーは、物語の末尾で

「東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした、すばらしく賢い人たちだったんです、飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。」

と結んでいます。

「賢い」と「賢者」という言葉を連発しているところを見ると、オー・ヘンリーは、このふたりの行為を非難はしていないみたいですが、実際のところは、よく理解できません。

多分、行き違いよりも、「物」を失ったこと(わが身の犠牲)を評価して、そう言っているのではないかという気がするのですが、さらに貧乏になったとはいえ、「誠意」は、充分にお互いに伝わったわけなので、このことによって夫婦仲が悪くなるということは考えにくいと思います。

愛するためには、それなりの犠牲を必要とするのだということなら、なんだか「十日間の人生」にも通じる部分があるかもしれません。

(1941松竹・大船撮影所)製作担当・磯野利七郎、監督:渋谷実、原作:八木隆一郎「海の星」、脚本:斎藤良輔、撮影:長岡博之、音楽・前田王幾、美術:浜田辰雄、編集:浜村義康、現像・宮城島文一
出演:井上正夫(船長)、田中絹代(ヤス)、高田浩吉(篤一)、水戸光子(あや)、山田巳之助(辰吉)、河村黎吉(平田)、斎藤達雄(浅間)、水島亮太郎(ヤスの父)、笠智衆(巡査)、飯田蝶子(下宿の内儀)、岡村文子(港屋の女将)、草香田鶴子(港屋の女中とめ)、高松栄子(雑炊婦)、出雲八重子(雑炊婦)、青山万里子(雑炊婦)、水上清子(雑炊婦)、若水絹子(盛り場の女)、忍節子(盛り場の女)、東山光子(盛り場の女)、磯野秋雄(射的屋の客)、青野清(床屋のおやぢ)、油井宗信(船員)、松本行司(船員)

製作=松竹(大船撮影所) 1941.04.01 国際劇場 8巻 白黒
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# by sentence2307 | 2016-09-10 17:28 | 映画 | Trackback | Comments(0)

風船爆弾の戦果 ①

読み終えたのに、なかなか処分できない本というのが数冊、本棚のいちばん下にまとめて置いてあります。
取って置いたからといって、別にどうするわけでもないのですが、捨てる決心がなかなかつきません。

部屋の狭さに対して、所有する本の冊数が限度を越え過剰になっているヤバイ状態を考えれば、このまま放置できない深刻な問題であることくらい自分でも十分に承知しているつもりですが、いまとなっては正直、どうすればいいのか、身動きのとれない状況に追い詰められている感じです。

それに、まるまる一部屋を自分の「ツンドク本」によって占領されて、活用したい部屋のスペースを失ってしまった配偶者にしても、本の山を見るたびに深い溜息をついて、「この本、さっさと捨ててよね」と苛立たしげに詰りますし、機嫌の悪いときなどは、「あんたって、ほんとビョーキよね」などと、まるで異常者扱いですが、不甲斐ない自分にも相応の疚しさがあり、最近はできるだけ妻と視線を合わせないようにしているくらいです。

ゴミの日、たまたま自分が留守のときなどは、妻が、そこらにある文庫本を少しずつ処分しているらしいことも薄々承知しているのですが、当初、そのことを知ったときには、「怒り」と「黙認」のあいだで動揺したものですが、しかし、よくよく考えてみれば、所詮は複製物に過ぎない本のこと、どれほど捨てたって改めて入手する手段は幾らでもあり補充もきくわけで、要は「なに」を失ったのかさえ分かっていればそれで十分、さしたる問題でないことと納得したときから、鬼のような形相で逆上して言い募る妻に対しても、優しく微笑みかけて、冷静さを取り戻すように諭す冷静さで対することができるようになりました。

これなどはまあ、一種の達観の境地を得たとでも言っていいことかもしれません。

「物が命」の初版本蒐集のマニアの方には、こうはいかないと思いますが、なにせこちらは、情報重視の「廉価本蒐集者」にすぎません、「物質」にこだわらない分だけ、強みといえば強みなので、今後も、さらに買いまくる雑草のような逞しさで古本の蒐集に努めていきたいと考えています。

いわば「まだ読んでない本は、捨てるわけにはいかない」という一点が、自分にとっての課題です。

そんなある日、この「捨てられない」ことについて、自分なりにじっくり考えてみたことがありました。

「捨てられない」とは、いったいどういうことなのだろうか、逆に、読み終えたとき、その本のなかに心に響くものがなければ、右から左にさっさと処分できている現状を考えれば、少なくとも自分は、なにもかもが捨てられないという「性癖」の持ち主ではなく、「捨てる」こと自体には別段こだわりを持っているわけではありません。

だとすれば、読了後の本が特に捨てられないという理由、つまれり、その本の感動した部分をなんらかの形で残しさえすれば、あとは捨ててもいいというわけで、多分そこのところが満たされていないから、躊躇したり、抵抗を感じたりしているのだと思います。

つまり、「まだ読んでない本は捨てられない」という部分と、読了した本の、その「感動」した部分を残すということができれば、難なく捨てられるのだということに気がついたのでした。

そういうことなら、「映画」に対する自分の思いとか、していることとかに重なる部分が、かなりあります。

そもそもこのブログを始めた切っ掛けは、映画を録画した本数が過剰になって、見るのが追いつかない、ストックばかりが増えて消化できないことに苛立ったことから始めたものでした。

そして、見終わった作品のその感想をなんらかの形で書き留めたいと思っても、相応しい場所がないという状況に膠着感を抱いたことから発した結果だったと思います。

一方では、自分が見て感動した映画作品の納得できる情報が(たぶんマイナーな作品が多かったからだと思いますが)ネットでは、まだまだ少ないことに物足りなさを感じていて、自分の感動したことや失望したことなどの記憶を、形のあるものに留めておきたい、その記憶保存ができれば(文章にするということですが)自分のなかのモヤモヤを発散できるような「発信」をすることができないかと立ち上げたのがこのブログであることを思えば、「読書」(あえて言えばツンドク本の解消)についてだって、これと同じことで解決の道筋がつくのではないかと考えた次第です。

そこで適当な本を書棚の最下段から取り出して、この方法(いわば、「捨てる」ことを自分に納得させるために必要な禊的な儀式ということですが)を試みることにしました。

適当に選択した本は、川島高峰著「銃後-流言・投書の太平洋戦争」(読売新聞社、1997.8.15)という本です。

太平洋戦争開戦から終戦の玉音放送に至るまでの期間、日本国内で広まった「流言」や、匿名の「投書」に書かれた内容を時局ごとに紹介して、その間の民情の動向を分析しようという大変興味深い内容の本です。

タイトルだけ見ても、なかなか面白そうな本じゃないですか。

緒戦の真珠湾奇襲攻撃の大成功に世論は沸きかえり、その時流に遅れまいと新聞等のメディアはコゾッテ世情を煽りたて(進軍を躊躇する軍部に対して、逆に恫喝的な記事を書いて戦線拡大、つまり更なる「侵攻」を促すようなものさえあったそうです。

しかし長期戦になるにつれて、陸海軍の覇権争いに加えて、未熟な統制の結果、戦局を悪化させて数々の大敗を重ね、次第に戦局の危機的な状況が明らかになるにつれて、大衆は苛立ち、民情が著しく悪化していきます。

そうした推移をこの本は「流言」や匿名の「投書」のなかに求めようとしているわけですが、しかし、なんといってもそこは所詮ネガティブな「流言」や匿名の「投書」のたぐいです、ほんの少しは逆説的に世情を反映しているとはいえ、「匿名」という隠れ蓑に隠れて、「本音」を憎悪で過大にみせたり、世の中をハスに見た極論のその場かぎりの無責任な言いっぱなしだったりと、ハナシ半分に聞いたとしても、さらに歯止めの効かない誇張された嘘臭さがつきまとっているわけで、自分もその辺は、ほとほと辟易しました。

そういえば、以前にもこれと同じ感じを覚えたことがあります。

2チャンネルの書きっぱなしの投稿をそのまま本にしたもの(「私が逝った理由」みたいなお色気ものでしたが)を読んで、その言いたい放題の進展のないイカガワシサには、心からうんざりさせられたことがあって、ちょうどあの感覚と少し似ていたかもしれません。

しかし、それでも「銃後-流言・投書の太平洋戦争」を最後まで読み通させた「チカラ」が、この本には確かにありました、それがとても印象深かったことを覚えています。

ここに掲載された数々の具体的な「流言」や匿名の「投書」の記事が、どれも「特高月報」(内務省警保局編纂)という本に掲載された記事からの引用なのだそうです。

「特高」といえば、作家・小林多喜二を拷問して虐殺した例のあの悪名高き特別秘密警察のことですよね。

そして、ここに取り上げられている「流言」は、「特高」の刑事が、職人や行商人などに変装して街の雑踏にまぎれ、ひそかに市民の会話を立ち聞きして(つまり「盗聴」です)、そこで不敬的言辞や反軍的言辞を耳にすると、ただちに逮捕したとされています。

そして、その取調べについては、とくに戦争遂行に支障をきたす反戦的な思想犯に対して苛烈な拷問におよんだのだろうと思います。

つまり、戦争遂行に不満を持つ者や異議を持つ者の反戦・反軍的な日常会話に聞き耳をたてて片っ端から根こそぎ逮捕したのだそうです。

こうして常に官憲から監視されているという恐怖心が、さらなる恐怖心を増幅させ、やがて「隣組体制」や「国防婦人会」などを基にして市民が市民を監視するという「密告」や「告げ口」のはびこる社会、相互監視体制社会ができあがり、ついに物言えぬ恐怖社会が形作られていったのだと思います。

そういえば、戦中の写真に町内会で行われた「竹やり訓練」を写したものがありますが、あれも、そうした相互の監視体制のギスギスした雰囲気のなかで強制的に行われたものだったのでしょう。

しかし、あの「竹やり訓練」を「させた側」も「させられた側」も、どこまでそれが実効性のあるものと信じたのか、そもそも、進攻してきた米兵をその「竹やり」で実際に刺し殺した事例が1件でもあったのだろうか、自分は常に疑問に思っていました。
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# by sentence2307 | 2016-09-04 12:57 | 映画 | Trackback | Comments(0)

風船爆弾の戦果 ②

いい機会ですので、さっそく「竹やり 戦果」のキイワードでネット検索をしてみました。
なるほどなるほど、予想していたとおり「正解」までは見つけることができませんでしたが、しかし、「まったく収穫なし」というわけではありません。

こんな片言のコメントを発見しました。

「竹やり・・・脱出したB29の乗員を刺し殺したり、パラシュート降下した味方日本人を敵と間違えて殺害した」
信憑性はともかく、そういうことなら、成行き上、「竹やりで刺殺」ということも十分に有り得たことかもしれませんね。

そこは、大島渚の「飼育」に描かれた世界を考えれば理解が早いのかもしれません。

しかし、実際に捕虜にしたまではいいとしても、扱いに持て余して、結局捕虜の命を絶ってしまえという考えに達したとき、その方法として、鍬・鋤での「撲殺」や、食事を与えずに放置して「餓死」させるとか、果ては「生き埋め」にするなど、差し迫った事態で選択される処刑(じつは「私刑」ですが)の方法なら、それこそ幾らでも考えられるのに(やがて終戦になって捕虜殺害の罪に問われ、戦犯として処刑されました)、それがなんでことさらに「竹やり」でなければならなかったのか、そこにこだわるところが、どうしても自分には理解できなかったのです。

あえて「竹やり」で刺し殺すことにこだわる必要などどこにもなく、あの「竹やり訓練」そのものがとても滑稽で幼稚っぽく、それでも、戦闘行為としても実効性のあるのだというポーズばかりのイカサマ性を、あえて信じる振りをしなければならなかった思考の脆弱さに、たまらない嫌悪感を覚えました。

写真に映っている「竹やり訓練」にいそしむ国防婦人会の婦人たちのその真剣な表情が、真剣であればあるほどますます嘘っぽく、いまにも皆うちそろって腹を抱えて笑い出すのではないかと思えるくらいの不自然な緊張感に満ちています。

本当は、砲弾や弾丸が飛び交う激烈な戦闘時に、「竹やり」なんかで悠長に敵兵を刺し殺したりできないことなど誰もが分かっていたに違いなく、しかし、それを嘘っぱちだとは言い出せない異常な空気のなかで、戦闘とはなんの関係もない「訓練」というまやかしの国民の義務が試される踏み絵のような単なる儀式にすぎず、従順を装って参加しなければ排斥される強迫観念によってすべてが支えられていたのだと思います。

それはちょうど、市民の本音である「不平」や「不満」を、強権が威嚇しながら「恐怖」によっていかに押し黙らせ、ひとときの沈黙を強いようとも、市民はうんざりしながら、「タテマエ」にひれ伏すように見せかけて、影ではその滑稽さの本質を見抜いて、陰口=流言蜚語(苦笑と嘲笑によって)という本音の反感と抵抗を密かに発信しながら、その面従腹背によって、無様な国家権力などとうに見限っていたのだと思います。

そういえば、「竹やり」がそれほど滑稽なものなら、もうひとつの作戦・「風船爆弾」だって、そうとう珍妙な作戦だなと、同じように自分などはずっと考えてきたのですが(この小論の最後で、その「珍妙な」を「卑劣」という言葉に訂正するのですが)、「捨て切れない本」のなかのもう1冊に、その思い込みを根底から覆すような衝撃的な内容の記述がありました。

それは、エヴリン・イリタニー著「ポート・アンジェルス 日本人とわが町」(TBSブルタニカ、1995.10.9)という本で、アメリカ・ワシントン州シアトルの北西に位置するポート・アンジェルスという港町と、江戸時代から戦前・戦中・戦後にわたる四世代の「日本人」との関わりを描いた本で、その内の戦中の章に「風船爆弾 ジェット気流がもたらした悲劇」という章がありました。

風船爆弾とは、気球に爆弾を括りつけて、気流にのせてアメリカ本土まで飛ばして爆発させ、アメリカ国民にダメージを与えようという気宇壮大、実にのんびりとした気の長い作戦で、当時のアメリカのメディアも、その悠長な滑稽さと間抜けさ加減を相当な揶揄と嘲笑で報じた記事を自分も読んだ記憶があるくらいで、その辺は「『竹やり』がそれほど滑稽なものというなら、もうひとつのこの『風船爆弾』だって、相当無害・無力な滅茶苦茶滑稽な作戦の象徴みたいなものだ」とずっと思ってきました。

しかし、この本を読んでからというもの、「無害」という部分は、ぜひとも訂正しなければならないだろうなと強く思うようになったのです。

それは1945年5月5日のこと、ピクニックをしていた若い婦人と5人の子供たちが、山中で原因不明の爆発によって全員が死亡するという事故が起こります。

やがて、その「原因不明の爆発」が日本から飛来した風船爆弾によるものと判明します。

ひとりの幼い男の子が、草むらの中にパラシュートがあるのを見つけ、好奇心にかられて触ったところ、爆発したことが分かりました。

太平洋戦争では日米ともに実に多くの人間が亡くなっています。それに比べたら、この子供たちの死など、とるにたりない実にササヤカなものだったかもしれません。

この本のなかに、遠慮がちに触れられているように、戦争の終結がもう少し早ければ、あるいは子供たちは、死なずに済んだかもしれないなどと、「遅かった原子爆弾」を恨めしげに惜しむ随分身勝手な部分もあります。

広島・長崎に投下された原爆によって死亡した多くの人々、あるいは幾多の戦場で命を落とした人々と、一人の若い米国婦人および5人の子供たちの命とを天秤に掛けて惜しもうという著者の倒錯した神経には、少なからず共感できない部分もありますが、それでも、若い米国婦人と5人の幼い子供たちが、ピクニックの途中で、邪気のない満面の笑みと命が突然の爆発によって断ち切られる不慮の事故に遭遇する残酷な場面には、正直胸をつかれる悲痛なものがありました。

これが、悠長で滑稽な「間抜けな作戦」の象徴ともいわれた「風船爆弾」が、太平洋戦争史上に唯一残した「戦果」の実体です。

本来なら、「戦果なし」として(それこそ、この滑稽な作戦の本来あるべき姿だったと思います)と脱力感だけを残して終わることで穏便に収束できていたものが、痛ましい戦果をもたらしてしまったことに、遣り切れないものを感じました。

殺意を漲らせた「敵」として襲い掛かってきたわけではない、戦争とはなんの関係もないイタイケな幼な児の命を奪うという、いっちょ前にもっともらしい戦果をあげてしまったことに対して、たまらない苛立ちと憤りを感じてしまったのだと思います。

間の抜けた発想の作戦なら、それなりの「人畜無害」の平和な横顔のままで完結していれば、ただの失笑で済まされたものを、子供たちを殺したこの瞬間から、この珍妙な作戦は、滑稽でも、間抜けな作戦でもない、陰険で邪悪な企みに豹変します。

誰であっても構わない、その不慮の死を企み、期待し、きたるべき「成果」を空想してほくそ笑みながら、せっせと爆弾作りに励んでいた少女たちの、陰険で邪悪な作業の意味をそのとき、はじめて悟らされたのだと思います。爆弾の組立作業にいそしむ取り繕ったその真剣さが、自分には、ただ鬱陶しく、たまらなく腹立たしかったのだと思います。

国家の対面と体裁だけを取り繕ったこんなにも愚劣な作戦、失笑と黙殺によって終わっていてもいいはずだった嘘とハッタリ、冗談とも付かないコケ脅かしのこの愚劣な作戦が、指し伸ばされた幼児のひと触れによって痛ましい惨状に一変し、実際には有り得ない痛ましい戦果をもたらしてしまったことに対して遣り場のない憤りに襲われました。

幼い男の子が、草むらの中に奇妙な風船を見つけて、物珍しさのあまり思わず手を伸ばして爆死したその悲痛な瞬間を、自分は「西部戦線異状なし」のあのラストシーン(熾烈な戦闘によって憔悴しきった青年が美しい花に心を動かされ思わず手をのばし掛けた瞬間に狙撃されて死ぬという悲痛な場面です)とダブらせていたかもしれません。

この章には、かつて「風船爆弾」を作っていたという当時の日本の少女たち(当然、いまは立派な老婦人です)の「のどかな思い出」の同窓会に一石を投じるように、あの事件を知る日系人が、米国婦人と5人の幼い子供たち人の平穏な日常を無残に奪った事実を知らせることで、死の重みを問う重厚な展開が描かれていきます。

さて、これでやっと胸の痞えがとれました。

こうなれば、いよいよ念願の「猶予していた本の処分」というやつを断行することができます。

まあ、これでやっと「2冊」という話ですけれどね、こんなことで、この本の山を消失させることができるのだろうかと、少し不安になったり、気が遠くなったりしますが、しかしまあ、ホント、やれやれです。

ただ、このスピード感を果たして妻が理解できるかどうか、むしろ「そっち」の方が気掛かりです。

それは彼女が、あの本の山から2冊分だけ減ったことの「事実」と「誠実さ」とに気づくかどうかに掛かっているわけですが、しかし、いままでの経験に照らせば、その辺は常に絶望しかなかった、と言わざるを得ません。
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# by sentence2307 | 2016-09-04 12:53 | 映画 | Trackback | Comments(0)

折鶴お千

映画を漫然と見ているうちに、それがいつしか惰性におちいり、次第に緊張感を欠いてしまい、ただ「流されて」しまうだけの状態になることを常に恐れています、それだけは避けなければと、注意しているつもりです。

不幸にして、たまたま、そういう「期間」に見てしまった映画が、たとえそれが、いわゆる「名作」と呼ばれる作品だとしても、ほかの多くの駄作に巻き込まれるかたちで、十把ひとからげ的に無感動に(正確にいえば、むしろ「無感覚」という感じかもしれません)スルーし、忘却という「ゴミ箱」に直行して、まったく印象に残っていないという苦い経験をかつて幾度も経験しました。

でも、また新たに意識を整えて再度見ればいいじゃん、とか言われてしまいそうですが、最初の出会いをこんな怠惰なかたちで損なってしまうと、あとはどうやっても「建て直し」ができない感じが以後ずっと付きまとってしまいます(そこは、ホラ、男女の出会いと一緒かもしれません)。

つまり、自分的には、その作品の存在を「見失ってしまった」ことと同じで、あとは他人の価値観や認識を借りて映画をなぞるだけという、自分の価値観や認識でスキャンすることに失敗したわけで、やはり、初めての作品に対する接し方はとても大切だと思うので、努めてそこは慎重に準備しなければと考えていますし、たとえば、自分なりの「基準」なども設けて鑑賞しています。

具体的にいえば、その映像作家の最良の作品を常に念頭に置くという方法なのですが、たとえば、溝口健二作品でいうと、やはりそれは「残菊物語」ということになるでしょうか。

晩年に海外で大いに評価された「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」などは、たしかに優れた作品なのかもしれませんが、それは溝口健二の溢れ出る才気や優れた技術を誇示した作品というだけで、しかし、はたしてそれらが、溝口が本当に撮りたかった作品だったかといえば、それはまた別なハナシという感じがして仕方ありません。

やはり、「基準」という観点からすれば、献身と忍従によって自我を貫いた一途な明治の女を凄絶に描いた「残菊物語」が、やはり一頭地を抜いた作品ではないかと考えています。

この作品を筆頭に、ほか一連の「女性像」を描いた作品の系譜があるからこそ、「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」が成立したに違いないと思っています。

しかし、こんなふうにして見た「折鶴お千」ですが、実は、そんな「基準」を設定してしまったことに、すぐに後悔した作品でもありました。

この「折鶴お千」には、あの「残菊物語」の衝撃も感激も残念ながらありませんでした、ただ、納まりどころのつかない苛立ちだけが自分の中にワダカマッテしまった感じです。

その「苛立ち」のひとつは、お千(山田五十鈴が演じています)の苦労・苦衷を最後まで理解することのなかった宗吉(夏川大二郎が演じています)の鈍感さが気になりました。

そこに溝口健二らしからぬリアリズムの欠如を感じたからかもしれません。

お千は、最初から脅かされるままに嫌々悪党の手先にさせられて、ときには騙す相手への餌として、その美貌や肉体を提供させられ、ずるずると悪事の加担を強いられてきただけの哀れな女です。

彼女自身に、悪事に対する才覚もその覚悟もあったわけではなく、ただ地獄のような屈辱的な生活から逃れたいという一心があって、やがて、同じように悪党たちから虐待される薄幸の孤児・宗吉への同情が次第に共感となって膨張・共振し、爆発してこの苦界から逃れることができるのですが、やがて、ふたりが居を共にし、お千が宗吉の学業を援助するという後半へつながっていくことを思えば、お千の気持ちのなかに憐れな宗吉に対する「ほどこし」の気持ちだけで居を共にしたわけではないことは十分に認識できます。

宗吉を支えることが彼女の生きる励みともなったその思いが強すぎて、一方で、彼らの生活を支えなければならないお千に、最初から生活の経済的基盤を確保するだけの生活能力が欠如していたこと(そのために、ふたりの生活の破綻はすぐにやってきます)を、当のお千自身が、当初はそれほど深刻には考えていなかった(認識すること自体ができなかったとも考えられますが)ことは理解できるとしても、それは、あくまでも「お千」なら「そう」かもしれないというだけのことで、将来は医学博士にでもなろうかという優秀な青年・宗吉もまた、ごく近い将来に自分たちの生活が破綻をきたすという予想や認識をできなかったとは、どうしても考えられないのです。

ましてや、かつて悪党たちの屈辱的な支配に甘んじていた頃の弱々しい(誰かに寄生しなければ生きていけない生活無能力者といってもいい)お千をつねに身近に見てきて、彼女の卑弱さを十分に知っていた宗吉が、やがて彼らのうえに襲い掛かる生活苦を、そのようなお千が支えきることができるなどと考えたとは、どうしても思えないのです。

ここまで書いてきて、ひとつの仮説が浮かび上がってきました。

悪党たちが、お千の美貌と肉体を散々食い物にしたように、宗吉もまた、お千の好意に寄りかかって、この都合がいい生活をできるだけ長引かせてやろうとしたのではないか。

宗吉の計画は、お千の不注意によって(客が財布を忘れ、届け出る前に彼女は捕縛されてしまいます)この都合のいい生活の破綻は意外に早くやってきてしまいますが、宗吉には、お千以上に世慣れた才覚があり(もともと優秀なのですから、当然の成り行きです)、すぐに次のパトロンを探し当て、将来への途を開きます。

この最後の部分、腹のなかで「舌」を出してほくそえむ宗吉を辛らつに描いたとしても、溝口作品らしさという意味でいえば、それこそ可能性の範囲なのではないかと考えました。

男たちから散々に食い物にされた哀れな女たちを描きつづけ、多くの優れた作品を残した溝口健二への共感が、自分にここまで妄想させたのだなと思いましたが、はたして本当に「妄想」だったのか、この作品が「回想」によって大きく括られていることが、始終気になっていました。

あの「回想」が、どういう意味だったのかといえば、それは、宗吉が、その栄達の間中、「お千のことをまったく忘れていた時間」のことだと思い当たりました。

最後の場面、宗吉が、たとえ取ってつけたように泣き崩れたとしても、「忘却」というその残酷な事実は、消しようがありません。

そのとき、不意に、むかし、加川良が歌っていた歌を思い出しました。

題名はたしか「忘れられた女」だったかとうろ覚えながらネットで検索したら、これは、マリー・ローランサンが作った「鎮静剤」という詩なのだそうですね。

you tubeで確認したところ、高田渡の歌っているものもありましたが、やはり加川良の歌のほうが、メロディの感じなんかがよくつかめるような気がしました。

自分も加川良の歌を聞いて覚えていました。

まさに映画「折鶴お千」のための詩なのではないかと思えるくらい、ぴったりした詩だと思いました。


「鎮静剤」
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは 寄る辺ない女です。
寄る辺ない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


(1935製作=第一映画社 配給=松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、 高木孝一、 伊地知正、 坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・泉鏡花 『売食鴨南蛮』、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、岡田積、選曲・松井翠聲、装置・西七郎、美術・小栗美二、録音・佐谷戸常雄、録音補・室戸順一、三倉英一、照明・中西増一、普通写真・香山武雄、衣裳・小笹庄治郎、技髪・高木石太郎、結髪・石井重子、衣裳調達・松坂屋、解説・松井翠声、
出演・山田五十鈴(お千)、夏川大二郎(秦宗吉)、羅門光三郎・芳沢一郎(浮木)、芝田新(熊沢)、鳥井正(甘谷)、藤井源市(松田)、北村純一(盃の平四郎)、滝沢静子(お袖)、中野英治(宗吉の恩師・教授)、伊藤すゑ(宗吉の祖母)、
1935.01.20 帝国館 10巻 2,634m 96分 モノクロ/スタンダード シネマ・スコープ(1:2.35) 解説版
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# by sentence2307 | 2016-08-22 13:13 | 映画 | Trackback(1) | Comments(0)

マリアのお雪

you tubeで手軽に見られるところから、ここ最近、古典的な日本の名作映画を立て続けに見てきたのですが、一本だけどうしても見ることを躊躇した作品がありました。

溝口健二の1935年作品「マリアのお雪」です。

最初は、溝口健二らしからぬこの「マリアのお雪」という題名が、どうにもなじめず、「隠れキリシタン」でも扱った映画なのかとイラヌ憶測をしたり、やたら重そうなその雰囲気に、見る前から既に圧倒されたことも敬遠した理由のひとつだったかもしれません。

そして、さらに、この作品に関する批評や解説のあまりの少なさもあったと思います。

どちらにしろ、かの溝口健二が撮った作品ですから、見る者を厳しく選別するような暗鬱な作品であることには違いありません。

そんなおり、ある本を読んでいて、長い間、自分が影響(はっきりいって、「呪縛」です)を受けてきた文章に、ついに邂逅したのです。

その本は、三一書房が1970年頃に出版した「現代のシネマ」というシリーズの中の一冊、ミシェル・メニル著「溝口健二」の末尾に付された解説(佐藤忠男筆)の中にありました。

「1970年頃」といえば、自分的には、「すべて」のことが起こり、そして終わってしまった季節と重なります(「ように思える」と書き直すべきか、迷います)。

そのあとの時間を「余生だ」といった友人もいたくらいで、思えば、ずいぶんと長い「余生」ではありましたが。

この三一書房の「現代のシネマ」は、当時の、生真面目で融通がきかない、小難し好きの時代の空気をよく現わしていて、刊行されたシリーズのラインナップを見れば、そのことがよく分かると思います。

①ジャン・リュック・ゴダール(ジャン・コレ著)
②ミケランジェロ・アントニオーニ(ピエール・ルブロオン著)
③ルイス・ブニュエル(アド・キルー著)
④溝口健二(ミシェル・メニル著)
⑤アラン・レネ(ガストン・ブーヌール著)
⑥アンジェイ・ワイダ(アドラン・トリノン著)
⑦フェデリコ・フェリーニ(ジルベール・サラシャ著)
⑧セルゲイ・エイゼンシュタイン(レオン・ムシナック著)
⑨オーソン・ウェルズ(モーリス・ベシー著)
⑩ロベルト・ロッセリーニ(マリオ・ヴェルドーネ著)

いまもって、いささかも色あせていないこの不滅の映画作家たちの揺るぎない重要度には、あらためて驚かされます、自分たちは、とくに異国の感性に写る「溝口健二」を、夢中になって読みふけったものでした。

そこに、日本の映画監督が外国の知識人たちに認知される恍惚感に酔った部分のあったことも否定はしません。

さて、ミシェル・メニルの「溝口健二」末尾に付された解説(佐藤忠男筆)ですが、該当箇所を転写してみますね。

《溝口健二は、サイレント映画時代にすでに第一級の監督として名声を得ていた。1930年代の後半から40年代においては、後輩の小津安二郎や内田吐夢とともに、日本映画界で最高の敬意を受けていた。が、当時、すでに、多くの賞賛と同時に批判が書かれている。
そして戦後には、賞賛よりも批判を受けることが多くなり、それは、「西鶴一代女」がフランスで評判になる時期までつづいた。
批判の要点は、彼の主題と技法が古くさい、ということであった。
たとえば、批評家岸松雄は1930年代のいわゆる「明治もの」をこう批判した。
「右を向いても左を向いても芸術の自由は奪われているのではあるまいか。それならいっそ旧き世界の美しさに帰ろう。ゲテモノ趣味も悪くない。ラムプ、陶磁器、手織の着物にも数寄を凝らそう。ゲテモノ研究に耽っていたこの当時の溝口健二に会った者は誰でも、凝りに凝りやしたナ、と呆れたよう御世辞を言いたくなるものがあった。
「神風連」「滝の白糸」はなるほどおもしろい。考証にもぬかりはない。「折鶴お千」「マリアのお雪」はしかしおもしろくない。というのは、時代考証だけが幅を利かせはじめて、かんじんの人間がお留守になってしまったからだ。少しむずかしいいい方をすれば、時代と人間との相関関係を描くことを忘れたためである。往来を走る二頭立ての馬車は本式かもしれない。畳の上に投げ出される太政官紙幣もでたらめではないだろう。としても、それだけではどうにもならない。溝口健二は、ゲテモノ趣味の外形に淫してしまったのではあるまいか。」(「日本映画様式考」1937年)》

いまとなっては、かつて自分がこのクダリを「確かに読んだのか」という確証は、なにひとつありませんが、自分の中の「溝口健二のいわゆる明治もの」に対する「駄作」という偏見を植え付けられた「元凶」があったとすれば、(海外批評家から認知される以前に)この手の批評を繰り返し読み続けてきたためにモタラサレタものだということは、そうだろうなと言えると思います。

批評家岸松雄なる者が、ほんとうに「折鶴お千」「マリアのお雪」において「人間がお留守になる」という状態をなにを根拠に評したのかの検証はさておき(佐藤忠男が岸評言を引用した動機も、おそらくは同じネガティブな意味でだったでしょうが)、しかし、ここで問題にしなければならないのは、「溝口健二のいわゆる明治もの」が、本当に箸にも棒にもかからないクダラナイ作品なのかという論点整理です。

そして、長年にわたって自分の中に植えつけられた「偏見」にあがらいながら、自分はこの「マリアのお雪」を鑑賞しました、you tubeで。

ときは「西南の役」、戦火が迫る熊本の町を、急いで乗合い馬車で逃れる庶民の姿が描かれます。

その乗合い馬車には、士族の一家もいれば豪商や僧侶もおり、そのなかに二人連れの流しの女芸人も乗り合わせています。

身分の卑しい女芸人などと同席することを、士族一家や豪商夫婦はとても嫌がり「けがらわしいから馬車から降りろ」となじりますが、そんなおり、悪路のために馬車は転倒し、大破して立ち往生、一行は身動きとれなくなります。

やがて猛烈な空腹に襲われる士族一家や豪商夫婦は、流しの女芸人たちが所持していた「弁当」を思い出します。

かつて、馬車の中で「こんなときに弁当など持って花見にでも行くつもりか」と嘲笑して馬鹿にしたあの「弁当」です。

しかし、幾ら金を積まれようと、さっきの屈辱を決して忘れていないおきん(原駒子が演じています)は、「ざまあみろ」とせせら笑い、見せびらかしながら弁当をおいしそうに食べますが、お雪(山田五十鈴が演じています)は、「もしよかったら」と弁当を彼らに譲ってしまいます。

おきんは、お雪の行為が理解できず、唖然としますが、屈辱を受けた憤りのおさまりがつかないまま、お雪に対しても微かな苛立ちが、その歪んだ表情にうかがわれるシーンです。

ここまできて、やっぱり「マリア」は、あの「マリア」のことなのだな、と思いはじめました。

そういえば、朝倉晋吾(夏川大二郎が演じています)の率いる官軍に囚われたとき、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの延命のために娘を朝倉に人身御供として差し出そうとする場面、この作品において個々の「人間の質」が問われる重要な場面ですが、泣いて怯える娘の哀れを見かねて、まず、おきん(原駒子)が、朝倉晋吾にしなだれかかり、「なんにも知らないあんな生娘なんかが相手じゃ、面白くもなんともないじゃないかね。私でどう、いい思いさせてあげるわよ」と誘う場面があります(自分など、「いやいや、生娘の方で結構でやんす、イッヒッヒ」などとヨダレを拭いながら思わず口走ってしまいたくなる場面ですが、ここはまず自重して映画のつづきに集中します)。

性技百般、手練手管でいままで男をさんざん蕩かしてきた「その道」のプロです、クンズホグレツのsexのことなら、十分に自信のあるおきんですから、これは当然の申し出だったかもしれませんが、それはあくまで、朝倉晋吾に「その気」があった場合のことで、そもそも、ことの発端の「娘の人身御供」の考えは、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの被害妄想から発した恐怖心の何の根拠もない「仮定」による先走った提案にすぎないので、その妄想の延長線上にあるだけの「おきんの申し出」は、朝倉晋吾にとって、はなはだ迷惑、おおきなお世話以外のなにものでもなかったわけで、その辺の「行き違い」を整理と理解ができていないおきんは、朝倉晋吾から拒絶されたことに激怒します。

理解の道筋としては、「この道」で一度として男から拒まれたことのなかった彼女の(性的)自尊心が傷つけられ、激怒につながったと(一応は)見るべきなのかもしれません。

やがて、このコジレタ関係は、さきの「弁当事件」と同じ経過をたどって、ふたたび「お雪」が解きほぐすことになりますが、おきんの場合と異なり、この「お雪」→「朝倉晋吾」の心的紐帯が、すでに、朝倉が士族一家や豪商夫婦たちが画策した保身のための「人身御供」などという卑劣な行為を罵倒する場面において、山田五十鈴の「なんて素晴らしい人だろう」という思い入れたっぷりに朝倉晋吾を見つめる正面からの美しいショットで、すでに十分に語り尽くされているので、朝倉晋吾へのお雪の接近(もはや「恋愛関係」にあります)が、おきんの場合と決定的に異なることが分かります。

いつも「美味しいところ」だけはお雪が持っていってしまうことに対して、なにごとにつけても不器用なおきんには、はなはだ面白くありません。

しかし、その怒りは、ひたすら朝倉晋吾にぶつけることしかできないでいます。

ラストシーン、窮地から逃れてきた傷ついた朝倉晋吾を、敵軍に引き渡すと言い張る憎悪に燃えるおきんに対して、その憎悪こそ朝倉晋吾に対する恋情だとお雪に指摘されてはじめて、おきんは自分が間違っていたことを理解します。納得したかどうかは、ともかく。

「急転直下」、まるでミテリー小説のような終わり方をしてしまうこの「大団円」(お雪のひとことが、まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります)に関しては、自分としては少し不満な思いを抱きました。

同じようにまた、おきんを演じた原駒子も、もうひとつこの役の終わり方に対して、消化不良みたいなものを感じたのではないかという感じも持ちました。あるいは、彼女はこの役を「演じきれなかった」と思ったかもしれません。

ぼくたちが接することのできる「原駒子」像といえば、乱した日本髪で不適な薄笑いを浮かべながら、着崩れた着物の懐から拳銃をちらつかせて正面を三白眼で睨み据えた物凄い形相の大迫力の毒婦役として認識しています。

それが、「まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります」などで、本当にこれで良かったのだろうかという思いが残りました。

むしろ、原駒子にとって「一度として男から拒まれたことのなかった彼女が、朝倉晋吾から拒絶されたことに性的自尊心が傷つけられ、激怒した」ままの方が、なんぼか彼女らしかったかのではないか、という「残念」な思いだけが残った感じがしたのでした。

朝倉晋吾に言い寄った理由が、生娘を救うための身代わりであろうと、あるいは心底から愛していたためであろうと、そんなことはどうだっていい、おきんは、いずれにしても、やはり同じ行動をとっただろうと思ったのは、「性愛」こそが、ヴァンプ女優・原駒子の真骨頂だと感じたからでした。

以前見た三浦大輔の「愛の渦」のなかで、「好きになってんじゃねえよ」という新井浩文の吐くセリフが、ふと脳裏に過ぎったことを申し添えます。それもひとつの真実かなと。

(1935製作・第一映画社、配給・松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、高木孝一、高橋富次郎、坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・川口松太郎「乗合馬車」(原案:モーパッサン『脂肪の塊』)、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、内炭吉四郎、宮西四郎、選曲・高木孝一、伴奏・中央トーキー音楽協会、指揮・酒井龍峯、金馬雄作、装置・西七郎、斎藤権四郎、西山豊、録音・室田順一、擬音・西沢都時、照明・堀越達郎、編集・石本統吉、技髪・高木石太郎、美髪・石井重子、衣裳・小笹庄治郎、字幕・小栗美二、
出演・山田五十鈴(お雪)、原駒子(おきん)、夏川大二郎(官軍・朝倉晋吾)、中野英治(佐土原健介)、歌川絹枝(おちえ)、大泉慶治(宮地與右衛門)、根岸東一郎(権田惣兵衛)、滝沢静子(お勢)、小泉嘉輔(儀助)、鳥居正(官軍大佐)、芝田新(横井慶四郎)、梅村蓉子(通子)
1935.05.30 浅草電気館 10巻 2,370m 1時間16分 白黒
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# by sentence2307 | 2016-08-07 15:15 | 映画 | Trackback | Comments(0)