木下恵介「永遠の人」
2004年 11月 17日
犯されたときに身ごもった子供にもその憎しみはおよび、母親の冷たい仕打ちに疑問をもっていた息子は、やがて出生の秘密を知って自殺します。
この映画には、こうしたあらゆる悲惨が描きこまれています。
ことさらにこういう「悲惨」を並び立て描ききることが、天才監督・木下恵介の「腕の冴え」たるユエンなら、僕は木下恵介の天才にも感覚にも疑問を持たざるを得ません。
従来から、ずっとそう思ってきました。
「生きる」こと自体、改めて特に意識したこともなく過ごしてきてしまったようなチャランポランな自分ですが、人生を憎しみとか悲惨のみを拡大して描くような、このような一面的な描き方・撮り方にはどうしても承服できないでいました。
チャランポランでもチャランポランなりの真実があるだろうし、日常生活をとにかく辛抱強く生き続けねばならない人間にとっては、むしろ「チャランポラン」の方にこそ、もしかしたら「悲しみ」や「憎しみ」や、そして悲憤ともいうべき「真実」もあるのではないか、とずっと考えていました。
きっとそこには、小津安二郎を支持し、成瀬巳喜男を支持してきた自分の、木下恵介的な描き方への疑問視があってのことだったのかもしれません。
基本的にはいまでもその気持ちは変わっていないのですが、最近では従来の先入観を捨てて、もう少し冷静に白紙の状態で木下作品を観てみようと努力しています。
たとえばこの映画、「生きる」原動力に「憎しみ」という感情をすえようというこの映画には、最初見たときは、まずたまらない「嫌悪感」に襲われました。
いままで見てきた日本の映画の中で、このような執念深く、かつ30年にも及ぼうという一方的な「憎しみ」を描いた映画が、かつてあったでしょうか。
今回の感想も、それはまるであの「嵐が丘」でも見ているような、徹底的に憎しみ続けるという実にゆとりのない違和感です、そう感じました。
しかし、「そうか」という気持ちも同時に抱きました。
この「永遠の人」は、もしかしたら「嵐が丘」だったのかもしれませんよね。
木下恵介を頭から純日本風な心象風景を描き続けてきた映像作家と思い込んできた自分の考えの狭さを実感しました。
木下恵介をそのように観ていくと、いままで違和感を感じていた彼の諸作品が一変していくのが分かりました。
(61松竹大船)(製作)月森仙之助 (監督製作脚本)木下惠介(撮影)楠田浩之(美術)梅田千代夫(音楽)木下忠司(編集)杉原よ志(録音)大野久男(スクリプター)堺謙一(照明)豊島良三
(出演)高峰秀子、佐田啓二、仲代達矢、乙羽信子、石浜朗、東野英治郎、藤由紀子、野々村潔、加藤嘉、永田靖、浜田寅彦、田村正和、戸塚雅哉 (8巻 2,922m 、103分・35mm・白黒)