有りがたうさん
2009年 07月 05日
しかし、それは、勝手に妄想を肥大させた自分の方が悪いのであって、なにも作品自体が悪いわけではないのですが、でも、自分が培ったその「妄想」というヤツを、なんだか大事にしておきたいなという気分が、たぶん一種のパネになって、僕にこの「映画雑念ブログ」を書き続けさせている活力源になったのかもしれません。
しかし、まったくその逆のケースもあります。
僕が思い描いた予想など遥かに裏切って、予期せぬ感動に不意打ちされる場合です。
清水宏監督の「有りがたうさん」は、僕にとって、そういう作品でした。
いままでヨソからの「耳学問」だけで思い描いてきた「有りがたうさん」という作品が、どういう作品だったかといえば、都会へ身売りさせられていく村の貧しい娘を、若い運転手が、苦労して貯めた独立資金(シボレーのセコハンの購入資金です)を投げ打って救うという、いわばヒューマンなロードムービーだろうという認識でいました。
それはそれで間違っている認識ではなかったと思いますが、たぶん、そうした粗筋的な思い込みだけなら、清水宏のこの実験的な映画の試みの大方を見失ってしまうことになるという危惧を感じました。
この映画には、留まることのない流れが、「思想」そのもののように存在しているのだと思います。
バスの中にカメラを持ち込み、実際にバスを走らせながら、同じ車体の動きに身を任せる人々と、車窓を同じようにブレて流れ去る風景とが一体となる世界の、あわゆる同時的な存在を丸ごと映し込もうとする映像作家の強い意欲を感じます。
それは当時としては画期的な試みだったでしょうし、また、その意欲は、ドラマというよりも、おそらくドキュメンタリーの範疇に属する欲望かもしれませんが、「映画」というジャンルが宿命的に抱えている究極的な欲求であることは間違いないと思い当たりました。
「世界の法則」をほんの思いつきで突き止めてしまったみたいな安直さへの疚しさは当然ありますが、しかし、そのことを最も強く感じたのは、「有りがたうさん」をめぐる女性の描き方でした。
上原謙演じる若きバスの運転手「有りがたうさん」は、なるほど女性が放っておくわけのない滅茶苦茶なイケメンで、しかも誰にでも優しい善良な青年です(親切で男っぷりがいいときてるから、街道の娘っ子が騒ぐのも無理はないのです)。
街道を巡回する彼のバスには、多くの若い女性が親しげに声を掛け、頼みごとをし、あるいは、すがるようにして恋の思いを告白する場面も描かれています。
流れ者の酌婦(夭折した桑野通子の鋭い目つきが鮮烈な印象です。この年に阿部定事件が起こっていることを思えば、閉塞したこの時代の息詰るような雰囲気が分かるような気がしますし、彼女の投げやりな演技にリアル感が増してきます。)は、彼の運転するバスに乗るためにバスを一台遅らせて待っていたのだと思わせぶりに告げたり、追い抜く村娘からは町でレコードを買ってきてくれと頼まれたり、温泉町をめぐる芸人の踊り子たちに親しげに言付けを伝えながら、徐々に山懐深くに進み、金の採掘に囚われ娘ふたりを犠牲にした男を山の中で下ろしたり、朝鮮人工夫の群れを追い抜くあたりになると、娘たちに慕われるだけの「ありがとうさん」が見続けてきたものが、ただの軽快さではなく、重苦しいものであることが、更にこのあとの二つのシーンによって徐々に観客に伝えられます。
ひとつは、峠のトンネルの手前で小休止をしたとき、東京に売られていく娘と「有りがたうさん」は、初めて言葉を交わします。
「おっかさんは、一人きりになると淋しくなるだろうね。手紙だけは時々出して慰めてやるんだね。」
最初から始終うつむき続けていた娘は、ここではじめて、毅然として顔を上げ、ありがとうさんに語り掛けます。
「わたしの手紙、やっぱりこの乗り合いに乗せてもらえるのねえ。いつもありがとうさんの車だといいわねえ。あたし、ありがとうさんにも手紙出していいかしら。」
「いいとも、俺だって返事くらい書けるよ。」
「そお、じゃあきっと返事くれるわねえ。」
語らうそのふたりの様子を流れ者の酌婦・桑野通子は、遠くからじっと見つめています。
そして、ふたつめは、バスが追い抜いてきた朝鮮人工夫の群れから、バスを追って駆けて来た朝鮮人の娘との語らいの場面です。
この作品において白眉という言葉を当てはめるもっとも相応しいシーンがあるとすれば、おそらくこの朝鮮人労働者たちに向けられたシーン(当時にあっては、画期的なことだったと思います)以外にはありません。
「もうあそこの道路工事、終わったのかね。」
「ええ、今度は信州のトンネル工事。ありがとうさんとも、お別れだわ。」
「これからは、あっちは寒いだろうね。」
「あたし、ありがとうさんにお願いがあるの。あたし、お父さんを置いていくの。だからあそこを通るときは、お墓に水を撒いてお花を挿してあげてね。」
「そうそう、おとっつぁんは、死んだんだっけねえ。」
「あたし、あそこの道ができたら、一度日本の着物を着て、ありがとうさんの自動車に乗って通ってみたかったわ。でも、あたしたち自分でこしらえた道、一度も歩かずに、また道のない山奥へ行って道をこしらえるんだわ。」
ありがとうさんは話の矛先を逸らすように「駅までこれに乗ってったら。送ってやるよ。」と語りかけます。
しかし、疲れ切って山道を歩く朝鮮人同胞の姿を振り返り、朝鮮人工夫の娘は言います。
「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に。」
「そうかい、じゃ、さよなら。」
「お花と水、忘れないでね。さようなら」
トンネルを抜けて走り去っていくバスをいつまでも見送る朝鮮人の娘を、バスの中から身売りされようとしている娘が、じっと振り返って見続けています。
この過酷なシーンで清水宏がなにを言おうとしているのか、このあとに続く娘の「峠を越えると、もう遠くの国に来たような気がするわ。」という言葉を受けて、「有りがたうさん」が語るセリフに、序実に示されています。
「この秋になって、もう8人の娘がこの峠を越えたんだよ。製糸工場へ、紡績工場へ。それから、それから方々へ。俺は葬儀自動車の運転手になった方がよっぽど良かったと思うことがあるよ。峠を越えた女は、滅多に帰っちゃこないからね。」
このようにして、帰ってこない多くの娘たちを見送り遣り切れない思いを抱えた「ありがとうさん」だからこそ、都会に身売りされる目の前のひとりの娘をどうしても救いたいと思ったのだろうかという映画のこのラストに、自分としては少し違和感を覚えました。
確かに、この若き運転手は、あまりにも多くの悲惨を見すぎてきたかもしれません。
しかしまた、映画の冒頭で、道を譲る人たちに対して「ありがとう」を連発する若き運転手の示した「快活さ」が、すでに「悲惨な8人の娘」を見送ってきた後の、相も変らぬ「快活さ」であることも見過ごしにはできないような気がするのです。
「悲惨」と「快活」が彼のなかでは両立できる観念であり、この青年の快活さが、なにものにも影響を受けることのない強靭なもの、生来そなわった不屈の(「鈍感な」と言い換え得る「不屈さ」です)感性であることの証のような気がしました。
彼には、身売りされていく多くの娘たちの悲惨を勿論理解しながらも、同時に道の端に飛び去るニワトリに対して「ありがとう」と声に出して感謝することのできる感性をも持ち合わしている稀有なヒトなのです。
身売りという悲惨から救われた娘が、もし、救い主の「ありがとうさん」という青年に、自分の悲惨に対して共に涙を流してくれるに違いないという幻想を抱いているとしたら、近い将来、あるいは傷つくかもしれないなという危惧が、ふっと過ぎりました。
なぜ、そんな余計な考えが兆したかというと、あるサイトの書き込みを見ていたら、川端康成の原作の結末とこの映画の結末とが、どうも違うようなのですね。
「ありがとうさん」に娘が思いを寄せているらしいことを知った老母は、明日は売り物のカラダとなってしまい男たちの慰みものになるのだから、娘のためにも今夜、「ありがとうさん」に娘と一夜を共にしてくれないかという老母の申し出を諭されスゴスゴと引き下がるという結末だそうなのです。
しかし、そうあってもありがとうさんという「善良な好青年」の在り方は崩されていない、それでは面白くないと思いました。
好演した今は亡き上原謙には誠に申し訳ありませんが、ここはやはり天邪鬼の自分としては、「生来の鈍感さ」で考えたいと思います。
はたして原作がどうなっているのか、いまから楽しみなところです。
これがまあ僕の「妄想遊び」というヤツなのですが・・・。
「どっこい生きてる」など戦後の日本映画、とりわけ1950年代前半の独立プロ諸作品に対するイタリア・ネオレアリズモの濃密な影響が語られるとき、その反証のようにあげられる象徴的な作品として清水宏監督のこの1936年作品「有りがたうさん」があります。
イタリア・ネオレアリズモが隆盛を迎えるはるか以前、1930年代の日本映画は、すでに成熟したリアリズムが確立されており、多くの優れた成果をあげていたのだという論証です。
小津、成瀬、溝口の諸作品、それにこの「有りがたうさん」をはじめ「土」、「綴方教室」など、あるいはまた40年代に撮られた「馬」なども含めて、日本独自のリアリズムによって数々の傑出した成果をあげていたといわれています。
多分その解説には、こんなふうに記されていたかもしれません。
イタリア・ネオレアリズモの特徴だとされる貧しい階層にそそがれる共感、日常的な細やかな描写を通して特権階級や社会の諸矛盾に向けられた鋭い批判的リアリズムの視点を確立し、あるいは、地方性と長期ロケなど写実に徹したドキュメンタリー的性格は、既にこの清水宏の野心作「有りがたうさん」において達成されたと。
しかし、最近では更に、海外から、ヌーヴェルバーグ以前に作られた日本におけるヌーヴェルバーグ的作品としてどのような作品があるかと意見を求められたとき、まっさきにあげられた作品が「有りがたうさん」だったと聞いたことも記憶に新しいところです。
(1936松竹大船)監督脚本・清水宏、原作・川端康成、撮影・青木勇、音楽・堀内敬三、監督補助・沼波功雄、佐々木康、長島豊次郎、撮影補助・吉田勝亮、斎藤毅、森田俊保、撮影事務・田尻丈夫、編曲・篠田謹治、伴奏・松竹管弦楽団、小道具・井上恒太郎、録音、土橋晴夫、橋本要、音響効果・斎藤六三郎、配光・佐野広志、現像焼付・納所歳巳、阿部鉉太郎、衣裳・柴田鉄蔵、結髪・遠藤末子、自動車操作指導・武内秀治、村田均造、記録・前島一雄、字幕・藤岡秀三郎、
出演・上原謙、桑野通子、築地まゆみ、二葉かほる、山田長正、石山隆嗣、仲英之助、河村黎吉、忍節子、堺一二、河原侃二、青野清、金井光義、谷麗光 、小倉繁 、河井君枝、如月輝夫、利根川彰、桂木志郎、水上清子 、県秀介、高松栄子、久原良子、浪花友子、三上文江、小池政江、爆弾小僧、小牧和子、雲井つる子、和田登志子、長尾寛、京谷智恵子、水戸光子、末松孝行、池部鶴彦、飯島善太郎、藤松正太郎、葉山正雄、
1936.02.27 帝国館、丸の内松竹、新宿松竹館 10巻 2,152m 白黒 76分
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この記事が書かれた日付を見たら、10年前でした。
私と夫が大好きな映画です。
また久しぶりに鑑賞しましたが、中味が深い映画です。
こちらの感想文も、またとても読みがいのある記事で、感心しました。
原作との比較が書かれてあり、よくわかりました。
映画通のブロガーでしか書けない内容で、素晴らしいです。