鉄道員
2009年 07月 20日
当時感じたことなど、例えば、この作品の描いている家族愛とか人情描写の世界が、きわめて日本的で、まるで木下恵介監督の作品のようだと勝手に思い込み、人にもそんなふうに吹聴していたことなどです(それほど木下恵介作品を見ていたわけでもないのにね)。
しかし、いま思えば、それはただ、耳学問で知った木下恵介という監督のイメージをたよりに何となく連想しただけのことで、いまなら、木下恵介作品に「鉄道員」に匹敵するストレートに下町的な義理人情を扱った作品など存在しないのではないかと考えています。
むしろ、初期の小津安二郎監督作品のなかにこそ、そのような下町情緒ならありそうだなという気がします(「出来ごころ」だとか「長屋紳士録」とか)。
たぶんその頃、すでに小津安二郎の名前は、もはや忘れられた古臭い映画監督で、きっと誰もがそのように考えていて、ひとむかし前の過去のものとなりつつあるその大御所の名前など、あえて語ろうとする映画評論家も映画ファンなども誰ひとりいなかったように記憶しています(海外からの示唆がなければ、日本人が独自で小津安二郎を過去から再発見することなど、まずなかっただろうという記憶しかありません。)。
時代は、すでに才人・木下恵介の全盛期であり、撮るたびにその斬新な試みは話題となり、飛ぶ鳥を落とす勢いの大監督として持て囃されていたことも合わせて思い出されます。
「鉄道員」を見て、自分のその見当違いな思い込みに気がついたことに加えて、もうひとつ大きな思い出があります。
それは、イタリア語の独特の響きの美しさです。
当時、その物悲しいイントネーションに心引かれ、全編を見終わった後でもう一度、目を瞑ってただ聞いていたいとさえ欲したことも思い出しました。
そういう思いは、フェリーニ作品を見たときにも感じましたし、また、ジャン・ギャバンやアラン・ドロンの話すフランス語の美しさにも同じように魅せられていたと思います。
そういえばベルイマンのスウェーデンの言葉の響きにも魅せられました。
しかし、そのとき、思いました、外国人も日本の映画を観て、自分が感じたように日本語の美しさを感じるようなことがあるのだろうかと。
試みに、目を瞑って映画の中で語られる日本語のセリフの響きに耳を傾けてみます。
映画にもよるのでしょうが、しかし、どうのように聞き込んでみても、日本語には、あのイタリア語やフランス語のような音楽的な響きに恵まれているとは思えません。
決して卑下ではなく、このような抑揚のない一本調子の話し方では、外国人が日本語の言葉の響きに魅せられるとなどということは、到底有り得ないだろうなと若いときからずっと考えてきました、ある時期、その考えを他人に話してみたこともあります。
賛同を得たこともありますし、反発されたこともあります。
しかし、多くの反応は、「そんなこと、どうでもいいじゃないか。要するに映画がおもしろいか、そうじゃないか、というだけのことだろう。」というものでした。
まったく、そのとおりかもしれません。
「鉄道員」が作られた同時代のイタリア映画にだって、汚いイタリア語を話す下卑た映画もあったでしょうしね。
そして同時に、このことを人に話すことの無意味さと、そのように考えた自分の意図に気がつきました。
自分としては、ただ聞くに堪える美しい日本語というものが、はたして存在するのだろうかという疑問に、なんらかの回答を誰かに示唆して欲しかったのだと気がつきました。
それからずっと、ついに最近にいたるまで、その回答を見つけることができませんでした、つい最近まで。
あるとき、テレビを見ていたら、秋田県男鹿半島のナマハゲの紹介番組が放送されていました。
突如ナマハゲが民家になだれ込んできます。
そこで待ち受けた戸主が、酒をふるまいナマハゲと問答する様子が写されています。
子供たちは、隣の部屋や押入れに隠れ、母親に抱かれて恐怖に震えています。
ナマハゲ「うぉー。泣ぐ子いねえが。怠け者いねえが。言うごど聞がね子どらいねえが。親の面倒み悪りい嫁いねえが。うぉーうぉー。」
戸主「ナマハゲさん。まんず座って酒っこ呑んでくなんしぇ。」
ナマハゲ「おめでとうございます。」(大晦日の夜に各戸に降臨します)
戸主「おめでとうございます。なんと、深け雪の中、今年も来てけで、えがったすな。」
ナマハゲ「親父、今年の作なんとであった。」
戸主「お陰でいい作であったすでば。」
ナマハゲ「んだが。子どら、皆まじめに勉強してるが?」
戸主「おらいの子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だがら。」
ナマハゲ「ほんとだが? 学校から帰ってけば、すーぐテレビゲームばりして、勉強さねで、手伝いもさねでねが?」
戸主「なんも、なんも、ナマハゲさん。おらいの子どら、ゲームばするども、その後、勉強さして、手伝いもしてけるすよ。」
ナマハゲ「んだが。親父、子どら、言うごど聞がねがっだら、手っこみっつただげ。へば、いづでも山がら降りてくるがらな。どれ、もうひとげり探してみるが。うぉーうぉー」
戸主「ナマハゲさん。まんず、この餅っこで御免してくなんしぇ。」
ナマハゲ「親父。子どらのしづけ、がりっとして、えの者皆まめでれよ。来年まだ来るがらな。」
さて、ナマハゲを紹介する番組は、以下のようなコメントで締めていました。
子供たちは、恐ろしいナマハゲに早く帰って欲しいと願っているのに、父親はのんびりとナマハゲに酒や餅をすすめて、むしろ、できるだけマナハゲの滞留時間を長引かせているかのようにも見えるほどです。
「この習俗の真の姿は、この問答それ自体にあるように考えられます。
戸主は、ナマハゲと問答しながら、ナマハゲの口を借りて、ここで家族に対し言いたいことを言わせ、別室に隠れている家族にあえてそれを聞かせることによって、家族を守らねばならないという戸主の役割・強さと優しさを示し、家族に伝える意味があるのではないか、そして、家族もまた戸主に見守られているという安心感を得るとともに、その期待に応えるために一層努力しようと決意して、家族の絆を深め、各家族が協調し合う集落の人間関係を構築するとともに、それを後世に伝え遺そうとしているのではなかろうか。」
ナマハゲと戸主のあいだで交わされる言葉のイントネーションの美しさに、思わず聞きほれてしまいました。
「標準語」というものに、散々に侵食されてしまったとはいえ、日本には、まだまだ豊かな言葉が、こうして各地にのこされているのであって、かつて日本語の響きに失望した自分の不明をこそ恥ずべきだったことを思い知ったのでした。
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