市民ケーン ③
2004年 11月 27日
ハーストの息の掛かった同業他社や評論家が、こぞってフィルムの焼却を要求している中でジョー・ブリーンのための試写会が行われました。
その時の雰囲気は、ハースト系のコラムニスト、ルエラ・パーソンズの「きわめて不快な伝記映画だ」というコメントが象徴しています。
このフィルムが廃棄されるかどうかは、当時、検閲の親玉といわれたジョー・ブリーンの決定に委ねられていた運命の試写会でした。
莫大な賄賂が動いているという公然の噂も飛び交っている廃棄決定に傾きかけている試写会です。
ウェルズは述懐しています。
「誰もがこう言っていた。面倒を起こすな。構うものか焼却しろ。尻拭いは当人たちに任せたらいい、と。そこで私はロザリオをポケットに入れて試写室に出向いた。ジョー・ブリーンはアイルランド人で敬虔なカトリック教徒だ。試写が終ったところで、私は彼の前でロザリオを落とした。『あっ、これは失礼』そう言って拾い上げポケットに戻す。これをしなければ、『市民ケーン』は世にでなかっただろう。」
圧力を受けたRKO側も、経営難に喘いでいたというお家事情もあって、これだけ騒がれれば大儲け間違いなしと踏んでハーストの申し入れを拒否しました。
1月のノミネーションの時期には批評家の賛辞が相次いでアカデミー会員の支持も多かったのですが、やがてハースト系の新聞によるハリウッド批判の一斉攻撃と、凄まじいオーソン・ウェルズ叩きの結果、公開を辞退する劇場が続出して、3月のアカデミー賞本選では急速に多くの票を失っていきました。
多くのノミネートを受けながら、受賞したのはオリジナル脚本賞ただひとつに終ったこの授賞を、それでもアカデミー協会の良識を示したものと賛辞されるくらいの凄まじい逆風だったことが伺われます。
ちなみに、ノミネートされた部門は、作品賞、主演男優賞、監督賞、撮影賞、室内装置賞、録音賞、編集賞、劇映画音楽賞などでした。