新しき土・ドイツ語版
2004年 11月 27日
資料には、1937年3月23日から5月18日の間にドイツ主要都市2600の大小映画館で上映されて観客総数600万人を超えたとされています。
これは、それまでのロング・ラン作品テラ・フィルムのポーラ・ネグリ主演「モスコー・シャンハイ」の記録を大幅に破る快挙でした。
この圧倒的な人気はドイツのみにとどまらず、欧州13カ国をはじめギリシャ、ポーランド、ハンガリー、フィンランドからの上映の申し込みが殺到したと記されています。
しかし、日本において、それほどの圧倒的な人気を得ることができたのかどうか、その辺の確認はできませんでしたが、僕の知る限り、それほどのものではなかったように思われます。
その理由のひとつは、日本の観光地をただツギハギしただけの独善的で誠意のない描き方にあったのかもしれません。
原節子が鹿に餌をあげている同じ庭園内から、安芸の宮島が望まれるというようなシーンには、ただただ驚かされてしまいますが、しかしこれが当時の欧米人が夢見た極東の島国の限界だったのでしょうか。
しかし、本当は、日本人が受ける「違和感」は、もう少し違う所にあるのかもしれませんね。
つまり、例えば、冒頭に映し出される傑出した荒々しい富士山の威容を描いている力強い映像はどうでしょうか。
それまで僕たちが見てきた日本人の撮った富士が、どこまでも霊峰としての神々しさを失うことなく、穏やかでごく身近な静謐さをたたえた富士山の映像しか見たことがなかっただけに、やはり、この映像体験は、僕にとってはやはり衝撃といえるものだったかもしれません。
もうひとつ別に作られたという伊丹版が、このあたりをどう処理しているのか未見なので分りませんが、少なくともファンク版における富士は、容易には人を寄せ付けそうにない険しい岩肌に、叩き付けるように逆巻く雪まじりの突風が行き交い、荒々しく吹き荒れる自然の猛威と不気味さを湛えた今まで見たこともないような自然そのものの只中にある猛々しい富士山の姿でした。
そこには、僕たちがいつの間にかこの単なる山に付加してしまっていた価値観とかモロモロの観念(霊峰とか)を打ち砕く「まぎれもない自然そのものの姿」がありました。
この日独同盟が産み落とした政治的な映画が、意外に当時の日本人に不評だったのは、日本人のイデオロギーそのものでもあった富士山をこんな形で剥き出しに描いたこのあたりにあったのかもしれませんね。
この場合のリアリズムが、日本人にとっては受け入れがたい場違いな「否定」を意味していたに違いありません。