突貫小僧を生きた青木富夫
2004年 12月 07日
ある酒席で、隣で飲んでいたグループのひとりが「突貫小僧」こと青木富夫が、自伝のような本を出版したと話しているのを偶然小耳に挟み、面白そうな話しなので、とっさに耳をそばだてましたが、しかし残念ながら友人とおぼしき人たちの関心を引くことなく、その話しはそのまま立ち消えとなって、結局話題はほかに移ってしまいました。
世間では小津監督生誕100周年で盛り上がっていたときとはいえ、今どき突貫小僧の話にまで敷衍して興味をそそられたりする人などいる筈もないのは当然かも知れませんね。
でもその人がどういうことを言おうとしていたのかとても知りたかったのですが、話し掛ける勇気がなかったばかりに、聞くことは出来ませんでした。
帰り道、「消化不良」の状態のまま、したたかに酔った頭で、小津監督に見出された天才子役・突貫小僧のことを考えながら夜道を歩きました。
彼が出演した「生れてはみたけれど」32、「出来ごころ」33、「浮草物語」34は、いずれもキネマ旬報ベスト・テン第1位となった小津監督作品で、この3年連続第1位の記録は、現在に至るまで破られてない伝説的な日本映画史の「事件」です。
戦前の小津監督のピーク・イメージを形作っているこれらの作品に出演したという天才子役・突貫小僧=青木富夫が、そのことをいつまでも誇りにしていたであろうことは想像に難くありません。
しかしその抱いていた矜持と同じ分だけ、「天才」という作られた虚像に押し潰されたであろうことは容易に想像できます。
この突貫小僧の栄光と悲惨も、子役は大成しないという方程式に当て嵌まってしまうひとつの事例なのかもしれません。
帰宅してすぐにパソで、その青木富夫が出版したという本を検索してみました。
ありました、ありました。
都市出版というところから青木富夫著「子役になってはみたけれど―小説突貫小僧一代記―」という本が出ています。
栄光と悲惨の著しい落差の中で、彼は結局生涯「突貫小僧」として虚実の天才子役を生きるしかなかったのかもしれません。
まえがきには、
「この物語は自伝です。だが虚構もあり、実在しない人も出てきます。この物語は小説です。だが真実もあります。実名の人物も登場します。嘘も事実も曖昧模糊となっています。いわば、虚と実との皮膜の物語です。つまるところ、人の人生は虚実の積み重ね。その虚と実の狭間に、わたしの空虚と充実を書きすすめてみました。」
という一文もあり、川崎弘子、及川道子、伏見信子、逢初夢子、水久保澄子、葛木文子、田中絹代、栗島すみ子、それに同じ子役仲間の高峰秀子が登場するそうです。
この一つ違いのもう一人の天才子役・高峰秀子について青木富夫は語っています。
「高峰秀子は、ほかの女の子役とは違う。女の子役に見られる媚態がない。表情も滅多に変化しない。それでいて、あどけないその瞳には、光が奔るような煌めきがある」
と書かれているということです。