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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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小津安二郎「宗方姉妹」

溝口健二が、その演出において役者の集中力とテンションを高めるために、ぎりぎりの限界まで追い詰めることを厭わない鬼のような映画監督だったとは言っても、別に、それに対して小津監督の演技指導が優しかったという意味ではありません。

特に「宗方姉妹」の際の田中絹代に対しての指導の厳しさは、いまだに語り草になっているほどです。

というのは、ひとつには、小津監督が新東宝で撮る「宗方姉妹」に田中絹代の出演が決まっていたのに、松竹が彼女のアメリカ帰国第1作として木下恵介の「婚約指輪(エンゲージリング)」の製作を発表したという、その二股を掛けた田中絹代の節操のなさに小津監督が激怒したといわれていることが、まず背景に挙げられています。

あるいは、もうひとつ、松竹を離れ新東宝で撮るということも理由があったのかもしれません。

自分の撮り方を他社のスタッフに知らしめると言う小津監督の気負いのようなものもあったかもしれませんね。

1950年4月下旬、世田谷上町の新東宝第二撮影所いわゆる「東発」で「宗方姉妹」の撮影が始まります。

セットは、冒頭のシーンの医科大学の教室で、小津映画には欠かせない斎藤達雄演じる教授が、学生に講義をしている場面からです。

ところで、まるで小津映画のお抱え役者のような斎藤達雄がどれくらい小津作品に出ているのか、ちょっと確かめてみたくなったので、つい全集のキャスト欄を一頁ずつめくり主役・脇役区別なく数え挙げてみました。

愉しいヨリミチです。

「若人の夢」、「女房紛失」、「カボチャ」、「肉体美」、「若き日」、「会社員生活」、「突貫小僧」、「結婚学入門」、「落第はしたけれど」、「その夜の妻」、「エロ神の怨霊」、「足に触った幸運」、「お嬢さん」、「淑女と髯」、「美人哀愁」、「東京の合唱」、「春は御婦人から」、「青春の夢いまいずこ」、「生まれては見たけれど」、「大学よいとこ」、「淑女は何を忘れたか」、「戸田家の兄妹」とざっとこんな感じですが、それから小津作品最後の出演作が「宗方姉妹」というわけなのです。

ちなみに、1968年3月に没する直前の彼の最後の出演作は、山田洋次監督の「九ちゃんのでっかい夢」1967でした。

さて、「宗方姉妹」の冒頭、白衣を着た斎藤達雄の講義の演技に小津監督はNGを出し続け、何度やってもなかなかOKを出さなかったと伝えられています。

「達ちゃん、医大の教授だよ。そういう威厳が出てないんだよ。さらに、威厳の中にも、学生に対する親愛の情とかぬくもりが出なけりゃ駄目だ。」

「達! 何度言ったら分かるんだ。単なるサラリーマンじゃないんだ。威厳の中にぬくもり、分らんか。お前の言動には、教授としての品性が出てないんだ!」

「何十年役者やっているんだ。ファーストシーンなんだぞ!」

「達! 今度は親友が胃癌だという情感が話しの中に出ていない。もう一度!」

結局、時間にすれば数分でしかないこのシーンに、丸一日を費やした小津監督の厳格な演技指導を目の当たりにした新東宝の出演者たちは、おしなべて顔面蒼白になったといいます。

しかし、一説には、温室育ちの新東宝の役者に、小津監督が、気心の知れた斎藤達雄を使って、仕事の厳しさを誇張して見せたのだ、とも言われています。

田中絹代に向けられた撮影中の小津監督の異常なほどの厳しさは、冒頭のシーンでの斎藤達雄に対する以上のものがあったといわれています。

この映画の大きなヤマは、上原謙演じる田代との関係を夫に問い詰められ言い争う場面、そして夫に殴りつけられる場面なのですが、何度もNGが出て、すんなりとはOKになりませんでした。

「絹代君、ここは、夫にいくら問い詰められようとも、自分は潔白なんだという、そのもどかしい気持ちがうまく伝わってこなければ駄目なんだよ。夫への気持ちは、節子の中には、まだ充分にある。どうでも勝手にしろと思うのは、もっと経ってからなんだ。わかるだろう。さあ、もう一度いってみよう。」

「争っても、まだ別れようとは思っていないんだ、ここではね。その微妙さが出ていないな。」

「田中君! 目線がずれてる、ずれてるよ。失業している夫に対して、内心では『あなたこそ何よ、何してるのよ。あたしだってなにも好きでバーなんかやってるわけじゃないわよ。』っていう気持ちがあるだろう。別れることまではまだ考えていないが、しかし『あなたこそ何よ』という反撥の気持ちが節子の中にキザシテいて、だから不安で、夫の自分への気持ちを探し当てようという必死な気持ちをここは目線で表現しなきゃ駄目なんだよ。」

20回にも及ぶテストが続く中で、周囲は田中絹代が泣き出すかもしれないと思ったそうです。

そうあっても、ちっとも不思議ではない緊迫した張り詰めた空気が支配していました。

しかし、田中絹代は、夫に殴られた後の表情づくりのテストに耐え続けます。

「『風の中の牝鶏』の時は自分が悪かったんだ。しかし今度は自分はちっとも悪くないんだ。やましくないんだよ。それなのに叩かれた。ただ悲しいだけじゃないだろう。違うだろう。分った? はい、それじゃあ、もう一度テストいこう。」

「間がない、間がないなあ。叩かれた、だからってすぐに別れようだなんて思わないんだよ。叩かれた、その瞬間はただ驚きだけだ。びっくりする。それからじわじわ、もう駄目だと感じ、別れようと覚悟を決めていく。その間が、間の中というか、段階を経た変化が顔に欲しいんだよ。」

小津監督の難しい注文に必死に応えようとする田中絹代の演技に対して、「駄目だなあ。まだしも三つ前の演技のほうが良かったなあ。」などという指示を出したりしていくうちに、次第に苛立ってきた小津監督が、最後に吐き棄てるように言ったといいます。

「時差ボケが、まだ直っていないんじゃないのか!」

その言葉は、周りにいたスタッフの誰もに、アメリカから帰ってきたばかりの羽田空港での田中絹代のけばけばしい姿を思い出させました。

貞女のイメージの「あの田中絹代」が、派手な洋服姿に首からレイを下げ、サングラスをかけてタラップから白い手袋を赤い唇につけて投げキッスまでしてみせた豹変ぶりにマスコミはじめ多くのファンの顰蹙をかったあの姿です。

小津監督のこのひとことに田中絹代は、うつむいたまましばらく顔を上げられなかったということです。
by sentence2307 | 2004-12-11 17:30 | 小津安二郎 | Comments(0)