小津安二郎「父ありき」
2004年 12月 11日
並んで釣り糸をたらしているところから、そろって竿を振り上げ振り返すところまで、まるでそっくりのシーンだったように記憶しています。
父ひとりの片親だけで育てられた幼い息子が、つねに父親と一緒に暮らしたいと願いながら果たされず、また、成人になってからも離れ離れに暮らすことを余儀なくされて、ついに父と死別してしまうという、なんとも切ない映画でした。
ラストシーンで父の遺骨をたずさえたその息子が、
「僕は子供の時から、いつも親爺と一緒に暮らすことを楽しみにしていたんだ。
それがとうとう一緒になれずに死なれてしまった。
でも、よかった。
たった一週間でも一緒に暮らせて。
その一週間が今までで一番楽しい時だったよ。」
というセリフには、本当に感動しました。
互いを思いやり、そして求めるそれぞれの気持ちが、考えられないくらいに純粋で透き通っていて、本当に綺麗というか、清浄なと言いたくなるくらいの素晴らしい作品です。
しかし、ひとつだけ長い間気になっていたことがあります。
成人した息子が今度こそ一緒に暮らしたいと父に願う場面があって、確かその時の父の答えが「私情に溺れず天職を全うせよ」みたいな答えだったと思います。
随分じゃないか、とその時思いました。
親子が離れて暮らさなければならない理由にしては説得力のまるでない冷たすぎる理由です。
こんなにもキメの細かいシナリオだけに、この血の通っていない「決めセリフ」には、ずっと納得がいきませんでした。
しかし、最近になってその辺の事情が分りました。
この作品「父ありき」は、「戸田家の兄妹」に続く戦地に行っていた小津監督の帰還第2作として撮られた作品ですが、脚本の方は応召直前に既に脱稿されていたものが、日中戦争最中の4年間という戦時体制の進行で大幅な改訂を余儀なくされたらしいのです。
例えば、この映画に描かれている父親像は、本来もっと心優しい弱々しいイメージの設定だったらしいのですが、それが時世の変化に沿って「私情に溺れず天職を全うせよ」などと元気一杯息子を励ます強い父親像に書き換えられてしまったらしいのです。
そして戦後の再公開の際にも、おそらくそうした「改竄された部分」が最も多くの自主的カットをほどこさねばならなかった作品だったそうです。