溝口健二と小津安二郎 ②
2004年 12月 11日
彼は何者をも信用しなかったし、近づけなかった、少なくとも最小限度の人々以外は。
それが、母親との関係性のあり方だったし、小津組の形成のされ方だったのだと思います。
母親にだけは心を許し、ごく身内の人々や小津組の不変のスタッフには心を許しはしても、その優しさとか、「照れ隠し」という楚々とした態度の裏には、他人を拒む厳しい処世の態度が貫かれていて、だから小津監督を好々爺みたいに誤解をして、距離感を誤り、ずかずかと彼の気持ちの中に土足で踏み込んでいったある種の人々、あるいは女優たちは、小津監督の手痛い拒絶のしっぺ返しを受けることになったのだと思います。
俳優の演技に対しその一挙手一投足を厳しく規制するあの演出作法の根底にあるのは、徹底的な人間不信です。
黒澤明が基本的には人間を愛していた監督だったとすれば、同様に溝口健二も同質の愛し方をした監督といえるでしょうが、同じように小津監督がそうした愛し方を人間に対して抱いたかどうかは、極めて疑問です。
小津監督は、なにものをも信用しなかったのだと思います。
市井に生きる哀れな人間たちの悲惨を、その愚かしさとともに、ただ見つめ、ただ受け入れたのだと思います。
溝口や黒澤作品の物語の最後に常に容易されている絶叫するような決定的な破綻は、小津作品にはあり得ません。
登場人物たちは、状況が少し劣化しただけで、さらに続く日常生活のなかで生殺しのような生かされ方をするだけです。
この世に生きてあることの愚劣を、ただ見つめ、そしてただ受け入れるための頑なな形式主義は、人間に対する不信と失意に満ちた諦観か侮蔑ゆえの小津監督の処世の技術みたいなものだったのかもしれませんね。
理解されることを諦めた孤独なその小津監督の異端者のまなざしは、「ベルリン天使の詩」を撮ったヴェンダースに近いものを感じます。