人気ブログランキング | 話題のタグを見る

世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

裁かるるジャンヌ ②

そういえば、ゴダールの「女と男のいる舗道」1962でアンナ・カリーナが涙を流すシーンは、それ自体が「裁かるるジャンヌ」の引用だったのですね。

だから、あのアンナ・カリーナの顔の大胆なクロース・アップこそは、映画史上もっとも美しいクロース・アップといわれるファルコネッティ=ジャンヌへの熱いオマージュを同時に意味していたのだったのかと、迂闊にもいま思い当たりました。

「裁かるるジャンヌ」を見て痛感することは、僕たちが日常的に接しているテレビによって、すっかり感受性を磨耗され尽くされてしまっていて、例えば、クロース・アップというものになんの感動も抱けなくなっている、いわば映像的不感症状態に陥っている自分に気付かされたりすることにあるかもしれません。

多分、僕たちは、テレビによって映像のなにもかもを経験し尽くしてしまったような積りになっています。

この世界のすべてのものを既に見尽くしてしまったような「すれっからしのやり手ババア」みたいな傲慢な視覚経験を経た(積りの)知識のバケモノみたいになってしまった気でいるのかもしれません。

しかし、事実は、僕たちが「なにひとつ見ていない」ただの無知でしかないことを、「裁かるるジャンヌ」の驚異的な映像群は、僕たちに教えてくれるでしょう。

ドライヤーが捉えたファルコネッティのクロース・アップと、僕たちがいまテレビ画面で見ている日本の役者たちのアップとが、どうしてこうも違うのか、しかしまあ、考えるまでもなく、幸福ズレしたニヤけた役者たちのワンパターンのなんとも退屈な薄ら笑いの稚拙な演技と、あのファルコネッティ演じる殉教者ジャンヌの落胆と苦悶、恐怖と悲嘆、憤怒と卑下などの感情を搾り出すような深い演技を、そもそも同一線上で論ずることにどんな意味があるのか、それとも、比較にさえ値しないと言い切るくらいの誠実さは、やはり失うべきでないのか、迷っています。

が、しかし、ここで、やはり天才的に突出したドライヤー作品を「神のみわざが為した映画の奇跡」という言葉で封印する必要があるのかなという気がしてきました。

この世界は凡人の世界です。

年譜で見るドライヤーの生涯の仕事の遇され方の印象は、ひとことで言えば、「封印」の生涯だったような気がします。

天才は封印し、日本のテレビに映し出されるドラマは、それはそれで肯定すべきものなのかもしれませんね。思いなおしました。

そして、カール・ドライヤーをひとことで言い表すなら、ふっと「異端者の悲しみ」という言葉が思い浮かびました。
by sentence2307 | 2004-12-15 22:25 | カール・ドライヤー | Comments(0)