「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」
2005年 01月 09日
そこには、ピーターが主人公のホームレス役を男臭く意欲的に演じると紹介されています。
その記事の中で「36年ぶりの主演」という部分が意外だったので、思わず検索してしまいました。
初めての出演作、松本俊夫の「薔薇の葬列」69が最初で最後の主演作、そしてその後の黒澤明監督の「乱」85に狂言回しの道化でワキとして出演したことで役者として本格的に評価されたというのは周知の事実だとしても、高められたその知名度が映画ではなく舞台の方で発揮されたというあたり、なんだか日本の映画界での黒澤明の冷ややかな遇され方とどこか通ずるものを感じてしまいます。
でも、とにかく、「薔薇の葬列」69の衝撃的なデビューと、16年を経た「乱」がピーターにとって大きなターニング・ポイントだったことは確かなわけですね。
しかし、「薔薇の葬列」と「乱」の印象を引き比べると、「乱」の印象の方が、僕にとって遥かに強烈に残っているのは、あながち製作年の時間的な差とばかりは言えないような気がします。
当時、この「薔薇の葬列」を見たとき、既に僕たちは、パゾリーニの「アポロンの地獄」を体験した後でした。
ギリシャ悲劇をベースにしたパゾリーニ作品「アポロンの地獄」の土俗的で因習美に満ちた斬新さは、薄汚れた都会のちまちまとした美少年の倒錯と死を描いた陳腐なコピー作品「薔薇の葬列」を跡形もなく僕たちに忘れさせてしまう程の強烈なものでした。
きっと、そこには、ふたつの失望が「あった」からかもしれません。
「薔薇の葬列」という作品への失望と、松本俊夫への失望と。
ある時期、僕たちにとって松本俊夫は、その著「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」によってとても近しく、そして懐かしい名前です。
僕が映画に接近した当初、まず最初に出会った名前が松本俊夫であり、その著作「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」でした。
この本によって、僕は、ブニュエルを知り、ベルイマンを知り、レネを知り、ゴダールを知り、アントニオーニを知り、フェリーニを知り、それらの傑出した映像作家たちの作品の見方もまた、教えられました。
映画というものに対してまるで知識のない初心者にとって、またとない幸せな出会いだったと思います。
その後も「表現の世界」、「映画の変革」、「幻視の美学」などを図書館などで探して夢中になって読みふけった記憶があります。
多分その頃、映画青年に与えた影響度からいえば、いまの衒学的な蓮實重彦をはるかに凌ぐでしょう。
少なくとも、読み終えて、得るところが何もないと感ずる蓮實本へのあの苛立ちと空しさなど、微塵も感じることはありませんでした。
「映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー」には、情熱に裏付けられた誠実で確かな「知識」があったからでしょうか。