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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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メトロポリタン・オペラ《一夜漬け》 ①

先月末にWOWOWのプログラムが送られてきたとき、いつもなら次の月に見る映画の目星をつけるくらいで(話題作と最新作は見逃さないように注意していますが、録画に頼り切っていて放送をリアルタイムで見たことがありません)、映画以外のその他の記事を詳しく読んだことがなかったのですが、ふと見ると、WOWOWライブで、メトロポリタン・オペラ公演のワーグナー「ニーベルングの指輪」を4夜にわたって放送すると書いてありました。

《ニューヨークにある世界最大級のオペラハウス「メトロポリタン歌劇場」。1883年に創設されて以来、最高水準のオペラを上演し続けるこの舞台は、世界トップ歌手たちの夢の競演に加え、セットや衣装などなにもかも華麗!ウィーン国立歌劇場、ミラノのスカラ座と並ぶオペラの殿堂として、「MET(メト)」の愛称で親しまれてきた。そのオペラ公演を最新技術を駆使したカメラワークと5.1chのダイナミックな音声で収録したMETライブビューイングを、全35作品放送する。幕間では、今まさに歌い終わった歌手たちへの直撃インタビューや、舞台セットの転換の様子など、劇場では見られない映像も満載。オペラファンにも、初心者にも、METのすばらしさを余すことなくお届けする。》

もちろん、自分はこれまで、オペラはおろか、単独で歌われるアリアのたぐいも進んで聞いたことはありません。

もともと興味がないのですから、仕方ないのですが、「勝手が分からない」ということもあります。

ただ、映画「アマデウス」を見たとき、モーツァルトの「フィガロの結婚」とか「魔笛」とかに(一瞬のシーンにすぎませんが)心をひかれたのですが、それも自分の知識のなさが原因で、結局それ以上積極的にはなれませんでした。

辛うじて題名くらい知っている程度で、おこがましくてワーグナーの「ニーベルングの指輪」など見通せるわけがないと、今回は残念ながら、録画するのも見送りました。

しかし、諦めたわけではありません。

少し前に、歌舞伎とオペラとを比較したときに感じたことなのですが、スタンダードな演目を違う演者が様々な個性で演技を競うということに観賞の醍醐味があるのだとすれば、観賞するまえに、まずはその「スタンダード」を学ぶ必要があるのではないか、ストーリーを知らないで演技を楽しむなんて、できるわけがないと考えました。

そうそう、落語なんかでもそうですよね。

僕たちが知っている名人上手の語りの記憶を念頭に、いまの若い噺家の落語を聞いて、随分がっかりすることも多いのですが、しかし、そのたびに失望はするかもしれないとしても、「観賞」すること自体を失ってしまったら、元も子もないというか、それこそ何にもならないという気がします。

自分の周りにも何人かの熱狂的なワグネリアンがいて、以前は、どうすればあんなふうに熱狂できるのか、なんだか不思議で羨ましかったのですが、多分知識の積み重ねと、経験の積み重ねとによって、ああいうワグネリアン出来上がるのだと思うようになりました。

そこで、ずいぶん安直とお思いになるかもしれませんが、さっそく図書館に行って関連本を借りてくることにしました、知識の詰め込みをしようと思います。

借りてきたのは、宮澤縦一という人の書いた「私がみたオペラ名歌手名場面」講談社、1996.10.4.1刷、360頁、という本です。

う~ん、これはいいかもしれません。

名オペラ歌手の最も得意とする演目が列挙されているのですから、オペラのにわか勉強の参考書には、うってつけじゃないですか。

それにしても名オペラ歌手というのは、ずいぶんいるものですね。

ここに挙げられている歌手だけでも19人もいました。ざっと、こんな感じです。

ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラス、グルベローヴァ、マリア・カラス、テバルディ、シミオナート、ニルソン、アンナ・モッフォ、シュワルツコップ、リタ・シュトライヒ、デル・モナコ、タリアヴィーニ、ホッター、ダル・モンテ、シャリアピン、三浦環、藤原義江、伊藤京子、

以下、まずは名歌手たちの略歴などを検索しました。

★ドミンゴ Placido Domingo (1941― )
スペインのテノール歌手。マドリード生まれ。幼時両親とともにメキシコに移る。両親はスペインの歌劇サルスエラの歌手。メキシコでピアノ、指揮を学んだのち声楽を修め、当初はサルスエラの歌手として活躍。テノール歌手としてオペラに本格的なデビューを飾ったのは1960年、ベルディ『椿姫(つばきひめ)』のアルフレード役であった。62~65年イスラエル国立オペラに所属、66年ニューヨークにデビューし、以後世界の主要歌劇場でイタリア・オペラを中心に歌い、今日の代表的テノール歌手として名声を確立している。1976年(昭和51)イタリア歌劇団の一員として初来日して以来、メトロポリタン歌劇場の日本公演などに参加してたびたび来日。パバロッティ、カレーラスとともに現代の「三大テノール」とよばれ、1990年サッカー・ワールドカップ・イタリア大会の決勝戦前夜のコンサートで3人は初共演した。以来94、98、2002年のワールドカップほか世界各地で三大テノールのコンサートは行われた。近年はオペラの指揮者としても活躍している。

★パヴァロッティ Luciano Pavarotti (1935―2007)
イタリアのテノール歌手。モデナ生まれ。1961年デビュー。63年アムステルダムで国外デビュー。65年ミラノ・スカラ座に初登場、67年にはカラヤン指揮、ベルディの『レクイエム』の独唱者として大成功を収め、イタリアのテノールの代表的存在として世界各地の主要歌劇場で活躍。ベルディのほかドニゼッティ、ベッリーニなどのベルカント・オペラを得意としていた。大きな体格ではあるが、声質はむしろ細く甘美であり、その明快で輝かしく、知的にコントロールされた表現も高く評価され、とくにアメリカでは絶大な人気があり、またテレビなどメディアへの登場も多かった。カレーラス、ドミンゴとともに今日の「三大テノール」と称され、1990年サッカー・ワールドカップ・イタリア大会の決勝戦前夜のコンサートで3人は初共演した。以来94、98、2002年のワールドカップでも三大テノールのコンサートは行われた。1971年(昭和46)イタリア・オペラ団の一員として初来日以来、たびたび日本を訪れ、オペラ、三大テノールによるコンサートなどに出演した。ほか2006年のトリノ冬季オリンピック開会式への出演、大規模な野外コンサートなど歌劇場以外での活動も多彩であった。

★カレーラス Jos Carreras (1946― )
スペインのテノール歌手。バルセロナに生まれ、同地の音楽院で声楽を学んだのち、1971年パルマで開かれたベルディ国際声楽コンクールで1位となる。ソプラノ歌手カバリエらの口添えで同年ロンドンにデビューしたのを皮切りに、世界各地の一流の歌劇場に出演。ベルディを中心にイタリア、フランスのオペラを幅広く歌い、声の甘美さ、フレーズの作り方の純粋な美しさにより、同世代のリリック・テノールの代表的歌手とされている。1973年(昭和48)NHKの招いたイタリア歌劇団に加わって初来日。一時、病気のため舞台から退いたが、89年に復帰、パバロッティ、ドミンゴとともに現代の「三大テノール」とよばれ、1990年サッカー・ワールドカップ・イタリア大会の決勝戦前夜のコンサートで3人は初共演した。以来94、98、2002年のワールドカップほか世界各地で三大テノールのコンサートは行われた。

★エディタ・グルベローヴァ Edita Gruberová, (1946 ―)
ソプラノ歌手。チェコスロバキア(現在はスロバキア)のブラティスラヴァに生まれる。父親はドイツ系で母親はハンガリー系である。同地の音楽院で学んだ後、プラハ、ウィーンで声楽を学ぶ。 1968年、わずか22歳でブラティスラヴァの歌劇場でデビュー、1970年にはウィーン国立歌劇場と契約、1973年にはザルツブルク音楽祭に出演する。圧倒的な美声と驚異的な技巧を兼備したコロラトゥーラ・ソプラノ。 同郷からオーストリアに移った先輩であるルチア・ポップがおおむねドイツオペラを中心に活躍したのに対しイタリアオペラ等にも積極的で、特にベルカントでは当代を代表する歌い手の一人である。夫の指揮者フリードリッヒ・ハイダーがそのバックを振ることが多く、彼はオーストリア人にもかかわらずイタリアオペラのスペシャリスト的存在となっている。自身の半生を語った自叙伝『うぐいすとバラ』(音楽之友社)があり、現在の華々しい活躍からは想像もできない若い頃のグルベローヴァの苦悩を知ることができる。

★マリア・カラス Maria Callas (1923―1977)
ギリシアのソプラノ歌手。ギリシア系移民の子として、12月3日ニューヨークに生まれる。15歳のときギリシアに移り、アテネ音楽院で学び、1941年アテネ歌劇場でプッチーニの『トスカ』でデビュー。47年北イタリア、ベローナのオペラ祭で一躍有名となり、イタリア各地の歌劇場でベルディやワーグナーのオペラを歌うようになったが、指揮者セラフィンの勧めで、19世紀前半からベルディまでのイタリア・オペラを中心にするようになり、劇的に彫琢(ちょうたく)された演技、ベルカントの歌唱様式の理想、役に対する知的な解釈が一体となった演奏スタイルをつくりあげた。とくに1950年代のカラスは、流麗さと多彩な声質を駆使し、人物の深い心理表現を探究するのに成功した。しかし、60年代には声に変調をきたすことが多くなり、しばしば公演をキャンセルした。65年ロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場で『トスカ』を歌ったのを最後にオペラの舞台から引退。70年にはパゾリーニ監督の映画『王女メディア』に出演。以後はときおり教育活動と演奏会を続け、73年(昭和48)にはディ・ステファノとのジョイント・リサイタルで来日した。77年9月16日パリで没。

★テバルディ Renata Tebaldi (1922―2004)
イタリアのソプラノ歌手。ペザロに生まれ、1944年デビュー。2年後ミラノ・スカラ座のオーディションを受け、名指揮者トスカニーニの目に留まったため、47年彼の指揮でスカラ座の初舞台を踏んだ。以後十数年にわたり毎年スカラ座に出演しつつ世界の主要歌劇場で活躍、50年代はマリア・カラスと名声を競い合った。豊かで明るく透明な声、自然な発声法、作品のスタイルに即し、劇的であるとともに精緻(せいち)な感情表現を特徴とし、一時代前の名技主義的、感情過多的表現とは一線を画した表現を確立した。ベルディ、プッチーニをおもに歌い、多くの録音を残している。61年(昭和36)初来日。デル・モナコと共演した『トスカ』などは名唱とされている。76年引退。

★シミオナート Giulietta Simionato (1910―2010)
イタリアのメゾ・ソプラノ歌手。フォルリに生まれる。ロビーゴでグイード・パルンボGuido Palumboなどに師事。1928年にモンターニャ(イタリア)でマスカーニの『カバレリア・ルスティカーナ』のローラ役を歌い、1933年フィレンツェのベルカント・コンクールで優勝。1935年にはイルデブランド・ピツェッティの『オルセオロ』初演のために行われた、フィレンツェでのコンクールで385人のライバルを破り第1位を獲得。翌1936年ミラノのスカラ座でベルディの『リゴレット』のマッダレーナ役を歌ってデビューしたが、初めは脇役としての採用だった。その後ベネチアのフェニーチェ座、ローマ歌劇場、ナポリのサン・カルロ劇場に出演、さらに第二次世界大戦後にはイタリア以外の国々での活躍も加わり、ロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場など各国の主要な劇場に出演する。美しい容姿と、優れた歌唱力と演技力、性格描写で世界中に知られる。1966年ピッコロ・スカラ(ミラノ)で、モーツァルトの『ティトゥス帝の慈悲』のセルビリア役を最後に引退、後進の指導にあたる。数多くの録音が残っているが、そのうちのいくつかを挙げると、ローマのアルジェンティーナ歌劇場でのロッシーニ『セビーリャの理髪師』(ロジーヌ役)、指揮フランコ・カプアーノFranco Capuano、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院合唱団と管弦楽団の共演によるチレーアのオペラ『アドリアナ・ルクブルール』(ブイヨン公爵夫人役)、ベルディのオペラ『トロバトーレ』(ザルツブルク音楽祭(1962)でのライブ録音。アズチェーナ役)などがある。またベルディのオペラ『仮面舞踏会』(ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団、指揮ジャナンドレア・ガバッツェーニGianandrea Gavazzeni(1909―96))は1957年スカラ座でのライブ録音であるが、アメリアをマリア・カラス、ウルリカをシミオナートが演じている。また、『ジュリエッタ・シミオナート・オペラ・アリア集』も出ている。NHKが1956年(昭和31)から20年間にわたって8回行った「イタリア歌劇団公演」の映像が残っており、モノクロームではあるがシミオナートの姿もDVDで見ることができる。『セビーリャの理髪師』でのロジーヌ、『アイーダ』のアムネリス、『フィガロの結婚』のケルビーノ、『トロバトーレ』のアズチェーナ、『カバレリア・ルスティカーナ』のサントゥッツァ、『ドン・カルロ』のエボリ公爵夫人などの役を得意とし、第二次世界大戦後のイタリア・オペラの黄金時代を築いたオペラ歌手の一人である。

★ニルソン Birgit Nilsson (1918―2005)
スウェーデンのソプラノ歌手。ウェスタ・カルプに生まれる。ストックホルム王立音楽院で学び、1946年同地の歌劇場でデビュー。54年、ミュンヘンでワーグナーの『ニーベルングの指環(ゆびわ)』のブリュンヒルデを歌ったほか、ウィーン国立歌劇場、バイロイト音楽祭に初登場した。57~70年は毎年バイロイト音楽祭で『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ、『ニーベルングの指環』のブリュンヒルデやジークリンデを歌い、当代最高のワーグナー歌手の一人とされた。オーケストラの響きにも劣らぬほどの豊かな声量、また、劇的で緊張感にあふれた表現により、ワーグナーばかりでなく、『エレクトラ』などR・シュトラウスのオペラでも名演を残した。67年(昭和42)大阪国際フェスティバルの『トリスタンとイゾルデ』公演で初来日。85年引退。

(以下②)
Commented by OakleySunglasse at 2013-06-19 10:25 x
Hi there, just wanted to mention, I liked this blog post. It was funny. Keep on posting!
by sentence2307 | 2013-01-27 09:36 | 徒然草 | Comments(1)