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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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洲崎パラダイス・赤信号

食い詰めた男と女が行き場所を失い、切羽つまって、洲崎に流れてきます。

しかし、川向こう洲崎遊郭で働き口を見つけるまでの決心はつかないまま、女は橋のたもとの一杯飲み屋で働き、男は蕎麦屋の出前持ちになります。

離れ離れの生活を送るうちに、女は男との腐れ縁を絶つように電気屋の主人の囲われ者となり男の前から姿を消すと、一時は男も半狂乱になって女を探しますが、それもやがて諦めて仕事に精を出すうちに、飲み屋の亭主が昔の女に殺されるという事件が起こり、それをきっかけとなって再び女とよりが戻ります。

離れたりひっついたりしながら、男と女は誰もが今にも千切れそうな生活という一本の綱の上で危なっかしい世渡りを続けているのだと描かれます。

だが、この映画の本当の主人公は、むしろ、橋の袂に踏み止まる二人を絶えず脅かし続ける川向こう、洲崎パラダイスからの、堕ちる所まで堕ちて捨て身の逞しさで生きる様々な人間たちの、お祭り騒ぎのようなどよめきと賑わいです。

あの溝口健二の最期の作品「赤線地帯」は、奇しくもこの同じ年に撮られています。

地獄のような赤線の町から抜け出すためには、死ぬか気違いにでもならなければ駄目なのだと、売春制度の悲惨を憎悪を込めて告発したこの作品の悲惨な女たちの数々の運命が、まるで見本市のように蒐集されて描かれていく果てのラストで、ひとりのいたいけな少女が無理矢理塗りたくった厚化粧の中から、恐る恐る客に声をかける初店の鬼気迫る場面には、溝口の女性崇拝を基盤にした非人間的制度への怒りと怨念の告発が漲っていました。

しかし、過酷な運命に弄ばれ、されるがままになっている人形のような、どこまでも被害者でしかない溝口の描く女たちに比べると、川島雄三の描く女たちは、惨めな生活に絶望しながらも、だからこそ限られたその人生の、女として味わい得る快楽の悉くを享楽するために、露骨な欲情を押し隠すこともなく、とことん生き尽くそうとする貪欲な「人間の女」たちなのです。

思えば「幕末太陽傳」で、佐平次が、溢れ出る活力に任せて、はしゃぎ回り、暴れ回ったその後で、人知れず時折咳き込みながら見せた暗い不吉な表情が、彼のすぐ傍らにある死の存在を明確に仄めかすことで、作品自体に彫りの深いニヒリスティックな陰影を与え得て、物語に更に一層の豊かな奥行きを持たせることに成功し、また、それだけに観る者に強烈な印象を与えることが出来たのだと思うのですが、この「洲崎パラダイス・赤信号」における、佐平次のそうした「死」に見合うだけの謎といえば、それはきっと女(蔦枝)の「過去」の得体の知れなさではないでしょうか。

食い詰めた二人が洲崎まで流れてきて、橋の手前で躊躇する感じが何やら意味ありげなのです。

そして物語が進行するにつれ蔦枝が元娼婦だったらしいことが、周囲で取り交わされる会話や雰囲気で何となく分かり始めます。

そのことで、更に蔦枝の迷いも少しずつ分かり始めます。

食うためなら、少しの間、体を売ってもいいかも知れない、と考えたかも知れません。

彼女が、体を売ること自体に抵抗を持っていたとは考えにくいものがあります。

もしあるとすれば、亭主に対する遠慮だけだったのではないでしょうか。

ここで川島雄三が描いている蔦枝という女は、溝口健二の描いた日本の古い因習に囚われた痛ましい女たちとは、だいぶ様子が違います。

蔦枝には、そもそも性に対する罪悪感が全然ありません。

むしろ、蔦枝は、「洲崎遊郭」という解放区で性の魅力と自由さに再び魅入られ虜にされてしまうことを恐れているかのようにさえ思えてしまいました。

彼女が持て余しているのは、絶望的なくらいに生き生きとした彼女自身の「女であること」の決定的なバイタリティです。

ここまで書いてきて、この作品は、もしかすると売春防止法というものに対する川島雄三の意思表示だったのかもしれないと思えてきました。

もし金のために嫌々身を売らねばならない不幸な女が一人でもいるなら、売春防止法は有効であるという論理の裏側で、1人だけの男に独占されることを拒み、様々な男たちとの性交渉を通して自分の肉体が持つ官能の可能性の総てを欲望のままに享楽し尽くそうとする女がひとりでもいる限り、売春防止法は無効であるという論理も成り立つ可能性も在り得るのではないか、というような・・・。

この作品は、川島雄三の最高傑作です
by sentence2307 | 2005-02-15 22:48 | 川島雄三 | Comments(0)