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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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噂の二人

オードリー・ヘップバーンの女優生活にとって、その大きな節目ごとの演出にあたったウィリアム・ワイラーの存在は、とても大きかったと思います。

「ローマの休日」で彼女の才能を大きく開花させ、「噂の二人」で演技派への可能性を模索し、「おしゃれ泥棒」では、現在、僕たちが抱いているキュートでチャーミングなオードリー・ヘップバーン像というものを確立しました。

特に、「噂の二人」は、いわば当時にあっては、タブー視されていた同性愛を扱ったシリアスな物語です。

おそらく、道徳諸団体や、「良識」あるファンから危惧や反対が当然あったでしょう。

それでも、そうした圧力のなか、この「噂の二人」にあえて出演しようとした意気込みは並大抵なものではなかったろうと思います。

「お姫様女優」というイメージから脱しようと、懸命に意欲的な作品を模索した彼女の焦りが何となく察せられます。

物語は、寄宿舎の私立学校を共同経営するふたりの女性が、女生徒に同性愛だというスキャンダルをばら撒かれ、保守的な社会の中で、やがてパートナー(シャーリー・マクレーン)の自殺という悲劇的な結末に至るまでが描かれます。

ラストの、総てが嘘だと分かって謝罪する人々を無視するように、昂然と胸を張って立ち去っていくオードリーの威厳に満ちた演技は、「第三の男」のラストのアルダ・ヴァリを彷彿とさせました。

この原作は、リリアン・ヘルマン(フレッド・ジンネマンの「ジュリア」でジェーン・フォンダが演じていました。)の舞台劇「子供の時間」で、ワイラーは1936年に、既にThese Three「この三人」としてこの戯曲を映画化しています。

当時、ハリウッドには、倫理チェックを自主的に行おうとする「ヘイズ規制」がありました。

配給協会初代会長ウィル・H・ヘイズは、大衆に良質な映画を贈ろうという理念のもとに、あらわなセックス・シーンや暴力描写を禁じようと製作の企画段階から完成に至る全行程を倫理審査委員会の監視下に置いたのです。

そして、不道徳な戯曲「子供の時間」の映画化ということもあり、要監視の判定を下した「この三人」に、製作するについて幾つか条件が出されました。

戯曲の映画化と分かるような題名の使用や広告をしないこと、映画中に同性愛を仄めかさないこと。

この規制によってヘルマンは、この物語を、ありふれた三角関係の話に書き換え、ワイラーは、不本意な映画を撮ることとなりました。

この「ヘイズ規制」は、アメリカン・ニューシネマの登場までの長い間、ハリウッドを支配したと言われています。

しかし、一面では、この規制があったから、ハリウッドは、例えば、キッス・シーンをどのように美しく、しかも官能的に撮るかという工夫や高い技術を極められたとも言われていることも事実です。

そのお陰で、僕たちは、幾つもの優れた暗示によるセックス・シーンを見ることができたのです。

そういえば、解説書に、こんな一文を見かけたことがありました。

《「この三人」は、マール・オベロンとミリアム・ホプキンスという30年代の優れた二人の女優によって、溌剌とした魅力のある映画となり、見方によっては、原作に忠実な「噂のふたり」より、あるいは映画的に面白い作品になっているかもしれない》そうです。

理不尽な規制によって、その中から、より優れたものが生み出されるとは、なんとも皮肉ですが、こういう話って、なんか、よく聞きますよね。

ハリウッドにおける初主演作「ローマの休日」で、並み居る名女優たちを押し退けて、早々にアカデミー最優秀主演女優賞を獲得してしまったオードリー・ヘップバーンにとって、それ以後の女優活動のプレッシャーは、相当なものだったろうと思います。

「麗しのサブリナ」以後、出演作の演出に当たった監督をみても、それはもう壮観のひとことにつきます。

ビリー・ワイルダー、キング・ヴィダー、スタンリー・ドーネン、フレッド・ジンネマン、ジョン・ヒューストン、そして、ウィリアム・ワイラー。

ハリウッドを代表するこれら名匠・巨匠たちの壮観さを見ると、いかにオードリーを大事に育てようとしていたか、製作者側の並々ならぬ思いが伝わってきます。

それらの作品群は、彼女の優雅で上品な物腰や、チャーミングな仕草や、キュートな容姿を存分に見せながら、しかし、それらの魅力に寄り掛かることなく演技派としてもちゃんと育てて(または、作って)いこうという制作者の強い意欲が感じられました。

しかし、次第に売れ筋の「優雅・チャーミング・キュート」というファッショナブルな要素だけが強調される傾向が顕著になっていったことも事実です。

あれほどの強運と素質もち、人を魅了してやまない天性の美貌に恵まれていたにもかかわらず、彼女が、この程度の作品しか残せなかったことは意外でもあり、極めて残念です。

躊躇なく「妖精のような」と形容できるこの大女優を、真に生かしきった作品がどれ程あるのか、僕の長い間の疑問でした。

例えば、名作「マイ・フェア・レディ」の逸話が、そのことを端的に表しているかもしれません。

ブロードウェイで実に7年間もの大ヒットを続けたこのミュージカル「マイ・フェア・レディ」で主役を演じたのは、当時まだ無名だった驚異的な新進女優ジュリー・アンドリュースでした。

その爽やかでダイナミックな歌唱力は高い評価を受けていただけに、映画化に際しても主役はジュリーと思われていたのが、製作者の思惑からオードリー・ヘップバーンと決まったとき、ブロードウェイ関係者は、あからさまな失笑を隠そうともしませんでした。

550万ドルの高値で落とした映画化権のモトを取り返すために、どうしても安全な選択=知名度のある女優の起用が求められたこと、しかし歌えないオードリーには、歌唱場面を「クチパク」の吹き替えで演じさせるしかなく、実際はマーニ・ニクソンに歌わせました。

64年のアカデミー賞は、作品賞、主演男優賞、監督賞、美術監督装置賞、衣裳デザイン賞、編曲賞など「マイ・フェア・レディ」の圧倒的な一人勝ちでしたが、しかし、主演女優賞だけは、オードリーは、ノミネートさえされませんでした。

そして、皮肉なことに、当り役のイライザをオードリーに泣く泣く譲ったジュリー・アンドリュースが「メリー・ポピンズ」で、見事主演女優賞を獲得しました。

製作者の「ゴリ押し」の、まるで懲らしめのようなこの残酷な結果は、それまでの映画の作り方そのものを問うシビアなものでした。

それまでの独善的なハリウッドの女優づくりの完全な敗北でしたが、しかし、なにより、オードリー自身が深い痛手を負いました。

あの「ローマの休日」によって鮮烈なデビューを飾ったとき、「オードリーの登場によって、女優の魅力が、もはや胸の大きさで測られる時代は終った」と絶賛したマスコミも、今度は、新星ジュリー・アンドリュースをもてはやしました。

この時、人々は、「終ったとされた胸の大きな女優」マリリン・モンローと、両極端のように見えたオードリーとが意外に近い場所で「作られた女優のイメージ」の重圧に苦しんでいる同じ姿を見たかもしれませんね。

「一晩中踊れたら」「君住む街角」「時間に遅れずに教会へ」「スペインに雨が降る」などの数々の素晴らしい名曲を聴くたびに、僕たちは、オードリー・ヘップバーンの優雅で愛らしく歌う姿をどうしても思い起こしてしまいます。

そして、その度にその歌が彼女の歌でなかったことを改めて思い出し、何か納得できない喪失感をもてあますような感じを抱き続けてきた僕にとって、そのオードリー・ヘップバーンが亡くなった今、やっと、この喪失感も落ち着く場所を得たようです。
(1961アメリカ)製作監督・ウィリアム・ワイラー、脚本・ジョン・マイケル・ヘイズ、原作・リリアン・ヘルマン、音楽・アレックス・ノース、撮影・フランツ・プラナー、編集・ロバート・スウィンク
出演・オードリー・ヘプバーン(カレン・ライト)、シャーリー・マクレーン(マーサ・ドビー)、:ジェームズ・ガーナー(ジョー・カーディン)、ミリアム・ホプキンス(リリー・モーター)、ヴェロニカ・カートライト(ロザリー・ウェルズ)、フェイ・ベインター(アメリア・ティルフォード)
Commented by Fitflop sale at 2013-06-16 01:19 x
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Commented by mbt shoes at 2013-11-28 12:35 x
mbt moja 噂の二人 : 映画収集狂
by sentence2307 | 2013-04-29 14:36 | ウィリアム・ワイラー | Comments(2)