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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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裸足の1500マイル

最近、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが出演していたフランクリン・シャフナーの「パピヨン」73を本当に久しぶりに見ました。

官憲に捕縛された男マックイーンが、ひたすら自由を求めて、隔離されていた刑務所島から執拗に脱出を試み、最後にはついに脱出に成功するという物語です。

見た当時は、すごく感動した記憶があり、多分そうしたノスタルジーもあって、遠い思い出に引きずられるように見たのですが、そこには当時見たときに感じたあの感動は残念ながらありませんでした。

しかし、決してこの作品が劣っているというわけではありません。

とても好きなタイプの作品です。

ですが、いま見ると強靭な意志で信念を貫こうとするマックイーンの設定が、かなり非現実的に見えてしまい、ずいぶん観念的な映画だったんだなあ、という感じを受けました。

かつてのあの感動は、単に僕の「若さ」が見させただけのものだったのでしょうか。

昔からこのタイプの映画がとても好きなので、思い浮かぶ作品を端からざっと挙げてみても、例えば、スチュアート・ローゼンバーグの「暴力脱獄」とか、ドン・シーゲルの「アルカトラズからの脱出」とか、ジャック・ベッケルの「穴」とか、ロベール・ブレッソンの「抵抗」など、数え上げていったらキリがありません。

そうそう「大脱走」なんかもこの範疇にはいるかもしれませんよね。

それらの作品に共通しているものは、強権に屈することなく叩かれても叩かれても立ち上がることを止めない不屈の精神を持って、ひたすら自由を求め続ける男たちの物語ということなのですが、最近は、こうした純粋すぎる行為をストレートに描く物語が、あまりに現実離れしているように思えてしまい心から馴染むことができません、すんなりと自分の中に入ってこないのです。

人間は、もっと優柔不断で弱々しいに違いなく、卑怯で狡猾で移り気で、そしてもっと愚かであってもいいような気がします。

かつては、あからさまな剥き出しの権力がごく身近にあって、その強権の押し付けをモロに実感できた時代的な背景で成り立っていたストーリーだったのかもしれません(きっと「いちご白書」なんかが、そうだったのでしょうね)が、すっかりマイルドになってしまった現在、そうした時代的な移り変わりもあって、優柔不断で弱々しく、卑怯で狡猾で移り気で、さらに愚な人間の方に、よりリアリティを感じ、自分自身でも安心することができるのだろうなという気がします。

それに、このような自由を求める「純粋な行為」を堂々と謳い上げる物語を、リアリティのある話として納得できるためには、もう少し確かで具体的な動機づけの「担保」が欲しいなと思うようになりました。

「まさに、こういう動機があったればこそ、あらゆる障害を乗り越えて、彼らはどこまでも執拗に自由であろうとしたのだ」というその「動機づけ」です。

この積年の思いにひとつの明確な答えを与えてくれたのが、フィリップ・ノイス監督の「裸足の1500マイル」02でした。

オーストラリアでは先住民アボリジニの子供のうち、白人との混血児たちだけを家族から引き離して集め施設に隔離し、彼らに教育を施して白人社会に適応させていこうという「隔離同化政策」がとられたということが、この物語のベースになっています。

僕もこの作品で、その政策のことを初めて知り、本当に驚きました。

この政策の表向きの目的は、あくまでもアボリジニの子供たちに英語やキリスト教など白人と同じような教育を施し、白人社会に適応できるような社会人に育てあげようというものなのですが、それは表向きの理由で、本当は、白人にとって「見苦しくない白い肌に近い子供」を物色し、あるいは従順なメイドとして調教するのが主たる目的の「人間狩り政策」です。

そして子供たちが従順にその教育を受け入れれば、「お前らケダモノみたいなアボリジニでも、白人社会の高度な文明の恩恵に浴すことができるし、いい生活もできるんだぞ。メイドとしてな。」
というわけなのです。

この政策を支えている思想は、明らかに、白人は美しくてアボリジニは醜く汚い、白人は賢くアボリジニは愚鈍だ、という根深い人種差別に支えられた西洋文明至上主義の考え方であり、「劣った愚鈍な民族」を西欧文明によって啓蒙してあげるぞという押し付けがましい尊大で傲慢な思い上がりです。

この映画は、そうした強制収容所から故郷の母親に会うため逃げ出した少女たちが、海に続くフェンスRabbit Proof Fenseを辿って2400キロを90日間かけ、幼い知恵と、幼い気力と、そして幼い怒りを胸に秘めて歩き通した物語です。

この映画を見るうちに、たまらなく苛立ち、そして、やり場のない怒りに捉えられた僕の、その「安っぽい怒り」をまるで諭すかのようなこの映画の淡々とした少女たちの描き方には、感動を抑えられません。

この映画には、あの僕が愛した「強権に屈することなく叩かれても叩かれても立ち上がることを止めない不屈の精神を持って、ひたすら自由を求め続ける」雄々しく華々しい強靭な意志など、どこにも見当たりません。

むしろ、どんなに虐待され、拘束され、差別を受けようと、言葉少なに、ひたすらに母を求める歩みをやめようとしない少女たちのひたむきな姿にただ心打たれるばかりでした。

(2002オーストラリア)監督製作・フィリップ・ノイス、製作・クリスティン・オルセン、製作総指揮・ジェレミー・トーマス、原作・ドリス・ピルキングトン、脚本・クリスティン・オルセン、撮影・クリストファー・ドイル、音楽・ピーター・ガブリエル、編集・ヴェロニカ・ジネット、ジョン・スコット
出演・エヴァーリン・サンピ(モリー)、ケネス・ブラナー(ネヴィル)、ローラ・モナガン(グレーシー)、ティアナ・サンズベリー(デイジー)、デイヴィッド・ガルピリル(ムードゥー)、ニンガリ・ローフォード(モリーの母)、ミアーン・ローフォード(モリーの祖母)、デボラ・メイルマン(メイビス)、ジェイソン・クラーク(リッグス)
Commented by fakeOakleyAntix at 2013-06-19 14:12 x
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by sentence2307 | 2013-05-22 21:50 | 映画 | Comments(1)