決戦の大空へ
2005年 02月 20日
日本映画専門チャンネルがこのところ放映している原節子主演映画の今月の8本は、もっとも終戦に近い時期に作られた戦意高揚映画です。
それらの8本の作品の封切り日をあげると、
①熊谷久虎監督の「指導物語」が1941年10月4日、
②山本嘉次郎監督の「希望の青空」が1942年1月14日、
③伏水修監督の「青春の気流」(脚本は黒澤明が書いています)が1942年2月14日、
④佐藤武監督の「若い先生」が1942年3月20日、
⑤島津保次郎監督の「緑の大地」が1942年4月1日、
⑥同じく島津保次郎監督の「母の地図」が1942年9月3日、
⑦今井正監督の「望楼の決死隊」が1943年4月15日、
⑧そして、渡辺邦男監督の「決戦の大空へ」が1943年9月16日
となっていますので、この8本のなかでは「決戦の大空へ」が、戦況の最も厳しくなっていた時期に撮られた作品ということができると思います。
この作品「決戦の大空へ」は、日本の敗色が濃厚になり始めていた戦争の末期1943年に、土浦海軍航空隊、あの「七つボタンは桜に錨」の予科練の生活を描いて大ヒットした海軍省後援の国策映画です。
もとより国民の戦意高揚をはかるために作られた映画だったのですから、その主たる目的は十分に果たしたといえるでしょう。
冒頭「撃ちてし止まん」の字幕で始まるこの映画には、中盤に挿入されている敵航空母艦に捨て身の体当たり攻撃を敢行し、ミゴト敵艦を撃沈させたという軍神たる卒業生の悲壮なエピソードを重要な完結点として設定して、その主題に向かって姉・原節子と弟の愛情深い成長物語が展開されていくのですが、しかし、ここで扱われている本当のテーマは、「少年兵の徴募」という差し迫った軍部からの要請のメッセージであり、もしこれが姉弟の成長物語を退けて危機感をただ煽るだけの露骨な強調に終始したミエミエの国策映画だったら、民意をこれほどまでに摑むことはできなかったでしょう。
きっと「予科練の歌」をなぞるだけの、それこそ眼を覆いたくなるような惨憺たる無味乾燥な宣伝映画で終わっていたと思います。
やたら景気のいいこの軍歌「予科練の歌」には、国家から早々に死ぬことを求められた若者たちの、開き直った捨て鉢な快活さと共鳴する何かがあったのだろうなと思いますが、しかしそれらに反して作品の中心に凛とした原節子の姉を据えたことによって、この映画が宿命的に負わされていたはずの、死の影に覆われた血と死の臭いのする自棄的で支離滅裂な「どろどろ」の噴出を「原節子」が抑え鎮めることができたのだと思います。
そういう原節子の存在のあり方に一種のカリスマ性を見て、当時多くの人々が彼女に神に仕える巫女を幻想したり、あるいは、「軍国の女神」などと命名した気持ち、なんか分かるような気がします。
映画史的にいえば、熊谷久虎の影響を考えるべきなのかもしれませんが。
そういえば、この映画の中に練習生のひとりとして、元気いっぱい「予科練の歌」を歌っている若き木村功の姿をみつけ本当に驚きました。
僕にとって、木村功といえば、まずは「真空地帯」を連想してしまうくらいなので、どうもこの元気いっぱい「予科練の歌」を歌い上げている練習生・木村功の姿にはちょっと違和感を覚えざるをえません。
戦後つくられた映画、あの軍隊内部で傷み付けられ傷だらけにされながら、それでも軍に反抗し続けた「真空地帯」の陰鬱な兵士の姿には反戦のイメージの方が強くて、どうしても「予科練の歌」にしっくりこないものがあったので、先日、酒の席でその違和感を友人に話したところ、むしろ逆に否定されてしまいました。
友人
「例えば、どう抵抗したって、あがらえるわけもない国家権力にねじ伏せられるのなら、既に死の領域に踏み込んでいた彼らにとって、せめて死んでいくための意義めいたものが欲しい、何かに縋りつくもの、拠り所のようなものが欲しかったのだと考えた方がむしろ妥当だ。
そんな当時の若者の前に、たまたまあったのが「予科練の歌」であり、「原節子」だったにすぎない。
そこに選択の余地など何一つなかったという事態は、なにも観客ばかりでなく演じる方だって同じだったはず。
戦前においても、また戦後、手の平を返すように民主主義の旗手めいた役を演じねばならなかった役者にとっても、重要なのは常に目の前の役を「演じること」であって、何かを「主張する」ことではなかったことと、それは符号する。
それを『時代に翻弄された』などというべきではない」
のだそうなのです。
かなり酔った状態での言葉の応酬だったので、それが木村功の話だったのか、原節子についてだったのか、時代に翻弄される国民や役者たち総体についてのことだったのか、醒めてみれば僕も友人も、何を話したのかさえもうほとんど覚えてない状態でしたが、しかしそれは出征していく若者たちの話でもあり、戦後「真空地帯」で兵士を演じた木村功という役者の話でもあり、「わが青春に悔いなし」で民主主義を貫いた女性を凛々しく演じた原節子についての話でもあった、つまりはそのすべてを包括した話だったのだと思いました。
それはまた、僕の長い間の疑問だった、病弱な弟を慈愛の眼差しで温かく見守る姉・原節子が、優しく励まし、諭し、叱咤して、「躊躇する弟」が象徴していた日本の若者たちに向けて戦場へ赴く決断を促し、立派な軍人として戦場へ送り出すという役を演じたそのたった3年後に、今度は「わが青春に悔なし」で民主主義の旗手を演じた「変節」の、その答えでもありました。
ひとりの女優の、その神がかった清純な魅力に導かれ、または心の拠り所にして戦地に赴き、散華して果てた兵士たちはもとより、残された家族の「原節子」観がどのようなものだったのか、あるいは、戦場で死に損ない、戦後の荒廃期を生き延びねばならなかった多くの兵士たちが、「わが青春に悔いなし」で民主主義の素晴らしさを大真面目に謳い上げる原節子を見て、どのような思いを持ったか、僕が想像していたよりも遥かに大衆は違和感なく原節子を受け入れたように見受けられます。
友人の示唆《役者にとって重要なことは、常に目の前の役を「演じること」であって、何かを「主張する」ことではなかった。その「演じた」ことを『時代に翻弄された』などというべきではない》がその答えだったように思いました。
(43東宝)製作・山下良三、演出・渡辺邦男、脚本・八住利雄、撮影・河崎喜久三、音楽・伊藤昇、作詞・西條八十、作曲・古関裕而、美術・安倍輝明、録音・片岡造、照明・横井総一、後援・海軍省
原節子、小高まさる、落合富子、英百合子、高津慶子、田中筆子、進藤英太郎、清水将夫、清川荘司、高田稔、河野秋武、西村慎、村田昌彦、津田光男、田中利男、大久保欣四郎、松尾文人、水間常雄、飯塚小三郎、木村功、高本勝彦、鈴木重則、横山昌良、花沢孝夫、岡田東作、丹羽薫、飛田喜三、武江義雄、黒川弥太郎、三谷幸子、里見藍子、
(10巻 2,448m 89分 白黒)