世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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私の鶯

金曜日の夜、会社から帰宅して食事を終えたあと、テレビでも見るかと、ぼんやりwowowのプログラムを眺めていたら、とんでもない番組を見つけてしまいました。

「ノンフィクションw」シリーズの一編、そのタイトルも「満州映画70年目の真実~幻のフィルム『私の鶯』と映画人の情熱~」というのです。

先日もこの「ノンフィクションw」で、戦前のプロ・ボクサー「ピストン堀口」(子どもの頃から、その名前だけは大人たちの話から知っていました)の生涯をたどった番組を見たばかりでした。

勝ち続けた戦前の英雄が、戦後、すっかり衰えて負けても負けてもリングに立ち続けた理由をこの番組で始めて知りました。

戦前の英雄・ピストン堀口が戦後ぶざまに負け続ける姿を見た大人たちが、輝かしい戦前の記憶を汚される遣り切れなさと悔しさもあったのでしょうが、「金欲しさに、いつまでもあんな姿を晒してみっともない」と吐き棄てるように嘲り気味に喋っていたのを、自分も遠い記憶として持っていました。

この衝撃は、機会があれば、いつかまた書きたいと思っています。

さて、今回の「ノンフィクションw」は「私の鶯」ということです、これは絶対に見たいし、見逃がすわけにはいきません。

それというのも自分の場合、プログラムで見たい番組を見つけたときには、もう既に放送時間が過ぎてしまった残念な場合が多いので、今回はとっさに壁掛けの時計を見上げてしまいました。

ああ、よかった、午後10時からの放送なので、まだまだ時間的には十分な余裕があります。

そうそう思い出しました、少し以前に、たぶんチャンネルNECOだったと思いますが、「李香蘭特集」というのをやっていて、そのときの一編として確か「私の鶯」も放映されて、そのとき録画だけはしっかりやったはずです、まだ確認していませんが、「録画は、しっかり」は自分の生活信条なので、そこはぬかりありません。

毎日毎日録画だけは、コマメにしていますが、見る方がなかなか追いつけない状態です。

時間さえ許せば、それこそ見たい映画は何十本、何百本あるか分からないほどで(それも名作ばかりです)、目的の映画をすぐに特定できるようリストアップしてあるので、いつでもOKのスタンバイ状態は整っています。

こんなふうに自分が見たい映画を図書館並みに在庫するなど、ひと昔前では絶対考えられない随分贅沢な話なのですが、しかし、こういう整った環境にいて最も恐ろしいことは、こうした滞ったストックをただ処理するために「見る」ことが義務化してしまうことかもしれません。

録画し続けて溜めてしまった映画を、単に惰性で「見る」→端から処理するみたいな機械的な在庫処理行為みたいなものになってしまうことを最も恐れています。

大量録画のための大量消費なんて、笑えませんよね。

「あれは見た」→「あれは済ませた」、「あれは見てない」→「あれはまだ済んでない」みたいな、映画の消費者だけには成り下がりたくないと思っています。

ビデオなんてなかった頃、ある映画を何年にも亘って見たいと憧れ、場末の三番館まで映画を追いかけて行った頃の、映画に恋焦がれた飢餓感だけは失いたくないし忘れたくないというのが自分の気持ちです。

ですので、今回の「満州映画70年目の真実~幻のフィルム『私の鶯』と映画人の情熱~」のような番組は、一本の映画を少しでも身を入れて大切に見るという意味からも、単に映画の消費者にならないという意味でも、とても貴重なチャンスと捉えています。

さて、プログラムに書かれている解説を書き写しておきますね。こんな感じです。

《1984年、大阪で一本の古いフィルムが偶然発見された。
太平洋戦争突入後の1943年に、満州映画協会撮影所で製作され、太平洋戦争下の作品としてクオリティ、規模ともに破格の映画といわれながらも、戦後喪失したと思われていた幻の映画「私の鶯」だった(そのとき発見されたのは1時間10分に編集され短縮版だそうです)。
主演は満州映画を牽引した大スター李香蘭。日本、満州の共同製作の本格的オーケストレーションで紡がれるミュージカル作品で、戦況が激しさを増すなか、当時の金額で40万円、現在の金額に換算すると約8億円の製作費を投じたといわれているこの大作の背景には、平和と芸術を心から望む映画人たちの情熱があった。映画に携わる者はそれを奇跡の傑作と呼ぶ。
戦後69年、語られることの少なかった満州映画協会と撮影所での製作風景や作品について、当時、満州映画協会で映画編集者だった岸富美子さん(94歳)の証言から、満州映画協会とはいかなるものだったのか、作品をとりまく証言や取材で発見された当時の写真などを通して、大戦下、日本から渡った映画人たちの想いや情熱に迫るドキュメンタリーである。》

なるほどなるほど、これは期待できそうな楽しみな番組じゃないですか。

しかし、放送までにまだ少し時間があるとなると、かえって待ち遠しい、それまでなにをして時間をつぶせばいいのか、と今回は時間を持て余す感じになってしまいました。

仕方なく、時間になるまで関連本で「私の鶯」をざっと学習しておくことにしました。

手に取った本は、「日本映画作品全集」(キネ旬)、「日本映画発達史」(中公文庫)、「日本映画史」(キネ旬・世界の映画作家31)、「日本映画名作全史」(現代教養文庫)、そして岩波の映画講座です。

そこで初めて気がつきました、「私の鶯」はどこにも掲載されていません。

そしてこのとき初めて、分類的には「私の鶯」は、日本映画ではないことに気がついたのでした。

戦時下の検閲逃れのために国外で製作して逆輸入しようという岩崎昶の奇策が、いまになって思わぬ弊をもたらしたのだと、少しショックでした。

まあ、こうでもしなければ当の映画自体の製作が危ぶまれたわけですから仕方なかったのでしょうが、ある意味、岩崎さんも随分罪作りなことをしてくれたものだと感じた次第です。

結局「私の鶯」は、日本映画にして日本映画にあらずで、しかも、例の大阪で発見されたという短縮版は、これもGHQの逆鱗を恐れ、毛唐の顔色をうかがいならが事前に岩崎氏が本編中の「満州事変」の部分にハサミを入れたという話です。

まさに「先代萩」の政岡状態です。

戦前戦後を通じて、権力者が代わるたびに保身のために作品を汚したり「制作したり、ハサミを入れたり」と、権力者から逃げ回り続けた散々な卑屈人生だったことがよく分かりました。

それにしても製作者だったら、作品に何をしてもいいのかという憤りは確かに残ります。

そうそう、2006年7月にフィルムセンターで行われた「ロシア・ソビエト映画祭」のプログラムには13番目の作品として「私の鶯」が掲載されていました。

これを見た当時、自分の知らない間に、てっきり、この作品がいまやロシア映画ということで通用しているのか、と卒倒しそうになったことがありましたが、解説をよく読むと、「亡命ロシア人が多数出演した島津保次郎の満州映画『私の鶯』1943」と書いてあったので、一応ほっとした記憶があります。

結局、「満州映画」か「植民地映画」、もしかしたら「中国映画」か(それはないか)のいずれかの括りになるものと思いました。

しかし、聞いて思わず気絶しそうになったとはいえ、実は「ロシア映画」という線も捨てがたいのではないかと、ひそかに考えています。

それというのも、この映画、日本語が使われるのはほんの僅かで、全編ほぼロシア語が使われるという亡命ロシア人の映画なのです。

この映画「私の鶯」のなかで、オペラ歌手デミトリー(グリゴリー・サヤーピンが演じています)が、ポルシェヴィキ系の観客に「オペラなど貴族のもので民衆の文化などではない」と大声で野次られて、ショックで歌えなくなるという場面がありました。

当然のことなのですが、すべてのロシア人が革命に賛同したり参加したわけでなく、反革命の烙印を押されて虐殺されるか、あるいは祖国を追われて、世界の各地へ亡命したことを改めて思い知らされた感じでした。

この映画の主人公たちは、歌劇を愛し楽器を奏で、砲声に怯えるいかにも弱々しい白系ロシア人と呼ばれる亡命者たちです。

このことと、そして、解説にある一文

《島津保次郎が、来日したハルビン・バレエ団を見て感激し、友人の岩崎昶とミュージカル映画(当時の言葉で音楽映画)の構想を練りはじめた。
東宝の重役である森岩雄に相談すると、森は東宝と満映に働きかけ、満映が主体となって制作することとなった。
島津は脚本も手がけ、助監督には満映の池田督と李雨時。
通訳としてロシア人も雇われる。
ちなみに岩崎昶は戦後になって群馬交響楽団をテーマにした映画「ここに泉あり」を制作した。》

を読んだ時、島津保次郎がこの「私の鶯」を作りたいと思った動機の部分に納得できませんでした、「はたして本当にそうだろうか」という疑念に捉われたのです。

そして、こう思いました。

「そんなはずはない。島津保次郎なら、亡命白系ロシア人たちのあの弱々しさに惹かれたのに違いない」と。

共産主義が、当初想定していたほど必ずしも人間を幸せにすることができるわけではないと分かるまで、実に100年近くの時間を要したわけですが、しかしなにより、その間に権力は腐り、権力を保持したものたちは、それを守るための疑心から、おびただしい生命を狩りつづけなければならなかった愚について、ただ暗澹たる思いに捉われるばかりです。

いまロシアでは、そんなことあったのかという顔で、大国主義を隣小国に押し付けて脅かしている最中です。

(1943満州映画協会=東宝映画)企画・岩崎昶、監督脚本・島津保次郎、助監督・池田督、委雨時、原作・大佛次郎『ハルビンの歌姫』、撮影・福島宏、音楽・服部良一、
出演・李香蘭(山口淑子)、黒井洵(二本柳寛)、千葉早智子、松本光男、進藤英太郎、グリゴーリー・サヤーピン、ワシーリー・トムスキー、ニーナ・エンゲルガルド、オリガ・マシュコワ
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by sentence2307 | 2014-08-17 21:05 | 映画 | Comments(0)