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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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「鬱」時代

「あらゆる映画をみまくる」などと大見得をきって始めたこのブログですが、いまその強烈な副作用に苦しんでいます。

つまり「あらゆる映画」といっても、なにもそれが感動作や名作ばかりとは限らないので、いつのまにか、見ること・イコール・「数をこなす」義務みたいになって自分を縛り、気がついてみると、新たに映画をみようとするとき、つまり、自分の意に添わない一本の映画を見通すためのエネルギーの準備とか、そのために自分に強いなければならない辛抱強さとか我慢とかの相当な「うんざり感」は、考えてみれば、どうも「鬱」に等しいのではないかと気がついたのでした。

自分の楽しみのために映画を見つづけてきたのに、それが「鬱」などになったのでは困ります。

思えば、そのことに気がついたのは、ジェームズ・グレイ監督の「エヴァの告白」と、パオロ・ソレンティーノ監督の「グレートビューティー/追憶のローマ」を見たときでした。

抑制された暗鬱な映像の粘り強い描写力や、溢れ出る情念の豊饒さなど、このいずれもすぐれた作品の映像美に心惹かれ、そして圧倒されもし、さっそく、ブログに感想をアップしようと断片的な下書きをつくるためのメモ用紙の準備をしました。

自分の感想の書き方は、思いついた断片を片っ端からメモしていって、それらを論旨がつながるように並び替え、どうしても繋がりの悪い部分には、適当なコメントで補強して完成させるという、安直でごくオーソドックスな方法で、出来上がりの方は保証しかねますが、比較的スムーズに完成に仕上げられるというメリットはあります、しかし、そのときばかりは、どうもそう簡単にはいきませんでした。

「エヴァの告白」と「グレートビューティー/追憶のローマ」は、いずれも、とても優れた作品です。

ですので、この感動を少しでも言葉で表現できたらと、自分なりに苦労し、煩悶してみたのですが、どうしてもしっくりとした書き出しのひと言が浮かんでこないのです。

メモ用紙に書き付けられるものは、フェデリコ・フェリーニ作品との連関性ばかり、自分のオリジナルな感想は、ひとことだって出てきません。

「道」に酷似したこの「エヴァの告白」という作品について、どのようなアプローチを試みようと、かつて「道」について書いたイメージがよぎり、結果、「道」との比較において、その足らざる部分を辛らつに(自分は根っからのフェリーニ好きですから、どうしても、「そう」なると思いますヨ)指摘することくらいしかできないのです。

そんな一方的な観点しか持てないような批評なら、この意欲作に対して、とても失礼な見方になってしまうのではないか、そして同じように、あらゆる作品に対してだって、ことごとく感応してしまうこの「焼き直し」感から自由になれないなら、いっそ批評などしない方がよほど誠実であることに気がついたのでした。

それはちょうど、まるで自分が所属してきた社会がすでに一巡して終わりを告げ、完結してしまったような感じです。

やがて、リセットされた新たな社会が動き始め、その新時代に相応しい(旧世代に捉われない)価値観も生み出されるに違いない。

それら新たな作品が、旧時代に作られた焼き直しとしてしか(「エヴァの告白」は「道」の、「グレートビューティー/追憶のローマ」は「甘い生活」のフィルターを通してしか)評価できないとしたら、やはりそれは旧世代人間たる自分の判断の、もはやの限界を示しているのではないかと真剣に考え込んでしまいました。

目の前の意欲作を、旧作品のパターンの繰り返しとしてしか理解できないとしたら、いまの自分はまさに、「これはむかし見たあの映画と同じだ。これに比べたら、むかしの方がずっと良かった」と繰り言をいう老人と同じではないかという強迫観念に捉われたのでした。

その融通のきかない柔軟性の欠如した感性は、つまりはこの社会の居場所を失ったことこそを意味しているわけで、それはつまり、当然の「失語」状態に(自分の現状です)通じていたのだと分かりました。

これは半年ほど以前の話です、それでも映画だけは毎日毎日見続けています。

もちろん「うんざり」もし、そして感動した作品は幾つもあり、いつかは、自分のなかのなにかがいずれかの部分に感応し、不死鳥のように映画好きが甦り、自然に湧き出てくるなにかがあるに違いないと待ちもし、信じる気持ちで映画を見続けてきました、あるいは、こういうときだからこそ「映画切れ」になるのが怖いのかもしれませんが。

しかし、結論からいってしまえば、まだスランプ(この状態を「スランプ」などといってしまっていいのか分かりません。

永続する「失語」状態かも)は脱していません。

一方でこの悪戦苦闘のジタバタを愉しんでみるのもいいかなとか、新たなものを感応できないなら、いっそ旧作をたどってみる開き直りも一興かと、あれこれと考えている現在です。

そうそう、ある人から、寺田寅彦が映画好きで、随分な数の映画評論を残していると教えてもらい、図書館から所収の「寺田寅彦全集 第八巻」を借りて読んでいます。
by sentence2307 | 2016-02-20 16:09 | 映画 | Comments(0)