世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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啄木のローマ字日記③

しかし、この部分を一読すれば、その赤裸々な描写には、確かに驚かされるものもありますが、さらにいえば、その異常な描写の「詳細さ」にも驚かされないわけにはいきません。

啄木は、函館の地に家族を置き去りにして、切羽詰って、ひとり東京に出奔してきました。

理由は、たぶん、才能ある自分が、作家としていまだ世に認められないというその思いつめた焦燥感からだったと思います。この日記のなかでも、いざ書き始めたものの、どうしても書き通せずに中断した「小説」のことについて、たびたび触れています。

その言及が、いちいち挫折感と無縁でないことは、容易に想像できます。

あの赤裸々な性描写も、当時全盛だった自然主義文学作家たらんと欲した啄木の精一杯の足掻き(描写の試み)のひとつだったのではないかと感じました。

それは、「中断した小説」の試みと同じように、たぶん自然主義文学作家としての「描写の練習」くらいの意味しかなかったに違いありません。

しかし、いざ、実際に書き綴ってみると(上記の「性描写」でも明らかなように)、ただ醜悪でいかがわしいものしか彼には書くことができない、永井荷風の抑制の効いた気品ある「性描写」と比較すれば、啄木のチカラ不足(まるで幼い安手のポルノです)は明らかです。

たぶん啄木が、あえて「ローマ字日記」としたのは、自分では気高い「自然主義文学」を目指して書き綴ったものが、出来上がってみると、それは単に「安手のポルノ」でしかないことを自認したからに違いありません。

あえて「ローマ字日記」としたのは、なにも赤裸々な陰の性生活を知られたくなかったからではなく、「高尚な文学」を目指しながら「安手のポルノ」しか書き綴ることしか為しえない自分の卑力と無能の「結果」を人目に晒すことを恥じたからではないかと思います。

「誰にも読まれたくない」「隠したい」というところは、確かに一緒かもしれませんが、それが「淫乱さ」を理由とするからではなく、無残で醜悪な「結果」にすぎないものしか生み出せない自分の無残な実力を人目に晒すことを恐れ恥じたからだと思いました。

そして、破滅型でも露悪型でもなかった啄木が、最初から人間の醜悪な欲望の浅ましさのすべてを書き尽くそうとする「自然主義文学作家」には向いていなかったことは、家庭内の諍いから妻・節子が子を連れて家出したとき、啄木自身が「そのこと」に気がついていままでの生活を悔い、妻の帰宅を切に願い、「自然主義文学」の「無頼」とは無縁の場所にしか生きられない自分を意識したからに違いありません。

妻・節子は、啄木14歳のときに出会った初恋の人であり、紆余曲折はあったとしても啄木の才能を信じて生涯をともにした良き伴侶でした。初恋の人にこだわるロマンチストである啄木にとっては、「自然主義文学」は、所詮実感のともなわない虚構にしかすぎませんでした。

さて、次に、啄木の「短歌」の天才ぶりについて書かなければなりません。
前述した《しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、啄木の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず》という部分です。

話は少し飛びますが、いままで自分が学生だった時も、会社員になってからも、多少の優劣はあったものの、必ず「駄洒落の天才」というのがいました。

当意即妙でいま話したばかりの片言を捉え、実に巧みに「同音異義語」を操ってアクロバット的展開を見せてくれる言葉の粋人で、感心もし、尊敬さえしてしまいます。

その場の絶妙な雰囲気もあるので、字面だけでその「即妙さ」をうまく伝えられるか自信ありませんが、例えば、高校生になった妹が、最近、夜遊びをおぼえ朝帰りするようになって両親が困っているとの話で、「兄貴として、もっと指導してあげなくちゃな」という意味を込めて、「妹(リモート)コントロール」とか、まあ、いざ書いてしまうと臨場感がなくて全然つまりませんが、そんな感じです。

そのことと「啄木の短歌の天才ぶり」とが、どう関係するのかという説明の前に、最適な指摘を見つけました。

それは、「新潮日本文学アルバム・石川啄木」巻末に掲載されている渡辺淳一の「一枚の写真-あえて、わが啄木好み」のなかの一節です。少し長くなりますが、引用してみますね。

《少しでもものを書いた経験がある者ならわかるはずだが、努力で書く人より才能で書く人のほうが怖い。

努力の結晶などという作品より、才能のカケラが散らつく作品のほうが無気味である。

そしてその才能の最も顕著に表われるのが、小説なら文章で、歌なら酩酊感である。

いや、これは小説や歌にかぎらず、すべてに共通するもので、才能ある作家の文章には、内側に固有の酩酊感があり、それが読む者を惹きつける。

一般の読者は、文学理論の難しいことはわからない。

しかしこの酩酊感だけは、原初的なものであるだけに、鋭く感知する。読者はそれに酔い、そのことによってイメージを喚起される。

「東海の小島の磯の白砂に・・・」と啄木が詠んだ函館の大森海岸には、小島も、磯も、白砂というべきものもない。

「しらしらと氷かがやき千鳥なく・・・」と詠んだ釧路の冬の海に、正確な意味で千鳥はいない。もし実証家なり、勤勉な歌人がこれを知ったら、啄木のインチキ性をなじるかもしれない。

だが啄木はもともとそういうことには無頓着な、その種の調べはせず、その場の思いつきのまま、フィクションをまじえて歌った人である。

そして困ったことには、それが事実以上に、読む者にリアリティを与えて、酔わせてしまう。

啄木の歌を詠む度に、わたしは歌人にならなくてよかったと思う。あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、酩酊感とともにリアリティをもたせ、そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。この「そっと」という重みの具合がまた適切で、あれ以上、重くても軽くてもいけない。

そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。

これほど巧みで、酩酊感のある作家が、人々に愛されぬわけがない。

これまで、批評家がなんといおうと啄木は生き続けてきた。「後世の史家の判断をまつ」といういい方があるが、史家などに頼るまでもなく、大衆は啄木の歌のなかにひそむ才能に感応し、その歌を守り続けてきた。

まことにものを書く者にとって、啄木ほど大きく、無気味で、心憎い作家はいない。》


石川啄木は、決して自然主義文学の作家ではなかったし、写実主義の歌詠みでもありませんでした。

彼は、あの「駄洒落の天才たち」のように、当意即妙に、そして、何者も為しえなかった最も絶妙な言葉の選択をすることによって、実に「それっぽい」最高の歌を(あくまでも余技として)瞬時にして詠むことのできた、心ここにあらず的な「天才歌人」だったと思います。

いわば、「空虚な人」といえるかもしれません。

後世の人間も含め、そして、もちろん自分も、「東海の小島の磯の白砂に・・・」や、その他の多くの啄木の歌に人々は心から感銘を受け励まされもしてきました。

思い屈した人々を支えたその影響の大きさは、実に多大なものがあります。

しかし、その歌の質を糾せば、実は、駄洒落「妹(リモート)コントロール」に共感するレベルと同じ絶妙な語呂合わせに感銘するものだったのかもしれませんが、だとしても、そのことが、石川啄木の「人」や、「作品」や、そしてその「薄幸」の実態をも、いささかも貶めるものではないことを確認しておかねばなりません。

たとえ「それ」が、虚偽であろうと、あるいは、巧みな語呂合わせにすぎないだけのものであろうと、天才的な言葉のチョイスに酔うということだけでも、それはリッパに文学鑑賞たりうるものだと信じています。

かの「ローマ字日記」に記された淫蕩無頼も、おそらくは「そういうこと」だったのだと思います。

しかし、それなら何故、「ローマ字日記」においても、距離を置いた「巧みな語呂合わせ」的な空虚でクールな姿勢を保ち得なかったのか、ましてやあの、いささかも文学の香華を感じさせない過激で下卑な性描写の逸脱に陥り、つい「マジ」に捉われてしまったのか。

たぶんそれは明らかです、啄木をして描写を歪ませてしまったものとは、おそらく、どうにも逃れようもない生活苦という過酷な現実に対しての呪詛のような「怒り」だったのだと思います。

明治43年10月27日、長男・真一死去。
明治44年3月7日、母・カツ肺結核で死去。
同年4月13日、啄木肺結核で死去。
明治45年、妻・節子肺結核で死去。
その後、長女・京子24歳で死去。
次女・房江18歳で死去。
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by sentence2307 | 2016-06-12 20:12 | 映画 | Comments(0)