世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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何が彼女をそうさせたか

会社の方が、ここのところ、とても忙しくてずっと残業が続いていました。

土曜出勤も2週続けてあったりして、忙しさのあまり、ぼんやり息抜きする時間もなかったので、なんだかストレスが溜まりに溜まってしまった感じです、これはかなりヤバイ状態です、カラダによくありません。

なので、やっと時間に余裕ができた最近、失った時間を取り戻すみたいに、気分転換も兼ねて、努めて出掛けるようにしていて、そういう場所のひとつに神保町の古書店街があります。

あてなどなく、駿河台下の交差点から九段下あたりまでの古書店を気ままにブラつくというのが、自分のストレス解消法のひとつになっています。

しかし、古本を見て回るといっても、なにも高価な稀覯本を買うというのではありません、常に手元不如意状態の自分などには、高価な本などハナから手が出るわけもなく、まさに「とんでもない話」です。

まあ、せいぜい、店頭のワゴンに無造作に並べられている100円、200円の廉価本を物色して、もし、その中に掘り出し物でもあれば、慎重に吟味してから買うという程度の「小心者のお買い物」です。

あるとき、そうした廉価本のなかに、緒形拳の「恋慕渇仰」(東京書籍、1993.11.1刊)という本を見つけました。

四六判縦長変型の、見るからにとても手のかかった立派な装丁(特に装丁者の名前の記載がないので、緒形拳自身が装丁したのかもしれません、いい趣味です)の本で、思わず、これが100円ですか、とお店の人に確かめてしまいたくなりそうな、本当にちゃんとした創りの本なのです。

それにしても実に惜しい俳優を亡くしましたよね。緒形拳という俳優は日本映画界を牽引してきた特別な存在だったと思いますし、つい最近もwowowで「魚影の群れ」を見たばかりでした。

そうそう、改めて言うのも変な話ですが、あの作品って、「漁師」という職業を人間の宿命のように生きた父と娘の葛藤の映画だったんですよね(なにをいまさら、と言われてしまいそうです)。

久しぶりにこの作品を見て、最愛の夫を海に奪われながら、それでもお腹の子どももまた漁師として育ててほしいと願う夫の残した最後の言葉を、妻=娘が悲嘆と希望のなかで聞くという衝撃のあのラストシーンは、まるでこれは神話だなと、いささか動揺し、そして感動しながら見終わりました。

人間の「仕事」というものが、神から与えられた「天職」であって、神聖なものだという思い入れがないと、あのラストシーンの海に生きる者たちの「宿命」や「希望」、父と娘を結びつける業みたいなものを理解することは、ちょっと困難かもしれません。

自分としても緒形拳はNHKの大河ドラマ「太閤記」以来、ずっと気になってきた役者でしたので、いつも変わらぬ強烈な演技の印象が強かっただけに、この「恋慕渇仰」(結局、購入したのですが、活字が大きいせいか、帰宅の電車のなかで読了してしまいました)の中で繰り返し書かれている「自分はこのまま役者を続けていけるだろうか」という不安に揺れる一面のあったことを知り、とても驚きました、あの緒形拳にしても役者を続けていくことを常に迷い、そして苦しみながらもがきつづけていたのかと。

それにしても、緒形拳こそは、役者こそ自分の天職だと思っていたに違いないと信じて疑わなかっただけに、自身の演技や、自分の出演作への言及がとても少なく、まるで避けているのではないかと勘ぐってしまいたくなるくらいの冷淡さは、とても奇異に感じられ、違和感を覚えずにはいられません。

例えば、映画「おろしや国酔夢譚」など、
「200年前、伊勢白子の大黒屋光太夫は、ロシア革命以前のサンクトペテルブルグにいた。
1991年ベルリンの東西の壁が崩れた直後、わたしはレニングラードで光太夫に扮し、白夜の季節の40日を過ごした。」

と、たったこれだけの言及にとどまっています。

思うに、緒形拳は、過去の作品や過去の演技など語るべきでないと考えていたのではないか、常に未来を見つめていた緒形拳らしい生き方といえば、納得できそうな気もします。

しかし、なぜ、自分が、この本の中に、映画「おろしや国酔夢譚」についての記述を探したのかというと、それにはひとつの理由があります、それは、長い間、失われた幻の名作「何が彼女をそうさせたか」がロシアで発見されたイキサツに映画「おろしや国酔夢譚」が、大いに関わっていたからです。

つまり、「恋慕渇仰」のなかで、もしかしたら、緒形拳が、映画「おろしや国酔夢譚」に絡め「何が彼女をそうさせたか」になんらかの言及をしているのではないかと、チラッと考えたのですが、残念ながら、関連する記述はなく、言及は上記のようなきわめて淡白で素っ気無いものにすぎませんでした。

「何が彼女をそうさせたか」のフィルムが発見されたその辺の事情を記した部分をwikiからちょっと引用してみますね。

《1992年になって、ロシア領事館で開催された「おろしや国酔夢譚」(佐藤純彌監督)の試写会に協力した帝国キネマ社長山川吉太郎の孫・山川暉雄からソンツェフ副領事を通じて照会したところ、モスクワの国立ゴス・フィルモフォンドにあるフィルムが、本作(「何が彼女をそうさせたか」)にほぼ間違いはないとの確認がとれた。その後修復・復元された。しかしプリントは、冒頭のクレジット部とラストが欠落している。》

この記事に少しだけ補足すると、帝国キネマというのは、1930年当時、「何が彼女をそうさせたか」を製作した会社で、文中にある山川暉雄氏は、当時の社長・山川吉太郎の孫に当たり、この血脈がロシアからのフィルム返還交渉(当初は政治も絡んできて、返還は困難視されていました)にあたって大いに効果を発揮したと聞いています。

自分としては、いままで気軽にyou tubeでこの「何が彼女をそうさせたか」を何度も鑑賞していただけに、こんなにも困難な経緯があったとは少しも知りませんでした。

今回読んだ資料のなかには、若干温度差を感じさせるような歯切れの悪いものがあったのは、「映画発見・前」と「映画発見・後」の時間差が、自分の読んだ資料に微妙なニュアンスを投影していたのは、そういうことだったのかもしれません。

つまり、この作品は発見(1992年)以後にやっと見られるようになった作品ということだとすると、製作当時に見て以来その記憶しか有していない老世代と、you tubeで気軽に見ることのできる現世代の間には、奇妙な違和感というか、断絶とねじれた空白が横たわっていて、とても不思議な感じを受けました。

リアルタイムで本編を実際に見ているのが「若い世代」で、老世代は、80年あまり前の薄れ掛けた記憶に頼っているのですから。

自分が知っている日本の映画評論家のひとつのタイプとして、フィルムが既に消失してしまい、今ではもはや誰も見ることのできない作品の記憶を、まるで選ばれた者の特権のように自慢げに語るというタイプの批評家がいました(特権的な「思い出話」を語るだけの「批評家」です)。

それは思い出話(当時の世評を含めてです)にすぎないのですが、誰も見ることのできない失われたフィルムなだけに、その妄言は無敵です、見ることが不可能な作品である以上、誰一人としてその「思い出話」に反論などできるはずもありません。「何が彼女をそうさせたか」こそ、まさにそういう作品だったと思います。

古い資料を読むと、そのアラスジだけでも、執筆者によってエピソードの順序が微妙に違っていたり、少女のたどった波乱万丈の職業が少しずつ誤っているものもありました。

しかし、この作品が「傾向映画」の代表的な作品であるという認識では、共通しています。共通はしているのですが、なにか「ひとこと」付いて回るみたいなのです。

自分が読むことのできた中でその典型的な「解説」というのを以下に紹介しますね。

キネマ旬報社が1982年に出版した「日本映画200」という本のなかの「何が彼女をそうさせたか」の解説として滋野辰彦という人が執筆したものがあります。

自殺した父親が、娘の行く末を頼むと記された手紙を、娘・すみ子は叔父に渡しますが、邪悪な叔父は、厄介者のすみ子をさっさと曲馬団に売りとばすあとの場面です。

曲馬団で働く男たちは、日頃から横暴な団長に対して、抑えていた怒りを遂に爆発させ団員全員で団長に抗議におよぶというシーンについて、評者はこう記しています。

《曲馬団の仕事も長くは続かず、一座は不況で解散となる。
芸人と団長との対立が、ここでは労使の対立の象徴に似た扱いを受けているが、こんな労使の衝突で資本主義社会の実体は語れるわけがない。
傾向映画といいながら、社会機構や制度の矛盾が小さな個人と個人との関係に置き換えられ、それ以上の奥行きと広がりを持たない。
それが傾向映画の限界だったといっていいかもしれない。》

「何が彼女をそうさせたか」という作品は、資本主義社会の実体を語れてないからダメだ、傾向映画などといくら偉そうなことをいっても、たかだか小さな個人と個人との関係に置き換えたくらいでは資本主義の歪んだ社会機構や制度の矛盾なんて語れるものではない、それが傾向映画の限界だと言っています。

いままでこのような安直な批評を何本読んだかしれません。

この評者をはじめ、同じように無責任な見解を開陳してきた多くの劣等感に満ちた評者も、いったい映画になにを求めているのか、まったく理解できませんし、果たして彼らがいかなる理想像を有したうえで、こうした愚劣なことを述べているのか、問いただしたくもなります、まさか無責任な安手の学術論文じゃあるまいし、です。

しかし、そもそも日本の社会に自立した左翼思想などというものがあったのか、そのあたりから自分には疑問です。最初から自立した「思想」などといえるものなど、ただの一度もなかったのではないか、と思っているからです。

かつても、そして今も、日本の左翼思想なるものは、一貫して現実から眼をそらし、脆弱で幼稚で未成熟な、まるで受験生の暗記ものか、夢見る少女の机上のお伽噺にすぎないものという程度の感じがしています。

手中の権力を守るために政敵を熾烈に殺しつくし、独裁をしいて人民を圧制し、手向かう者はことごとく処刑虐殺して、その膨大な犠牲を払ったすえに、ようやく破綻に至ったこの最悪な思想が、その破綻まで100年もの時間を要さねばならなかった意味も現実も理解できず、いまだに夢のような「左翼思想」を謳歌する愚昧な無神経には、ほとほと呆れ返るばかりです。

かつて荒畑寒村がロマンチックな「ロシア革命運動の曙」を書いたあの夢見る社会主義の心情から、いまだに進歩できていません。

日本だけにしか通用しない閉鎖的で甘甘な論理を振りかざし、意気揚々と貧苦にあえぐ世界の貧しい人々に施しを与えようとモッタイブッテ出かけて行って、逆に痛烈なしっぺ返しを受けた事件が、つい最近もありました。

世界においては、人道主義などただのタテマエにしかすぎないこと、抑圧された極貧にあえぐ者たちの抑えがたい憎悪の銃口は、まさに「日本人」に向けられていたのに、恩着せがましく「ぼくは日本人です」とわざわざ名乗って射殺された皮肉な錯覚はまさに貴重な「教訓」のはずなのに、まだ分かろうとしないのかと正直驚かされます。

この滋野辰彦の解説に象徴的な一文がありました。

《この映画が封切られて間もなく、筆者の友人で、まだ大学生だった新間俊彦が「キネマ旬報」の読者寄書欄に投じた立派な批評がある。そのなかで彼は車力の小父さんのことを「貧しい財布に五十銭銀貨を入れてやり、荷車に乗せて送ってやる温かさは、無産者の間にのみ見出される相互扶助の人間的情味」だと言っている。》

車力の老人がそっと与えた五十銭銀貨こそ、身寄りのない少女をさらに過酷な運命に落したそもそもの原因だったことからは眼を逸らし、ただその無責任な「善意」を賞賛して一人気持ちよくなっているその身勝手こそ、思想ともいえない日本の社会主義の本質をよく言い当てていると密かに感じ入った次第です。

(1930帝国キネマ演芸・長瀬撮影所)監督脚色・鈴木重吉、原作・藤森成吉、撮影・塚越成治、音響・松本四郎、助監督:木村荘十二
配役・高津慶子(中村すみ子)、藤間林太郎(琵琶師・長谷川旭光)、小島洋々(阪本佐平)、牧英勝(養育院人事院・原)、浜田格(曲芸団長・小川鉄蔵)、浅野節(すみ子の伯父・山田勘太)、大野三郎(山下巡査部長)、中村翫暁(質屋の主人)、片岡好右衛門(玉井老人)、海野龍人(市川新太郎)、二條玉子(県会議員・秋山秀子)、園千枝子(山田の女房・お定)、尾崎静子(天使園主・矢沢梅子)、間英子(島村おかく)
1930.02.06 常盤座 10巻 3,019m 146分 白黒 パートトーキー
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by sentence2307 | 2016-07-09 16:16 | 映画 | Comments(0)