世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

この国の空

映画の元ネタといえば、ほとんどがコミックや、ゲームをストーリー化したアクションものなどが多い昨今、この作品は、いまどきめずらしい(古いタイプと言ってしまえばそれまでですが)硬派な文芸作品の映画化で、自分としてはそれだけでもとても嬉しくて、この幸せな先入観のおかげで、随所に、かつての松竹大船調のオマージュなどを見つけ十分に堪能できた佳作だったと、内心とても好意的な気持ちを抱いていたのですが、友人からwebでは酷評が満ちていると聞いて、さっそく自分でも検索してみて、はじめてこの作品に対する嫌悪と失望感が尋常でない量であることを実感し、とても意外でした。

しかし、最近の映画というのは、極端に言えば、開始早々、バタバタ人が死ぬ凄惨なシーンが展開したり、くんずほぐれつの濃厚なsex場面が挟まったり、ひどいのになると、手ひどく強姦されたはずの被害者女性が、たくましく豹変して熟達した濃密な性技をみせたりするなどの一貫性を欠いた「なんだこりゃ」的な自家撞着のタフなストーリーを嫌というほど見せつけられてきて「その手の」物語に慣れきってしまった観客は、sexシーンに至るまで相当な心理的手続きを要するこういう「この国の空」みたいなタイプの文芸作品には、もはや辛抱も理解もできなくなってしまったのだろうなというのが、自分の率直な印象でした。

なにしろsexシーンに至るまで、主人公は、沸き上がるみずからの内なる欲望にああでもない・こうでもないと思い悩みながら、しかしそれは優柔不断なんかでは決してなく、静かな決意で一歩を踏み出すという、こういう物語こそ「松竹大船調」の真骨頂なのですが、「発情」を持て余しぎみの、すっかりセッカチになってしまった観客には、こんな悠長なストーリーなど、たぶん受け入れ難かったのかもしれないなと感じました。

しかし、その片方で「この非難だって、随分とおかしな話じゃないか」という憤りの気持ちが、自分にも次第に沸き上がってきました。

わが職場でも、団塊の世代が徐々に去り、入れ替わりに若い世代(20代~30代)が構成員の大勢を占めるようになったのですが、わが課のスタッフで既婚者といえば、自分と50代の「お局様」のふたりだけで、ほかの若い世代のスタッフは、(彼ら自身が「そう」言っていますし、既婚者から見ても)到底「結婚なんてできそうにもない」人たちなのです。

いわゆる、「結婚しない世代」というやつですが、自己防衛と被害者意識が異常に強く、他人に余計な口出しをしないかわりに、だからお前も俺のことを干渉するなよ的な自分勝手な面々で、当然、得にもならない他人の仕事の協力やバックアップなどするはずもなく、他人事には一切関心も興味も示さないという徹底ぶりです。

そして、この「ルール」を他人が逸脱し自分の領域を侵そうものなら、その逆上ぶりは異常に凄まじく、それに一度でも接したことがある者なら、もう二度と彼らには関わりたくないと思うくらいの狂気の逆切れ体験をしなければなりません。

彼らそれぞれが殻に閉じ籠りそういう感情を持ってトゲトゲしく身構えているので、これではとても職場の連帯意識なんてハナから育つとは思えません。

しかし、この手のことを、職場などで公言したりするとセクハラだとかパワハラだとかの面倒くさいことになるというので、一切口にするなよと総務部長からきつく釘をさされているので、それじゃあ自分は彼らの何を管理すればいいのか、と問い返しても、「そんなことくらい自分で考えろよ」というのがいつもの答えですから、結局なすすべもないお手上げ状態です、個人情報の過剰な保護といい、なにもかもが悪意と疑心暗鬼に満ちたとても嫌な時代になったものだと、ため息のひとつも出てしまいますよね。

ですので、以下に述べることは、まあ、無能な中間管理職の愚痴だと思って聞いてくださいましな。

少なくとも、自分たち旧世代の人間は、他人に自分のことを良くみせたい、みっともない真似だけはしたくない、それにせっかく同じ職場で働いているのだから、和気藹々とやろうじゃないかと雰囲気作りに精を出して、いろいろと気遣い、お互いの足らざるところを庇い合って協力しあってきたものです。

しかし、いまの若い連中ときたら、職場の「殺伐さ」なんてそもそも自分には何の関係もない、「それもまた、いいんじゃね」くらいにしか思っておらず、これが常態で結構ですと受け入れて、職場環境の改善など自分には一切無関係の他人事としか考えていないのです。

他人からとやかく言われる干渉を極力嫌悪し、気持ちを閉ざして自分だけの世界に充足して他人に興味も関心も一切持たない彼らにとって、だから必ず相方が必要となる「性欲」も、抑制することになるというのも当然の帰結であり、相互過干渉が大前提の「結婚」なんて最初から論外で、当然受け入れられるわけもないのです。

なにも「結婚」するだけが人生のすべてだとは思っているわけではないですが、ただ揃いも揃って全員が同じようなことを言うっていうのがどう見ても異常です、互いに反発しながらも、個性を欠如させた連帯意識なき「右へならえ」を疑いもなく大合唱して憚らない、そういうことが自分にはどうにも異常で薄気味悪く感じられてならないのです。

この映画に対して若い多くの観客たちがあからさまに表明した「嫌悪感」は、まさに映画「この国の空」に描かれているものが、彼らのそうした「思考」を逆撫でするような、彼らにとっては嫌悪しか催さないような、いまではすっかり失われてしまったかつての若い日本人の男女が備えていた思考性(少なくとも成熟をとげるみずからの「性欲」に対しては誠実であったことを含めて)を色濃く描き込んでいたからに違いありません。

戦争末期、配給の食料を待っていたのでは、どうにもならない食糧不足の困窮のなかで、母娘が交換する着物を持って、闇の食料品を求め、農村へ買い出しに出かける場面、河原で弁当を食べながら語り合う重要なシーンがあります。

母は、娘のすっかり成熟した体を見ながら、娘が「成熟した性欲」を持て余していることにも気がついています。

しかし、いま内地では「若い男」がすっかり戦地へ出払ってしまっていて、若い女性の「成熟した性欲」を上手に開花させてくれるような適当な男性がいないことも知っています。

だから母は、「普通の状況なら、たとえ隣家であろうと、若い未婚の娘が、一人暮らしの男の元へ行くなど決して許さないのだけれど」と前置きして、「市毛さんに気をゆるしてはだめよ、女は溺れやすいから」と忠告しながら、「でも、いまはこういう時代だから、隣家に市毛さんがいることに感謝しているわ、『娘をよろしくお願いします』って言いたいくらいよ」とさえ話します。

ここには、「悶々と」であれ、若い女性の成熟していく性欲の存在と、その極限状態のなかで性欲が歪められることなく育成され完熟を遂げさせてあげたいと見守りながら願っている母親の姿が、きわめて冷静に描かれています。

しかし、この部分こそが「他人からとやかく言われる干渉を極力嫌悪し、気持ちを閉ざして自分だけの世界に充足して他人に興味も関心も一切持たない彼らにとって、だから必ず相方が必要となる「性欲」も、抑制することになるというのも当然の帰結であり、相互過干渉が大前提の「結婚」なんて最初から論外で、当然受け入れられるわけもない」現代の若い世代の感性を逆撫でし、当然のように忌避されたのだと思います。

あるサイトで、この作品に対する象徴的な感想に接しました。

書かれていることが、結局無様な恐怖感でしかないことに本人もまた気が付いていないことが異常ではあります。

≪荒井晴彦の完全監督作という事で興味があり鑑賞。日常生活部分のパートがやたらに冗長だったな。確かインタビューで「戦争時中ではあるけれど庶民、ある男女の視点から戦争を視る映画を創りたかった」と語っていたような気がしたがセットや衣装役者陣のしゃべり方などで“とりあえず”戦争中なのかな〜とボンヤリと時代背景がわかるような・・・わからないような・・既視感はあるんだけどはっきりいって隣の別居中の男と隣に住む母娘の娘とのポルノチックなドラマでも良いんじゃあないか・・・なぜ戦時中にしたのか・転がり込んで来た母の姉をストレスに思いながら三人食卓に交えた現代劇をバックに隣の中年男に惚れる娘・・正直映画終盤の終盤までその必然がわからなかったさらに追い討ちをかけるように枕の匂いを嗅ぐ汗ばんだ肌と蛾が着付する電燈トマトとトマトのムシャブリ口元の水を払うしぐさ長谷川博己が二階堂ふみにそぞろと歩み寄る歩み寄り大樹に追い込まれた瞬間!!蝉の歓奇と二階堂の歓喜がシンクロする!!!すんげーベタwwwwwwwwwwあまりのエロ表現度の素人ブリがこの映画から俺をトンデモナク遠ざけてしまったなwwww古くさいというよりセンスなさすぎwwあからさまに童貞が撮ったかのような青くさいエロ表現ほんとう教科書どおりのセンスのない映像表現にゲンナリしてしまった・・・最期の最期で『戦争と不倫は同じで みな、憎しみ嫌っているけれど 実はみな戦争が好きなんだよ』その同義語である事を云いたいがための『戦争映画』だったのだろうか、それにしては中だるみすぎである。≫

やれやれ、これからも、この手の連中と付き合っていかなければならないのかと思うと、気が重くなります。

それはともかく、高井有一が、情緒不安定な母親を、死の予感におびえながら少年の視点から描いた繊細な作品、芥川賞受賞作「北の河」をふと思い出しました。


(2015日本)監督脚本・荒井晴彦、原作・高井有一『この国の空』(新潮社刊)、ゼネラルプロデューサー・奥山和由、プロデューサー・森重晃、撮影・川上皓市、美術・松宮敏之、音楽・下田逸郎、柴田奈穂、録音・照井康政、照明・川井稔、編集・洲崎千恵子、ラインプロデューサー・近藤貴彦、助監督 野本史生、詩・茨木のり子『わたしが一番きれいだったとき』、制作担当 森洋亮、VFX・田中貴志、効果・柴崎憲治、装飾・三木雅彦、配給/ファントム・フィルム、KATSU-do
出演・二階堂ふみ(田口里子19歳)、長谷川博己(市毛猛男)、工藤夕貴(里子の母・田口蔦枝)、富田靖子(里子の伯母・瑞枝)、滝沢涼子、斉藤とも子、北浦愛、富岡忠文、川瀬陽太、利重剛(物々交換先の農家を紹介する男性)、上田耕一(里子の上司)、石橋蓮司(疎開を待つ町の住人)、奥田瑛二(疎開する画家)、 所里沙子、土田環、福本清三、木本順子、前島貴志、上田こずえ、岡部優里、川鶴晃弘、下元佳好、高橋弘志、司裕介、星野美恵子、宮崎恵美子、矢部義章、宮田健吾、福岡歓太、山野井邦彦、あきやまりこ、太田敦子、奥村由香里、小泉敏生、鈴川法子、武田晶子、西山清孝、細川純一、宮永淳子、山口幸晴、篠野翼、井上蒼太郎、七浦進、泉知奈津、大矢敬典、桂登志子、小峰隆司、髙野由味子、武田香織、林健太郎、松永吉訓、安井孝、山中悦郎、覚野光樹、小野寛、七浦紀美代
公開・2015年8月8日 130分



[PR]
by sentence2307 | 2016-12-29 07:41 | 映画 | Comments(0)