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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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八日目の蝉

自分が、この作品を見たときは、すでにweb上には、あまりにも多くの「八日目の蝉」の感想が氾濫していて、思わずその量の凄さに圧倒されてしまいました。

いまさら自分が何を書けるのかと迷い、最初から「書く意味」を見失って意気阻喪したその「徒労感」と、今までアガライ続けきたような気がします。

しかも、この乳児誘拐という深刻なストーリーは、あらゆるネガティブな要素が互いに錯綜しながら打ち消しあっていて、果たしてこの映画のどこからアプローチすればいいのか、手も足も出ないお手上げ状態という迷いもありました。

こんなふうに、この重厚な作品に対して、一言の感想も発せられないという自身の不甲斐なさもあって、たぶん、ねじ伏せられてしまったような敗北感を抱きながら、長いあいだ、この作品から自分を意識的に遠ざけてきたのだと思います。

それに、正直、ラストの恵理菜のセリフも、それまで彼女が経てきた過酷な人生を真正面から受け止めうえでの言葉とは到底思えず、なので、あたらしい未来に向かってこれから生まれる子供とともに踏み出そうという不意の「転調」にも、なんだかそぐわない違和感をおぼえ、正直繋がりも感じ取れないまま、この作品と距離をとるしかなかったのかもしれません。


しかし、あるとき偶然に、この作品について極く短いコメントに遭遇し、突然目が覚めるように、自分の中にあった「迷い」が、ふっと溶解しました。そのときのことを書きたいと思います。

そのフレーズには、前後にもう少し説明的な語句が幾らか散りばめられていたかもしれませんが、それはこんな感じでした。

「犯罪者であるのに、いつしか捕まって欲しくないという気持ちになっていて、最後には、育ての母親に会ってほしいと思い始めていました。」

それまで、数多くのコメントに接してきていたので、この感想の稚拙さと特異さ(あまりにも素直で率直なために、ストーリーを読めてないKY的な「幼稚すぎるコメント」として無視されたとしてもなんら不思議ではありません)は突出しており、とても目を引きました。


かつての乳児誘拐事件のルポを書くために秋山恵理菜(井上真央が演じています)に近づいてきた安藤千草(小池栄子が演じています)から、幼少期をすごしたエンジェルホームを訪ねる旅に誘われたとき、恵理菜はとっさに、千草がその旅で自分を野々宮希和子(永作博美が演じています)に逢わせようとしているのではないかと疑い、その危惧をあらわにして、自分にはまったくその気持ちはないと千草に釘を差しています。

そんなことをしたら自分の「負け」になると、恵理菜自身がいちばんよく分かっていることを映画は明確に描いており、「逢う可能性」についてなど、それからのストーリーの進行の中でも二度と触れることも仄めかされることもありませんでした。
少なくとも、被害者・秋山恵理菜が、犯罪者・野々宮希和子を許せるわけがないことは、「大人の分別」として明確に理解できることですし、説明することもできます。

かつて乳児だった自分が野々宮希和子に誘拐され、偽の親とはいえ濃密な情愛を一身に受けて生育するものの、幼児期に至りそれが突如奪い取られるという異常な体験によって、物心がつく人格形成の大切な時期に、人間的な関係を保つための根本的な情緒が傷つけられ(心が拉致され奪われたというべきかもしれません)、親も含めた他人との関係が築けないという心の空虚と不具に見舞われた痛切な半生を考えれば、(たとえ、父・秋山丈博との不倫の代償として中絶を強いられた希和子が、二度と子供のできない体にされてしまった絶望と憎悪とを考慮したとしても)恵理菜が、犯罪者・野々宮希和子を許せるわけもなく、ましてや彼女に逢いに行くなどということは論外で、有り得ない絵空事としか思えないと、映画は最後まで「無視」の態度を貫いています。

僕が読んできた多くのコメントも、ほとんどがそうしたスタンスで書かれていたものでした。

しかし、あの特異なコメント氏が、こうした痛ましい過去のイキサツや彼女の歪められた感情を考慮しうえでも、それでもなお「育ての母親に会ってほしい」と願っていたのだとしたら、それっていったい何なのだと、すこし混乱してしまいました。

あのコメントには、希和子が犯した過去の犯罪や憎悪や絶望など些かも考慮することなく、また、たとえそれが「誘拐犯」という犯罪者であろうと・偽ものの親子であろうと、「寄り添って二人で過ごした濃密なあの情愛の時間」だけを真っ直ぐに見据え、あの時間までをも否定できるのかと問い掛けているように思えたからでした。

ラストシーンで恵理菜は、「自分は、長いあいだ、この場所に帰ってきたかったのだ」と述懐します、自分が違和感を覚えたあのラストシーンです。

幼児の自分を心から愛してくれた希和子の存在を欠いた場所で、希望に満ちて子供との未来に微笑みかける恵理菜のアップに違和感を覚えたわけが、少しだけ分かった瞬間でした。


蛇足ですが、この作品を思い返すたびに、この映画で描かれている幼い恵理菜の手を引いた希和子の逃避行の姿が、自分のなかで、不治の病におかされた父と子の当てのない巡礼を哀切に描いた「砂の器」とダブッて仕方ありません。

(2011松竹)監督・成島出、脚本・奥寺佐渡子、原作・角田光代(2005・11・21~2006・7・24読売新聞夕刊連載、第2回中央公論文芸賞受賞作)、音楽・安川午朗、撮影・藤澤順一、照明・金沢正夫、美術・松本知恵、装飾・中澤正英、製作担当・道上巧矢、録音・藤本賢一、衣装デザイン・宮本茉莉(STAN-S) 、編集・三條知生、キャスティング: 杉野剛、音響効果・岡瀬晶彦、音楽プロデューサー・津島玄一、スクリプター・森直子、ヴィジュアルエフェクト・田中貴志(マリンポスト)、助監督・谷口正行、猪腰弘之(小豆島・子役担当)、ヘアメイク: 田中マリ子、丸山智美(井上真央担当)、制作プロダクション・ジャンゴフィルム、製作総指揮・佐藤直樹、製作代表・野田助嗣、製作・鳥羽乾二郎、秋元一孝、企画・石田雄治、関根真吾、プロデューサー・有重陽一、吉田直子、池田史嗣、武石宏登、製作・映画「八日目の蝉」製作委員会(日活、松竹、アミューズソフトエンタテインメント、博報堂DYメディアパートナーズ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、Yahoo! JAPAN、読売新聞、中央公論新社)、主題歌・中島美嘉「Dear」、挿入歌・ジョン・メイヤー「Daughters」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」、ビーチ・ハウス「Zebra」、
現像・IMAGICA、
ロケ協力・小豆島映像支援実行委員会、小豆島観光協会、小豆島町、土庄町、小豆島急行フェリー、四国フェリー、香川フィルムコミッション、諏訪圏フィルムコミッション、岡山県フィルムコミッション連絡協議会ほか、撮影地・小豆島・寒霞渓、二十四の瞳映画村、福田港、洞雲山寺、中山農村歌舞伎舞台、戸形崎、中山千枚田、その他・平塚市日向岡(秋山家があり、特徴的な三角屋根が集合する住宅地)、青梅鉄道公園(0系新幹線車内)、大阪城とOBP(空撮)、長野県富士見町の廃校(エンジェルホーム)、東金市の城西国際大学(恵理菜が通う大学)、足利市の松村写真館(タキ写真館)、

出演・井上真央(秋山恵理菜)、永作博美(野々宮希和子)、小池栄子(安藤千草)、森口瑤子(秋山恵津子)、田中哲司(秋山丈博)、渡邉このみ(薫・幼少時の恵理菜)、吉本菜穂子(仁川康枝)、市川実和子(沢田久美・エステル)、余貴美子(エンゼル)、平田満(沢田雄三)、風吹ジュン(沢田昌江)、劇団ひとり(岸田孝史)、田中泯(小豆島の写真館主・滝)、相築あきこ、別府あゆみ、安藤玉恵、安澤千草、ぼくもとさきこ、畠山彩奈、宮田早苗、徳井優、吉田羊、瀬木一将、広澤草、蜂谷真紀、松浦羽伽子、深谷美歩、井上肇、野中隆光、管勇毅、荒谷清水、日向とめ吉、日比大介

受賞
第36回報知映画賞・作品賞 / 主演女優賞(永作博美)[27]
2012年エランドール賞 プロデューサー賞 - 有重陽一(日活)[28]
第85回キネマ旬報ベスト・テン・主演女優賞(永作博美) / 助演女優賞(小池栄子)
第66回毎日映画コンクール・女優助演賞(永作博美)
第54回ブルーリボン賞・主演女優賞(永作博美)
第35回日本アカデミー賞・最優秀作品賞・最優秀監督賞(成島出)・最優秀主演女優賞(井上真央)・最優秀助演女優賞(永作博美)・最優秀脚本賞・最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀照明賞・最優秀録音賞・最優秀編集賞
第3回日本シアタースタッフ映画祭 主演女優賞(井上真央)
第35回山路ふみ子映画賞 新人賞(井上真央)
第3回TAMA映画賞 最優秀新進女優賞(井上真央)主演女優賞(永作博美)
第24回日刊スポーツ映画大賞 新人賞(井上真央)
第21回日本映画批評家大賞 監督賞(成島出)
第66回日本放送映画藝術大賞 最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀助演女優賞(小池栄子)最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀録音賞・最優秀音響効果賞
上映時間・147分、映倫 G



by sentence2307 | 2017-01-09 14:53 | 成島出 | Comments(0)