世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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リベンジ「変態家族 兄貴の嫁さん」

前回、周防監督作品「変態家族 兄貴の嫁さん」の自分のコメントに、CB400Fさんから
「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」
と強烈なツッコミを入れられてしまい、その一言を胸に秘めながら、ただただ反省と悔恨の日々を過ごしました。

自分のあのコメントは、結論をはぐらかした、はっきり言って苦し紛れの「逃げ」のコメントだと言われても仕方ないくらいの支離滅裂さで失速し、中途半端に頓挫したわけですので、CB400Fさんのあのツッコミは、当を得た至極当然な発出だったと思います、しかし、弁解がましくなりますが、自分的には、本題へのアプローチに若干の齟齬をきたしたというだけで(結果的に、です)、目指した方向性とか姿勢に関しては、それほどの間違いをおかしたわけではないという気持ちが強いので、今回もまたその辺のところを含めながら書いてみたいと思います。

いま思えば、自分の反省としては、「オマージュ」と「パロディー」とを取り違えて論を始めようとした迂闊さに、そもそもの原因があったのだとはじめて気が付きました。

周防監督作品「変態家族兄貴の嫁さん」は、決して「『雪国』文体模写シリーズ」のような「パロディー」を目指したものなんかじゃなかったことは、夜の床で周吉が百合子(あっ、「紀子」じゃない!)に「夫婦のしあわせ」について語り掛ける場面の、オリジナル作品の「なぞり方」の忠実さと誠実さを見れば明らかです、これこそ「オマージュ」以外のなにものでもないのだと思いました。

周吉「そりゃ、結婚したって初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになれると思う考え方がむしろ間違っているんだよ。幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで創り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が、新しいひとつの人生を作り上げていくことに幸せがあるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ。お前のお母さんだって始めから幸せじゃなかったんだ。長い間いろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でも、お母さんはよく辛抱してくれたんだよ。お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持ってくれたような温かい心を、今度は佐竹君に持つんだよ、いいね?」

この日本映画史上特筆すべき高潔なセリフを周防監督は、別段茶化して言わせているわけでもないし、あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもありません。

少なくとも、このセリフの「なぞり方」は、「『雪国』文体模写あそび」とは、まったく異質なものだと改めて感じました。
しかし、自分は、この「あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもない」という部分に、とても深い違和感を覚えました。

そもそも、この映画を成り立たせている物語の骨格は、新たに家に迎えた肉感的な兄嫁に対する家族の並々ならぬ性的関心の物語です、カテゴリー的にいえば、「近親相姦・総当たりトーナメント」みたいなSMを絡めた「なんでもアリ」の艶めかしい雰囲気につつまれた家族映画です。

ですから、義父・周吉が嫁・百合子に語りかけるあのしんみりとした夜の床の場面でも、嫁はすでに夫(周吉には息子)に逃げられていることでもあり、義父と嫁の「(性的な)絡み」の機は十分に熟したと見ている観客にとって、ここは当然、義父・周吉が、すきを見て嫌がる嫁・百合子を強引に引き寄せたりなんかして、「いいじゃないか百合子さん、キッスくらい、なっ、なっ」てなことを言いながら、タコの吸出しのように口をとがらせて真っ白な肌(興奮で薄っすら赤味がさしています)の百合子にキッスを迫り、勢いで顔をなめまわし、かたや百合子は、誘うように身をくねらせ弱弱しい抵抗をみせながら「いやいや、いけませんわ、お父さま。ウ~ン、ダメェ、あっあー・ソコ」みたいな、そういった煽情的な場面を大いに期待しているにもかかわらずですよ、見せられたものは例の「そりゃ、オマエ、結婚なんてものはね」とかなんとか、実に興ざめなシャチホコばった長セリフが登場するわけですから、そりゃあ、観客の違和感たるや相当なものがあったわけですが、しかし、考えてみれば、周吉に好意を寄せていたバー「ちゃばん」のママとの「関係」にしてもなんら深められることなく、あっさり長男・幸一に横取りされてしまうというシチュエーションなども考え合わせれば、「あっ、これがオマージュってやつなんだよな」(汚れなき義父です)と変に納得してしまいました。

いやいや、理由を書かずに、すぐ納得なんかしてしまうと、また、CB400Fさんから「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」と言われてしまいますので、もう少し時間稼ぎをしてみますね。時間稼ぎとかじゃないだろ。あっ、はい。自問自答

自分は、「忠臣蔵」の大ファンで(お、おい、全然違う話が始まっちゃってるけど、大丈夫なの? まかしてください、大丈夫です)、御園京平の「映画の忠臣蔵」(講座・日本映画)という記事を座右に置いて常に繰り返し愛読しています。いつか、この記事をパクッて(お、おい!)、「大忠臣蔵列伝」を完成させたいと思っています。ちょっと考えただけでも、日本映画史を縦断・横断する物凄いものができるに違いありません。ぞくぞくしますよね。

こんな自分なので、タイトルに忠臣蔵と付いているだけで、なにを置いてもその作品は真っ先に見ることにしています、特に変種のものには、目がありません。むかし、「ワンワン忠臣蔵」なんてのもありました。

最近も、白竜主演の「極道忠臣蔵」(2011監督・片岡修二)という作品を見ました。

縄張り争いのゴタゴタもあって、侮辱されたことで逆上した組長が相手の組長に切りかかったことで本部から破門され、さらには陰謀によって雇われ殺し屋に暗殺され、そして若頭・白竜が出所してきて、苦難の末に親分の仇をとるという物語です。さしずめ、白竜が「大石内蔵助」です。

もし、タイトルに「忠臣蔵」となければ、すこぶる淡白に見過ごした可能性があります、第1回ピンク大賞監督賞を受賞した片岡修二監督作品といえどもね。

あっ、この場面は、「あの場」だと、いちいち記憶と照合する楽しみがあってこその「忠臣蔵」なのです。

そして、こういうことが「オマージュ」というものではないのかなと感じた次第です。


極道忠臣蔵
(2011)監督・片岡修二、企画・山本ほうゆう、プロデューサー・渋谷正一、脚本・片岡修二、撮影・河中金美、
出演・白竜、小沢和義、本宮泰風、武蔵拳、河本タダオ、國本鍾建、木村圭作、Koji、BOBBY、堀田眞三、松田優、加納竜、原田龍二



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by sentence2307 | 2017-07-28 19:58 | 映画 | Comments(0)