世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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エレファント・マン

名作として世評も高いし、いままで知人の誰と話しても悪く言う人なんて一人としていなかったこのデヴィッド・リンチ監督作品「エレファント・マン」ですが、しかし、そうした情勢の中で、それでもなおこの作品を悪く言う人が、果たして、この世界に存在するだろうかというのが、自分の長年の疑問でした、というのは、この自分もその「果たして」のうちの一人だったからです。

例えば、友人が、オレ感動して見たあと泣いてしまったよ、などと興奮ぎみに告白するのを前にしながら、まるで相手の神経を逆撫でするみたいに「俺なんか退屈で、最後の方は眠気が差した」などと、そんなこと、どうして言えます? たかが自分のつまらない映画の感想ごときに拘り、意地を張ってまで言い張り、長年つちかってきた親友とかの人間関係をむざむざ壊し、失っても構わないなどと思ったことは一度もありません、処世のためなら「踏絵」くらいどんどん踏んでみせてしまうタイプです。

キリストの顔がデザインされた足ふきマットを玄関に敷いて朝夕踏んで見せてもいい(なんなら2度くらい往復して踏み直してもいいデスヨ)と思っているくらいだし、さらにキリストの顔がデザインされた便座カバー(そんな物があるのかどうかは知りませんが)に腰を落ち着け、毎朝のルーティン(頻尿ですが、便秘ではありません)に勤しむことも一向に差し支えないと思ってはいるのですが、しかし、やはり躊躇するものがないではありません。

批判する作品が、人畜無害な「恋愛もの」とか「アクションもの」、あるいは「伝記もの」などならともかく、映画「エレファント・マン」は、19世紀の話とはいえ、いわば身障者を扱った「ヒューマニズム」映画です、軽い気持ちで「エレファント・マン」という作品をこき下ろし軽々に罵倒するあまり、チカラ余って「良識を踏み外して失言する→炎上」なんてことになったら、それこそ本末転倒です。

そのためには、この現代という時代、実に微妙で複雑なので、そこのところは注意が必要ですし、相当な覚悟が求められるということは十分に承知しています。

そして最近、wowowで改めてこの作品を見直す機会があって、ある感銘を受けながらも、またその違和感というのも改めて思い知らされました。

この映画が、自分には、どうしても共感できない部分がある、その「部分」というのが自分にとってどういうものなのか、この機会に、じっくり考えてみたいと思いました。

まずは、このデヴィッド・リンチ監督作品「エレファント・マン」についての記事をweb検索していたら、wikiでこんな記述に遭遇しました。

それは、表題「エレファント・マン」の「批評」という小見出しに記されていました。

「アカデミー賞8部門ノミネートなどから、日本ではヒューマンな映画として宣伝されたが、一部の評論家は悪趣味な内容を文芸映画風に糊塗しているだけだと嫌悪感を表明した。なかでも森卓也は、その後リンチ監督の前作『イレイザーヘッド』が公開された際に、結局ヒューマニズムより猟奇趣味の方がこの監督の本質だったのだと述べている。」

という記述です。

そういえば、この手の記事なら、自分も今まで少なからず読んだ記憶があります。

手元にあるコピーの綴りのなかに、北島明弘という人が、デヴィッド・リンチについて書いたものがあり、その中にもそんな感じの記述はありました、確かこれは「世界の映画監督」について幾人もの批評家が分担して書いた解説書かなにかに載っていたと記憶しています。

余計なことですが、実は、自分は、本を読んでいる際、「ここはぜひ記憶しておきたい」と思う箇所は、すぐに複写して50音順に並べて綴るということを励行しています。

この「50音順に編綴」という方法、コラムを書くうえでなかなかの優れもので、意外な機動性を発揮して、とても便利に活用していますが、しかしその際、うっかり原典を書き添えておかないと、今回のように出展元不明のまま、書名を特定できず「解説書かなにか」みたいな情けない書き方になってしまうことも多々あるので、そのときは小ネタ程度の使用という浪費しかできないこともあるのですが。

さて、その北島明弘のコメントです、こうありました。

「次いで、(デヴィッド・リンチは)メル・ブルックスに認められて、彼の会社ブルックスフィルムで『エレファント・マン』を撮った。19世紀のイギリスに実在した象のような顔の持ち主ジョン・メリックと彼をみとる医者との交流を中心にしたドラマだ。彼を見舞う女優には、ブルックス夫人であるアン・バンクロフトが扮していた。彼女の部分にエセ(似非)ヒューマニズムの印象を受けたので、来日した際に問いただしたところ、むっとした顔をしながら『私はそうは思わない』と答えたものだった。のちにブルックスは、彼のことを『火星から来たジミー・スチュアート』と評している。モノクロ画面がヴィクトリア朝のイギリスを見事に再現していた。」

なるほど、なるほど。

女優アン・バンクロフトはボスの奥さんでもあるところから、その役を設定するにあたり、ひたすら「善人」として描かざるを得ず、だから「彼女だけ物凄くいい人に描いたのではないか」などと、わざわざ極東の島国くんだりまでやってきて、芸能記者だか批評家だか訳のわからないアジア人に突然こんな腹の底を見透かされたような因縁をつけられたのですから、そりゃあ、誰だってむっとするのも無理ありません。

しかし、このふたつのコメントをよく読めば、前記・森卓也の「悪趣味な内容を文芸映画風に糊塗しているだけでヒューマニズムより猟奇趣味の方がこの監督の本質だ」というコメントと、後記・北島明弘の「エセ・ヒューマニズム論」は、一見隔たっているようにみえて、その実、そこにはとても似通ったものがあることが分かります。

まあ、ざっくり言ってしまえば、「ヒューマニズムの仮面をかぶった猟奇趣味のイカサマ野郎」と腐しているのと、一方は、「あんな意に反した気取ったヒューマニズムを描き込むなんて君らしくないじゃないか、君の本質は、あんなものじゃないだろう」と持ち上げている隠れヨイショのミテクレだけ違うだけで、言ってることはまるで一緒というのは一目瞭然です。

そして、自分的にこのミテクレだけは分裂したように見えるふたつの見解を象徴する場面を上げるとすれば、フレデリック博士(アンソニー・ホプキンス)が、異形の人ジョン・メリック(ジョン・ハート)を始めて見たときの反応(あまりの悲惨と同情から思わず落涙します)に対する、後半に描かれている下層の民衆の奇形を食い物にする執拗な悪意の描写に自ら圧し潰され、バランス的に上流社会の善意を過剰に描いてしまった、いわば、この「不毛な二元論」(実は同じもの)に困惑してしまったデヴィッド・リンチは、ついに「本質」を見失ってしまった、手放しの善意を描いてしまったために、分かりにくくしてしまったものがあったのではないかと思うようになりました。

つまり、「上流階級の庇護」も「下層民・民衆の虐待」も、結局は、根の一つのものという「真実」から目を逸らさねばならなかったリンチの困惑(もしかしたら自分の違和感もリンチの困惑をそのまま感じ取ったのかもしれません)を示唆しているような気がします、そして、それがそのまま、アカデミー賞の完敗(候補8部門・作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞、美術監督・装置賞、作曲賞、衣装デザイン賞、編集賞)に序実に反映されたのではないかと。

そしてまた、その一方で、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭グリンプリ受賞という現実も、その答えを示したものといえるかもしれませんよね。

さらに、「日本で大ヒットした」という現実も見過ごしにはできません。

僕たちは、実在のエレファント・マン(ジョン・メリック)が、たまたま奇形に生まれついたために醜悪な動物のような見世物小屋で晒し物とされ、悪意の虐待を受けて人間性を蹂躙されたことに対して、デヴィッド・リンチが、いかなる同情を示し、いかなる憤慨を現しているのかを、その作品として、どこまで描き得ているのか、それとも、リンチの描いたものは、結局のところ、この映画自体が、身障者を晒し物として奇形を売りにした単なる悪意に満ちた「見世物小屋」でしかないと見るかというところまで追い込まれたとき、そこで「ヒューマニズム」を示されたとしても、あるいは、かたや「醜悪な見世物小屋」を示されても、自分はいずれにも「違和感」を覚えたことを唯一の手掛かりにして、この一週間ずっと考え続けてきました。

実はその間、ふたつの映画に出会いました。

ひとつは、伝説の映画、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」、1932

トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せなかった硬直した感性の持ち主であることに気づかされたからにすぎません。

いわば、そこには「奇形」を普通に撮り続けたために、狡猾な健常者たちからの侮蔑と虐待に対する怒りの報復が描かれていく過程で、人間の正常な在り方が示されているラストの爽快感が余韻として残るのに比べたら、いじめ抜かれて死んでいく「エレファント・マン」の救いのない無力で陰惨なリンチの描き方は、逆に実在のジョン・メリックを、その最後まで人間性を放棄した惨めな小動物に貶めたというしかありません。

そしてもう一本は、本多猪四郎「マタンゴ」1963です。

嵐に遭遇し、漂流のすえに絶海の孤島に流れ着いた男女7人が、飢えに耐えきれず、ついに禁断のキノコを食べたことから、巨大で醜悪なキノコに変身していくというストーリーですが、醜悪なのはカタチだけで、巨大キノコに変身した彼らは実に満足げに快楽のなかに陶酔していることを描いています。

あの「エレファント・マン」にあっては、他人の視線にさらされ、他人に映る「エレファント・マン」は終始描いていたとしても、はたして、巨大キノコ「マタンゴ」自身が(未来には破滅しかないと分かっていながら)陶酔のなかで持ったような快楽を描けていただろうか、たぶん自分の違和感は、そこにあったのだと思います、つまり、「だからリンチさあ、エレファント・マン自身は、どうだったんだよ」みたいな・・・。

★エレファント・マン
(1980パラマウント)監督脚本・デヴィッド・リンチ、脚本・クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン、原作・フレデリック・トリーブス、アシュリー・モンタギュー、製作・ジョナサン・サンガー、製作総指揮・スチュアート・コーンフェルド、メル・ブルックス 、音楽・ジョン・モリス、撮影・フレディ・フランシス、編集・アン・V・コーツ、プロダクションデザイン(美術)・スチュアート・クレイグ、衣装デザイン・パトリシア・ノリス、編集・アン・V・コーツ、音楽・ジョン・モリス、製作会社・ブルックス・フィルムズ・プロ
出演・ジョン・ハート(John Merrick)、アンソニー・ホプキンス(Frederick Treves)、アン・バンクロフト(Mrs. Kendal)、ジョン・ギールグッド(Carr Gomm)、ウェンディ・ヒラー(Mothershead)、フレディ・ジョーンズ(Bytes)、ハンナ・ゴードン(Mrs. Treves)、マイケル・エルフィック(NightPorter)、デクスター・フレッチャー(バイツの連れている少年)、キャスリーン・バイロン、フレデリック・トレヴェス、
124分 アスペクト比・シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ、35mm

★フリークス (怪物團) Freaks
(1932MGM)監督製作・トッド・ブラウニング、脚本・ウィリス・ゴールドベック、レオン・ゴードン、エドガー・アラン・ウルフ、アル・ボースバーグ、撮影・メリット・B・ガースタッド、編集・バシル・ランゲル、
出演・ウォーレス・フォード(フロソ)、レイラ・ハイアムス(ヴィーナス)、ハリー・アールス(ハンス(小人症))、デイジー・アールス(フリーダ(小人症))、オルガ・バクラノヴァ(クレオパトラ)、ロスコー・エイテス(ロスコー(吃音症))、ヘンリー・ヴィクター(ヘラクレス)、ローズ・ディオン(マダム・テトラリニ(団長))、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン(シャム双生児)、エドワード・ブロフィー(ロロ兄弟)、マット・マクヒュー(ロロ兄弟)、ピーター・ロビンソン(骨人間(るいそう))、オルガ・ロデリック(ひげの濃い女性)、ジョセフィーヌ・ジョセフ(半陰陽者)、クー・クー(クー・クー(ゼッケル症候群))、エルヴァイラ・スノー(ジップ(小頭症))、ジェニー・リー・スノー(ピップ(小頭症))、シュリッツ(シュリッツ(小頭症))、ジョニー・エック(ハーフボーイ(下半身欠損))、フランシス・オコナー(腕の無い女性)、プリンス・ランディアン(生けるトルソー(手足欠損))、アンジェロ・ロシェット(アンジェロ(小人症))、エリザベス・グリーン(鳥女)、
64分(1932年製作、1996年国内リバイバル上映、2005年国内再リバイバル上映)

★マタンゴ
(1963東宝)監督・本多猪四郎、特技監督:円谷英二、製作・田中友幸、原案・星新一、福島正実(ウィリアム・H・ホジスンの海洋綺譚『闇の声』より)、脚本・木村武、撮影・小泉一、美術・育野重一、録音・矢野口文雄、照明・小島正七、音楽・別宮貞雄、整音・下永尚、監督助手(チーフ)・梶田興治、編集・兼子玲子、音響効果・金山実、現像・東京現像所、製作担当者・中村茂、特殊技術撮影・有川貞昌、富岡素敬、光学撮影・真野田幸雄、徳政義行、美術・渡辺明、照明・岸田九一郎、合成・向山宏、監督助手(チーフ)・中野昭慶、製作担当者・小池忠司
久保明(村井研二・城東大学心理学研究室の助教授)、水野久美(関口麻美・歌手、笠井の愛人)、小泉博(作田直之・笠井産業の社員)、佐原健二(小山仙造・臨時雇いの漁師)、太刀川寛(吉田悦郎・新進の推理作家)、土屋嘉男(笠井雅文・青年実業家。笠井産業の社長)、八代美紀(相馬明子・村井の教え子で婚約者)、天本英世(マタンゴ・変身途上)、熊谷二良(東京医学センターの医師)、草間璋夫(警察関係者)、岡豊(東京医学センター医師)、山田圭介(東京医学センター医師)、手塚勝巳(警察関係者)、日方一夫(警察関係者)、中島春雄(マタンゴ)、大川時生(マタンゴ)、宇留木耕嗣(マタンゴ)、篠原正記(マタンゴ)、鹿島邦義(マタンゴ・変身途上)、伊原徳(マタンゴ・変身途上)、林光子(東京医学センター看護婦)、一万慈鶴恵(東京医学センター看護婦)、



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by sentence2307 | 2017-09-02 22:04 | 映画 | Comments(0)