世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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小津監督生涯独身の理由

人生を達観していたあれほどの人でも、生涯の終わりにはこんなふうになってしまうのかという深い思いに囚われます。

《絢爛たる影絵》の末尾は、小津監督が、ともに生きてきた周囲の大切な人々を次々に失っていくという焦慮と苛立ちのなかで、撮られた作品が興行的には次々とヒットを飛ばしながらも、しかしそれらの作品自体の不本意な出来に逆に鬱屈し、苛立ち、やがて、まるでその内攻した怒りが極点で結晶したかのような病魔に取り付かれて、悲痛な最後を迎えるまでが描かれています。

どんな切迫した局面でも、達観した揶揄と照れ隠しの諧謔を決して忘れなかった人生の達人・小津安二郎が、死と向かい合ったその生涯の最後で、病の苦痛と、成し遂げ得なかった仕事への悔恨に泣きくどく残酷なエピソードには、目と耳を覆いたくなるほどの遣り切れない思いでいっぱいになってしまいました。

心から愛したご母堂を亡くしたあとの小津監督の酔態の悲痛な思い出を、弟・信三氏は、こんなふうに一文にしたためています。

「たった一度きりでしたけどね、弟の私があれと思ったほどそれはひどいものでした。
いえ、人にからむというのではなく、自分の悲しみが抑えきれないのがありありと分かるのです。
兄の人間が変わってしまったように思えたくらいでした。
こんなにも母を愛していたのかと、ちょっと想像もできないほどでした。
どこかから二人で帰ってきたのですが、あの大きな体を抱きかかえて、本当にもてあましました。」

このさりげない述懐には、世に入れられず持て余された傑出した才能の痛々しい孤独な最後が、余すところなく語られているかもしれません。

しかし、著者・高橋治は、これでこの節を閉じようとはしません。

こう続けています。

「小津が終生娶らなかったのは、母と嫂の不具合を間近に見たせいで(戸田家の兄妹に語られているそうです)、自分にはその思いはさせられないと決意したのだという人は多い。
しかし、はたから憶測をめぐらすべきことではないだろう。
だが、確かなことはある。
昭和8年の日記の一節にこう書かれている。
《おふくろが、おやぢの襦袢を縫つてゐた。ねむくなつて、その運針のほどまことに乱れた。ほどいてもう一度やり直さうと云ふ。「あたしが死んでも、この襦袢が残るから」と云ふ。孫が誕生日の晩のこと。》
こんな見事な母親がいては、なまじの女を家に入れる気にはならないだろう。」

いわばこの本のすべての結論とでもいうべき言葉がこの程度なのには、真実驚きました。

「小津が終生娶らなかった」理由が、「こんな見事な母親がいては」なのです。

母が、あるいは親が、「あたしが死んでも」などと語り始める場合、息子や子供たちはそんな素直な受け取り方をできるものなのか、少し想像をめぐらせれば分かりそうな気がしますし、こういう安直な人には、百万言を費やしても人間の真実を理解させることなんて、きっと出来ないだろうなと思います。

この言葉には、さらに、他人から様々に傷つけられ、そして同じだけ他人を傷つけて生きてきた、一歩も引かないどろどろとした意地みたいなものも感じられてなりません。

昭和8年、30歳の小津安二郎が、一心に襦袢をほどく母の言葉と姿から、人間の心の闇を垣間見たと言ってくれた方が、「小津が終生娶らなかった」理由に繋げやすい気がします。
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Commented by clonecd169 at 2011-05-10 17:07 x
There is a great difference between knowing and understanding: you can know a lot about something and not really understand it.
Commented by さすらい日乗 at 2015-10-13 09:49 x
生涯独身とは言っても、女性がいなかったわけですありません。若いころは、蒲田の女優ともいろいろあったようで、戦中、戦後は川崎長太郎と争った小田原の芸者の森栄、そして晩年は松竹大船楽団の村上茂子がいた。村上は、『東京物語』の熱海のシーンで、アコーディオンを弾いている流しの女性です。
『絢爛たる影絵』で高橋治のインタビューを受けています。
by sentence2307 | 2005-10-02 18:13 | 映画 | Comments(2)