少し前までは、イベントものに馴染めなくて、あえてその盛り上がりに背を向けていたような天邪鬼みたいなところがありました。
本来お祭り騒ぎがあまり好きな方ではないので、そうした賑わいをわざと外してしまうような偏屈なところを、逆に孤高を守るみたいに錯覚していたのかもしれません。
しかし、小津監督100周年記念の時に数々の素晴らしいイベントに接して、そういう時だからこそ接し得る未知の得がたい数々の出会いが持てて、自分のいままでの行き方が、必ずしも正しかったわけではないことを反省しました。
それほど小津監督生誕100周年で得た多くの情報は、僕の小津観を大きく変えたのだと思います。
今年は豊田四郎監督の生誕100周年に当たる年です。
フィルムセンターでも日本映画専門チャンネルでも普段なら滅多に見ることのできない珍しい作品を数多く上映していました。
まさに、これぞ「チャンス」なのですよね。
新鮮な気持ちで「貪欲に見よう」という決意のもとに見た一篇に、「わが愛の記」41という軍国美談を扱った作品がありました。
奉仕と慈愛の精神で半身不随の傷痍軍人と結婚するという若き看護婦の物語です。
これぞ軍国の乙女、大和撫子とかいうやつです。愛情など二の次、と書きたいところですが、夫となる青年が半身不随の病床で懸命に書いた詩歌に彼女が感動したという部分も描き込まれているので、この結婚がまったくの自己犠牲から為されたものと言うのは少し無理ですが、それにしても体の自由の利かない夫との新婚生活は、とにかく熾烈を極めないわけがありません。
身を起こすのさえ妻の手を必要とするのですから、それはもう大変です。
しかも、体の自由の利かない夫は、小説家になることを志望していて必死になって執筆に打ち込んでみるものの、思うように書けない苛立ちを新妻を怒鳴り散らして神経をピリピリさせています。
才能のない人間が、懸命に努力しても思うような作品が書けずに苛立つという、実に身につまされる場面です。
そうした苛立ちのなかから半身不随の夫が「お前なんか、いつまでも看護婦のままじゃないか」と妻を激しくなじる場面は、ふたりの間にSEXが介在しない形ばかりの夫婦であることを暗示しており、この不自然な夫婦が国家の意向を受けて無理やり作られた権力の象徴的なフィクションにすぎないことが、遅からず来るに違いない破綻によって証し立てられてしまうかもしれません。
しかし、この映画で僕の胸をついたひとつの場面がありました。
病院の中庭で傷痍軍人たちが棒付鉄砲の教練に励んでいる場面です。
おそらく実写なのでしょう。
向かい合った相手に突きを繰り返す訓練をしている彼らの誰もが、どこかしら壊れていて、例えば義足の兵士は、突くたびに不安定に揺らぐ体勢を必死に立て直しながら、なおもたどたどしく付きまくる痛ましい勇姿は、「健康な」人間の残酷さをつくづく感じてしまいました。
人間は、こんなふうに戦争によって壊されながらも、まだ動くパーツが残されている限り、それらを駆使してなおも国家の意向を一身に受け入れながら戦い続けねばならないのか、という悲痛な思いに囚われてしまいました。
(41東京発声映画製作所)(監督)豊田四郎(企画)軍事保護院(製作)重宗和伸(原作)山口さとの(脚本)八木保太郎(撮影)小倉金弥(美術)園眞(音楽)深井史郎(演出補助)春山潤(撮影助手)草刈裕夫(装置)角田竹二郎(装飾)柳沢治太郎(録音)奥津武(照明)若林芳弘
(出演)遠藤愼吾、山岸美代子、三桝万豊、林千歳、矢口陽子、小高たかし、三原純、横山運平、横田儔、林幹、石黒達也、杉村春子、志村アヤコ、末弘美子、関志保子、水上冷子、藤間房子
(99分・16mm・12巻 2,713m 白黒)1941.11.7 日本劇場