蜘蛛の街
2006年 04月 05日
近年、マニアの間では物凄い人気があると聞いている鈴木英夫の作品を「意識して」見たのは、今回が初めてでした。
この鈴木英夫作品は、かのヒッチコックとの比較論まで読んだことがあるので、とにかく物凄く期待して見ました。
息もつかせぬテンポの良さは、確かに優れたものがあると思いましたが、しかし、ヒッチコックを持ち出すというのは、ちょっといき過ぎのような気もしないではありません。
ショッキングなシーンの釣瓶打ちとか、意想外などんでん返しで見る者を驚かすような映画とは少し違う、むしろ正統的な人物描写の緻密さがこの映画の緊張感を高め、サスペンスに厚みを持たせていると感じました。
団地に住んでいるこの男には、妻と子供がいます。
男は失業中で、職を失ったことをまだ妻に話すことができない。
気安く打ち明けられないほど夫婦仲が冷え込んでいるからかというと、むしろ逆で、お互いを愛称で呼び合っているほどの打ち解けた間柄であることがすぐに分かり、夫婦のこの繊細な心理の食い違いを描くことによって、微妙な夫婦の関係を巧みに描き出していると思いました。
朝、定時に家を出て職探しに歩き回っている男は、サンドイッチマンの職を見つけて、ようやくわが家に生活費を持ち帰ることができるのですが、看板をぶら下げて街を歩いているサンドイッチマンの姿をバスの車掌をしている義妹に見られてしまい、妻もようやく夫の苦境を知ります。
しかし、妻はそのことを夫に直接問いただすことまではできません。
またしても情報提供者たる妹が、夫婦の仲に入って話の切っ掛けを作ってあげる役を買ってでる始末です。
この夫婦の不思議な「他人行儀さ」ぶりを、現代に生きる僕たちが、夫婦のこうしたお互いのことを遠慮がちに思い遣る節度を優しさと理解できるかどうかなど、この映画を味わううえで興味深い問題かもしれませんね。
しかし、僕が面白いとおもったのは、この映画の中心になっている替え玉のそっくりさんを現場近くに歩かせ、時間的なアリバイを作ったうえで本物の方を自殺に見せかけて殺してしまうというシチュエーションです。
これは明らかにこの映画が公開される前年の昭和24年の7月に起きたあの下山事件でしょう。
失踪後轢断地点付近で見られたといわれた「下山総裁の死の彷徨」から着想されたものですよね。
映画に厚みを持たせたといえば、あるいはこちらの方かもしれません。
(50大映・東京撮影所)製作・三浦信夫、監督・鈴木英夫、脚本・高岩肇、原作・倉田勇、撮影・渡辺公夫、音楽・伊福部昭、美術・木村威夫、録音・長谷川光雄、
出演 宇野重吉中北千枝子 伊沢一郎 根上淳 千石規子 目黒幸子
1950.06.03 9巻 2,102m 77分 白黒