世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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少年

ある女流作家が、ジャン・ヴィゴの「新学期・操行ゼロ」を、それこそ読む側が気恥ずかしくなるくらい褒めちぎっていました。

この映画を、少年映画の原点と書いています。

ヴィゴが、その生涯にたった4本しか作品を残さずに夭折したことも母性本能だか悲愴感だかをくすぐる一因になったのかもしれません。

確かに、既成の概念に囚われない自由奔放な精神は、その生き生きと躍動する映像からも十分に感じ取ることが出来ますし、その辺の事情や雰囲気は、ジュリアン・テンプル&アン・デブリン監督の映画「ヴィゴ」でよく分かりました。

しかし、そんな風な「褒め倒し」を目の当たりにすると、逆に、その気取った「おフランス」が鼻について、ひとこと反撥したくなってきます。

だいたい、ヴィゴの生き方にしろ、その作品「新学期・操行ゼロ」にしても、あるいは、この作品に影響を受けたといわれる諸作品が描いているフランスの少年たちの反抗や非行にしても、結局のところ豊かな社会から甘やかされて増長した甘えか、さらには、媚びでしかないという思いが常に僕の中にあって、結局「いい気なもんだ」という苦々しい思いから自由になれないのです。

なぜそんなふうに考えるかというと、それはきっと僕の中に大島渚の「少年」阿部哲夫が、いまも大きな領域を占めているからかもしれません。

大島渚にとって、創造社における仕事のうちで「少年」という作品は、その「普通さ」において、極めて異質です。

「新宿泥棒日記」や「東京戦争戦後秘話」、「儀式」などと同時期に撮られた作品と比べるとき、この「少年」には、信じがたい程の確固とした物語性が保たれています。

映画を撮り続けていくことの困難と真正面から対峙し、あらゆる方法論を模索しながら、それらの選択肢の中から選び取られた実験的手法によって、閉塞した時代を切り開こうとした大島作品の奇を衒った挑発的な自己解体の要素が、この作品には微塵も見られません。

静かな怒りを内向させながら、受身でしか生きられなかった無力な少年の、自分を傷つけることでしか表わし得なかった深い絶望と哀しみの果ての怒りを、簡潔なリアリズムの深い静けさにおいて、「少年」は、他の作品を圧して、より強烈なメッセージ性を備えることに成功した作品といえると思います。
交通事故をよそおい示談金を詐取しながら、日本縦断の旅を続けた当り屋一家のこの映画の中で、悪夢のように繰り返し甦ってくるひとつのシーンがあります。

少年が、堕胎する継母に付き添い、病院に行く一連の場面です。

その日の生活費にも事欠く毎日を、示談金でどうにか食い繋いでいる状態下での妊娠です。

夫に堕胎をしぶしぶ納得させられた継母は、病院には来たものの、もとより堕胎する気は全然ありません。

少年を、2時間したら戻って来いと言い含めて追い払い、立ち去ったのを確認してから自分も病院から立ち去ろうとします。

しかし、まだそこらにぐずぐずしている少年を見つけ、継母は、出産を許さない父親に命ぜられて少年が自分の中絶を見届けに来たと邪推します。逆上した彼女は、日頃の憎悪をもあからさまにして少年の頬を打ちます。打ちながら、しかし、彼女は、少年も自分も同じような悲惨な境遇のサナカにあることを徐々に理解し始める場面でもあります。

これが、この悲惨な物語の中で、ほとんど唯一と言ってもいい少年が「他人」と始めて気持ちを通わせる(ように見える)場面です。

疑いを本音で少年に叩きつける継母、口汚い罵りを吐きつくすことによって、少年に少しずつ心を開いていく重要なシーンなのです。

映画もその方向で作られたのだろうと思いますが、しかし作品の意図を裏切って、固く表情のない阿部哲夫少年の顔からは「継母と絆を深めていく」痕跡を見出すことはできませんでした。

僕はこの少年・阿部哲夫の表情に、誰からも愛されたことのない、誰に対しても心を開いたことのない無残なほど痛ましい少年の深い孤独を見ました。

残されたスチール写真の彼の表情はどれも感情をあらわにすることなく、ただじっと他人を見据えています。他人との距離を測りながら人間関係をつなぎとめるために、自分の位置を定めようと努めたり、また、とりつくろうことも必要としなかった少年の、孤独のうちに生きてきたうち棄てられた者の眼差しだと思いました。

しばらくあとで知ったことですが、養護施設にいた阿部哲夫少年がこの映画に起用され、撮影の終わりに撮影チームのスタッフから養子の申し出があったのを断わり、再び養護施設へ戻ったと記されていました。
実は、前回、病院前で継母が少年に駆け寄り殴りつける部分のセリフをシナリオから拾い書きしたのですが、なにせ少年を激しく「誹謗中傷」するその言葉のあまりに激しさに、このまま忠実にリライトしていいものかどうか迷いました。

迷った結果、やはり引用した全文を削除し、代わりに、それらの言葉を「口汚く罵り」という一言に言い換えることとしました。

そこには、父親と息子という一般的な概念に対しての継母の嫉妬が、暴力を伴って土佐弁丸出しの激しい言葉で少年に投げつけられた訳ですから、そこは、どうしても生の言葉の開示が必要だったのですが、どうしても思うに任せずに、その強烈な言葉群の提示を欠きながらの「繰り返し悪夢のように甦る」場面の紹介は、迫力に欠けた不十分なものとなってしまいました。

社会の片隅で犯罪者としてゴミのように生きる人間同士の無残なぶつかり合いを、セリフ抜きで説明的に書かなければならなかったことで、田村孟が残した作品群における映画「少年」が位置する意味を検証するとっかかりも失いました。

しかし、いまとなっては、むしろそれで良かったのかなとも思っています。

ひとつは、差別的言語などに満ちたそれらのセリフを、ストーリーの流れを欠いたまま記したところで、脚本の真意を伝えられずに、不愉快な印象を与えるままで終るかもしれないこと、その部分のみのセリフの提示は、激烈なだけに、もしかすると、田村孟の意図に反する懼れもあると思えてきました。

もうひとつは、年譜をみながら思ったことですが、創造社解体以後の田村孟の、なにか拠り所を失ってしまったような元気の無さが後半生の印象として得たことでした。

ひとつの時代が終わり、その時代の最先端で、あらゆる勢力と対峙し前衛の役割を担った誇り高い充実期にあったひとりの芸術家も、創造社解体以後その役割を終えて退場していくような、そんな寂しさを感じてしまったからでした。

「少年」は、そのような田村孟の仕事のピークを示すものと思っています。

(69創造社=ATG)製作・中島正幸 山口卓治、監督・大島渚、助監督・小笠原清、脚本・田村孟、撮影・吉岡康弘 仙元誠三、音楽・林光、美術・戸田重昌、録音・西崎英雄、編集・浦岡敬一
出演・渡辺文雄、小山明子、阿部哲夫、木下剛志
1969.07.26 7巻 2,676m 97分 カラー シネマスコープ
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Commented by ギャル動画 at 2011-03-15 14:45 x
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Commented by longchmap tote at 2013-06-25 07:55 x
少年 : 映画収集狂 <a href="http://www.goldcoastgraphicdesign.com.au/pages/portfolio.html" title="longchmap tote">longchmap tote</a>
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by sentence2307 | 2006-04-23 09:52 | 映画 | Comments(3)