エル
2006年 05月 27日
単なるプログラムピクチャーとして生活の糧を得るために、決められた作品をただ単に消化したにすぎないという趣旨なのですが、しかし、幾らかの作品(スサーナ,昇天峠、乱暴者、エル、嵐が丘、犯罪の試み等)を実際に見て、その完成度の高さと素晴らしさに驚きました。
また当時のメキシコにこんなにも名優がそろっていたのかと意外でした。
前記の評価は、シュールレアリスト・ブニュエルを愛し神聖化するが故の贔屓の引き倒しにしかならない不毛な固定観念にすぎないと思ったのです。
この作品は、美しい妻と結婚したために嫉妬に狂う男の話なのですが、その強迫観念が、決して特殊な狂気として片付けられない「愛すること」と「愛しすぎないこと」との境をどうやって判断すればいいのか、という後年の作品「昼顔」に通ずるものを感じました。
メキシコで撮られた作品を見ていくと、メキシコの俳優たちの過剰ともいえる熱い演技を得て、ブニュエルは、「節度ある愛などというものが、果たして有り得るのか」といっているように思いました。
愛することをラディカルに突き詰めてゆくブニュエルの描く世界では、もはや理性によって愛するという行為を節度あるものとして押し留めることの不可能がメキシコ時代の作品には見られると思います。
なんとも不可解な「嵐が丘」という物語も、ブニュエルの解釈によって、やっと理解することができたのでした。
僕は、むしろこの時代のブニュエルを否定したら、彼の力量の重要な部分を見逃すことになると考えています。
残念ながら、まだ未見の「忘れられた人々」をいつの日にか見ることができる日がくるのを楽しみにしているこの頃です。