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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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戸田家の兄妹

「戸田家の兄妹」は、随所に「東京物語」ととてもよく似た場面があることに気づかされます。

本来なら、後に作られた「東京物語」のほうが「戸田家の兄妹」と似ているのだと書くべきなのかもしれませんが、物語の成熟度からいえば、ここはどうしても、こうした逆転した言い方を許してもらわないわけにはいきません。

この物語の発端になる最初の場面で、吉川満子演じる長女千鶴が、実家の父親が倒れたという危篤の知らせを受け、急遽駆けつけるために慌ただしく支度をしながら、それとなく女中に「喪服」の用意をしておくように指示しています。

この場面は、すぐにあの「東京物語」における一場面、母危篤の報を受けた兄弟たちが、明日にでも尾道へ駆けつけようかと相談をしているとき、杉村春子演じる長女が「喪服どうなさる」となんの躊躇もなく平然と言い放つシーンを思い出さずにはおられません。

そして、この2作品における似て非なるセリフの比重からみると、やはりあの「東京物語」の場面の方が、はるかに強烈な印象をもって観客の脳裏に刷り込まれたと考えられるのは、やはりそこに、小津監督の強調の意図「肉親の人情味のない無神経な一言に対する怒り」にあったからだと見るべきなのでしょうか。

しかし、この無神経で不用意な言葉が、「戸田家の兄妹」においては、考えなしの失言でないことは、住む家を失った母娘が、やがて子供たち・兄弟たちの家々を転々とたらい回しにされた挙句、厄介者扱いされる描写に繋がっていく伏線となっているので、「喪服」の一言が物語の進行に及ぼす効果が、のちに描かれる兄弟たちの不人情な数々の仕打ちを暗示していることと不可分のものとして計算されていたのだと分かります。

そしてその「喪服」という言葉から観客が受けるストレスを完結・終息させるものとして、父親の一周忌の会食の席での、中国から戻ってきた次男・昌二郎が、兄弟たちに母への不実を激しい言葉で詰る場面が用意されています。

その激しい難詰は、わが身可愛さから母親や肉親を蔑ろにする不人情な兄弟に対する小津安二郎の率直な怒りの表明だとしても、しかしあまりに率直過ぎて、見ている側が白けて少し引いてしまう部分も確かにあったと思います。

「東京物語」の成熟は、この生々しい怒りの表明が、かえって劇的効果を薄めてしまうことの教訓の上に立っていると思われてなりません。

母危篤の報を受け喪服の心配をしながら駆けつけた長女は、母の死後、いち早く「形見分け」をねだってさっさと帰京してしまいます。

末娘の香川京子が、その長女の冷たい言動や仕打ちの不満を紀子に微かに漏らすだけで、長女にはその詰りの言葉は届いてはいません。

紀子は答えています「悪意があるわけではない、誰もが自分の生活に囚われて見えなくなってしまうものがあるのだ。仕方のないことなのだ」と。

この驚くほどの優しい言葉には、「戸田家の兄妹」から「東京物語」までの間に小津安二郎が、怒りから徐々に許しの心境に変化していった成熟を感じさせずにはおきません。

「戸田家の兄妹」における次男・昌二郎の難詰の場面に見事に照合する場面が、「東京物語」における紀子の「お母さんに何もしてあげられなかった」と告白するラストでの自責の場面といえるのではないでしょうか。

この「東京物語」を日本映画史上、最も禁欲的な作品と評した日本の映画批評家がいました。

それはきっと、周吉ととみの老夫婦が、東京の子供たちに寄せたかすかな期待が失望に終ったこととか、また、彼らの戦死した息子の嫁紀子が、「戦争未亡人」として生き続けていくことに揺らぐ不安な気持ちを必死に押さえ込んでいる姿を指しているのだと思います。

それを「耐える」という言葉でひと括りにできるかどうかはともかく、この映画のラスト、共に大切な伴侶を失ってしまったこのふたりが対座する場面に、この映画のすべての魅力が凝縮されていると言えるでしょう。

姑とみの葬儀も終わり、紀子がいよいよ帰京するという朝、それまで抑えに抑えていた感情を周吉にぶつけるシーンは、この作品中、最も美しい場面のひとつです。

周吉「あんたみたいなええ人はない言うて、母さんも褒めとったよ。」

紀子「お母さま、わたしを買い被っていらしたんですわ。」

周吉「買い被っとりゃせんよ。」

紀子「いいえ、わたくし、そんな、おっしゃる程のいい人間なんかじゃありません。お父さまにまでそんなふうに思っていただいてたら、わたくしの方こそ却って心苦しくって・・・」

周吉「いやあ、そんなこたあない。」

紀子「いいえ、そうなんです。わたくし、ずるいんです。お父さまやお母さまが思っていらっしゃる程、そういつも昌二さんのことばかり考えている訳じゃありません。」

周吉「ええんじゃよ、忘れてくれて。」

紀子「でもこの頃、思い出さない日さえあるんです。忘れている日が多いんです。わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待っているんです。ずるいんです。」

周吉「いや、ずるうはない。」

紀子「いいえ、ずるいんです。そういうこと、お母さまには申し上げられなかったんです。」

周吉「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたは、ええ人じゃよ、正直で。」

これは、笠智衆、原節子の世界映画史に残る最高のシーンなのですが、この場面を最高たらしめたものは、小津監督には明確な「怒り」の意図の後退があったからだと考えられると思います。

「完璧」を目指したという小津安二郎にとって、その「完璧」とはいったいどういうものだったのか、ぼんやりと分かり掛けてきました。

「晩春」において父娘で能を観劇する場面で、紀子は父親が結婚するかもしれない相手を複雑な表情で遠目から窺う場面があります。

その「複雑な表情」とは、父が他の女に心を移し自分が置去りにされるかもしれないことへの不安→父が心を移そうとしている女への抑え難い嫉妬→このような愛憎関係に囚われていることに巻き込まれてしまったことへの嫌悪→そして、独占していた父への愛情をまさに父親自身が破壊しようとしていることへの苛立ち、自分の信頼を裏切ろうとしている父に対する怒り、です。

しかし、その「怒り」の内実は、否定されかけているはずの「父への愛情」とか「甘え掛かる」という媚態と同じ程度の「怒り」でしかないように思われてなりません。

このような紀子の多岐にわたる(どのようにも在り得ると同時に、ただひとつのものに拘るという二面性をもった)感情を、小津安二郎がどのように演出したか、そこにこそ小津安二郎の演出の秘密があると思いました。

つまり、小津安二郎はきっと、この場面における「紀子」には、父の婚約者(となるかもしれない女)への嫉妬だけをシンプルに観客に分からせるだけの演出、逆に言えば、紀子に嫉妬以外の感情を観客に思わせる余地をことごとく封じた演出を目指したのだと思います。

思わせぶりな余計な仕草とか、また、俳優の表情が少しでも動いてしまえば、そこに余計な感情を観客に読まれてしまいかねない恐れが生じる、「笑み」でもなく「怒り」でもなく、ましてや「悲しみ」でもない、すべてを受け入れまいとする頑なな「無表情」、痛ましいまでに抑制された「無表情」こそが必要とされたのだと思いました。

役者は、ひとつの感情を表現するためには、小津監督の指示以外、一寸たりとも動いてはならなかったのだと思います。

この作品「戸田家の兄妹」は、解説書にはこんな紹介をされている作品です。「興業的にも成功したオールスターによる初の小津映画で、以後小津作品は商業的にも安定するようになる」と。

しかし、華やかなオールスターたちが、母親イジメの役をさせられたわけですから、複雑な心境だったでしょうね。

皮肉屋の小津監督らしい独特な衒いなのかもしれません。

(41松竹大船撮影所)製作担当・磯野利七郎、監督・小津安二郎、監督補助・根岸浜男 西川信夫 鈴木潔 山本浩三 田村幸二、脚本・池田忠雄 小津安二郎、撮影・厚田雄春、撮影補助・鈴木一男 松川仁士 阿久津幸一郎、音楽・伊藤宣二、演奏・松竹大船楽団、美術・浜田辰雄、装置・矢萩太郎 大谷弥吉、舞台装飾・三村信太郎 清水敏明、録音・妹尾芳三郎、録音補助・牧鞆之祐 伊藤数夫 松原早春 内田一弥、音響効果・斎藤六三郎、配光・内藤一二、編集・浜村義康、現像・宮城島文一、衣裳・斎藤耐三、結髪・増淵いよの、タイトル・藤岡秀三郎、記録・関口庄之助、事務・生田進啓、衣裳調達・三越

出演・藤野秀夫、葛城文子、吉川満子、斎藤達雄、三宅邦子、佐分利信、坪内美子、近衛敏明、高峰三枝子、桑野通子、河村黎吉、飯田蝶子、葉山正雄、高木真由子、岡村文子、笠智衆、坂本武、西村青児、谷麗光、森川まさみ、若水絹子、忍節子、河野敏子、文谷千代子、岡本エイ子、出雲八重子、武田春郎、山口勇
1941.03.01 国際劇場 11巻 2,896m 106分 白黒
by sentence2307 | 2006-05-28 10:52 | 小津安二郎 | Comments(0)