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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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狂った果実

こう言っては何ですが、「ブランデー・グラス」を歌わせたら、「僕って」ちょっとすごいんです。

某クラブでは、「またか」という黙殺の賞賛を一身に浴びて、同行の仲間たちが必死になって「次の次」の曲目選びに没頭している頭越しに、ただ一人だけこちらを向いて盛んに拍手を送ってくれるカウンターのマスターだけを相手に、つい縋るように歌いかけてしまうという孤独に耐えながら、生涯独身で通した小津監督の孤独なども重ね合わせてしまう今日この頃です、なんてね。

しかし、石原裕次郎って、とにかく「日活」という(メジャーから離れた多彩な才能が結集した)不思議な空間から生み出された奇跡のような人(従来の俳優という観念からは考えられもしなかった人)なんだなあって、つくづく思います。

日活は、その後いろんな亜流の俳優を生み出そうと努力したみたいですけれども、結局「石原裕次郎」以上の人を生み出すことはできませんでした。

ひとことで言えば、彼だけが「サマになっていた」のだと思います。

それは、カラオケ好きの立場から言うと、どんなつまらない歌でも結構聞かせてしまう「あの声」に象徴されるのかもしれないなあって考えてしまいます。

「狂った果実」56は、たったの17日間で撮り上げたといわれている中平康監督の驚くべきデビュー作です。

そして、中平監督は、つねづね、「ゴダールは、オレの作品を真似した」と、ヌーヴェルバーグの登場を既に先取りしていたことを豪語していたという話は有名ですよね。

いや、姫田眞左久キャメラマンが記したものの中には、もっと辛辣にヌーヴェルバーグを嘲っていたみたいな一文を読んだ記憶があります。

しかし、この「豪語」は、あながち大ボラとは言えない確かな信憑性があるのですが、ただ、華々しいデビューに較べて、失速著しい「荒れた晩年」の中平監督の性癖に照らして、幾分そうした大風呂敷の虚言みたいな印象を持たれてしまったことは、残念ですが否定できなかったのでしょう。

中平監督にふれた誠意あふれる姫田眞左久キャメラマンのその一文にも、言下に「眉ツバ」的な論調を感じ取ってしまうのは考えすぎかもしれませんが。

しかし、「狂った果実」のスピード感あふれる才気に満ち満ちたカットつなぎにトリュフォーが驚嘆して、彼の推薦によってシネマテークに保管された日本映画の第1号になったというこの作品が、ゴダールに深刻な衝撃と、そして大きな影響を与えた可能性は、大いにあり得たことだろうなと思います。

石原慎太郎が、裕次郎との思い出を綴った「弟」の中にこんな部分があります。

1962年、日仏独伊ポーランド5カ国の若い監督たち、つまりアンジェイ・ワイダ、フランソワ・トリュフォー、レンツォ・ロッセリーニ、石原慎太郎、マルセル・オフュルスたちが競作したオムニバス作品「二十歳の恋」の打ち合わせのために、日本篇を監督する石原慎太郎がパリを訪れた際に、フランス篇と総集編を担当するフランソワ・トリュフォーとの対話のなかで、トリュフォーは、自分のヌーヴェルバーグ・タッチは、「海辺の情熱」という日本映画のストーリーの設定や展開、そして畳み掛けるようなカッテッングのタッチに強く影響されたものだと告白されました。

トリュフォーにそれ程までに強い衝撃を与えたというその「海辺の情熱」という作品に、まったく心当たりのなかった石原慎太郎が、さらに具体的に話の筋を聞いてみると、なんとそれは自分がストーリーを書き下した裕次郎の主演第1作「狂った果実」だったということが分り、その評価に、却って自分のほうが驚いたという部分です。

帰国後、さっそく裕次郎にそのことを伝えると、「そりゃそうに決まってらあな」と当然のように答えたと記されており、そして、また、ある席で中平監督に同じように伝えたところ、もはや、映画への情熱をすっかり失っていた中平監督の冷ややかな無反応な態度が、裕次郎の反応と好対照に記されている部分には、複雑な思いを禁じ得ません。

そして、その文節の締め括りに石原慎太郎は、こう記しています。

「いずれにせよ、あの映画は、偶然と奇跡に満ちた青春という、人間にとってたった一度の季節を表象していたと思う。
あの時代にしか、あのようにしかあり得なかった私たちの青春を、あの映画はほとんど完璧に代表してくれている。
同じ世代だったトリュフォーが感じ取ったものもまさにそれただったに違いない。」

そして、裕次郎の死は、「映画俳優」が僕たちにとって遥か遠い憧れの対象であり得た時代の終わった日だったのでしょうね。

現在、「映画俳優」というものが自身のカリスマ性を放棄し、単なる職業で満ち足りてしまったとき、大衆の憧れであることもまた失ってしまったのだと思います。

数年前に第二の石原裕次郎を広く一般から公募したイベントがありましたが、実のところ大真面目で現代の大衆の中から「石原裕次郎」を探しているとは、どうしても思えませんでした。現在の大衆の中など、本当はいるはずもないことなど、内心では誰もが最初から分かっていたことだと思います。

裕次郎は、「あの時代」以外のどこにも存在するはずがないのです。

(56日活)監督・中平康、製作・水の江滝子、原作脚本・石原慎太郎、撮影・峰重義、音楽・佐藤勝、武満徹、助監督・蔵原惟繕、美術・松山崇、録音・神谷正和、照明・三尾三郎、編集・辻井正則、スクリプター・木村雪恵、スチール・斎藤耕一、製作主任・桜井宏信 栗橋正敏、特殊撮影・日活特殊技術部
出演・石原裕次郎、津川雅彦、深見泰三、藤代鮎子、北原三枝、ハロルド・コンウェイ、岡田真澄、東谷暎子、木浦昭芳、島崎喜美男、加茂嘉久、紅沢葉子、渡規子、ピエール・モン、竹内洋子、原恵子、潮けい子、近藤宏、山田禅二、峰三平、石原慎太郎、宮路正義 中村美津子 明石涼子 関田裕 北茂朗 寺島哲 大美善助 北浜久 川口凡人 加藤良朗
1956.07.12 9巻 2,356m 86分 白黒
by sentence2307 | 2006-06-25 18:29 | 中平康 | Comments(0)