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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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日活アクション映画の世界 ③

なんだか最近、映画鑑賞にも検定試験があるらしいことを聞きました。

確かに、自分が持っている細かい映画の知識を試してみたいという興味はありますし、そこで「知らないこと」を知る機会にも繋がるかもしれないという前向きな考えもないではないのですが、その反面、カチンコチンの「検定試験」という杓子定規な構え方が、どうも面白くありません。

「英語」や「漢字」の知識を試す試験とは同列に並べにくいものが「映画」にはあるはずだと信じているし、そうまで言わなくとも、たかが映画を見るくらいのことで検定試験もないだろうにという気が僕に強くあるからでしょうか。

映画を鑑賞する醍醐味は、自分の感性を思い切り揺さぶられたり刺激されたりすることを愉しむことと考えているので、どうでもいい映画の中の細かい部分や知識をホジクリ返して自慢し合うようなマニアックな鑑賞の仕方がどうも邪道な気がして馴染めないでいます。

でも、そのマニアックな愉しみ方は、あらゆる趣味に通じるものでもあることを考えると、全部を否定するのも、なんか大人気ないかなという気がしてきました。

そんなわけで、時々思いつくままに適当に問題を考えて、そして自分で解いたりしています。

例えばこんな感じの問題です。

「永遠のスター・石原裕次郎を誕生させたものとは何か」

きっと僕の答えは、「五社協定」ということになると思います。

戦後日活の自主制作開始と撮影所建設に伴い、危機感を募らせた大手五社が自社のスタッフ・キャストの引き抜きを警戒して結んだという例のアレです。

仕方なく俳優を独自で賄わなければならなくなったときに彗星のように登場したのが石原裕次郎でした。

この辺はちょっと鳥肌ものだと思いませんか。

撮影所建設という大きな賭けに出て、実際に発足後3年で3億円の欠損を出してそろそろ限界が見えてきた矢先の石原裕次郎の登場でした。

田中純一郎の「日本映画発達史Ⅳ」には、この辺の事情をこんなふうに記述しています。

「昭和33年の正月興行は、テレビの家庭浸透による影響を受けながらも一応の客足はついたが、前年暮れから興行した日活の裕次郎映画『嵐を呼ぶ男』は他社系各館を吹き飛ばした。
文字通り嵐を呼んだこの裕次郎映画を興行した浅草日活劇場は、6日間で3万8000人の入場者があり、次位の東映劇場を5000人も引き離した。
凄まじいブームである。
前年度に57本の劇映画を作った日活は、この年7月から2本立て製作に張り切り、年間87本を配給、同業6社中、前年の第5位より3位に進んだ。
また東映の専門館製作に対応して、日活もこれに重点をおき、毎月1本は必ず裕次郎映画を配給するということで興行者を勧誘し、前年末160だったのが本年末には399となった。
ひとりの裕次郎が日活企業の全面的回復に役立ったわけで、裕次郎映画はこの年も2億円から4億円の配給収入を連続的に上げている。
一俳優でこのような連続記録を上げた例は今までの現代劇に例がない。」

養成したり訓練したりして生み出されたわけではない非俳優「裕次郎」がこういう記録を打ち立てたことが「映画」という文化の重要な一面を物語っていると思います。

このクダリを読んでいたとき、たまたま京橋のフィルムセンターの夏休み企画で「日活アクション映画の世界」というのをやることを偶然知りました。

1953年の裕次郎初主演の「狂った果実」から1971年の「八月の濡れた砂」までの56本をほぼ2ヶ月にわたり上映するということです。

無国籍アクション映画のオンパレードというところですが、リストを眺めながらふたつの感想が湧き起こりました。

ひとつは、撮影所建設から裕次郎によって日活が大ブレイクするまでの間、3億の欠損を出したといわれている映画群(この中には、好青年の警官役の宍戸錠が見られる「警察日記」などもありました)がまぼろしとなって忘れ去られてしまっていること、そして、きっとそれと無関係でない裕次郎以後の日活映画にいわゆる「芸術作品」が皆無なこと、です。

日活という映画会社の独特な体質がうかがわれるような気がしますね。
by sentence2307 | 2006-07-22 15:17 | 映画 | Comments(0)