世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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日曜日には鼠を殺せ

あるとき、フレッド・ジンネマンの代表作を映画通の友人に聞いたことがありました。

まあ、だいたいは『真昼の決闘』52、『地上より永遠に』53、『わが命つきるとも』66あたりじゃないかなというのが、彼の意見でした。

そのとき、僕は、すかさずその作品群のなかに『ジャッカルの日』を加えたような気がします。

当時見たばかりだった『ジャッカルの日』の印象があまりにも強烈だったので挙げてみたのですが、この作品の高評価が現在も維持されていることを考えれば、僕の提案もあながちはずれてはいなかったとは思っています。

しかし、自分のなかで、この提案が、「そうじゃない」と否定する別の一面を持っていたことも当時から何となく気がついていました。

以後フレッド・ジンネマンの作品のうちで好きな作品はなにかと聞かれて、『ジャッカルの日』と答えるとき、常に否定的に動く別な気持があることに戸惑い続けてきました。

しかし、それがなにに由来するのか、長いあいだ見当もつきませんでした。

『ジャッカルの日』は、ドゴール大統領の命を狙う暗殺者の物語です。

虚を突くようなどんでん返しに継ぐどんでん返しで、まさに観客に息もつかせないサスペンス映画の醍醐味を十分に堪能させるとともに、演出者ジンネマンの力量を十分に見せ付けて、名作の名をほしいままにした傑作でした。

当時にあって、評価を得ていた他の諸作品、いわば映画批評家好みで高評価を受けやすい反戦映画や心優しい良心的芸術作品(スケアクロウやジョニーは戦場へ行った)に伍してこの作品が上位にランクされたということは驚異的なことだったと思います。

そもそも映画界にあって、サスペンス映画とコメディ映画が、業界の知的コンプレックスに基づく偏見から、考えられないような低い評価しか得られないこと(ヒッチコックの例を見るまでもなく、これは周知の事実として認知されています)を差し引いて考えても、この優れた作品がそれらの偏見を力で押さえ込んでの高評価を受けた証明だったといえるでしょう。

しかし、そのような偉大な作品なのに、僕のなかに蠢く「そうじゃない」という否定の感情が、どういうものなのかが、分からなかったのです。

そして、あるとき不意に、まるでひとつの啓示のように、そのことが「分かった」のでした。

たとえば昼間、一心に仕事に集中しているときに、なんの脈絡もなく白昼夢のように突然ひとつの「映像」が現れたりすることってありませんか。

こんな現象を「啓示」なんて言うべきではないかもしれませんが、言葉的にはそんな感じがぴったりなのです。

その映像は、祖国を追われ、いまは隣国で余生を生きているだけの年老いた革命家(グレゴリー・ペックが演じています)が、それが罠と知りながら、あえてピレネーを越え祖国に帰ろうとする場面・「日曜日には鼠を殺せ」の一場面です。

彼を待ち受けているものは、ただ「死」のみです。

生きる可能性などまったくない絶望的な状況に向かって歩を進める老いた革命家を突き動かしているものは、平和の中で余生を生き切って朽ちるように死ぬ屈辱よりも、革命家として戦って死ぬことの「誇り」を選択し、一歩踏み出していくという精神性が謳い上げられた鮮烈な「映像」でした。

これこそが、僕が長い間、違和を感じ続けてきた『ジャッカルの日』に欠落していた決定的なものだったのだと思い当たりました。

(64ジンネマンプロ・コロムビア)監督製作:フレッド・ジンネマン、原作: エメリック・プレスバーガー、脚本:J・P・ミラー、撮影:ジャン・バダル、音楽: モーリス・ジャール
出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマー・シャリフ、 パオロ・ストッパ、レイモン・ペルグラン、ミルドレッド・ダンノック、ペレット・プラディエ、クリスチャン・マルカン、ミシェル・ロンズデール、ダニエラ・ロッカ、ロザリー・クラッチェリー、ロランス・バディ、マーティン・ベンソン、



追伸

革命的であるということは、革命者にとってはいと高き命題であるという俗見が流布されているが、そういった見解は、もっともらしい嘘である。

革命者にとってもっとも重要なのは革命的であることと反革命的であることの中間状態に、中性的に存在する人たちである。

こういう言い方がイロニーとしか受け取れないのは、どこかでなにかを取り違えてしまった革命者なのだ。

つまり、彼は強いられた革命者ではなく、意志した革命者にすぎないのだ。

ここでも俗見があって、意志した革命者が本当の革命者であるかのように流布されている。

しかし、そうではない。

意志した革命者は、いつか革命者でなくなるに決まっている。

なぜなら意思もまた主観的な覚悟性にすぎないからである。

ただ強いられた革命者だけが、本当の革命者である。

なぜならば、それよりほかに生きようがない存在だからである。

                吉本隆明「書物の解体学」より「ジャン・ジュネ」抜粋


★フレッド・ジンネマン(Fred Zinnemann)
1907年4月29日、オーストリアの首都ウィーン生まれ。
父は医師のオスカー・ジンネマン、母はアンナ。
代々医師の家系に生まれたジンネマンは幼児からヴァイオリンを習っていたために音楽家になることを夢見ていたが断念。
弁護士を志してウィーン大学で法律を専攻したが、在学中にキング・ヴィダーの『ビッグ・パレード』25、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード』23、カール・テホ・ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』等の映画に夢中になり、映画で生計を立てることを決心する。
オーストリア流のファシズムが隆盛になりつつあったこの時期、学位を取得すると、両親の反対を半ば押し切ってフランスに渡り創設されたばかりのパリの映画撮影技術学校の第一期生となる。
ここで1年半の技術習得の後、ドイツのベルリンでカメラマン助手の仕事に就くが、ハリウッドのトーキー映画がヨーロッパに到来し無声映画が終わりを告げた時代に入り、ヨーロッパの映画製作が停滞気味だと感じたジンネマンはハリウッドに渡ることを決心し、1929年の秋、渡米する。
時代は世界恐慌に突入する頃、ウォール街が崩壊した日にアメリカのニューヨークに到着したジンネマンは、それからハリウッドに向かいカメラマンを志望した。
29年ビリー・ワイルダーやロバート・シオドマクらと共に『日曜日の人々』を手掛けた後、配役係に回されて『西部戦線異状なし』(ルイス・マイルストン、1930年)のエキストラに就く。
しかし6週間後、チーフ助監督と喧嘩をして首になった後、映画監督ベルホルト・ヴィアテルの助手になる。
この頃のヴィアテル家の来客者にセルゲイ・エイゼンシュテイン、チャールズ・チャップリン、F・W・ムルナウ、ジャック・フェデールらがいた。
その中の一人、ドキュメンタリー映画の父と呼ばれた記録映画監督ロバート・フラハティに助手になることを申し出てフラハティとともにベルリンへ渡る。
この仕事は結局、実現しなかったが、フラハティはその後のジンネマンの映画製作において強い影響を与えた。
不景気のどん底の1933年、メキシコから漁師の生活を描いた長編ドキュメンタリー映画『波The Wave』で監督デビューを果たす(公開は1936年)。
35年には尚、この映画はジンネマンの知らないところでサウンドやシーンが付け加えられたといわれている作品である。
ハリウッドでは、『永遠に愛せよ』(ヘンリー・ハサウェイ、1935年)の第二班監督や、『孔雀夫人』(ウィリアム・ワイラー、1936年)、『椿姫』(ジョージ・キューカー、1937年)での短い仕事に就いた。
1936年にパラマウント社の衣装部門で働いていたイギリス人のレネー・バートレット(『永遠に愛せよ』で知り合った)と結婚した。
1938年、MGM短編映画部門に入って3年間、一巻物(約10分間)の短編映画の監督をする。
低予算、短期間、かつ上映時間は10分半で描かなければならない『Crime Doesn't Pay』シリーズなどを手掛け、劇映画のストーリーテリングの手法を学んだ。
この短編映画の仕事が、フラハティとの出会い、『波』の製作とともにジンネマンの貴重な経験となった。
この頃に若き日のジュールズ・ダッシン、ジョージ・シドニー、ジャック・トゥールヌールらと知り合う。
38年の短編映画『That Mothers Might Live』ではアカデミー短編賞を受賞。
1941年にB級映画『Kid Glove Killer』を監督する。
これが初の一般長編映画で、ジンネマンが見習いから一本立ちの監督になったスタートといわれている。
1941年には後に映画レネーとの間に生まれた息子のティムも父親と同じ道を歩んで映画界入りし、製作者として『ファンダンゴ』(85)や『バトルランナー』(87)などを手掛ける。
アメリカへのビザを待っていたジンネマンの両親は、それぞれ1941年と1942年にホロコーストで亡くなったが、ジンネマンがそれを知ったのは戦後になってからのこと。
B級映画の『Eyes in the Night』(1942年)と『Kid Glove Killer』(42)の2本のB級ミステリーを手掛けた後、MGMでナチスの強制収容所を脱走した男たちの葛藤を描いたスペンサー・トレイシー主演のAピクチャー『The Seventh Cross』(44)を監督するが、撮影後フロントと衝突したジンネマンは再びB級映画にまわされた。
撮りたくない映画を2本撮るとその後は来る脚本を次々と断り、結局それが原因でMGMから停職処分を受けた。
戦後、ヨーロッパから上陸した映画に接し、センチメンタリズムにあふれたハリウッド映画の仕事に、ジンネマンは疑問を感じる。
その頃、ジンネマンにヨーロッパの戦争直後を舞台にした瓦礫の中の飢えた孤児を描く映画の仕事がドイツから来る。
MGMの了承を得て、ドイツでロケ撮影した『山河遥かなり』(48)は、ヒットこそしなかったが、戦災孤児とアメリカ兵との交流を描いてアカデミー監督賞に初ノミネートされるとともに、いくつかの賞を受賞した。
渡米してから既に19年の歳月を経ていたジンネマンだったが、映画の題材やMGMの宣伝もあって、ヨーロッパの香りを持った監督という印象で売り出した。
『暴力行為』(48)を最後にMGMとの契約を解消してフリーとなったジンネマンは、戦争で負傷して下半身が麻痺した男の葛藤を描く『男たち』(50)でマーロン・ブランドを映画デビューさせ、ロサンゼルス整形児童病院の資金集めのために製作した『Benjy』(51)でアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞。
52年の『真昼の決闘』では、ドキュメンタリー映画などで培ったリアリズムの手法を娯楽映画のウェスタンに持ち込み、その斬新なスタイルは賛否両論となったが、映画は大きな成功を収め、ジンネマンは2度目のオスカーにノミネートされた。
53年にはジェームズ・ジョーンズのベストセラー小説を映画化した『地上(ここ)より永遠に』を発表し、日本軍攻撃前の真珠湾を舞台にした人間ドラマは大ヒットを記録。
映画はアカデミー作品賞を受賞し、ジンネマンも監督賞の栄誉に輝いて巨匠の仲間入りを果たす。
オスカーを得て勢いに乗ったジンネマンは、興行師のマイク・トッドと組んで新方式のワイドスクリーン「トッドAO」を駆使して、ロジャースとハマースタインのヒット・ミュージカルを映画化した『オクラホマ!』(55)を発表。
オードリー・へプバーンを主演に迎えて、地下活動に身を投じる尼僧の姿を描いた『尼僧物語』(59)、羊追い一家の生活を描いた『サンダウナーズ』(60)ではオスカーにノミネートされる手堅い演出を披露した。
『日曜日には鼠を殺せ』64では悲壮感に満ちた重厚なドラマを白黒の画面で引き締め、キャストの堅実な演技も光って小品ながら風格も漂い珠玉の輝きを放つ名品に仕上がった。
原題は黙示録第六章第八節から引用されたもので、邦題は原作名の“Killing a Mouse on Sunday”に拠っている。
トーマス・モアの半生を描いた濃厚な歴史ドラマ『わが命つきるとも』(66)では、アカデミー作品賞と2度目の監督賞を獲得した。
73年にはフレドリック・フォーサイスのベストセラー小説『ジャッカルの日』を映画化。
息つく暇もないサスペンス溢れる展開で孤高の暗殺者ジャッカルと警察との駆け引きを見事に描いて高い評価を獲得して世界的に注目された。
劇作家リリアン・ヘルマンと活動家ジュリアとの友情と絆を描いた『ジュリア』(77)では、衰えを見せない貫禄ある演出で7度目のオスカーノミネーションを受け、その年の主要な演技賞はこの映画が独占した。
長年山を主人公にした映画を撮りたいと考えていたジンネマンは、82年に『氷壁の女』を発表。アルプス山脈を舞台に濃厚な人間ドラマを披露したが、批評家に酷評され興行成績も散々な結果に終わった。
映画の悪評に打ちのめされたジンネマンは『氷壁の女』を最後に映画界を離れ、 92年には5年かけて執筆した自叙伝『フレッド・ジンネマン自伝』を出版して批評家から賞賛された。
1997年3月14日心臓発作で死去した。
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by sentence2307 | 2006-11-04 17:40 | 映画 | Comments(12)