ある日、プログラムを見ていたら、なんとチャンネルNECOで亀井文夫の「信濃風土記より 小林一茶」41を放映するというので、あわてて録画予約をしたことがありました。
こんな感じで貴重な作品を自分の不注意から見逃してしまうことがたびたびあります。
わずか30分足らずの小品とはいえ、いまだ未見のこの作品、本による予備知識ばかりを詰め込むだけ詰め込んだ状態で、僕にとっては期待ばかりが過剰に肥大してしまった作品のひとつといえます。
なるほど、噂にたがわず、亀井文夫のあの独特の映像美を心ゆくまで堪能することができて満足でした。
僕の友人には亀井文夫のイデオロギーがらみの姿勢を辛辣に批判する(映画を政治の道具にしている、ということに対する嫌悪です)ものもいるのですが、僕としては、それは少し違うかなと思っています。
政治的な映画を、ただ政治的な価値観だけで解釈しようとすれば、どこまでいっても結局そこには意味あるものは何ひとつ見出せない不毛な世界しかないでしょう。
この「信濃風土記より 小林一茶」の中で、たとえば大凶作に苦しむ農民たちが、ことごとく立ち枯れた桑の葉を荒涼たる原野に立ち尽くして、じっと凝視し続ける絶望的なあの場面でさえも、友人ならきっと「あれは、ヤラセだ」くらいには言うかもしれません。
しかし、それがヤラセかどうかなど、荒廃した原野に辛うじて立っている病馬のような農民たちの強烈なあの映像の前にあって、なにほどの意味があるといえるでしょうか。
いかなる作為をほどこそうと、映画は時代を写してしまう鏡です。
キャメラは、しっかりと凶作に荒廃した田畑をとらえ、そして、困惑し落胆し絶望した農民のなにもかもをとらえてしまっています。
絶望の表情を撮影のためにキャメラの前で改めて演じ直させる作為が、もし亀井にあったのなら、真実の伝達を演技というカモフラージュに加工して伝えようとした、それこそ権力に対するあからさまでない異議申し立てを、一茶に託し語り出そうとしていたのかもしれませんね。
この亀井作品を見た後で、高原登監督の「俳人芭蕉の生涯」49を見ました。
ナレーションは同じ徳川無声、製作はともに東宝映画文化映画部となっているので、当時東宝の文化映画部で俳人を描く特集でもあって、その一環として作られたのかもしれません。
録画する際、最近はテープを止めずにそのまま回しっぱなしにしています。
名作や著名な作品ばかりがターゲットの「予約」では決して見ることもない無名な作品を任意に録画して、時間が出来たときに見るようにしているのです。
そこで得た収穫として「姿なき108部隊」(56大映)という作品に出会いました。
笠智衆がキャストの一番になっていました。
監督は、高峰秀子の「チョコレートと兵隊」38がテビュー作だった佐藤隆で、佐藤監督が最後から2番目に監督した作品のようでした。
1940年に長野県の観光課の協力で「信濃風土記」3部作として企画され、1作目の「伊那節」(フィルム現存せず)に続く2作目の作品で、3作目になるはずだった「町と農村」は、ついに完成しませんでした。
信濃出身の19世紀の俳人・小林一茶の俳句をモチーフにして、県の8割以上が山岳地帯で占められた信濃の農民が厳しい自然と格闘する苦難に満ちた生活を、「関東大震災記録」23、「怒涛を蹴って」37などのカメラマン・白井茂が撮影した詩的なドキュメンタリーで、否定的にいう友人がいる一方で、この作品を亀井文夫のドキュメンタリー最高傑作だという友人もいます。
それは、ひとつには、この作品の中に映し出される、群れ遊ぶ多くの信濃の子供たちの表情に「ここにいる子供たちは、まさにオレたち自身なのだ」という土俗的な魅力を感じるからでしょう。
そこには冷害による大凶作を前にして呆然とする大人たちも含めて、それらはまさに「未開の原住民というニュアンスをこめた日本原人」とでもいってみたくなるようなナマの表情が映し出されています。
そして、彼らをさらに魅力的に見せているものは、多分「貧困」です。
亀井は、この作品を発表したあと、思いもよらず検挙され投獄されました。
検挙の理由は、「上海」以来、一般大衆の反戦的共産主義の啓蒙昂揚を図ったということでの投獄でしたが、この「戦中投獄された映画監督は亀井ただひとりだった」という勲章にも似た経歴が、あるいは亀井の戦後をある意味で困難にしてしまったのかもしれませんね。
そして、彼のメッセージにどうしても必要だった「貧困」が、日本から徐々に解消されてしまったことも、もうひとつの大きな原因だったかもしれません。
亀井に烙印されたこの「反戦」というものに対する戦後日本の微妙な空気を、丸谷才一は、その著「笹まくら」で見事に活写していました。
(41東宝映画文化映画部)監督・亀井文夫、製作村治夫、撮影・白井茂、録音・酒井栄三、音楽・大木正夫、解説・徳川夢声、35mm、3巻743m、28分・モノクロ、1941.2.18日本劇場