久し振りに成瀬巳喜男作品を見ていたら(「桃中軒雲右衛門」です)、ずっと以前、解決できずに保留のままにしておきながら、いつの間にか忘れていた「疑問」が、突然よみがえってきました。
その疑問というのは、戦前の成瀬作品「母は死なず」が、同じく戦前の小津安二郎作品「父ありき」と随分似ているような気がして、いつか製作年月日を調べて比較してみたいなと思いながら、つい忙しさに取りまぎれて、すっかり忘れてしまっていたことでした。
それがいま、まるで天啓のようによみがえってきたのです。
思い立ったが吉日、じっとしてはいられません、早速アクションを起こしました。
ネットで検索しますと、成瀬巳喜男作品「母は死なず」(東宝映画)は、1942年(昭和17年)9月24日の封切で紅系と書いてありました。
小津作品「父ありき」(松竹大船)は、同じく1942年(昭和17年)の4月1日の公開と記されていました。
ふむふむ、そうだろうな、ニンマリという感じです。
成瀬作品のなかに、タイトルからしてかなり小津作品を意識したのではないかと思える至極似たネーミングの作品を見つけたりすると(偶然でしょうが)やっぱりね、ってな気がしてしまいます、「美人哀愁」1931と「女人哀愁」1937とかね。
でもそれはタイトルだけのことであって、内容は、それはもうふたりの作家性がそれぞれ強烈に前面に出ていて、いわば「似て非なるもの」という感じであることはいうまでもありません。
推測ですが、小津安二郎を常にライバルとして意識していた成瀬巳喜男は、目の前の小津作品を見ながら、自分だったら「こんなふうに撮るぞ」とたえず考えていたのではないか、その結果似たような設定ながら、まったく異なる人間関係(男と女の微妙な心理の襞とでもいうのでしょうか)の交錯図を描いたのではないかと思います。
小津安二郎の「父ありき」は、非常時において、私情を捨て公務に尽くすために離れ離れに暮らさなければならない父と子が、たえず互いを思いやり続けるという深い情愛を描いた作品です。
共に暮らしたいと願う息子の父親を慕う思いと、深い慈愛を込めて強く生きろと叱咤する父親の厳しさと優しさが交錯する親子の情愛が、控えめながらも痛切に描かれており、私情を捨てて国のために尽くし犠牲になれという宣伝臭に満ちた本来的にこの作品に要請されていたであろう報国のメッセージを霞ませるほどのものだったと感じました。
成瀬巳喜男の「母は死なず」もまた、少年の頃に母を失ってから大学を卒業して息子がひとり立ちするまでを描いた父と息子の葛藤の物語です。
極貧のなかで父親は、片親であるために道を踏み外しそうになる息子の行く末を絶えず気遣いながら、辛苦を重ねた末にやっと成功を手にし、生活の安定を得ます。
しかし、生活の安定を得た途端、父親に寄り掛かってくる息子の甘えに、父親は、はじめて「母の死」の真相を息子に教えます。
当時、癌に侵された母親は、家族の足手まといになることを憂いて、みずから死を選択したという熾烈な事実と、こんなことに挫けず立派な日本人として強く生きろという母からのメッセージに息子は号泣します。
このシチュエーションは、現代という時点から見ても、耳を覆いたくなるくらいの異常で悲惨なものがあります。
足手まといになるくらいなら進んで死を選ぶという、戦時下、その極限状況のなかで揺れる異常な心の在り様は、つい最近も、沖縄戦の末期に集団自決の強制があったのか否かの論争の際、この悲惨な事件を招いた異常な心情は平和ボケした僕たちに衝撃を与えたことは記憶に新しいところですよね。
しかし、この映画の場合、息子は、果たして「僕のために死んでくれたんだね、ありがとう、お母さん」などと感動できるだろうかと考え込んでしまいました。
親に自殺され、自分を拒まれたことのショックで心が歪んでしまい、親から捨てられたというその虚脱から、もはや立ち直れなくなってしまった子供たちを知っています。
子を思う母親の優しさを描く一方で、荒々しい時代の要請のままに、人の心を鷲掴みにするような物語の異常な設定(武士の娘らしい潔い自決が、ひとつの美談としてあったのでしょう)を据えざるを得なかったこの無残な戦意高揚作品は、小津安二郎の「父ありき」とは、明らかに異質な映画だと言わざるを得ません。
そこには、良くも悪しくも、なんでも引き受けた職人・成瀬巳喜男がいたのだろうなと思います。
(1942東宝映画)製作・藤本真澄、演出・成瀬巳喜男、脚本・猪俣勝人、原作・河内仙介「遺書」、撮影・木塚誠一、音楽・深井史郎、装置・北川恵笥、録音・村山絢二、照明・平岡岩治、
配役・菅井一郎、入江たか子、斎藤英雄、小高まさる、藤原鶏太(釜足)、沢村貞子、轟夕起子、小高たかし、鳥羽陽之助、清水将夫、大崎時一郎、龍崎一郎、佐山亮、深見泰三、生方賢一郎、北沢彪、藤輪欣司、榊田敬二、真木順、、矢口陽子、加藤照子、斎藤秀之助、藤田進、川田晶
1942.09.24 紅系 11巻 2,841m 104分 白黒