道
2004年 11月 06日
ジェルソミーナが、初めて人間として扱われ、自信をもつ重要な場面です。
ザンパーノにとっては、性欲の対象(それも「女」としてというよりも、まるで「便器」のような)でしかなかった自分を、ひとりの女性としてザンパーノに認めさせようとまで決意させたこの希望に満ちたシーンが、やがてくるキ印殺害の衝撃を更に大きなものにしています。
その純真さゆえに、殺人というあまりにも残酷な出来事に耐え切れず、心を閉ざした廃人のように泣き続けるジェルソミーナに手を焼いたザンパーノは、彼女をその場に置き去りにしたまま立ち去ります。
そして、ラスト。映画史に残る名シーンです。
寒々しい海辺の町に流れてきた今ではすっかり老いさらばえたザンパーノは、そこで自分がかつて捨てたジェルソミーナがいつも口すさんでいた歌を耳にし、歌っている洗濯女に訳を尋ねます。
その女は、気のふれた乞食女が泣きながら惨めに死んでいったこと、それでも気分のいい時には、呟くようにこの歌を歌っていたのだと言います。
やがて夜更け、荒れすさみ、絶望の中で泥酔したザンパーノは、喧嘩の果てにさまよい出た夜の海岸で泣き崩れます。
ただ欲望と快楽にのみ空費し、あと僅かしか残されていない無意味な人生が残酷な罰のようにザンパーノにのし掛かってきます。
一瞬のうちに過ぎ去った人生という儚い時間に対しての驚愕と後悔。
そしてあまりにも大きすぎる失ったものへの恐れ。
途切れるように不意に終わるこのラストには、安易な救いなどどこにも見つけ出すことの出来ない、フェリーニの突き放した人間へのやりきれない絶望感しか感じられません。
ザンパーノの死後も、あの洗濯女は、いつまでもあのメロディを口ずさむのでしょうか。
キ印もジェルソミーナもザンパーノも、そして彼らを知る総てのものが死に絶え、哀しいこの物語の記憶が人々から失われても、ジェルソミーナが愛した美しく物悲しいあのメロディだけが、いつまでも人づてに空しく生き続けていくことの残酷を思うと、何だか胸苦しくなりました。