マルコヴィッチの穴
2004年 11月 06日
理由はすぐに分かりました。
「分からない」箇所を無理して分かる必要もない、ということが分かったのです。
あの壁穴を通ってゆけば他人の脳に入り込めるという奇抜な着想や、様々に工夫を凝らした素晴らしい数々のディテールに比べると、後半の物語のなりゆきが驚く程パワーダウンして、惨たらしい程の哀れな情痴事件の顛末物になってしまったこともそのひとつでした。
二重三重の知的な罠やどんでん返しが仕掛けられているので、軽率な断定は極めてヤバイことだとは察しながら、ラストシーンから物語の全体を俯瞰すると、最初見始めたときの形而上学的な印象とは、どうも少し勝手が違っているような、ともするとこちらの深読みが先走って、実際の映画の実体である枠を広げてしまったような感じなのです。
ロッテは、マキシンを愛するために(女のあなたじゃ嫌だわ、と言われました)、男の肉体を必要とし、マルコヴィッチの穴を使ったのですが、子を成したことも計算に入っていたのでしょうか。
また、その「種」もロッテ印と考えてOKなのでしょうか。
ロッテに対するマキシンの告白もちょっと唐突すぎて信じられません。
そんなら最初からマルコヴィッチの深層心理を駆け抜けるようなややこしい大騒ぎなんかすんなよ、と思いました。
スパイク・ジョーンズという未知の監督の類まれな数々の奇抜な着想も、しかし同時にそれを生かし切る物語に収束し構成してゆくだけの力量には些か欠けていることも感じたのです。
また、あんな形で永遠の命を得たとしても、それのどこが幸せなのか疑問を覚えます。
素早い沈静化の原因はそれだと思いました。