フェリーニの道化師
2004年 11月 07日
それは、ちょうど、めくるめく絢爛さの中で、一瞬きらめいて、やがて果てる閃光のように、ここに描かれている道化師たちの栄光の時代は去り、無情に移ろう時に置き去りにされたような時代遅れのその道化に仮託するように、フェリーニもまた彼らに夢中になっていた頃の少年の日々、青年の日々の失われた若さを振り返っているように思えました。
青春期とは、振り返れば、気恥ずかしくなるほどの乱痴気騒ぎの饗宴のようなものなのかもしれません。
人生の黄昏を迎えた老いた道化師たちに、かつてその若さのすべてをぶつけた道化を精一杯演じさせることによってフェリーニは、今は既に老い衰えた彼らに、失った青春の日々を再び生き直させるかのような残酷さでおどけさせ、走り回らせます。
そして、息を切らせ、座り込む道化師をもフェリーニのカメラは、追い続けます。
それは、まるで抱きしめるような愛情に満ちた描写です。
肩を落として退場してゆくそこには、道化師たちを温かく送り出す拍手さえもありませんが、しかし、ただひとつの人生を懸命に生き抜いたという人間の生きた時間の重さと厳粛さとが、その老いを清らかで愛らしいものにしているのだと思いました。
すさんだ世界を悲しく道化て、人生を飾り立ててくれた名もない道化師たちに向けて、フェリーニの眼差しは、限りない優しさに満たされていました。