吹けよ春風
2008年 06月 14日
そういうことは、やめて欲しいと思います。
検索ヒットしたその韓国作品に関するおびただしい項目の中から、この邦画の題名を探し出すのは、ホント一苦労だったのですから。
とはいえ、念のため原題の「불어라 봄바람」を翻訳サイトに掛けて訳してみたら、なんと「吹きなさい、春風」と訳されました、なんだなんだ、「吹けよ春風」というタイトルそのままで、結構正しいじゃないですか。
因縁をつけたのは僕の方で、これではまったく立場がありません、トホホ、揚げ足とられたような感じです。
負け惜しみにひとつ、タケシなら「吹けよバカヤロー春風」くらいのネーミングにはするだろうなんてね(関係ないですけれども)ちょっと苛々していたら、続いてケッタイな考えが湧いてきました。
同じタクシー運転手を主人公に据えたあのスコセッシ作品と比較してみたらどうだという発想です。
瞬間うーんこれは面白い、とは思いましたが、しかし、だいたいのところ、この2作品になんか共通するものでもあるのか、「あっち」のタクシー・ドライバーは、半端じゃないですよ。
なにしろ、職業柄、社会の穢れた裏側を見すぎてしまったために、「世直し」の使命感(それ自体、すでにキレてしまった妄想なのですが)に燃えて、大統領暗殺を企てたり、果ては完全武装でマフィアに殴り込みを掛けたりという、どこまで本当か分からないような超弩級の「怒りの映画」なのに対して、この東宝作品の方は、ノホホンとした「人間バンザイ映画」なのですから、どう考えてみても共通点なんてありそうにも思えません・・・と普通なら思うでしょう?
ところがそうでもないのです。
この谷口千吉監督の「吹けよ春風」には、黒澤明が共同で脚本を書いていて、あのスコセッシといえば黒澤明作品に出演したことのあるくらいの信奉者だったのですから、そこで、あれです、ナンカ、こう、繋がる、というか、関係があるというか・・・まあ、とにかく、なんていうか、つまりその、いってしまえば単にこの程度のことなのですが、でも、どうにか繋がったみたいなので良かったです、やれやれ。
しかし、このオムニバス形式という作り方は、世の中の諸相を捉えるのに適した方法論ですよね。
しかも、人が入れ変わり立ち代り出入りすることに何の不自然さも感じさせないタクシーという場所が舞台です。
同じオムニバス映画「舞踏会の手帖」が、ひとつの場所からそれぞれに散っていった人生のその後を厳しい視点で追跡した運動体としての時間観察だとしたら、この「吹けよ春風」は「タクシー」という点を通過する人々を定点観察したようなものかもしれませんね。
さて、この作品「吹けよ春風」は、8つのエピソードで構成されています。
①喧嘩する恋人が仲直りする話(若き岡田茉莉子が物凄く清楚です)、
②まだ自動車に乗ったことのない貧しい家の子供たちを乗せ、東京見物をしてあげる話、
③家出娘を心配しながら夜の街で見失ってしまう話(ラストでは母親と連れ立っている元気な彼女・青山京子と再会し、安心します。まかり間違えれば「ヘッドライト」みたいなストーリーになりますよね。東京山の手とおぼしき住宅街の深い闇の描写が素敵でした)、
④日劇前でファンに揉みくちゃにされているスター(越路吹雪が演じています)を救って外苑前で楽しいひと時を持つという話。
⑤早慶戦帰りの酔っ払い(小林桂樹・藤原釜足)が「窓抜けの天井渡り」の曲芸を夜のタクシーで延々と続けるという話、
⑥銀婚式を迎えた老夫婦が生きる希望を見出す話、
⑦タクシー強盗(三國連太郎)に遭遇した恐怖を描いたストーリーで、まるでヒッチコック作品のような迫力でした。
⑧子供たちには刑務所にいたことを隠して復員兵として帰ってきた夫(山村聡)を迎える一家の話、まさに「幸福の黄色いハンカチ」とか、家族描写にネオリアリズモ作品のような空気を感じました、例えば「屋根」とかでしょうか。
それにしても物凄い豪華キャストにビックリする映画ですが、特に②と⑥とに黒澤明の雰囲気を強く感じました素晴らしい作品でした。
(1953東宝)製作・田中友幸、監督脚本・谷口千吉、脚本・黒澤明、撮影・飯村正、美術・小川一男、音楽・芥川也寸志、助監督・堀川弘通、録音・三上長七郎、照明・森茂、編集・笠間秀敏
(出演)三船敏郎、山根壽子、越路吹雪、岡田茉莉子、三好栄子、島秋子、青山京子、山村聰、三国連太郎、小林桂樹、藤原釜足、小泉博、小川虎之助、三好栄子、島秋子、
1953.01.15 9巻 2,264m 白黒