ゲッタウェイのアリ・マッグロウ
2004年 11月 07日
「ある愛の詩」70では、ストーリーに守られて、その素人っぽさが却ってよくオスカー候補にまでなりましたが、実は「コンボイ」78撮影時にペキンパーは既に彼女の演技力に限界を感じたと漏らしています。
僕も「ウィンブルドン・・・」でそのことは確認しました。
はっきり言って、お嬢さん芸の域を出ていないのだと思いますが、ペキンパーがそれでも「コンボイ」で使った理由は「ゲッタウェイ」72の成功の幻影があったからだと思います。
同じような逃避行を描いた作品としてよく比較されるあの「俺たちに明日はない」67のフェイ・ダナウェイとの比較を少し。
女優の格としては比較にもならないかもしれませんが、少なくとも、この2作についてなら、「ゲッタウェイ」のマッグロウの方がダントツによかったと思いました。
「俺たちに・・・」のフェイ・ダナウェイの役どころは、退屈な日常に耐え切れず、刺激が欲しくて遊び感覚ファッション感覚で銀行強盗の仲間入りをする娘です。
尻込みする男を時にはそそのかしたりもして、そこには恋愛とは呼びがたい何か素っ気無くて寒々しいだけのものが支配していました。
それがその時の時代感覚というものだったのだろうし、またその雰囲気を活写したこの作品の優れていたところだろうと思いますが、しかしそこには無残な程に一片の愛情の気配も感じることは出来ませんでした。
また、同時に絶望感に支配されているその捨て鉢な心情の向こう側には、高を括ったようなやりきれない時代への甘えも感じられてなりません。
しかし「ゲッタウェイ」のマッグロウは、亭主マックイーンを刑務所から出所させるのと引き換えに、街のボスと体で取引きします。
マックイーンが出所したとき、ボスは彼に女房マッグロウが自分と寝たことを仄めかすと、彼女はボスを射殺しますが、そのあとマックイーンが、他の男と寝たマッグロウに張り手をかますあの有名な場面が忘れられません。
マッグロウは言います。
「あんたが刑務所に何度入ろうが、たとえテキサス中の役人全部と寝たって、あんたを必ず出所させてみせる。立場が逆なら、あんただって同じことをしてくれると信じてる。」
いつまでもくよくよと迷うマックイーンが急に小さく見えてしまう場面でした。
誰と「やろう」が、そのためにどんなに体が汚されてしまおうが、心はいつもあんたの傍にある、となじる女が、マックイーンの硬直した愛を厳しく突く感動的な場面でした。
ペキンパーが、失敗覚悟でマッグロウを起用した訳が何となく分かるような気がしました。