アーノルド・ファンク「聖山」
2004年 11月 10日
その日の深夜に、アーノルド・ファンクの「聖山」(1926ドイツ)の放映がある記事を発見したからです。
出勤の時間も忘れ、しばし記事に読みふけってしまいました。
アーノルド・ファンクは、日独合作映画「新しき土」(昭和12年、撮影・リヒァルト・アングスト、撮影助手・円谷英二、出演・原節子、小杉勇、早川雪洲、ルート・エヴェラー、別に日本内地向けの伊丹万作演出編集の日本版もある。ドイツ公開版題名は「さむらいの娘」Die Tochter des Samurai)の監督として日本でもよく知られていますね。
紹介記事は、ごく簡単なもので「ひとりの美女をめぐって争う2人の登山家の運命を描いた山岳映画。ダンサーのディオティマに好意を寄せるフィゴは、友人とともに向かった雪山で悲劇に見舞われる。」というただこれだけのものなのですが、出演は、あのレニ・リーフェンシュタール。
ファンクの山岳映画第1作「運命の山」をバレーリーナだったリーフェンシュタールが見て感激し、ぜひ山岳映画に出演したいという彼女のために書き下ろしたのがこの「聖山」の脚本だったということです。
リーフェンシュタール映画初出演となった作品です。
ドイツ映画史を通覧していくと、1920年代から1930年代の期間に、山岳の神秘と崇高美を讃える山岳映画が特異な発達を遂げたという記事にたびたび接します。
なかでも「聖山」というタイトルは、幾度も目にしていました。そして、そこに書かれていた説明文は、どれも最高の賛美の言葉が散りばめられたものばかりでした。
「アルプス連峰の美しさ、山岳スキーの爽快さ、想像を絶する冬山登攀の苛烈さのなかで、美しい舞姫の愛を争った二人の山男が、氷雪の絶壁から墜落死する悲劇だが、テーマである聖山の神秘性を表現した氷の大ドームの場面は夢のように美しい」とありました。
へえー、という気持ちで、時間を気にしながら、早速にビデオ予約を済ませました。
映画の黎明期からナチスの台頭まで、ドイツの映画会社ウーファは、世界の映画界をリードするような名作を量産し黄金期を築きました。
しかし、その後、ナチスに反対する映画人の国外流出や、敗戦による施設の破壊、更に加えて、戦後、その壮大な映画施設を根こそぎソビエトに持っていかれてしまったことにより完全に息の根を止められ、ファスビンダーやシュレーンドルフやヘルツォーク等ジャーマン・ニューシネマの人々の登場を待つまで、長い間、沈黙を続けていました。
いや、沈黙ではなく、それまでのドイツ映画といえば、ポルノ映画という印象があったくらいでしょうか。