恋空
2008年 09月 06日
結構感動してこの作品を見てしまった僕としては、ちょっと驚きです。
とはいうものの、その非難をよく読むと、それは大きく分けて2種類あるみたいで、ひとつは、新垣結衣の清純なイメージを汚されたり壊されたりしたことに対する腹立たしさ(あるいは、こんな汚れ役の映画に出演させるなよ、というマネージャーへの非難までありました)で怒りをぶちまけたファンからの猛烈な非難、もうひとつは、高校生活を「こんなふうに」描いたことに対する苛立たしさや鬱憤をぶつけた「高校生活擁護派」からの非難、ということが出来るかもしれません。
なんだ、同じじゃないかと思われるかもしれませんが、よく考えてみれば、このふたつの非難の立場は、相当違います。
前者の立場は、新垣結衣が主演さえしていなければ、ストーリーに対する非難は二次的あるいは間接的なものにすぎず、つまり「100%容認」はできないけれども、もしこれが他の女優で演じられていたら、このスキャンダラスな映画も結構冷静に見ることができたかもしれないと考える立場です。
おそらく「高校生活擁護派」の立場からなら、ここに描かれている無軌道な高校生の行為(ストーカーまがいに付きまとい無理やり強いる初体験、レイプ、妊娠、流産、雑魚寝セックス、自殺未遂、そして貧しい家庭で育った非行少年との交際と癌死による別れ)をことごとく否定するに違いありません。
しかし、それが「新垣結衣の熱烈なファン派」だったら、例えば、妊娠は容認できないけれども、最愛の人とのセックス(それを学校の図書室でするかどうかは別として)くらいならOKかも、とか、金髪の非行少年だからといって、それで好き嫌いを判断する材料とはしない、という感じで、この作品に描かれている過激な事柄の幾つかは「条件付き」で容認しようとする人も結構いるような感じを受けました。
実は、こうして「非難」のコメントばかり読まされていると、この世界のほとんどの人たちが、寄って集ってこの作品を非難しているような錯覚におちいりますが、しかし、一方においては、この作品のキャッチコピーにもあるとおり、「1,600万人が涙し、そして支持された作品」でもあることを忘れてはいけないことかもしれません。
そして、その落差のなかにこそ、僕を惹きつけてやまなかったこの映画の本質が隠されているような気がします。
しかし、この映画が、作品自体の完成度によって支持されてたのでないことくらい、きっと誰もがわかっていると思います。
ひたすら過激な素材に寄り掛かって、過激な盛り上がりのポイントを通過させるために、物語に引きずられて演出を最初から放棄してしまったようなこの安直な作り方は、多くの映画に対する冒涜ですらある。
しかし、それらの強烈なキイワードの圧倒的な魅力によって、とにかくこの映画を最後まで見通すことができたのもまた、事実です。
非難のなかには、この映画を、「無理やりの初体験、レイプ、妊娠、流産、自殺未遂、そして貧しい家庭で育った非行少年との交際と癌死による別れ」など極端なキイワードや妄想を寄り合わせただけのゴミのような映画だといった罵倒もありました。
しかし、象徴的な言葉の持つ妄想性に寄り掛かるのが、ケータイ小説の「見出し小説」たる所以だと分かれば、そんなに目くじら立てるほどのことでもないような気がします。
穏やかな恋愛や、豊かで満ち足りた結婚への「憧れ」が、結局はどこまでも妄想でしかないのと同じように、この映画で描かれていた諸々の陰惨な出来事も、ただの絵空事だと思えば、それほど腹も立たないと思うのですが。
ひょっとしたら、レイプや妊娠や流産や自殺未遂などをもたらす過酷な恋こそ、もうひとつの「憧れ」なのかもしれないような気がしてきました。
(2007東宝)監督・今井夏木、プロデューサー・森川真行、那須田淳、エグゼクティブプロデューサー・濱名一哉、企画・三野正己、脚本・渡邉睦月、撮影・山本英夫、音楽・河野伸
出演・新垣結衣、三浦春馬、臼田あさ美、中村蒼、波瑠、深田あき、浅利陽介、大和田健介、松井絵里奈、大平奈津美、山本龍二、高橋ジョージ、香里奈、麻生祐未、浅野ゆう子、小出恵介