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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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少女ムシェット

ロベール・ブレッソンのどの作品も、その異様な「寡黙」さには、たまらなく魅かれてしまいます。

極貧の中で、微かな希望さえ絶たれた絶望の果てに、寡黙のまま、まるで他人の肉体を痛みつけるようにして自分の命を殺すために、何度も繰り返す「自殺の試み」を描くラスト・シーンは、そのあまりの静けさのために、むしろ聖的なものさえも感じてしまいました。

何もかもに絶望したムシェットは、繰り返し「自分の体」を執拗に何度でも池に転げ落とします。

そこに描かれているものは、自殺などという整然とした観念としての「自殺」ではなく、もはや、生きていく気力も能力も完全に喪失した小動物が、生き物が最後になすべき本能として、自分の全存在を自ら滅ぼしにかかっていく「壮絶にして厳粛な最後の作業」のように見えてしまいました。

あのシーンにおけるムシェットの眼差しを、ロベール・ブレッソンの演出は、演技することを許さない生のままの存在そのものであることを求めることによって、まるで撲殺される直前の家畜の無機質な眼差しで見つめ返してくるムシェットの絶望の深みの果てにある死を表現することができたのだろうと思いました。

むしろ、演技してしまっては却って損なわれてしまうかもしれない人間存在そのものの重みを痛切に感じてしまいました。

あの剥き出しの乾ききった現実を直接的に伝えようとする冷徹な姿勢は、北野武と同質のものを感じてしまいます。
by sentence2307 | 2004-11-13 09:02 | ロベール・ブレッソン | Comments(0)