世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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2005年 05月 30日 ( 1 )

深川通り魔殺人事件

「復讐するは我にあり」以来、佐木隆三の犯罪ルポは、結構読んでいるのですが、この昭和58年に出版された作品「深川通り魔殺人事件」だけは、なぜか「積ン読本」のなかに収納しっぱなしになっていました。

実に20年以上も積んどいたというわけですよね。

でも、どうしても読むことができなかった理由というのは、至極明解です。

当時一歳と三歳の幼児をはじめ、通りすがりの女性ばかり数人を無差別に次々と柳刃包丁で刺していったという身の毛もよだつ残忍な通り魔事件で、そのあまりの惨たらしさと痛ましさとで、きっとこの本を手に取る気力さえなかったというのが本当のところだったろうと思います。

特に、裁判記録に書かれている幼児をメッタ刺しにした思わず目を背けたくなる具体的な描写は、二十数年という時間を経てもなお、その惨たらしさは読むに堪えません。

いつの間にか忘れていたのなら、そのまま忘れっぱなしにしておけばよかった悲惨な記憶を、なにもわざわざ、ほじくり繰り返すようしてまで読書をあえてしたのかというと、きっと読了しないかぎり本を処分することができない自分の愚かな習性というか単なる生活習慣みたいなものが、そうさせたのだと思います。

ホント馬鹿みたいな話なのですが、これでやっとこの本を棄てられるという哀しい滑稽さです。

しかし、この悲痛な読書に収穫がまったくなかったかといえば、傍線をひかずにはいられなかった箇所もありました。

これでも結構、最近は、この「傍線」というやつを頻繁にひいています。

でも、線をひきながら、頭の片隅では、こんなことをしていったいどうなる、という気持ちもあります。

本は読んでしまえば処分する、というのが僕の習慣なので、読了して、狭い納戸に収納するなどという本は、よっぽどでない限り、まずはあり得ません。

そんな本は、本当に例外的でほんの僅かな存在でしかありません。

だから、読みながらせっせと本に線を引く行為と、読了後、ほとんど読み返すこともなくすぐに処分してしまうという行為が直結しているので、読書しながら傍線をせっせと引くという行為は、考えてみれば実に無意味な行為です。

それでも、この「線を引く」という行為を止みがたくさせているものが何なのか、自分でも本当にワケが分からなくなることが、しばしばあります。

抜書きしてもメモをなくしてしまう、あるいはメモした場所自体を失念してしまう、書き込んだファイルがウイルスなどで失われるなんてのはまだ序の口の方で、その書いた行為自体を記憶に留められないまま抜け落としてしまうなんてことも、ホント冗談でなくあったりするのです。

そこで考えました。

このブログに書き込んでおけば、もちろん無くなるはずもないし、見たいときには見られるしで、壊れる心配もない。

本当にいいことずくめなのです。

そこで上述の本の傍線をほどこした部分を抜書きしておきます。

*過去の著名事件の精神鑑定主文*

《阿部定事件》 昭和11年5月
現在における被告人の精神状態は、生来性変質性の性格異常が幼時よりの環境によりはなはだしく助長せられたるものにして、精神的身体的にヒステリー的特徴を呈し、かついちじるしき性的過敏症(淫乱症)を有するものなり。ただし性格異常の程度は高度ならず、したがって心神喪失または心身耗弱の程度にあらず。(鑑定人・松村常雄)

《帝銀事件》 昭和23年1月
本件発生当時の被告人の精神状態は、大正14年に受けた狂犬病予防注射によって起こった脳疾患の影響による異常性格の状態で、その特徴は顕揚性ならびに発揚性精神病質に相当するもので、その最も前景に立つ現象は欺瞞虚言癖と空想性虚言癖である。ただしその程度は、自己を統御する能力のいちじるしく減退した状態といえるほど、高度のものではなかった。(鑑定人・内村祐之、吉益脩夫)

《金閣寺放火事件》 昭和25年7月
本件犯行当時およびその前後における、被告人林養賢の精神状態は、本鑑定期間ないしその平生と大差なく、軽度ではあるが性格異常を呈し、「分裂病質」と診断すべき状態にあったと推定される。本犯行は同症の部分現象たる、病的優越観念に発するものである。(鑑定人・三浦百重)
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by sentence2307 | 2005-05-30 23:30 | 映画 | Comments(119)