世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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2006年 04月 06日 ( 3 )

田中絹代

新藤兼人監督の著作に「小説・田中絹代」(読売新聞社刊)という本があります。

通して読んだことも幾度かありますし、折に触れて読みたい部分だけを拾い読みしています。

じつは僕は、読書に関してひとつの固定観念を持っています。

あらゆる著者は、ただひとつの文章を書きたいために、何万語を費やして本を書くものだ、と。

ですので、僕は、著者が書きたかったというそのただひとつの文章を探し出すために本に向かい読書しているのだと思っています。

その意味では、読書は僕にとって「旅」なのかもしれません。

かつてその一文にめぐり合えた幸運な旅もありましたし、ついに見つけられずに終わった不運な読書もきっとあったのだと思います。

さて、この新藤兼人の本は、女優・田中絹代の生涯を、関係者や映画人とのエピソードを連ねて書かれている、いわば伝記小説のたぐいなのですが(珠玉の名編「ある映画監督の生涯」が重要なベースになっています)、内容からいえば、むしろ「実録・田中絹代と溝口健二」とでも付けた方が相応しいくらい溝口監督との関係をおもなタテ軸として書かれたノンフィクションです。

昭和31年、溝口監督が骨髄白血病で死去したとき、田中絹代は46歳、そして彼女が亡くなったのが67歳ですから、彼女にとって残された21年間という時間は、普通に考えれば決して短い時間ではなかったはずという気がしていました。

しかし、溝口健二を失った女優・田中絹代にとって、その21年という時間が、まさに「余生」に過ぎなかったと思われるくらい、新藤兼人のこの本は、それほどのページをさくわけでもなく、この大女優の最後の21年間をあっけなく無残に終らせてしまっています。

溝口監督の死を記した章「映画監督の死」から、田中絹代の死を描いた最終章「女優の死」に至るまで、その間に置かれている章はたったの3つ、それは、「それでも生きなければ」、「たった一人になった」、「栄光と孤独」と、なんとも遣り切れないくらいのさびしいタイトルです。

そんなとき、僕は改めてこの本の冒頭に戻ってみます。

新藤兼人は、この本をこんなふうに始めています。

「女優田中絹代の死を知ったとき、死を悼む悲しみはなく、静かに幕が下りた瞬間の喝采を聞いた。『お見事』声を張り上げて、その死を讃え、拍手をおくりたかった。」

この一見お座成りな社交辞令のように読める一文が、しかし、本当は「女優」であるために何もかもを棄てて、「女優」であることを業のように生きた一人の女の壮絶な生涯が描かれているとともに、可愛らしい「女」を演じることで「田中絹代」という人間がどれほど歪み傷つかねばならなかったか、僕たちはこの本を読んで知ることになるかもしれません。

さて、この小文の冒頭に書いた「あらゆる著者は、何万語を費やして、最も書きたかった一文を書き残す」というこの読書によって見つけた成果をご報告しなければなりませんよね。

その前に、その一文が生きたものであるかどうか、少し長文にわたるのですが、前置きの部分を書き写します。

「役者は、親の死に目にも演技の涙を流すと言われている。
また、それほどの役者でないと真の演技はできないかもしれない。
このとき見せた田中絹代の涙は、演技かマコトか、それは本人でも分かりかねるものだろうが、私は、田中絹代の女としての本心をちらりと垣間見たと思っている。
それだから、横須賀線での殊勝な一言『先生にいいお土産ができました(「サンダカン八番娼館・望郷」でベルリン映画祭女優演技賞を受賞したこと)』を感慨をもって聞いたのだが、すぐそのあとで成沢昌茂には、・・・『地獄で会うか極楽で会うか』と(絹代の頭では、監督なんてできませんと溝口健二に言われたことに)恨みを込め、『溝口健二に言ってやります』と、髪を逆立てていきり立っている。」

そして、これに続く次の一文に僕は実に生々しい衝撃を受けたのでした。


《そのどちらも、田中絹代の、むき出しの心に違いない。

いちど魂を男に触らせた女のいぶり続ける嘆きであろう。》
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by sentence2307 | 2006-04-06 23:59 | 映画 | Comments(0)

風の丘を越えて/西便制

韓国の映像作家イム・グォンテクの入魂の一作です。

解説書によると韓国の溝口健二とも言われているそうです。

なんとオーバーなという気持ちで、まあ、それまでは半信半疑でしたが、この作品を見てそうかもしれないという気がしてきました。

日本の浪曲に似た韓国のパンソリをこの映画で始めて知りました。

聞いていて違和感は全然ありません。

日本の浪曲は、ヤクザものや忠君愛国ものが多いようですが、韓国のパンソリは、叙情的な悲恋物語など隷従に忍び泣いた女性の話が多いようです。

父親と姉と弟の一家が村々を歩いて冠婚葬祭などの宴席でパンソリを歌い、心づけを貰って放浪の生活を続けています。

実は、父親は、中央にあるパンソリの家元をしくじったために放浪していることが後で分かります。

どうしても中央に対する劣等感があって、それだけに連中には芸では負けたくないという思いが、姉弟に芸を仕込む上での厳しい態度に反映してしまいます。

嫌気がさした弟は逃げますが、それが、契機となって姉の逃走を恐れた父親は、逃げられないように姉を盲目にしてしまいます。

なにごともパンソリのためとして、こんな非道なことをも許してしまう芸に対する父親の妄執の凄まじさに、嫌悪感よりも恐怖と同質の畏怖さえ感じてしまいます。

何年かが経過して新聞記者となった弟が、姉の消息を探していた折、父親の死とともに、盲目のパンソリ歌いの女の噂を聞き、逢いに行くと、それは、やはり変わり果てた姉でした。

しかし、お互い名乗り合わないまま、昔そうしたように、姉はパンソリを歌い、弟は合いの手の太鼓を叩きます。

涙を流しながらも、放浪芸に生きてきた姉の気迫はしっかりと伝わってきます。

朝となり、姉は、弟の施しを受けることなく、白い杖をつきながら、一人旅立っていく場面で映画は終わりました。

優れた映画は、シーンのひとつひとつが、そのままセピアの紗をかけた追憶の場面にしてもいいような、ある叙情性と気品とを自ずから兼ね備えているものだと思っています。

滅び行く伝統芸能に殉じて毅然として立ち去っていく姉のその姿には、気高ささえ感じられました。

尊厳とか、生きることの意味とか、何だか自分が清浄なものに触れることができたようなすばらしい経験をした映画でした。 
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by sentence2307 | 2006-04-06 23:52 | 映画 | Comments(0)

河内山宗俊


以前、山中貞雄作品のうちで現存するものが、たったの3本しかないことを知り、その極端に少なすぎる状態に驚いた記憶があります。

聞いたところでは、上映が済んだフィルムは、切り刻んで駄菓子の「おまけ」としてばら撒き霧消させたという、まことしやかな話が残っていて、とりわけ時代劇とか喜劇などの分野の映画が見世物的な価値しか認められず、蔑視され卑しめられていたという当時の風潮などを考え合わせると、あるいは本当かなと、その仮説に信憑性が伴い始めて恐ろしくなるくらいです。

文字通り骨の髄までしゃぶりつくされる単なる消耗品として、映画はとことん商売の対象にされ、その結果、数々の名作がシラミつぶしにひとつひとつ完全に息の根をとめられ抹殺されてこの世から跡形もなく消えてしまったという筋書きが、やたら説得力を持ってきます。

もしそれが真実なら「これでは、ちと悲しすぎる」と言いたくなるような、それは、あまりにも残酷すぎる末路ですが、もちろん、そのような仮説など信じたくはないと思いながらも、しかし、この「末路」説、当時、作り手の側にも消耗品としての認識が十分にあったらしいという事情をすり合わせて考えていくと、あながち・・・という感じですね。

あるいはそれが、日本の活動写真の一貫して描き続けてきた被虐的な一面と妙にシンクロしてしまって、僕たちが当然に持っていいはずのこうした暴挙に対する憤りを、それでかなり薄められてしまっているという事実の一面を否定することはできないかもしれません。

それにしても残された作品が3本だけとは、極端に少なすぎると思いませんか。

他の監督のものと比較しても(正確な数を把握しているわけではありませんが)山中貞雄作品に関しては、その喪失に、なにか悪意ある「根こそぎ感」が付きまとって仕方ありません。

可燃性というフィルムの特性を差し引いて考えても、3本だけとはねえ。

全部「おまけ」にしてしまったとは、常識的にも考えにくいです。

戦後、占領軍が日本の民主化を推し進めていく中で忠君愛国・滅私奉公的なチャンバラ映画を全面的に禁止するとともに、かつて作られた優れた作品を没収したということで、その場合、単なる想像ですが、とりわけ大衆に人気があり影響力のあった優れた作品に危機感を感じたGHQが、真っ先に山中貞雄をターゲットにしたのではないか、などと被害妄想的に邪推しています。

GHQがどういう作品を没収して、それらの作品が、その後どのような運命をたどったのか是非知りたいと思います。

いつの日にか、失われたと考えられていた諸作品がごっそりと発見され、その豊饒な山中貞雄の世界をあますところなく堪能出来る日がきっとくるとかたく信じている自分です。

上品なくすぐりと底抜けに明るい「丹下左膳余話・百万両の壷」を見て腹を抱え笑い転げた者にとって、「人情紙風船」は、同じ映像作家のたった1年後の作品とは到底思えないような暗く絶望的な作品でした。

そしてこの「河内山宗俊」は、ちょうど、その中間に位置する作品です。

この作品でも、やはり真っ先に感じるものは、物語を終始支配している何ともいえない暗鬱さでしょう。

ういういしい原節子演じる甘酒屋のお浪の危機を救うために、無為徒食のヒモ生活を送る河内山宗俊(河原崎長十郎)とヤクザの用心棒に成り下がった浪人・金子市之丞(中村翫右衛門)が、顔を見合わせ「なにかに一生懸命になれることがあるというのは、いいことだ」と言葉を交わして、お浪救出に命をかける互いの決意を確かめ合う場面に、この山中貞雄作品のすべての魅力が描き尽くされていると思います。

この男たちが、いままさに闘おうとしている闘いは、大義のためとか功名のためとかいうご大層なもののために命を掛けようとしているわけではありません。

ひとりの甘酒屋の貧しい娘を女衒の手から助け出そうというただそれだけの、自分には何の得にもならない危険な闘いに我が身を晒そうとしているのです。

たとえ飲み屋のヒモでも、または、ケチなヤクザの用心棒でも、いやしくも名を惜しむ誇り高い男にとって、もし、こんな無意味な闘いで命を落とせば、何の利益も伴わないで終る、もちろん犬死です。

こう書いてきて、ふと黒沢明の「七人の侍」が描いたあの百姓たちと共闘した侍たちの戦いや、その決意のありようや高潔さなどを思わず重ねてしまいました。

確か、黒沢明が山中貞雄を畏怖と言ってもいいほど十分に意識していたという記述をどこかで読んだ記憶があります。

しかし、「河内山宗俊」にあって「七人の侍」にないものは何か、と考えれば、それは、既に世間から背を向けてしまっている者たちのなげやりとも見える虚無感ではないでしょうか。

それは「七人の侍」からは決して見つけることのできない種類の屈折した動機です。

これは、あるいは、死んだも同然の絶望的な日常の中で、腐りつくしてしまう前に、ひと花さかせて死んでいこうという者たちの死場所探しの映画かもしれません。

なによりもそれは戦いの場面によく表われていますよね。

「七人の侍」の雄々しく戦う数々の素晴らしい場面を見て、これを侍たちが犬死したと見る観客はひとりとしていないでしょう。

それに引き換え「河内山宗俊」のラストのドブの中で展開される斬り合い(というよりも、小競り合いといったほうが相応しいかもしれません)の寒々しさと、絶望の中で生きること・死ぬことに終始つきまとうなんとも遣り切れない無意味さには、山中貞雄という人が持っていたこの世の楽観的なもの総てに向けられた心からの悪意を感じないではいられません。

「人情紙風船」に登場する海野又十郎が仕官を求めてぎりぎりのところまで卑屈になって自分を追い込んでいくあの執拗な下降衝動を、僕はいまだかつて映像として見たことがありません。
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by sentence2307 | 2006-04-06 23:51 | 映画 | Comments(0)