世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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2006年 04月 13日 ( 2 )

海猫 umineko

僕は、ずっと以前から、森田芳光のこの「海猫 umineko」について、もし感想を書く機会があるとすれば、その感想を語り始めるその前に、「失楽園」についてまず書き始めなければならないだろうなと、なんとなく考えていました。

つまり、「海猫 umineko」という作品を見る前から、僕の中ではこの作品が「失楽園」の延長線上にある作品だという思い込みがあって、自分なりのイメージを既に作り上げていたのだと思います。

しかし、実際にこの映画を見たとき、この作品が僕の思い込みを大きく裏切ったものであることも含めてショックを受けました。

まず、伊東美咲の美しくないことへの驚きです。

TVのCMなどで美しすぎる彼女を日常的に見せつけられている僕たちにとって、この映画で描かれているあまりに凡庸な彼女の描き方と、いじめに耐えているだけのなんとも生気のない容姿は、まさにがっかりでした。

森田芳光が、多分その美しさだけでは飽き足らず、彼女に余計な演技をも要求するという無謀さに唖然としたからでしょうか。

兄嫁・薫を慕う義弟・広次が、監禁同様に拘束されて衰弱している薫の姿を見かね、意を決して彼女を連れて兄・邦一の元から逃げようとするとき、一緒にいた娘が、追いかけてきた父親・邦一の姿を見て発する「おとうちゃん、かわいそう」というセリフが、それまでこの映画が示してきた監督の意図とは別の方向に急変し始めたことに突然気づかされ、実のところ誰もが驚き戸惑ったに違いありません。

それは、この映画が無視し、見捨ててきたはずの秘められたもうひとつの物語「邦一の物語」が突然立ち上がり、自己主張し始めたからだと思います。

それまで、確信をもって編まれてきたはずのストーリーが、ここに来て突如様相を一変させてしまったという戸惑いと驚きです。

ここに描かれている漁師・邦一はデリカシーのカケラもない粗暴な男として描かれています。

どう見ても漁師の女房には向きそうにない卑弱な薫に過重な労働を課し、欲情すれば妻=相手の状態など構うことなく所構わず強姦同様のSEXを強要するような血の気の多い漁師です。

そして、夫・邦一がおとなしい妻とのSEXに飽きたらず、ほかに愛人をこさえて、妻からは得られなかった性の快楽を貪っているとき、ひとり置去りにされた薫が、その寂しさを紛らわすために義弟・広次と一夜を共にし、そこで、夫・邦一とのSEXではいまだかつて経験したことのない性の歓びが対照的に描かれている場面で、僕たちは、あるいは、こんな人間味の欠けた一方的な描かれ方をした邦一の人間像に、いち早く疑問を持つべきだったかもしれません。

女の足の指を一本一本舐め上げるようなそんな薄気味悪いSEXが、どうしてそれが真実の愛で、そのために「邦一」の愛し方が、なぜ否定されなければならないのか、ここのところが僕にはよく分からないのです。

そしてラストのあの場面、「おとうちゃん、かわいそう」というセリフに遭遇しなければ、僕たち観客は、てっきり「俺の女を、意地でも弟にだけは渡さないぞ」という憎悪と独占欲に逆上した邦一を(違和感を持ったにしても)受け入れていたかもしれません。

ラストにおいてこの三角関係は、おのおのの憎悪と憤りが錯綜して修復不能なほどドロドロの関係に至っていますが、だから、なおさら娘が、追いすがる邦一の姿を見て「おとうちゃん、かわいそう」と発する言葉があまりに唐突すぎるだけに、夫・邦一という男の本当の姿が、それまでなにひとつ描かれていなかったことに観客は初めて気づかされたのかもしれません。

「粗暴な男」像とは、明らかに違うタイプの佐藤浩市をミスキャストと片付けてしまったら、それこそミもフタもありませんが、このラストで、追いすがる邦一の感情の中に憎悪と独占欲とによる陳腐な逆上を見るよりも、どう妻を愛していいか分からないまま妻・薫から去られてしまう哀れな邦一が、無様に追いすがって「そこまで」来たのだと見る方が、なんだか自然なように思えてきました。

邦一には、薫の足の指を一本一本舐め上げるようなSEXなんか到底できるわけもありません。

知的な薫が目を輝かすような横文字の画家の名前の知識もありません。

彼が知っていることといえば、海で巧みに漁をすること、そして、たとえ強姦のようなSEXしかできなかったとしても、彼にはそういうふうにしか薫を愛すことができない無骨で哀しい男だったのではないか、彼が彼の方法でそのように愛するしかなく、そして深く愛せば愛すほど、愛する女を傷つけてしまうという絶望的なジレンマこそが、このラストで描かれなければならなかった本当のテーマだったのではなかったか、という気がしてきました。

娘が発した「おとうちゃん、かわいそう」という唐突なセリフだけがラストで空しく響いて孤立したまま、しかし、この言葉は、この映画が、もう少し違ったふうな繊細な映画になり得た可能性を僕たちに教えてくれたのかもしれません。

(04東映)監督:森田芳光、プロデューサー:野村敏哉、小島吉弘、三沢和子、企画・坂上順、原作:谷村志穂、脚本:筒井ともみ、撮影・石川稔、美術・山崎秀満、編集・田中愼二、音楽:大島ミチル、主題歌・MISIA『冬のエトランジェ』、照明・渡辺三雄、録音・橋本文雄、助監督・杉山泰一
出演・伊東美咲、佐藤浩市、仲村トオル、ミムラ、深水元基、角田ともみ、三田佳子、蒼井 優、鳥羽 潤、小島 聖、白石加代子
129分
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by sentence2307 | 2006-04-13 00:10 | 映画 | Comments(0)

女ひとり大地を行く

超マイナーな作品です。

いまでは滅多に亀井文夫について話す人もいなくなりましたが、この人の作品が気になって仕方がないのです。

たまたま、BSで「戦争と平和」、「女の一生」とともに、初めてこの作品を観ました。

おそらく、僕は、この作品を機に劇映画から離れていくこととなる事実に繋げながら映画作家として資質的に欠落しているものを否定的にあげつらいながら、この作品の不出来さを書くこととなると思いますが、しかし、それでも、僕の脳裏には、戦争中に撮られた記録映画「戦ふ兵隊」のなかでの特に有名な場面、荒廃した戦場で病み疲れた軍馬が、ついに力尽きて崩れるように大地に倒れ込む象徴的な痛々しい映像が常に念頭にあることを記しておきたいと思います。

中国難民の執拗な描写や、死していく病んだ軍馬のその哀切すぎる描写が厭戦的とされ、軍部により上映禁止となったその事実とともに、です。

さて、この映画「女ひとり・・・」を見ようと思ったもうひとつの理由は、出演者の豪華な顔ぶれです。

山田五十鈴、宇野重吉、北林谷栄、内藤武敏、加藤嘉そして丹波哲郎らしき人も出てました。

とにかく凄いのですが、この作品が優れた俳優の持ち味を生かし切れたかどうかは疑問です。

出稼ぎの夫が炭鉱で行方不明になった後、まだ小さい子供を抱え生活のために炭鉱夫になって働き続けた女性の20年にわたる苦難の生活史が、炭鉱の歴史をも視野に入れ(強制連行された中国人も登場します)描かれます。

出来の悪い息子に苦労させられ、親孝行の息子には励まされながら長年月の無理が祟って働けなくなると、会社から解雇されそうになりますが、孝行息子が音頭をとって労働争議(製作に炭鉱労組の名前がありました)に持ち込みます。

大変な騒ぎの中、母親は怪我をして、あっけなく死んでしまいます。

怪我の直接の原因は、出来の悪い息子を追って転倒したためで、長年月の重労働とは関係ありません。

しかし、母親の遺体は、中国から贈られてきた(かつて中国人労働者を助けた関係で)大きな旗に包まれ、そして何故か突然、母親の死を悼む大合唱が始まるのです。

殉教者をでっち上げる安直なラスト作りに唖然とさせられますし、また俳優たちも、大口を開け体を揺らしながら労働歌を歌う画一化されたシーンの中では、演技を工夫することもできなかったでしょう。

これは、そういう映画でした。

しかし、なにも否定的な面ばかりではありません。

家出した息子を探すために母親が街を歩き回る場面は、秀逸でした。

それが実写だとすぐに分かりました。

繁華街らしき道には、多くのGIが日本人の街娼を抱きかかえるようにして歩いています。

そして一様にカメラの方を向き、怪訝そうに、あるいは戸惑いながら、下卑た薄ら笑いを浮かべ通り過ぎていきます。

同時にその横をみすぼらしい身なりの日本人が、伺うようにこちらをチラッと見、憮然とした表情で通り過ぎていきます。

この場面は、本編からは完全に浮き上がり、自立して輝いていました。

醜悪なものと、みすぼらしいものとが出会い、渾然とひとつになったこのシーンに終戦直後の不安定な時代相を背景にしながらいき惑う日本人の姿が実に生々しく写し込まれています。

この実写のもつ凄まじい説得力に比べれば、あまりに貧弱な本編の無力さが、残酷なまでに対照されてしまった場面でした。

解説書によれば、以後亀井文夫は、劇映画を撮ることなく記録映画に専念したということです。

そして、ここに描かれている高揚した石炭産業もほどなくエネルギーの主導権を石油に取って代わられ、業態そのものが大きく傾いでゆく運命に見舞われることとなります。

そうとも知らずに、企業に寄生しながら「わが世の春」を謳歌した争議の描写が、なんとも無防備なお祭り騒ぎのようにも見え、こうした史観しか持ち得なかったこの映画の手放しの楽観が、なんだか哀れにも思えてきました。

この作品そのものが、ひとつの浅はかな「炭坑節」だったのかも知れません。

戦時中にも、戦後においても、結局、彼が時流に乗れなかった決定的な理由とは、何だったのでしょうか。

残酷な言い方かもしれませんが、自己防衛の距離感をさえ失ってしまった人間に対するあまりに無邪気な過信だと思いました。

(53北星)製作・浅野龍麿、柏倉昌美、川久保勝正、北海道炭労、キヌタプロ、監督・亀井文夫、脚本・新藤兼人 千明茂雄 石田政治 松岡しげる、撮影・仲沢半次郎、音楽・飯田信夫、美術・江口準次、録音・安恵重遠、スクリプター・石田政治、松岡しげる、照明・若月荒夫
出演・山田五十鈴、宇野重吉、織本順吉、内藤武敏、中村栄二、沼崎勲、岸旗江、花沢徳衛、加藤嘉、神田隆、木村功、北林谷栄、桜井良子、島田敬一、朝霧鏡子、山田晴生、
1953.02.20 14巻 3,753m 白黒
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by sentence2307 | 2006-04-13 00:09 | 映画 | Comments(95)