世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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2006年 04月 17日 ( 7 )

どっこい生きてる

まだ人気のない明け方の道を、同じひとつの方向に向かって追い立てられるように走る日雇い労務者たちの、殺気立ったシルエットの疾走を望遠で撮らえるところから、この映画は始まりました。

やがてそれが、その日限りの仕事を得るために、夥しい労務者たちが粗末な職業斡旋所に血相変えて殺到し、僅かな仕事を奪い合う場面に繋がっていくことがすぐに分かります。

一点に向かって蝟集するこの冒頭の迫力に満ちた労務者たちの異様な「熱気」の正体が、一日でも働かなければ食えないという切羽詰った思いに追い立てられたぎりぎりの人間たちの途方もなく無残な活力であることを、この映画は徹底的に僕たちに見せ付けてくれます。

失業者・毛利修三は、その日の日雇い仕事にあぶれ、落胆しながら、目ぼしい落し物がないかと街中をさまよい歩き、どぶ川を浚い、そしてなんの収穫もないまま帰宅すると、彼を待っていたのは、既に人手に渡り取り壊しの決まった家からの追い立ての催促です。

家を失うことが、貧しい者にとってどれほどの痛手か、ここからこの映画は、ひとりの失業者の、そしてその家族の痛ましい破綻を静かに語り始めます。

失業者・毛利修三は、家族が再び一緒に暮らせるだけの金を稼ぐまで、妻の実家に家族をかえして、自分は木賃宿に寝泊まりしながら仕事を探します。

そして、ようやく町工場の旋盤工のクチを見つけながらも、しかし就職できない顛末を、今井正監督は、さりげなく語っています。

日雇い労働者がなぜ安定した職業につけないのか、いささかの蓄えもないその日暮しの日雇い労働者にとって、給料がでるまでの一月のあいだを、どのようにして食いつないでいけばいいのか、万策尽きた毛利は仕方なく工場主に給料の前借を申し出ますが、その申し出の断わりが、同時に解雇の言い渡しでもありました。

小奇麗に身だしなみを整えるなど職に就くために必要な余裕のある金など、そもそも最初から持ち合わせてないその日暮らしの人間にとって、みすぼらしい自分自身こそが就職するための「障碍」になってしまっているのです。

結局毛利は、日銭の入る日雇い仕事を選択するしかなく、安定した給料が保証されている月給取りになど到底なれない自分を悟ります。

この地獄のような悪循環が彼らを見舞い続けます、この映画はそのほんの一巡りの地獄絵を僕たちに垣間見せてくれたのだと思います。

そして途方にくれた毛利は、日雇い仲間の花村のすすめで鉛管の切り取りに手を貸し、その盗みの現場を見咎められて追いかけられます。

ようやく逃げ帰った木賃宿で、待っていた警官から、田舎にやっていたはずの家族が、東京へ帰ってくるために無賃乗車で捕まり、留置されていることを知らされます。

働く機会のすべてを奪われ、もはや八方塞りになった毛利にとって、やっと一緒になった家族に自分ができることといえば、盗みで手に入れた不浄な金で家族を養うしかなく、自分たち家族が、もはやそういう薄汚い金によってしか生きていくことしか出来ないのだという惨めさに堪えることができません。

絶望のどん底で、毛利は、その不浄の金を使い切ったうえで一家で死んでしまおうと妻に言い出します。

このシーンは、この緊迫した作品の中の白眉ともいえる優れた場面です。
(テープを幾度も巻き戻して台詞を必死で書き留めました。)

「おい、ミカンだよ。なんだ、もう寝たのか。よし、布団敷いてやろう。」
「あんた、こんなことして、どうしようっていうの? そんなお金があるなら渡して。」
「金なんか、みんな遣ってしまうんだ。」
「そんなことして、明日っからどうするのさ。」
「どうにもならねえんだよ。もう、やっていけねえんだよ。おらあもう腹を決めたんだ。」
「死ぬんだね。そうなんだね。だれが、だれがそんなこと。いやだ、いやだ、いやだ。そんなこと、させるもんか。」
「静かにしろよ、おい。聞こえるよ。のたれ死にだよ。親子4人して乞食にでもなるしかないんだよ。」
「アカ拾いでもゴミ拾いでも何でもやる。」
「散々やったじゃねえか。幾らやっても、この様だ。」
「違う違う、私どんなことでもやってみる。」
「お前、この金も泥棒した金なんだぜ。子供をこれ以上惨めにしたくねえんだよ。お前だってそうだろう。分かってくれ、分かってくれよ、分かったか、分かってくれたね。」

納得できないながらも、妻は顔を伏せたまま、それ以上夫の「一家で死のう」という意思の固さの前に何も言い返すことができません。

この映画の解説書が存在していたら、このラストのクライマックスを、きっとこんなふうに書いているのかもしれません。

「翌日一家心中を決意して遊園地で子供を遊ばせていたとき、池で溺れかけた長男雄一を咄嗟に毛利が救ったことによって、子供の生命の尊さを悟り、その翌日から再び毛利の姿が職安の窓口に見られるようになった。」

今井正がこの「どっこい生きてる」を作るにあたって、触発されたといわれるイタリア・ネオリアリズム映画の傑作「自転車泥棒」をどの程度までなぞろうとしたか、僕には大変興味があります。

きっとそこには、日本とイタリアの国情や国民性の違いを超えた映画そのものの考え方の違いが示唆されているかもしれませんよね。

「自転車泥棒」のラストは、それがなければ仕事に就けない大切な自転車を盗まれてしまい、街中を必死に駆けずり回った挙句ついに見つけ出せなかった絶望のどん底で、思い余って他人の自転車を盗むことを決意し、そして失敗し、大勢の人々から罵られ小突き回されながら、まさに警察に突き出されようとしている父親へ、子供は泣きながら縋り付いて、いわば父親のために「命乞い」をすることで同情をかい、かろうじて盗みの罪を許してもらうという痛切なラストです。

おそらくこの作品の卓越しているところは、父親が、子どもに自分のした「盗み」と、その屈辱的な成り行きのすべてを見られてしまったという惨めさに加え、子供にとっても、父親のために泣きながら(あるいは、「泣く振りをしながら」)自分たち親子の惨めさを人々に訴えて「同情」と許しを乞うという行為によって、子供心に父親と同じような屈辱の記憶を生涯の傷として持つことで、父と子が固い絆を共有したからでしょうか。

父と子がかわす絆の正体が、普通なら「尊敬」と「情愛」だとするなら、この「自転車泥棒」の父子が共有するであろう絆は、他人には決して語れないような、ただ痛ましいばかりの「共感」だったはずです。

では、「どっこい生きてる」の場合はどうでしょうか。

毛利は、家族みんなを道連れに殺して、自分も死のうと決意します。

貧しい暮らしを続ける彼は、「子供をこれ以上惨めにしたくねえんだよ」と思いつめながら、子供には死ぬこと(殺すこと)を伝えようとはしません。

きっと子供の不意を突いて殺してしまい、そしてその後で自分も死ぬ積りでいます。

子供は何も知らされないまま、殺されようとしているのです。

しかし、その思惑は、はからずも子供が溺れ掛けるという不慮の事故によって、死の瀬戸際にいる子供に「息子よ、生きてくれ」と願う気持ちを毛利に起こさせ、死の意思はついえさり、毛利を生きていく方向へと導くことになりました。

しかし、助かったとはいえ、たまたま手に入れたこの「生」は、殺されかけたことを何も知らされていない子供たちとって、依然として不安定なものであることには変わりありません。

父・毛利が、精神の均衡を崩して再び一家で死のう(殺そう)と「決意」するかもしれない危険な要因は、一切取り除かれないままで、父親は厳しい競争社会に出て行こうとしています。

そこは、一度は死を決意したほどの挫折を味わった厳しい社会です。

思えば「自転車泥棒」における父子の濃密な関係と比べたとき、日本のこの父子のあまりの希薄さには、少なからず戦慄めいたものを感じてしまいました。

これは、とてつもなく大きな違いだと思わずにはいられませんでした。

(51前進座・新星映画社)製作・松本酉三、宮川雅青、監督脚本・今井正、脚本・平田兼三、岩佐氏寿、撮影・宮島義勇、中尾駿一郎、植松永吉、美術・久保一雄、音楽:大木正夫
出演者・河原崎長十郎、中村翫右衛門、河原崎しづ江、岸旗江、飯田蝶子、木村功、河原崎労作、町田よし子、市川笑太郎、今村いづみ、寺田勝之、寺田健、中村梅之助、中村公三郎、坂東秀弥、瀬川菊之丞、川路夏子、河原崎国太郎
1951.07.04 10巻 2,805m 103分白黒4:3スタンダード
キネマ旬報ベストテン5位・ブルーリボン賞4位・NHK映画賞8位
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:22 | 映画 | Comments(0)

七人の侍 ⑥

百姓たちに村の防御を懇願されたとき、勘兵衛は、まずは「出来ぬ相談だな」と歯切れの悪い断わり方をした後で、「相手は野武士とはいえ、四十騎だ。侍を二人三人集めても防ぎはつかん。」と躊躇し、やがて、「守るのは、攻むるより難しいでな。どう少なく見積もっても、わしを入れて七人。」と徐々に気持ちが揺らぎ始めている様子が描かれます。

「このわしも、戦には飽きた。もう年だでな。」という戦いに明け暮れた日々の虚しさを抱えながら、それでも、百姓たちの苦衷を救おうと何の名利も伴わない戦い踏み出す勘兵衛の魅力が、重厚な人間味をもって描かれているところです。

村に来て、五郎兵衛と村の四方の地形を見回って、勘兵衛は防御の具体策を練ります。

「後ろは馬の通える山、前は畑で、田に水を引くまでは、どこからでも馬で攻められる。四方に備えるだけでも四名、後詰に二名、どう少なく見積もっても、わしを入れて七名。」

そして、村が一望できる丘に立った勘兵衛は、地図を広げて、五郎兵衛に「おぬしなら、この村をどう攻める。」と問い掛けます。

この映画の本当の魅力が、侍や百姓たちや野武士たちよりも、もしかしたら、壮絶な死闘を展開するのにはうってつけのこの地形にあったのではないかと思わせる場面でもあります。

こんなお誂え向きの場所が本当にあったのか、という疑問に、「村木与四郎の映画美術」という本が答えてくれました。

美術・松山崇について村木与四郎氏は、この作品でチーフとなっています。

「まずロケハンが長丁場になった。・・・それで美術、照明までメイン・スタッフが何週間もゾロゾロ廻ったんだけど、ロクな場所がない。あんな風景いくらでもありそうなのに。しかしね、冷静に考えてみれば、そんな理想的な村なんてあるわけない。だって、敵からの防御のために具合よく構想された村なんだ、シナリオで。後ろが山で、東が小川。西に広い道があって、南が田圃。合戦の準備のために柵を作ったり、橋を落としたり、田圃に水を入れたり・・・つまり、ストーリーと村の設定が密接に絡み合っているんです。結局それらしい所をツギハギして作るしかない。」それで、村を四つに分けて撮影することになったそうです。正確には5箇所。

①下丹那。丹那トンネルの上から俯瞰で村の全景を狙うためだけにロケ・セットは組まれました。
町からやって来た侍たちが村を見下ろしながら、「これが俺たちの城か」と言うあの場面です。
これは、冒頭の野武士登場の場面にも使われています。

②伊豆修善寺。高堂国典の村長(むらおさ)の水車小屋がある村の東側。

③御殿場用沢。柵の向こうにやって来た野武士を望遠で撮っている村の西側の道。

④御殿場二の岡。村の北口、野武士を一騎ずつ通して、討ち取るために迎え入れる山の入り口。

⑤砧。撮影所の奥の干上がった田圃にセットを組んだ、村の南側の田圃。

実は、という前置きの後に村木氏の述懐は続きます。

「砧の近くの川と、御殿場・堀切の川の流れが反対なんです。幸いにも、誰も指摘した人はいませんが。」だそうです。

侍探しの本拠地になる木賃宿を始め、水車小屋や村の家々でも、板の間や柱の質感が圧倒的です。木目が浮き出て黒光りしている。

これこそ黒澤組18番の「焼き板」ですが、その手間ひまのかかることを証明するものとして、例えば、木下恵介監督が「楢山節考」で焼き板を試してみて、十分に効果がだせなかったという話が残っています。

焼いたのはいいけれども、泥絵の具とかを塗って十分に艶をだすことをやっていないから、あまり見栄えのしないものになってしまったらしいのです。

別に手抜きをしたという訳じゃない、並大抵の手間ではあの「七人の侍」の中で見られたような家々の黒光りのする木目が浮き出すまでに仕上げることは出来ない、という話につながる前振りとして常に引き合いに出されています。

「楢山節考」の場合は、様式的な実験作ということもあって、別にリアルを追求した作品じゃなかったから、それはそれでよかったのかもしれませんが。

さて、その焼き板の作り方ですが。

まず石の台の上に新品の板を渡して、下から炭で焼く。

それだけだと、単に黒いだけだから、あとはブラシでゴシゴシこする。

すると木目が浮いてくる。

今度はこの上に泥絵の具を塗る。

それを拭き取ると木目の上だけは黒味がでます。

今度はワックスをかけて、しばらく立てかけて乾かす。

それから、ただひたすら磨く。

これが黒澤組の日課です。

美術部のみならず、スタッフみんなで磨く。

役者だって総出でやらされたという話は有名ですね。

セットに入る前の日に丸一日かけて磨きます。

監督が率先してやるから、みなやらざるを得ない。

この技法は、村木与四郎と塗り師の中村義雄が考えた技法だといわれています。

隅々にまで眼を行き届かせて手を抜かない黒澤明の映画の作り方の厳しい一面がよく分かるエピソードですね。

撮影にあたり、ことあるごとに黒澤監督が、「カメラが芝居(演技)するな!」と言っていたのはよく知られています。

人物が静止しているシーンなのに、カメラだけがひとり歩きすることを極度に嫌いました。

観客にカメラの存在を意識させてしまうような無意味な動きをすることで、緊張感の只中にいる映画鑑賞者の注意力をそれだけで削いでしまうことを、とても気にしていたのです。

作り手の側にとっても、それは折角の努力を無駄にしてしまいかねないマイナスであるといえる訳で、張り詰めた緊張感をとても大切にしていた黒澤監督は、スタッフにもそのことを求めたと聞いています。

人物が動きだして始めて、カメラもその動きを追うというコンヴィネーションを、僕たちは黒澤作品のなかでしばしば眼にします。

それはまた、その役に集中して演技の高揚を役者に求めた黒澤監督の、緊張感を止切らせないよう細かなカットを避けたという演出にも通じているのでしょうか。

村のはずれに住居があるために、村落防衛の必要から退去を申し渡された茂平が、怒って槍を投げ捨て戦列から抜けようとするあの場面が思い浮かびます。

立ち去ろうとする茂平を威嚇するように、勘兵衛は突如抜刀して茂平たちを追います。

最初はまず茂平たちの動きに合わせるようにカメラが移動を始め、やがて勘兵衛の背後からカメラは茂平たちをとらえました。

戦線離脱者に向かって猛然と肉薄してゆく勘兵衛のその殺気立った迫力に気圧されて、茂平は怯えきった表情で逃げ惑います。

不意の緊迫した事態に動揺した村人たちを背景にして疾駆する勘兵衛の虚をつくような素早さは、同時にこの映画を見ている観客にも緊迫した緊張と不安、あるいは恐怖感さえ伝えました。

行く手を遮られた茂平は、あわてふためいて行き場を失い逆方向に逃げ惑い戦列に追い戻されます。

そして、その向こうには驚愕と動揺をあらわにして成り行きを伺いながら、やはりただ右往左往している群集が映し出されます。

このそれぞれの集団を奥行きある縦位置に配して、複雑に錯綜する群集を見事なパン・フォーカスでひとつ画面におさめた圧倒的なシーンでした。

Internet Movie Database のなかに 「トップ250」という記事があったので寄り道気分でクリックしてみました。

全部で250位までリリースされている中で、「七人の侍」が1万4313票を得て7位にランクされています。

欧米におけるこの作品の人気の根強さが分かります。

そして、このBEST250の男女別それぞれの内訳が更に記されていたのですが、総得票と男性票が同数なのが少し気になりました・・・。

ちなみに第1位は、「ゴッド・ファーザー」で6万2240票です。

僕の場合、英文のサイトは、もっぱら Excite のWeb 翻訳に頼っているのですが、この翻訳が壮絶なのです。

一応、訳されるのですが、ほとんど意味が通じません。

掲示板のようなコーナーがあってかなり充実した書き込みがされているのですが、すべて英文なのでどうしてもこの翻訳に頼らなければならないのです、・・・が、残念ながら、さっぱり意味が通じません。

ちなみに、「七人の侍」は、この翻訳では「Shichinin,サムライはない」となります。

「~の~」を「ない」と訳した苦心の作です。

結局、撮影は、昭和28年5月から始まり、翌年3月に終了、撮影日数148日。

白黒スタンダード、上映時間は、休憩をはさみ3時間27分。

制作費2億1000万円。当時一般の作品は3000万程度の予算で作られていた時代です。

昭和29年4月26日から全国130館の東宝系劇場で公開されました。

当時邦画の劇場公開は一週間のローテーションで年間60本を超す新作が封切られていた中で、2週間の続映とはなったものの、しかし、この超大作が、たった2週間の興行とは、なんと贅沢なことか。

量産体制を背景としたプログラム・ピクチャーを運営していくうえでの宿命とでも言えばいいのでしょうか。

ヴェネチア国際映画祭へ出品するに際し、映画祭規定に合わせ黒澤監督自身が、2時間44分に再編集して出品し、銀獅子賞を受賞しました。

受賞凱旋公開として、9月12日から5日間全国邦画系劇場で再編集版が上映されました。

その後、昭和42年6月24日「用心棒」とともに海外版ニュープリントで1週間、再上映されるまで、(2番館3番館は除く)ニュープリントでの上映の記録はありません。

再上映の要望がありながら実現できなかったのは、上映時間の長さと、洋画ロードショー館で邦画がかけられるようになった「日本映画特別上映制度」(昭和40.6)発足が背景にあったためといわれています。

昭和50年9月20日、初公開から21年ぶりに3時間27分の完全オリジナル版が公開されました。

そして、平成4年11月から黒澤作品が順次ビデオ化され、版権問題が絡んだ「七人の侍」も最後にリリースされてゆくこの企画に先立つ平成3年11月「最後の劇場ロードショー」と銘打って日比谷映画、新宿武蔵野館でこの作品が劇場公開されたのが、リバイバル公開の最後の記録となっています。

こう書いてきて、この「七人の侍」という作品も、いばらの道を歩んできたんだなあと、つくづく思いました。

《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:14 | 映画 | Comments(1)

七人の侍 ⑤

村を見下ろす高台に突如現れた野武士たちの一団が 「麦が実った頃に、また襲いに来るべえ」 と言い残して去っていきます。

その言葉を偶然に盗み聞いた百姓たちが、恐慌をきたして緊急に寄り合うところから、この物語は始まります。

為すすべもなく、ただ悲嘆にくれる百姓たちの中にあって、野武士に妻を奪われた利吉だけが徹底抗戦の強硬論を主張します。

「竹槍つくるだ。二度と来ねえように、みんな突っ殺すだ。」 というこのセリフが、この作品の基本的なイデオロギーを端的に表しているのですが、まだ大戦の記憶が生々しい当時の日本にあっては、このセリフに込められた 「ただ黙って殺されるのだけは御免だ。」 という至極当然な考え方も、いわゆる 「進歩的な知識人」 といわれた人々の卑弱な神経を逆撫でしたのでしょう。

たとえ、まやかしの平和であっても、平和ならそれでいいんだ、という思潮が支配的だった状況下でのこの 「七人の侍」 が彼らに及ぼした衝撃の度合いは、多分当時の冷ややかな遇され方によって推し量ることができます。

では何故この 「七人の侍」 が、それ程までに冷遇の憂き目にあったのかといえば、それは、この作品が、やむにやまれぬところから、致し方なく選択せざるを得ない「戦争」 の真実の姿を描いているからだと思います。

理不尽な暴力に屈服して、屈辱のなかで生き延びるよりも、大切なものを守るための戦いを、たとえ死を賭してでも誇り高く戦うことの人間的な素晴らしさを、黒澤明は、百姓と七人の侍たちとの壮絶な死闘に仮託して、その綿密な戦略を微にいり細に亘って具体的に描く忌憚ないリアリズムによって描き切ったからでしょう。

殺すべき敵の数を正確に把握し、敵の武器を綿密に分析し、そのために村の要塞化と百姓たちの軍事訓練を徹底的して図ることによって、敵の襲来に対抗し、そして完膚なきまでに敵を殲滅すべく死を賭けて戦います。

味方にも多大な犠牲を払いながら、いささかの躊躇もなく敵をひとりずつ具体的に殺していく。

これは本当の戦争です。

そして、単なる厭戦的気分によって、戦争の真実から、ただ眼を逸らしていた当時の知識人にとっては、そのどれもが悉く「知りたくない」耳の痛いことだったに違いありません。

それまでの (いままでの、と言い直してもいいのですが) どんな地形の戦場で、どういう武器を備えた敵を何人殺さなければならないのか、映画が戦争を描くに当り、ここまで綿密に、まやかしのない、観客を大人扱いして作られた映画が、かつて存在したかどうか僕の乏しい知識からは残念ながら判断がつきません。

しかし、自分の手を汚したくないこの国の知識人とマスコミにとっては、そこまでは知りたくなかったのだというのが、この作品への冷遇と拒否反応の本当の理由だったのだろうと思います。

僕たちが、これまで幾度も経験してきたことですが、これも海外の評価によって初めて、娯楽作品だからというレッテルだけで見下だしていた作品の本来の価値を、逆に示唆されて驚くというあのとても残念な卑屈な一例なのでしょうか。

        *              *       

かなり以前のことですが、本作中、侍探しの百姓たちが泊まる粗末な木賃宿のシーンで、渡辺篤の饅頭売りが百姓や人足たちに売れ残った饅頭を無理に売りつけようとする場面があり、そのなかのひとりとして登場する琵琶法師役の役者が、あの「バグダッドの盗賊」で有名な上山草人と知って驚いた記憶がありました。

驚いたというのは、「バグダッドの盗賊」と「七人の侍」とでは、時代があまりにも違い過ぎるという思いがあったからですが、それ以上に(僕にとって)高名な上山草人が、あんな見せ場のないチョイ役ででていることに、驚きと同時に、なにか割り切れないものを感じたからです。

東野英治郎や仲代達矢や山形勲など、同じようなチョイ役とはいえ、それぞれの印象は鮮明で、その使われ方にしても、花も実もある監督の敬意も十分に感じ取ることができます。

しかし、あの上山草人の琵琶法師役にどんな花があったといえるでしょうか、などと考え始めたとき、しかし、僕がもっていた彼の印象の内実は、結局「バグダッドの盗賊」ただ1本だけの強烈なイメージに基づく浅はかなものでしかなく、本当は上山草人という役者のことをなにひとつ知らなかった自分に初めて気づいたのでした。

せいぜい僕の経験的知識からすれば、「バグダッドの盗賊」から、突然「七人の侍」に飛ぶしかないわけですから、この見当はずれな印象は無理のないことだったのかもしれません。

そこで、Internet Movie Database や日本のサイトで、それぞれに活躍した時期の filmography を検索してみました。

アメリカでの出演作の第1作は「バクグダッドの盗賊」1924で、そして第49作目「Way for a Sailor」1930がアメリカでの最後の出演作のようです。

また、日本での出演第1作は、「愛よ人類と共にあれ・前編」1931からで、第61作目「宮本武蔵」1954が最後の作品となっています。

最後の出演作を「七人の侍」としている多くの記事を読んでいたので、これは少し意外でしたが、邦画を結構見てきた積りの僕自身にとって、110本におよぶ出演作にもかかわらず、上山草人という役者への印象の希薄さ(なさ、と言うべきなのですが)には驚かざるを得ませんでした。

上山草人にしても早川雪洲にしても、またアンナ・メイ・ウォンにしても、きっとその「不在観」は、ハリウッド初期の映画の中で、作られた「東洋人」を演じた多くの東洋人が、宿命のように受け入れねばならなかった当然のギャップだったかもしれません。

ハリウッドで俳優であるために、東洋人であることの実体から徐々にずれながら、ついに引き裂かれた無残な現実がそこにはあります。

ハリウッドで「不気味な日本人」を演じて名を馳せた雪洲は、祖国日本では国辱俳優として非難されて、早々に帰国を余儀なくされました。

そのことを知っていた上山は「不気味な東洋人」は演じても、決して日本人を演じることはなかったということです。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:13 | 映画 | Comments(0)

七人の侍 ④

野武士に愛妻を奪われ、憎悪から徹底抗戦を主張する利吉と、どうせ勝ち目はないと戦いには消極的な万造は、なにかにつけて反撥し合います。

長老・儀作の裁断に従って、侍探しに町に出た百姓たちは、目的を果たせぬまま疲れ切った町はずれで、徒労と失意から、再び利吉と万造は言い争います。

万造が「談合するより手はねえ」と言うと、利吉はずるそうな薄笑いを浮かべて「野武士の談合には今年は何を出す。お前んとこの娘出す積もりか。志乃はべっぴんだでな。」と言い放ちます。

万造は愕然とし、狼狽します。

この狼狽が、万造が一足早く村へ帰り、娘・志乃の髪を切る場面のモチーフになっています。

消極的とは言え、侍探しに狂奔した志乃の父・万造は、いざ、侍集めが順調にいくと、野武士ばかりでなく、村に来る侍たちも同じように、娘にとっては危険この上ない存在であることに違いなく、いち早く村に戻り、志乃を断髪して「男」にしようとします。

(その行為が、村民の不安を掻き立て、村を救いに来た侍たちを、その恐怖心から無愛想な歓迎をすることになります。)

死闘に継ぐ死闘の果てに、血なまぐさい殺戮の限りが尽くされるこの映画「七人の侍」の中で、ドキッとするほど艶かしい場面が、万造が娘の髪を強引に刈る場面に先立つ志乃の洗い髪のシーンでしょう。

黒澤作品には、本当に珍しい色っぽいシーンです。

黒澤明は、幾分ローアングルで、背後から洗髪している津島惠子演じる志乃をとらえます。

両肌脱ぎになった着物を、胸の少し上あたりで強く引き絞って結び、そのふくよか胸が、脇の下あたりの肉の盛り上がりに強調されて、うっすらと脂肪ののった艶めいた背中から、豊かに張った腰にかけての官能的な曲線は、モディリアーニの裸婦像を見ているような恍惚感さえ覚えてしまいます。

父・万造の気配に肩越しに俯き加減で振り向く津島惠子のつややかな黒髪の中の彼女の戸惑いの表情も実に美しく、不意に振り向く志乃に直視されることになる観客は、盗み見を咎められたような戸惑いで、思わず視線を逸らし気味にしてしまうくらいです。

そう言えば、勝四郎と志乃の恋も、とてもプラトニック・ラブとは言えないような熱い入り方でしたよね。

断髪された志乃が裏山で花を摘んでいるところを勝四郎に見咎められて、この「恋」は始まります。

男と思い込んだ勝四郎が、「来い、鍛えてやる!」と言うと、志乃は逃げ、勝四郎が追いかけて押さえつけ、はずみで志乃の胸に手が触れて驚いて飛び退くシーンは、洗い髪の官能的なシーンからひと続きにつながっています。

男は、彼女の美貌や知性や気立てに引かれた訳ではありません。

はからずも胸のふくらみに触れたことで、その「女」に魅かれ、そこからこの恋は始まっています。

そして、志乃も万造が心配するほど、ただの「被害者」でいるような娘ではありません。

むしろ、積極的に勝四郎に誘いかけ、すがりついて「オラ、かまわねえ。先でどうなったって・・・そんなこたぁ知らねえ。」と熱く掻き口説きます。

昂ぶる情欲に突き動かされて、思いを遂げようとする成熟した女の切羽詰った熱い思いが、うわ言のような剥き出しの生の言葉で語られている場面です。

そして、勝四郎と志乃の激しい恋が描かれた夜、娘を「きずもの」にされて逆上した万造に向けられる七郎次と利吉のそれぞれの言葉が、この映画の全編を牽引してきた大きな流れを、完結させる役割をもった重要な言葉だと思いました。

利吉の「好きで一緒になったものを、ぐずぐず言う事ねえ。野武士にくれてやったのとは、訳が違うど。」という一言によって、この物語のひとつの原動力ともなっていた利吉と万造の確執が、ここで一応収束されます。

また、七郎次は、万造に慰めるように言います。

「人間、明日の命も分からぬとなると、ちょっと浮ついたことでもせにゃ息苦しくてかなわんのだ。」と。

この一言は、勝四郎と志乃の恋が「うわついた」ものとすべきものだと示唆しています。

ラストの田植えのシーンでの、志乃に向けて追いすがるような視線を投げる勝四郎に対して、その視線を振り切るように顔をそむけて田圃に入る彼女の素振りが、この映画の全編を支配した虚無感を象徴しているように思えてなりません。

死ぬことには、些かの恐れも示さない侍たちも、「生きる」ことに関して、百姓たちのような貪欲さが、果たしてあったかどうか、それは疑問です。

燃え上がるような恋に体ごとぶつかっていく志乃のような生きることへの情熱が、格式や対面にこだわる勝四郎にあったかどうか。

遠く田植えをする女たちを背景に置きながら、勘兵衛は言います。

「今度もまた、負け戦だったな。いや、勝ったのは、あの百姓たちだ。俺たちではない。」と。

死ぬことにのみ名利を見出し、「生きる」方へ顔を背けている以上、侍たちにとって、あらゆる戦いは、常に負け戦なのかもしれません。

考えてみれば、「七人の侍」の志乃の印象が、あまりにも強烈すぎて、津島惠子という女優さんが、どういう活躍をされたのか、あまり知識がありませんでした。

NHKの朝ドラ「さくら」の祖母役でちょくちょく見かけていたので、何となく知っているような積もりになっていたのですが。

もともと、松竹の女優さんだったことは、知っていました。

デビュー作が「安城家の舞踏会」で、松竹在籍の最後の作品が「お茶漬けの味」、フリーになってからの第1作が、たしか「ひめゆりの塔」だったですよね。

「安城家の舞踏会」から「お茶漬けの味」までの出演作と、フリーになってからの出演作を比べてみると、やはり後者の方が突出して意欲的な印象を受けます。

それは、松竹でのぬるま湯的なお嬢さん役に納得できない思いを抱えてのフリーだったのか、と思える作品群と言えるかもしれません。

*沖縄戦ひめゆり部隊の凄惨な最期をセミ・ドキュメンタリー・タッチで描いた今井正の「ひめゆりの塔」1953、
*師木下恵介を思わせる清潔な出会いと別れを、貧富の差を絡めて情感豊かに描いた小林正樹監督昇進2作目の「まごころ」1953、
*岩間鶴夫監督「姉妹」1953(同タイトルの家城作品1955とは別物)、マキノ雅弘「美しき鷹」1954、伊藤大輔「お菊と播磨」1953、
*軍国主義の重圧の中で生きる青春を描いた吉村公三郎「足摺岬」1954(吉村=新藤コンビの最も息の合った作品といわれました。)、
*「七人の侍」1954、
*新国劇総出演の日活戦後再開第1作・滝沢英輔監督「国定忠治」1954(足摺、七人、国定、と続いたこの年の津島惠子を報ずるマスコミは、「清楚な美貌の頂点にある」という形容詞を付しました。)、
*煙突の見える場所に続く椎名麟三=五所平之助路線2作目の「愛と死の谷間」1954、
*下山事件を扱った社会派作品・山村聡監督2作目の「黒い潮」1954、
*君の名は、を意識して作られたと言う今井正監督「由起子」1955(50年代に作られた今井作品のうちで、唯一のキネ旬Best10選外作品となった作品として知られています。)、
*吉村公三郎「嫁ぐ日」1956、内川清一郎「口から出まかせ」1958、瑞穂春海「恋は異なもの味なもの」1958、
*貧しさの中でも両親の愛情の中で清らかな心を失うことなく全国の作文コンクールで入賞を果たした兄妹の実話を基にした久松静児「つづり方兄妹」1958、
*鈴木英夫「燈台」1958、
*堀川弘通「すずかけの散歩道」1959、
*松森健「二人だけの朝」1971、
*木下恵介「スリランカの愛と別れ」1986、

こう見てきますと、この女優さんにとって「七人の侍」を撮った1954年という年が本当の意味でピークだったことが分かります。

ピークに達した以上、退潮は当然の経緯だったのでしょうか。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:11 | 映画 | Comments(106)

七人の侍 ③

この作品が、もし勘兵衛の立場から描き始められていたら、随分と印象の違った映画になったと思います。

同情心の厚い侍たちが、哀れな百姓たちを「助けてあげる」という図式にしたなら、一方的な押し付けがましさだけが強調されるなんとも鬱陶しいやりきれない映画になってしまったかもしれません。

テンポのいい痛快な作品「用心棒」は、そういう要素を逆に生かして、ひとつのドラマに仕立て上げたようなアイロニカルな味が確かにありましたが、作品的には「七人の侍」の持つ奥行きのある重厚さを得るには至りませんでした。

その物足りなさの因は、一言でいってしまえば、武力装置を持つ侍の側からのみ描くことで、痛快ではあっても、そこには免れがたいある種の鈍感さを帯びてしまう宿命のような、つまり一方的な押し付けがましさだけが強調されて観客の思い入れを拒む鬱陶しさだけが、どうしても僕たちの感興を殺いでしまうことになったのだと思います。

それは、以後の黒澤作品が徐々に失っていったもののひとつでもあったのでしょうか。

「七人の侍」の立体的な重厚さを支えているのは、なんといっても百姓像の的確な描写にあります。

一方に侍の高潔さが描かれるとき、かたや救いがたい百姓たちの悲惨がリアリズムで描かれていくわけですが、その絶望的な状況にも挫けずに何とか野武士に立ち向かおうとする百姓たちの知力、ちっぽけではあっても精一杯の勇気、そして弱者が生き抜いていくために発せられる懸命な狡猾さが余すところなく描かれることとなります。

これらのすべてが絶妙なバランスを保ちながら神話のような壮大な叙事詩の世界を描き切れたのは、それはまさに、この弱者の多面性を描き得たからだと思います。

百姓たちが初めて勘兵衛に助力を請う場面①と、落ち武者狩りの事実から百姓の狡猾さを思い知らされ怒った侍たちに菊千代が百姓の悲惨を絶叫する場面②のその二つの場面にそれは端的に示されているといえるでしょう。

①多々良純の人足「死んじまえ、死んじまえ。早いとこ首括っちまえよ。その方がよっぽど楽だぜ。」
勝四郎「下郎、口をつつしめ!」
人足「本当のこと言っただけじゃねえか。」
勝「貴様には、この百姓の苦衷が分からんのか。」
人足「笑わしちゃいけねえ。分かってねえのは、お前さんたちよ。わかってたら、助けてやったらいいじゃねえか。おい、侍。これを見てくれ。こりゃ、お前さんたちの食い物だ。百姓は稗食って、侍には白い飯を食わせてるんだ。百姓にしては精一杯なんだ、これが!」 
「もう喚くな」と勘兵衛、飯椀を受け取り、「この飯、おろそかには食わぬぞ」というあの名セリフが続きます。

②菊千代「ハハハハ、こいつぁいいや。一体、百姓を何だと思ってたんだ。百姓ぐらい悪びれした生き物はねえんだぜ。米も麦も何もかもないと言う。しかし、何もかもある。床板の下に、納屋の隅に、瓶に入った米、塩、豆、酒、何でも出てくる。山の中には隠し田があり、戦があれば落武者狩り。百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだ。ハハハハ。でもな、そんなケチくさいケダモノを作ったのは誰だ。お前たちだぜ。侍だってんだよ。おい、どうすりゃいいんだ。百姓はいったいどうすればいいんだよう。」と泣きながら絶叫する菊千代。

三船敏郎生涯最高の演技と見ました。

そして、勘兵衛の「貴様、百姓の生まれだな」というひとことに、侍と百姓との避けがたい身分の溝がクリアされたことが示唆されています。

そして、この言葉の優しい響きは、冒頭で東野英治郎の盗人を斬った直後の菊千代に発せられたあの「おぬし、侍か」「どうかな」と揶揄して無視した場面とは大違いです。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:10 | 映画 | Comments(0)

七人の侍 ②

僕の敬愛する澤地久枝氏の著作に「男ありて・志村喬の世界」という本があります。

澤地氏は、ご存じのように、戦争の前後に生きた多くの女性たちが男社会のなかで如何に苦しんだか、必死に生きた壮絶な女性たちの生き様を通して、その悲惨と挫折をまるで告発するような厳しい口調で描き続け、戦争を起こした男たちの愚を撃つ著作活動を続けておられ、老いを些かも感じさせないまさに闘うルポライターです。

この志村喬の生涯を綴った「男ありて・志村喬の世界」を読んで、気になったのも、実はその「視点」でした。

この本を読んで、まず受ける印象は、志村喬が演じた勘兵衛役の評価を巧みに避けようとする歯切れの悪さにあります。

彼の最高の演技を、どうしても他の役に見出そうとしているその姿勢には、「七人の侍」の評価そのものをどうしても避けたいという姿勢に通じる澤地氏らしからぬ消極ささえ感じました。

書く対象が親交のあった近しい志村氏のことでもあり、ご夫人への配慮なども考慮に入れなければならなかったのかもしれませんが、しかしこの視点は「七人の侍」の日本における不当に低い評価を支えてきた認識に通じるものがあると思わざるを得ません。

昭和29年4月の公開当時、この強烈な作品に被せられた評価は、不安定な世相や再軍備問題など作品そのものとはまるで関係のない時代的雰囲気を反映した「好戦的な要素」に対する危惧や忌避的なものが支配的だったと聞いています。

「七人の侍」を正当に評価できなかったその「道徳心」に、日本の時代的な限界とともに、同時に、一生懸命戦争協力に腐心した戦中のマスコミと庶民の同質の道義観・認識のあり方に通じるものを痛感しました。

「七人の侍」の資料を読み漁っていると、時折この日本的道義観の認識の壁にぶち当たって、身動きが取れなくなった黒澤明の苛立ちと憤激に出会うことがあります。

現在でも、その意識状況に変化がみられているとは思えません。

しかし、澤地氏のこの「男ありて・志村喬の世界」の表紙は、本文であれほど否定的に書かれている勘兵衛のイラストで飾られています。

そして皮肉にも、そのイラストがあったからこそ、僕もこの本を読む気になりました。

前半の侍選びのシーンで、勘兵衛の話を聞いた山形勲演ずる浪人が、怒りをあらわにして言い放ちます。

「拙者の望みは、もちょっと大きい!」

これは、この浪人ばかりでなく、主君を求めて放浪していた七人の侍たちすべての切なる願いでもあったはずです。

そんな気持を抑え込んでまで、何の得にもならない野武士たちとの戦いへ彼らを向かわせたものは、なによりも百姓の苦難を見過ごしにできない慈悲心に富んだ勘兵衛の人柄に魅かれたからでしょう。

ただし、五郎兵衛が声を掛けて連れてきた平八(千秋実が演じています)だけは、勘兵衛への敬愛という意味からすると、どうももうひとつ疑問が残ります。

面白い男で話していると気が開ける、苦しい時には重宝な男だと五郎兵衛に紹介させていますが、むしろ、立場の弱い人間(ここでは菊千代がターゲットにされます)の弱点を巧みに嗅ぎつけて、生贄のように痛切な皮肉で赤っ恥を掻かせ、周囲の他人の失笑を誘いながら自らも傷ついてしまうという屈折した笑いを仕掛ける現代的なタイプ(現代で言えば、これは陰惨なイジメそのものです)といえます。

またそれだけに、この作品の中で唯一居場所の定まらない人物でもあります。

妙に清潔で、生活感がなく、それ程に深く掘り下げられて描かれているとも思えません。

事実、物語の中でも、まるで最初から約束されていたかのような淡白さで短命に終わります。

野武士の巣窟へ奇襲をかけた際に、真っ先に落命しました。

僕は、もしかすると、平八も菊千代同様、侍の出ではなかったように描こうとしたのではないかと、ふっと思いました。

マキ割りのシーンから始めたことも、なにか意味深です。

もっと違う階級の出身者として黒澤明は描こうと考えていたのではなかったのかなと何となく思えてきました。

集団から一人浮いていることを十分に意識しているからこそ冗談でまぜっかえし、皆の受けがいいだけに尚更に疎外感を意識せずにおられないまま、いざ闘えば真っ先にやられてしまう。実に身につまされる人物です。

それに引き換え百姓出の侍として描かれている菊千代の方は、分かり易い人物設定です。

侍対百姓という相容れない階級差を菊千代が巧みなパイプ役となって、数々の溝をクリアした脚本の見事さは読んでるだけでも惚れ惚れします。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:09 | 映画 | Comments(4)

七人の侍 ①

この「七人の侍」という作品は、僕にとって「映画の中の映画」いわばking of kingsです。

信じられないほどの美しい場面が絶え間なく連なり、起伏に富んだストーリーが怒涛のように襲い掛かってきて、ただ映像のシャワーを浴びるがままになって、映画の中に浸り込む幸福というものを教えてくれて映画でした。

学生の頃にこの作品に出会って以来、どうしようもない愚劣な映画を立て続けに見せつけられても、もう以前のように「映画」というものに対する不信感で動揺したり落ち込んだりするようなこともなくなりました。

自分には、「七人の侍」がある、という気持ちがあったからだと思います。

傑出したシーンの中でも、特に好きな場面があります。衝撃的なシーンといった方がいいかもしれませんね。

いままさに野武士が襲い掛かってこようかという臨戦体制下、守りきれる範囲外にある数件の家々を勘兵衛が該当する農民に引き払うことを命じたとき、見捨てられることとなる茂助たちが怒り、竹槍を投げ捨てて戦列から離脱しようと離れかけた場面です。

突如、勘兵衛が抜刀して走り出し、殺気に満ちた物凄い形相で離脱した農民たちの前に威圧的に立ちはだかるあの衝撃的な場面です。

志村喬演ずる島田勘兵衛という侍は、それまでは、実に温厚で徳の厚い好々爺として描かれています。

哀れな百姓たちの苦衷を無碍に見捨てることもできず、また、自らの名利を顧みることもなく、これから野武士四十騎との無償の戦いに命を懸けて闘おうとしているのです。

しかし、その勘兵衛が、突如自分たちが守るべき百姓に向かい刀を抜いて威圧する行為に出たという衝撃、多くの戦さでおそらく多くの人間を斬ってきた血の臭いのする武将に豹変したことに、死を掛けて戦うということがどういうことなのか一挙に観客に分からせてしまうとても大きな素晴らしい場面でした。

この場面によって、それまでの「雇う百姓」と「雇われる侍」という関係が持つもろもろのイメージ、例えば、食い詰めた侍が食わせて貰うことで百姓の用心棒になるという自尊心を喪失した負い目とか、野武士と大差ない同じ穴の狢(夜盗)くらいにしか考えていないかもしれない農民の「みくびり」とか。しかし、それらの下卑た予想を遥かに飛び越え、戦いそれ自体が侍たちの自尊心を賭けたいわば聖戦として戦われようとしているのだということを知らされます。

そしてまた、この戦いが、もはや哀れな百姓たちを助けるための戦いではなくなっていることを示すことによって、物語の限界としてのヒューマニズムの呪縛から解き放たれ、すべての甘甘な平和主義の思想的・心情的括りから自由を得、侍と百姓が一体となって、思う存分、野武士を斬り殺し、竹ヤリで突き刺し、そして泥まみれで殴り殺すことができるスペクタクルが産み出されたのだろうと思いました。

勘兵衛は言います。
「離れ家は三つ、村の家は二十だ。三軒のために二十軒を危うくすることはできん。また、この村を踏み躙られて、離れ家の生きる道はない。いいか。戦とは、そういうものだ。ひとを守ってこそ自分も守れる。おのれのことばかり考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ。」

勘兵衛が抜き放った刀を手に走るこのシーンの素晴らしさが頭の中にくっきりとした残像として執拗に残っているとき、たまたま昭和29年の公開当時のポスターを見る機会があり、その絵を見て驚きました。

中央には三船敏郎が刀を振り上げている姿、右上が津島惠子、右下に志村喬がいるのですが、なんとその志村勘兵衛は、あの抜刀して走っている姿でした。

このシーンが、十分に意識したうえでの絵作りだったことが、これでよく分かりました。

もうひとつ僕の好きな勘兵衛の場面は、驟雨のなか仁王立ちになって弓を引き絞り、襲い来る馬上の野武士に向かって矢を放つ場面です。

美しいという言葉を躊躇なく使うことのできる素晴らしいシーンです。

この作品の語り出しの巧みさ・素晴らしさは、幾度見ても惚れ惚れしてしまいます。

それは、ただ単に、侍たちひとりひとりを丹念に描き分け、紹介していくというだけにとどまらず、勘兵衛と久蔵の場合なら、僕たちが彼らのかかわる殺戮の現場に不意に立ち会わされてしまうことの衝撃と、そこで見ることとなる事件の一部始終で、彼らの人間的な魅力があますところなく語られる映像的快感を味わうことができるからだと思います。

百姓たちが街に出て、腹をすかせた侍を物色し、しかし結局は探し出せない焦りから利吉と万蔵の内輪揉めが始まる場面のすぐ後に、勘兵衛の登場のシーンが用意されています。

赤子を人質にとって納屋に逃げ込んだ盗人を勘兵衛が巧みに斬る場面ですが、黒澤明はそれを直接的にではなく、虚をつくような勘兵衛が小川で旅僧に髪を剃らせている場面から見せることで、「なんだろう?」という利吉・万蔵の好奇心が、やがて見物人の中にいる菊千代や勝四郎の、勘兵衛の卓越した技量に驚嘆する視点へ自然に移行していって、この赤子救出の顛末の一部始終を目撃することとなります。

小屋からよろけ出てきて倒れるこれだけの盗人役で東野英治郎が出演していることには驚かされましたが、それだけに強烈な印象が残り、インパクトは十分にありました。

斬る直接的な描写がなくても、周囲のぴりぴりした張り詰めた緊張感を見せることで、その極限状態が十分に伝わります。

それだけに勘兵衛の落ち着き振りと、ひとの難儀を見過ごしに出来ない人間的な深みが、やがて百姓たちの懇願を断わり切れない伏線となっているのでしようか。

また、久蔵の果し合いの場面も魅力的なシーンです。

きっと、この場面では、黒澤演出は、久蔵を対戦相手よりも強く見せようとは指導しなかったように推測しました。

ここでは、むしろ相打ちの互角に見える必要さえあります。

だからこそ「真剣ならば、おぬしは倒れておる。」という言葉が生きてくるように思うのです。

そして、真剣の果し合いによって、事実、久蔵の強さが証明されることとなります。

この作品の人物描写の素晴らしさは、例えば、勘兵衛や久蔵のこうした行為のことごとくを、若い勝四郎の熱い憧憬の眼差しの中から描いていることにあると思いました。勘兵衛や久蔵の不思議な輝きは、勝四郎の憧れの眼差しのフィルターを通して、その輝きを一層増したのだと思いました。

いつの間にか僕たちも、勝四郎の同じ憧れの視線で、この素晴らしい侍たちをまぶしく仰ぎ見ている自分に気づかされます。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:08 | 映画 | Comments(1)