世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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前回、「岸辺の旅」の感想を書き進めながら、自分がこの作品に対して、かなり低い評価しか持っていないことが徐々に分かりはじめたとき、そのことが、かえって自分でも、とても意外でした。

この作品を鑑賞する前に、世間では既に定まっていた「高評価」が、自分にはどうにも気に入らず、ただ「そのこと」の反発だけで自分の真意を歪めてしまったのではないかと。

それはいまでも他人から評価を押し付けられたり、決めつけられたりすることをもっとも警戒し嫌悪している自分ですので、そう考えれば、あながち無理のない選択ではなかったのかもしれないのですが、ときには極端な「勇み足」というものも、ないではありません。

なにせ、根が「へそ曲がりの天邪鬼」ときている自分です、そういった心にもないリアクションを思わず採ってしまい、内心「しまった」と反省しながらも、もはや訂正できないまま「誤った立場」を固辞しなければならなくなり、心ならずもその「誤った立場」を正当化するという詭弁を積み上げていって、自分をどんどん窮地に追い込んでいくという苦い経験を幾度も繰り返してきているので(仕事の場でもです)、その辺は十分に注意している積りですが、今回もまた「それ」をやらかしてしまったのではないかと、この一週間にあいだ、年末の事務処理に追われながら、忸怩たる思いで、ずっと考え続けてきました。

つまり「岸辺の旅」の感想が、「高評価」に対する反発からの詭弁の積み上げにすぎなかったのではないか、と。

しかし、いくら考えても、あの作品「岸辺の旅」の妻・薮内瑞希と夫・薮内優介の実像が、自分にはどうしても見えてこなかったのです。

彼らが、かつての生活のなかで積み上げてきたはずの具体的な「愛憎の機微」、生活していくなかで彼らがお互いに対して持ったはずの「ブレ」と違和感みたいなもの、つまり生活史の実態が全然見えてこないのです。

その果てにあったはずの失意や絶望が見えなければ、夫がどういう思いで失踪し、生きている間は決して妻の元には帰ろうとせずに、誰も知らない土地で絶望のなかで野垂れ死んでいったのか、この「不意の失踪」や「かたくなな放浪」や「身元を放棄した絶望のなかでの野垂れ死に」にこそ、夫・薮内優介の意思がこめられているとしたら、それらすべては、妻・瑞希を苦しめるための当てこすりのような「憎しみ」だったのではないかと。

そういう鬱屈を妻に打ち明けたり弁明したりすることもなく、無言のまま失踪したそのこと自体に妻は深く傷つき、彼にとって自分とはいったい何だったのかと苦しみ、その死さえ知らされずに無視されたことに対して憤ったに違いありません。

こういうことすべてが、世俗にまみれて暮らす人間のごく普通の(誰もが経験するはずの)愛憎の感情なら、あの映画で描かれていた夫婦は、なんと生活感のない無機質なただの人形にすぎなかったのか、と。

その意味では、たぶん、あの小文にこめた違和感は、自分の真意を正当に反映したものだったと思います。

そして、自分のなかにあの作品に対する「真の反発」があったとしたら、それは、妻・瑞希が、亡霊となった夫・優介に最初に出会うシーンの、出会いの感動や憎しみや恐怖を欠いた無機質さに対してだったかもしれません。

このことを考え続けてきたこの一週間、自分の気持ちの中には、つねに溝口健二の「雨月物語」の最後の場面、源十郎と妻・宮木の美しい再会の場面が占めていました。

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by sentence2307 | 2016-12-23 10:21 | Comments(0)

書くことの重さ

あれはちょうど「海炭市叙景」が上映された少しあとの頃だったと思いますが、日本映画専門チャンネルで「海炭市叙景」放映に合わせて、作家・佐藤泰志のドキュメンタリーも併映していました。

タイトルは、たしか「書くことの重さ」だったでしょうか。

「海炭市叙景」の描く救いようのない人々の絶望と悲観、殺伐とした内容が、自分にはあまりにも重過ぎて、鑑賞後の不安と、振り切ってしまった動揺の持って行き所がなく、気持ちのおさまりのつかないまま、このドキュメンタリーになんらかの答えがあるのではないかと、すがりつくような思いで、この「書くことの重さ」をも見た気がします。

内容は、この若き作家・佐藤泰志が芥川賞の候補にあげられ、いままさにその受賞の連絡がくるかどうかという緊張の瞬間に立ち会う臨場感溢れるドキュメンタリーでした。

それまで幾度も芥川賞の選に漏れている佐藤泰志は、照れくさそうに苦笑しながら、そして弱々しく「今度もやっぱりダメですよ」と背をかがめて話していた映像が、いまでも強烈に残っています。

たぶん、そのドキュメンタリーの製作者の意図も、そこで「喜びの瞬間」を捉えようなどというつもりはさらさらなく、この不運の作家のさらなる「失意」を露骨に狙っている底意地の悪さがモロに透かし見える、なんだか見え見えの作品で(他人の「歓喜」よりも「失意」や「絶望」の方が、そりゃあ作品として見栄えがするし、玄人受けもいいというのは周知の事実なので、それなりに商売にもなるわけです)、その製作者の意図どおり、自分としても、佐藤泰志がそのように弱々しく卑屈に受け答える様子から、瞬時に、やがて自殺という「自己破産」に至る苦渋の瞬間まで、まっすぐに繋がる安直な失意の図式が連想され、まさに自分もまたこのドキュメンタリーの意図に易々と乗せられて共振するという、彼の「苦渋」を安直に「理解」してしまったことへの苦々しい自己嫌悪だけが残ってしまったような映像体験でした。

あきらかに、このドキュメンタリーは、ひとりの男の「自死」をあらかじめ織り込みながら、芥川賞落選の瞬間をも死の影に覆われたものとして描こうとしています。

やり過ごしてしまえばなんということもない、取るに足りない「落胆」を、より一層痛ましいものに無理やり関連付ける連続性のデコレーションに成功した作品だったかもしれません。

しかし、その自己嫌悪は、自分たちがすでに知っている彼の「自殺」という悲痛な出来事を時間軸を逆転させて作品に反映させ、弱々しい不運な作家をより一層マイナーに見せるという悪意に満ちた効果をいつの間にか自分たちも愉しんでしまっていることへの嫌悪という種類のものだったでしょう。しかし、今回この「そこのみにて光輝く」を見ていて、いつの間にか自分が抱いてきたその先入観(デコレーションへの嫌悪)にちょっと違和感をおぼえたシーンが幾つかありました。

それは、なによりもこの作品の持っている独自の力強さ(ストーリーはとことん絶望的であっても)です。

「海炭市叙景」が帯びていたあの弱々しい悲壮感(早世の作家の不運を利用して反映させた悲壮感)とはまったく違う、そして、佐藤泰志の卑屈で鬱屈した悲観(虚飾としてのデコレーションですが)に引きずられることなく、それらとはまったく異質な創意に満ちた力強さを感じました。

それは、「自殺作家」の悲観や叙情性を作品上で上手に利用したり、マイナーな雰囲気に寄り掛かろうとはしていない独自な自立した表現といえるものだったかもしれません。

オリジナルから距離をとり、自立した「自由」を確保しながら創造するということは、途轍もなくエネルギーを必要とする行為だと思いました。

「ここのみにて光輝く」には、全編を通して兄を気遣う「妹」からの手紙という形でナレーションが語られています。

それは逆に、貧しく苦しい生い立ちを、ともに過ごし育ってきた妹への深い愛情が感じられることでもあったのかもしれません。

下に掲げた佐藤泰志の年譜によれば、佐藤泰志が自殺する前年に、妹さんが急死されたと記されています。

「海炭市叙景」の最初のエピソードでは、谷村美月演じる妹が、絶望する兄がいつか死んでしまうのではないかという不安に駆られ、怯えながら絶えず兄をうかがっている繊細な姿が描かれていました。

(2013)監督・稲塚秀孝、プロデュース・稲塚秀孝、撮影・進藤清史 、作佐部一哉、美術・庄司薫 、嶋村崇、主題曲/主題歌・ロベルト・シューマン、ミキサー・永田恭紀、音響効果・塚田大、照明・男澤克幸 、川島孝夫、編集・油谷岩夫、EED・金井猛 、佐藤幸、音声・内田丈也 、斎藤泉 、武田脩平、助監督・岩田大生 、池田春花 、新見圭太 、中野沙羅、題字/タイトル・西本直代、ナレーション・松崎謙二、語り・仲代達矢
出演・佐藤泰志、村上新悟(佐藤泰志)、加藤登紀子(佐藤幸子)、杉本凌ニ、坪内守、大塩ゴウ、平田康之、鎌倉太郎、鈴木豊、神林茂典、本郷弦、樋口泰子、





佐藤泰志 年譜

昭和24年(1949)
4月26日、函館市高砂町(現 若松町)に佐藤省三・幸子の長男として生まれる。

昭和31年(1956) 7歳
函館市立松風小学校に入学。4年生頃から大人びた言動が目立ち始める。

昭和37年(1962) 13歳
函館市立旭中学校入学。 読書クラブに所属し、3年生の時、部長になる。「『赤蛙』を読んで」が第10回北海道青少年読書感想文コンクールに入選し、受賞式出席のため札幌へ行く。

昭和40年(1965) 16歳
函館西高等学校に入学。文芸部に入る。 学習雑誌の投稿欄に随筆・詩などを投稿する。

昭和41年(1966) 17歳
小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。この頃、文芸読書サークル「青い実の会」結成を学友に呼びかける。

昭和42年(1967) 18歳
函館西高等学校で防衛大学校入学説明会阻止闘争が起こる。この事件を素材にした小説「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。しかし、この作品は、高校生の書いたものとしては内容的に問題があるとされ、北海道新聞への掲載を拒否される。

昭和43年(1968) 19歳
3月、函館西高等学校卒業。函館で浪人生活を始める。 20枚の作品だった「市街戦の中のジャズメン」を30枚に書きなおし、「市街戦のジャズメン」と改題して『北方文芸』に発表。卒業前から北海道大学水産学部、北海道教育大学函館分校の政治的学生グループと接触。そのあたりから数年、大江健三郎・カミュ・ニザンなどを熱中して読む。 小説「市街戦のジャズメン」(『北方文芸』第1巻第3号)詩「ニューレフト」(『函館西高新聞』、3月)

昭和44年(1969) 20歳
浪人生活2年目。井田幸子・磯野新一・藤川巌・平智則ら年下の高校生と出逢う。

昭和45年(1970) 21歳
上京。中野区上高田に住む。 4月、國學院大学文学部哲学科に入学する。 高校時代の学友らと同人誌『黙示』を創刊に参加する。第6号まで詩や随筆数編を発表。

昭和46年(1971) 22歳
4月、大学の同級生漆畑喜美子と中野区上薬師で暮らしはじめる。 7月、『黙示』を脱会し、藤川巌、茜堵志哉、岩崎理らと同人誌『立待』を創刊。小説「贋の父親」(『立待』創刊号、7月) 小説「追悼」(『立待』2号、8月)小説「留学生」(『立待』3号、12月)

昭和47年(1972) 23歳
国分寺市戸倉に転居。喜美子は大学を中退。国分寺のジャズ喫茶に勤める。 小説「防空壕にて」(『立待』4号、7月) 小説「奢りの夏」(『北方文芸』第5巻10号)

昭和48年(1973) 24歳
国分寺市東元町に転居。さらに国分寺市本多に。短期間のうちに市内を転々とする。小説「孔雀」(『立待』5号、1月) 小説「兎」(『立待』7号、7月) 小説「犬」(『立待』9号、8月)小説「遠き避暑地」(『北方文芸』第6巻12号)

昭和49年(1974) 25歳
3月、国学院大学を卒業。卒業論文は「神なきあとの倫理の問題」。4月、喜美子就職。国分寺市戸倉に戻る。市役所を15か所受けるが全部落ちる。大学推薦の予備校事務員の職も自分で蹴る。服装メーカーの製品値札付けのアルバイトを皮切りに、その後職を転々とする。10月、同人誌『贋エスキモー』を藤川巌、酒井俊郎とガリ版刷りで創刊。 小説「颱風」が第39回文学界新人賞候補となる。小説「少年譜」(『立待』9号、4月) 小説「朝の微笑」(『北方文芸』第7巻11号)小説「休暇」(『贋エスキモー』創刊号、10月)

昭和50年(1975) 26歳
あかつき印刷に勤める。

昭和51年(1976) 27歳
10月、八王子市長房の都営団地に転居。喜美子、転職。 小説「深い夜から」(『北方文芸』第9巻8号)が第1回北方文芸賞佳作となる。授賞式のため札幌に行く。

昭和52年(1977) 28歳
精神の不調に悩み、3月、上目黒診療所で自律神経失調症の診断を受け、通院をはじめる。以後、没するまでずっと精神安定剤を服用。療法としてのエアロビクス体操とランニングをはじめる。1日、10キロ以上走る。9月、国立市の一橋大学生協に調理員として勤める。一橋の学生寮に出入りし、三里塚の援農にかかわる。 小説「移動動物園」(『新潮』6月号)が第9回新潮新人賞候補作となる。

昭和53年(1978) 29歳
5月、長女・朝海(あさみ)誕生。 10月、『贋エスキモー』をタイプ印刷であらためて1号から発行。 小説「光の樹」(『贋エスキモー』1号、10月) 小詩集「愛あらば一枚の皮膚」(『贋エスキモー』1号、10月)

昭和54年(1979) 30歳
梱包会社に正式に就職。 12月9日、睡眠薬による自殺未遂で入院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)小説「颱風伝説」(『北方文芸』第12巻6号) 小説「草の響き」(『文藝』七月号)小説「ディトリッヒの夜」(『幽幻』2号、8月) 小説「画家ティハニー」(『贋エスキモー』2号、10月)随筆「私信・今もまだ贋エスキモーである藤川巌に」(『贋エスキモー』2号、10月)

昭和55年(1980) 31歳
1月13日、長男・綱男誕生。1月23日退院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)で第16回作家賞を受賞。2月、その受賞式のために名古屋へ。「もうひとつの朝」は文芸誌『作家』3号に転載された。小説「七月溺愛」(『北方文芸』第13巻3号)

昭和56年(1981) 32歳
3月、郷里の函館市に転居。 職業安定所に通いながら、就職先を探す。 5月、職業訓練校の建築科に入り、大工になるための訓練を受ける。 小説「撃つ夏」(『北方文芸』第14巻第2号) 童話「チエホフの夏」(『贋エスキモー』3号、8月) 小説「きみの鳥はうたえる」(『文藝』9月号)が第86回芥川賞候補作となる。

昭和57年(1982) 33歳
3月、東京に戻る。国分寺市日吉町4丁目に住む。 『きみの鳥はうたえる』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに「草の響き」を所収)随筆「函館の朝市」(朝日新聞社北海道支社発行〈旅のメモ〉4月号) 小説「光る道」(『文藝』10月号)小説「空の青み」(『新潮』10月号)が第88回芥川賞候補作となる。

昭和58年(1983) 34歳
『きみの鳥はうたえる』の表紙を担当した画家・高専寺赫と親しくなる。 このころから文芸誌の新人賞の下読みと新聞の書評の仕事が入るようになる。 小説「鳩」(『性教育研究』2月号) 小説「水晶の腕」(『新潮』6月号)が第89回芥川賞候補作となる。 小説「黄金の服」(『文學界』9月号)が第90回芥川賞候補作となる。

昭和59年(1984) 35歳
5月から『日刊アルバイトニュース』の連載エッセイ「迷いは禁物」がはじまる。週に1本、1985年7月まで全部で56回書く。5月、国分寺市日吉町3丁目に転居し、以後、没するまでここに住む。次女・佳乃子誕生。小説「防空壕のある庭」(『新潮』3月号) 随筆「夢みる力」(『北海道新聞』2月22日付)随筆「八百五十キログラムの詩集」(『オーバー・フェンス』6号、3月) 小説「美しい夏」(『文藝』六月号)小詩集「僕は書きはじめるんだ」(『オーバー・フェンス』7号、9月)

昭和60年(1985) 36歳
小説「鬼ガ島」(『文藝』3月号) 小説「オーバー・フェンス」(『文學界』5月号)が第93回芥川賞候補作となる。随筆「書斎」(『北海道新聞』7月30日付) 小説「野栗鼠」(『文藝』9月号)小説「風が洗う」(『文學界』11月号) 小説「そこのみにて光輝く」(『文藝』11月号)詩「そこのみにて光輝く」(『オーバー・フェンス』9号、11月)

昭和61年(1986) 37歳
「もうひとつの朝」の再発表をめぐって波紋。事実上、文芸ジャーナリズムからほされる。 アルコール中毒ひどくなる。 小説「もうひとつの朝」(『文學界』6月号)

昭和62年(1987) 38歳
随筆「十年目の故郷」(『北海道新聞』1月20日付) 随筆「『北方文芸』と私」(『北海道新聞』4月25日付)小説「大きなハードルと小さなハードル」(『文藝』12月号)

昭和63年(1988) 39歳
4月よりテレビドラマの時評を月1回書く。(共同通信系で全国より地方紙に「放送時評」あるいは「テレビ時評」として、1989年3月まで連載される)。 加藤健次編集の雑誌『防虫ダンス』に連載していた「海炭市叙景」の連作を途中で打切り、文芸誌『昴(すばる)』で、11月号より新たに最初から断続的に掲載を始める(1990年の4月号まで6回にわたり発表する。なお、この連作は当初の構想では、全体を4章(36編)とし、第1章「物語のはじまった崖」と第2章「物語は何も語らず」の18編が『昴』誌上に発表された。しかし、1990年の自裁により第3章以降は中断となる)。 小説「海炭市叙景/1まだ若い廃墟 2青い空の下」(『防虫ダンス』4号、1月) 随筆「青函連絡船のこと」(『中國新聞』ほか、3月10日付) 小説「海炭市叙景/3冬を裸足で」(『防虫ダンス』5号、5月) 随筆「もうひとつの屋上」(『昴』7月号) 小説「海炭市叙景」(『昴』11月号) 小説「納屋のように広い心」(『文藝』季刊冬季号)

平成元年(1989) 40歳
1月19日、北海道浦河町に住む妹・由美が急死する。小説「闇と渇き(海炭市叙景2)」(『昴』3月号)『そこのみにて光輝く』(3月、河出書房新社刊、既発表の「そこのみにて光輝く」を第1部として、書き下ろしの第2部「滴る陽のしずくにも」を合わせたもの)が第2回三島由起夫賞候補作となる。小説「裸者の夏」(『群像』5月号)小説「新しい試練(海炭市叙景3)」(『昴』5月号)随筆「浦河の映画館」(『北海道新聞』6月2日付)小説「春(海炭市叙景4)」(『昴』9月号)『黄金の服』(9月、河出書房新社刊、表題作の他に既発表の「撃つ夏」「オーバー・フェンス」を所収)随筆「背中ばかりなのです」(『新刊ニュース』11月号)小説「夜、鳥たちが啼く」(『文藝』季刊冬季号)

平成2年(1990) 41歳
10月9日夜、ロープをもって家を出る。10日朝、自宅近くの植木畑で死体となって発見された。11日、通夜。12日、告別式。小説「青い田舎(海炭市叙景5)」(『昴』1月号) 随筆「武蔵野雑感」(『北海道新聞』1月23日付)随筆「アメリカの叫び」(映画『ブルックリン最終出口』パンフ、3月) 小説「楽園(海炭市叙景6)」(『昴』4月号)随筆「川の力」(『毎日新聞』5月29日付) 随筆「失われた水を求めて」(『東京人』7月号)随筆「卒業式の思い出」(国学院大学広報誌『滴』、10月) 小説「星と蜜」(『文藝』文藝賞特別号)小説「虹」(『文學界』12月号)

平成3年(1991)
『移動動物園』(2月、新潮社刊、表題作のほかに既発表の「空の青み」「水晶の腕」を所収) 『大きなハードルと小さなハードル』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに既発表の「美しい夏」「野栗鼠」「納屋のように広い心」「裸者の夏」「鬼ガ島」「夜、鳥たちが啼く」を所収) 『海炭市叙景』(12月、集英社刊) 3月、福間健二発行による文芸同人誌『ジライヤ』第6号が佐藤泰志追悼特集を組む。

平成4年(1992)
4月、佐藤喜美子より函館市文学館へ遺品が寄贈される。7月、辻仁成・荒木元発行の文芸同人誌「ガギュー」(創刊号)が佐藤泰志特集を組む。10月、「佐藤泰志をしのぶ会」(三回忌)が国分寺市内で営まれる。発起人は木村和史・佐藤喜美子・福間健二・藤川巌。

平成5年(1993)
3月、函館市文学館が開館し、佐藤泰志の展示コーナーが設置される。中高時代の学友などによる「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」から、高専寺赫作品「叙景」(『海炭市叙景』の表紙絵)が函館市文学館へ寄贈される。4月、「絵を飾る会の夕べ」が開催される。6月、文芸同人誌『ガギュー』第2号が再度、佐藤泰志を特集する。

平成8年(1996)
8月、藤田節子(元函館文学学校事務局長)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。

平成9年(1997)
5月、坂本幸四郎(文筆家)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。
平成11年(1999)
9月、函館市文学館で「佐藤泰志 途絶した青春」展が開催される(9/17~10/20)。同文学館主催により、日本近代文学会会員北村巌による講演会「佐藤泰志、その眼底に焼き付けしもの」が開催される。中高時代の学友らの手により、佐藤泰志追想集「きみの鳥はうたえる」(佐藤泰志追想集を発行する会発行)が刊行される。
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by sentence2307 | 2015-05-04 20:49 | Comments(0)
古紙回収日が近づいてくると、古い新聞や雑誌を整理・結束して、すぐに廃棄できるようにスタンバイしておくのが、一応僕の日常の仕事みたいなものになっています。

しかし、いつもながら、このシンプルな仕事には、常にある程度の困難も付きまとっています。

というのは、新聞紙の束をビニールひもでひと括りするくらい、さっさと済ましてしまえばいいのでしょうが、いざ興味をひかれる記事などに出くわしたりすると(まあ、その出くわす記事が、だいたいのところ「読んでいない記事」であることが多いのですが)、ついついその記事に読み耽ってしまい、結局、月に一度しか来ない回収日をむざむざと逃し、またひと月、不必要な新聞の山に囲まれて暮らすという、なんとも情けない鬱陶しい生活を余儀なくされるという失敗を繰り返しています。

先日も、その同じ轍は踏まないようにと、その辺は十分に注意して、部屋の隅に積み上げてある古新聞を、きわめて機械的に結束するという作業に専念していたのですが、突然ある衝撃的なポスターの写真が目に飛び込んできたのでした。

そのポスターは、中央に楕円形に抉られた片方の大きな目が掲げられ、あまつさえ、こちらをじっと睨み付けており(チカラあるその強烈な眼差しは、ポスターを見る者たちをガッツリと捕らえ、容易に目をはずすことを許さない魔力にみちた強烈な眼差しは、只ならぬパワーを有していました)、そして、そのすぐ下には、少年が驚愕の表情をあらわにして左右に配されており(ふたりです)、上空に浮かぶ巨大な目の怪物を鬼気迫る畏怖の表情でじっと見上げている図が描かれていました。

この少年像は、同じ写真を逆に焼いて(古いです)左・右に配しただけのことと想像できるのですが、シンクロするその瓜二つの相似感が、視覚的になんともいえぬ不思議な効果を与えているのが印象的でした。

ポスターを見る者は嫌でも、その少年の驚愕の視線をたどり、そのふたつの視線が結ぶ先に位置しているカッと見開かれたチカラある異様な視線に出会ってしまうという巧妙な配置になっていることに驚かされるにちがいありません。

というわけで、まあ、結局のところ、最も恐れていた例の寄り道、「掟破り」の「記事の読みふけり」にあっけなく囚われてしまったというわけなのでした。

記事のタイトルは、「ロシア構成主義のまなざし」、そして「ロトチェンコ+ステパーノワ」という活字とともに、メインタイトルは、「小説家・平野啓一郎が見た美術館」となっていました。

東京都庭園美術館で、つい先日まで開かれていた展覧会の観想を記した記事というわけです。

そして、そのポスターのキャプションには、「キノグラース(映画眼)・シガ・ヴェルトフ映画広告ポスター(1924)」と記されていました。

「な、な、なんだって」という言葉が思わず声になって出てしまいました。これって、あのシガ・ヴェルトフの映画の広告ポスターなのか!?

ロシア・アバンギャルドのデザイナーとしてのロトチェンコの名前は、単に知識としてなら、知っていましたし、また、展覧会を告知する小さな記事も、きっとどこかで読んでいたに違いありませんが、当然読み過ごしていたのだと思います。

その手のポスターが展示されていると知っていたら是非とも行ってみたかったという思いでポスターの写真を眺めながら、実に「なんだかなあ」という気持ちでいっぱいでした。

平野啓一郎の記事には、カンディンスキーの作品観と比較したあとで、ロトチェンコの作風をこんなふうに紹介していました。

「ところが、ロトチェンコの絵は、具象的であってもむしろデザインの感覚である。
カンヴァスが四辺の囲いを超えて広がろうとする宇宙だとすれば、ポスターは飽くまで閉ざされた宇宙である。
カンディンスキーのモティーフが、カンヴァスの中心としての寄る辺なさを常に感じさせるのに対して、ロトチェンコの抽象画には、枠組みから構成された揺るぎなさがあり、その分広がりに欠ける。絵画からファッション、写真と、ロトチェンコの仕事は多岐に亘るが、最良の作品には、いずれもそうした構成の発想が見られ、中でもポスターに見応えがあるのは、更にそれが描かれたモノと言葉(文字)とを通じて、『意味』を与えられるからである。」
として、いよいよ当のポスターについての言及にかかります。
「《キノグラース(映画眼)》は、映画のポスターで、最上部には細い帯状の白、上半分には、楕円、中央に帯状の太い白、下の左右に二つの四角が描かれている。
そう説明されても、我々はなぜ、楕円がそんなに大きく描かれ、中央に白い帯があるのか納得できないが、楕円の中に映画の主題である『目』が描かれていて、中央の帯は、実はタイトルでと言われれば、なるほどと、その形や面積の比率をあっさり受け容れてしまう。
当たり前の話のようだが、カンディンスキーのような画家が最も苦労したのは、単に感覚的に美しいだけの形態や色彩の根拠を示すことだった。」(日本経済新聞2010.6.9)

映画のポスターなのですから、それはそうだろうと思います。・・・う~ん、僕の読みたかった内容とはダイブ懸け離れた、随分と「当たり前」の結論で、実をいうと、ちょっとガッカリの内容でした。

ジガ・ヴェルトフの「映画眼」は、徹底した実写記録精神で虚構を廃し、不意打ちのアプローチによって人生の真実の断面をカメラで捉えることに情熱をそそいで、そして、技法的にも、高速度や遅速度、微速度の撮影、逆回転や多重露出、画面の分割から動画技法の導入など、映画的手段の持つあらゆる可能性を徹底的に開拓したその究極的に展開したものが、22年から25年にかけて23本製作された記録映画「キノ・プラウダ」シリーズだったといわれています。

党派と政治的な内容の自覚と映画的手段による真実(プラウダ)の追求という、映画方法の独自性の追求が幸福にも一致した運動だったと映画史的にも位置づけられているとなにかの本で読んだ記憶がありました。

「レーニンのキノ・プラウダ」(キノ・プラウダ21号)は、シガ・ヴェルトフの映画的手段開拓の実験集であり、同時にその最高の結実だったともいわれています。

しかし、後年は、皮肉にもその徹底性が、やがてスターリンから疎まれる原因となり、不遇のうちに生涯を送ったと評伝には書かれていました、しかし、シガ・ヴェルトフは、まさに映画史にとっての革命児だったに違いありません。
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by sentence2307 | 2010-07-03 14:08 | Comments(73)

容疑者Xの献身

学生時代には、誰よりも突出して成績が良かったようなヤツが、社会に出てから思わぬ不遇をかこっている噂などを聞かされると、社会で生きることの厳しさを、つくづく思い知らされることがあります。

人それぞれに持って生まれた性格や、他人との付き合いのうえでの天性の気配りのセンスとか、世渡りの上手下手など、学生時代にブイブイいわせた「点取り技術」だけではどうにもならない部分での世間の評価は厳しく、学生当時、クラス一番の秀才だったヤツが、いまではウダツの上がらない万年外回りの営業マンなどにこき使われてうんざりした汗をかいているなんていう話は、自分も含めて結構ザラに聞く話だと思います。

「容疑者Xの献身」における湯川と石神の関係を眺めながら、なんだかそんなセチガライことを考えてしまいました。

見るからに御清潔感溢れる好青年・誰からも等しく好意をもたれる恵まれた天才・湯川と、見かけも貧相で、うまい世渡りもできず、世に入れられず失意を抱えながら社会に押し潰されるように息をひそめて俯いて生きる数学の高校教師・不遇な天才・石神との対比が、やはりこの映画を見るうえでのダイナミズムといえるかもしれません。

しかしこの二人、それにしても、どうしてこうも生きる方向性が違ってしまったのでしょうか。

大学時代、偶然に出会った彼らは、ともに学問を孤独に愛する共通の明晰さを理解しあい、そして深い絆で結ばれながらも、湯川は大学教授という社会的な地位を得たのに、石神は不遇のなかで絶望しながら生きるという不運にみまわれています。

この理不尽なギャップについて、僕たちが、極力妬みや反撥心などの雑念を抑えながら、もし、客観的に、「あいつと俺とは、いったい何が違うんだ」という純粋な疑問をつきつめていっても、きっと明確な答えを見つけ出せないまま、結局は、この映画で描かれているような破滅的な成り行きを辿らざるを得ないのだとしたら、それも随分疲れる運命論で決め付けられてしまうのだなあとイササカうんざりしてしまいました。

天才数学者でありながらウダツのあがらない高校教師にあまんじている石神哲哉のように、結局社会に対する怒り(この場合は、犯罪の加担というカタチになりますが)にしかつながらないとしたら、なんという絶望的なシチュエーションかと、胸がツカエ、息詰まるような遣り切れない気持ちだけが残ってしまいました。

多くの推理ものの映画から得られる独特のスカッとしたものが得られなかったのは、こうした重々しいテーマが挟み込まれていたからかもしれませんが、しかし、どうもそれだけでもなかったような気もします。

映画を見たあとで、いつも自分がよくやるのですが、感想をひねり出そうとして訳が分からなくなったときは、一歩さがってこんなふうにラディカルな問いを自分に課してみます、「この映画に本当に感動したか?」と。

自分が、果たして「容疑者Xの献身」という映画に本当に感動しただろうかと問われてみれば、改めて、それは多分「しなかった」と答えると思います。

権力に寄り添う「良き天才」が、「悪しき天才」の完全犯罪を頭脳によって突き崩すという頭脳ゲームをスポーツのように楽しむのなら、湯川の中途半端さを際立たせないような、どこまでも能天気なスポーツ感覚の向日性の描き方が必要だったのではないか、という気がします。

天才の作った難問を、もう一人の天才が解明すること(たぶんこれだけなら、「遊び感覚」の範疇で語られるべきものです)が、同時に相手を窮地に追い込むことを認識しながら「そう」せずにはいられないことに関して、当の湯川教授はどう考えているのか、あらゆる不正は解明されなければならないし、裁かれ、そして断罪されなければならないのだという正義感と倫理観に凝り固まった偏執に囚われているわけでもなさそうな湯川教授が、なぜ、偽りの罪に服そうとしている石神哲哉の「嘘」を更に暴き、もうひとつの殺人まで暴く必要が果たしてあったのかが理解できませんでした。

湯川のその「冷徹さ」は、石神哲哉が隣家の主婦・花岡靖子のアリバイ工作のために、名もなきホームレスを冷静に殺してしまう「冷酷さ」と同質のもののような気がします。

それでもシャーロック・ホームズみたいに、見過ごしても全然気にならないようなゲーム感覚で物語が語られるのならともかく、生々しい生活臭(虐げられた者の怨念みたいなものだと思います)が、この映画では、あまりにも前面に現れすぎてしまっていて、スポーツ感覚では済まされない遣り切れない思いにさせられるのが、ひとつの理由だったかもしれませんし、さらにもうひとつ、この映画でどうしてもひっかかるものがありました。

石神哲哉が命に掛けて守ろうとした隣家の主婦・花岡靖子です。

別れたDV亭主に付きまとわれ、相変わらずの暴力に苦しめられたすえに、思い余って主婦・花岡靖子は、暴力亭主の首をコタツのコードで絞め殺してしまいます。

この成り行きを偶然に知った石神哲哉は、以前から花岡靖子に思いを寄せていたこともあって、彼女の苦境を完璧なアリバイを創作することで救おうとしますが、最初のうちの花岡靖子は、石神哲哉のアドバイスのとおりに動くものの、次第に指図されることに苛立ちを募らせたすえに、こんなふうにキレてしまいます。

「これじゃあ、以前とちっとも変わってない、亭主が石神哲哉に代わっただけじゃないの」と。

しかし、このセリフは明らかに変です。

DV亭主が、彼女を理不尽な暴力によって苦しめ続けたのに対して、石神哲哉はただ彼女を助けようとしているだけなのです、石神の恋情を知ったために、それが彼女には同じように「重たいだけの拘束」としか感じられなかったとしたら、身に降りかかった状況というものを一切考慮しよしとしない身勝手な女の感情的な言葉にすぎず、ストーリーはこの一言によって完全にぶち壊されるという、これは随分絶望的な状況なのではないかという気がしました。

もしかしたら、彼女は最初から石神の救助など必要としなかったのかもしれない、この凶行から、娘の関与を外すことさえできれば(父親の腕には、抵抗を封じた娘の指の痕跡が痣としてくっきりと残っていました)、彼女だけなら最初から自首する積りだったのだろうか。彼女は、どこまで石神哲哉の思いを受け入れようとしたのか、結局なにひとつ分かりませんでした。

これは、石神哲哉の思いに対する花岡靖子の拒絶の物語なのかという袋小路にまで行き着いて、ついに「感想」は迷宮に迷い込んでしまいました。

(2008東宝)監督:西谷弘、製作:亀山千広、企画・大多亮、エグゼクティブプロデューサー・ 清水賢治、畠中達郎、細野義朗、プロデュース・鈴木吉弘、臼井裕詞、プロデューサー・牧野正、和田倉和利、プロデューサー補・大西洋志、菊地裕幸、脚本:福田靖、撮影:山本英夫、音楽:福山雅治、菅野祐悟、照明・小野晃、美術・部谷京子、整音・瀬川徹夫、録音・藤丸和徳、編集・山本正明
出演:福山雅治、柴咲コウ、北村一輝、松雪泰子、堤真一、ダンカン、長塚圭史、金澤美穂、益岡徹、林泰文、渡辺いっけい、品川祐、真矢みき、
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by sentence2307 | 2009-08-30 10:00 | Comments(0)
バンクーバー映画批評家協会賞が発表されました。

作品賞:『サイドウェイ』
監督賞:クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』
主演男優賞:ジェイミー・フォックス『レイ』
主演女優賞:イメルダ・スタウントン『ヴェラ・ドレイク』
助演男優賞:モーガン・フリーマン『ミリオンダラー・ベイビー』
助演女優賞:ヴァージニア・マドセン『サイドウェイ』
外国語映画賞:『ロング・エンゲージメント』(フランス)
ドキュメンタリー映画賞:『華氏911』
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by sentence2307 | 2005-01-21 23:06 | Comments(0)
全米監督協会(Directors Guild of America)に所属している会員が最優秀監督を選ぶ、全米監督協会賞のノミネートが発表されました。

選出されたのは、やはりマーティン・スコセッシ監督(アビエイター)をはじめ、クリント・イーストウッド監督(ミリオン・ダラー・ベイビー)、マーク・フォスター監督(ネバーランド)、テイラー・ハックフォード監督(レイ)、アレクサンダー・ペイン監督(サイドウェイズ)の5名でした。

この中から最優秀監督賞が1月29日に行われる授賞式で発表されます。

 過去56年の歴史のなかで、全米監督協会賞受賞者がアカデミー賞監督賞に輝いたケースは50回。

今回のノミネートの中では、イーストウッド監督が93年に「許されざる者」で受賞、ハックフォード監督は82年の「愛と青春の旅だち」でノミネートされています。

そして、これまで「タクシー・ドライバー」、「レイジング・ブル」、「ギャング・オブ・ニューヨーク」などで過去に5回全米監督協会賞にノミネートされ、そしてアカデミー賞に4回ノミネートされている巨匠スコセッシ監督に、いまだ受賞経験はありません。

ちなみに、この時期に、幸先のよいこんなニュースが入ってきました。

マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオとともに、フランス最高の文化勲章を授与されたというニュースです。

スコセッシ監督は、40年の映画キャリアを称えられ、1802年にナポレオン皇帝が創設したレジヨン・ドヌールを受賞し、ディカプリオも文化勲章を受けたそうです。

スコセッシ監督は、「このような名誉を受け、とても光栄で言葉が見つからない」と感激し、「50年代後半から60年代、70年代にかけてのフランス映画は、私にとって大いに刺激となった」とコメントしています。
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by sentence2307 | 2005-01-13 00:18 | Comments(1)
AFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)が選ぶ年間トップ10作品が発表されました。


『アビエイター』(マーティン・スコセッシ監督)

『コラテラル』(マイケル・マン監督)

『エターナル・サンシャイン』(ミシェル・ゴンドリー監督)

『Friday Night Lights』(ピーター・バーグ監督)

『Mr.インクレディブル』(ブラッド・バード監督)

『Kinsey』(ビル・コンドン監督)

『Maria Full of Grace』(ジョシュア・マーストン監督)

『Million Dollar Baby』(クリント・イーストウッド監督)

『Sideways』(アレクサンダー・ペイン監督)

『スパイダーマン2』(サム・ライミ監督)
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by sentence2307 | 2004-12-13 23:47 | Comments(23)
戦前から戦後にかけて喜劇王の名をほしいままにした斎藤寅次郎作品、そして美空ひばりの出世作ということで長い間見るのを楽しみにしていた映画です。

やっと見ることかができました。

というのも、山田洋次監督が「男はつらいよ」の主役・車寅次郎を命名するにあたって斎藤監督を強く意識したに違いないと思い込んでいたことや、そのほか折にふれ、その自由奔放な卓越したギャグの数々をまるで伝説のように伝え聞いていたからでした。

しかし、実際の作品を見て、本質的な部分で山田作品への影響はないと感じました。

山田洋次のもつ湿度のあるヒューマニズムでは、このハチャメチャでアナーキーなブラックユーモアをカバーするには、どうしても限界があると思います。

むしろ、人間をもっと辛辣に見据えた川島雄三や北野武に繋がるのではないかなと思いました。

この作品の中には、貧しいアパートの子供たちや浮浪児など実に数多くの子供が描かれており、そのなかの1人として母を病気で亡くした身寄りのない少女・美空ひばりが描かれています。

映画の前半は、流しの川田晴久が押し付けられた子供をどうやって体よく棄てるかを算段する描写に費やされ、そこには、自分の生活にさえも窮しているのに、なおも背負い込まなければならない子供をあからさまに厄介者と忌避する時代的な感覚が存在します。

チャップリンの「キッド」とは本質的に異なるものがあります。

「人間愛」という立場があるとするなら、しかし、その人間認識、社会認識をあまりにも甘すぎると冷笑し、あえて、シビアなブラックユーモアをことさらに描きつくそうとする失意や絶望から苛立ちや憤りに至る感情の在り方というものもまたあり得るのだなと、何となく分かってあげたくなる気がします。

賞金欲しさにひばりを誘拐する榎本健一演ずるにせ易者も、冷静に考えれば不気味な存在ですよね。

斎藤寅次郎監督は、「男はつらいよ」シリーズが日本映画史上空前の大ヒットを始めた頃、長年称してきた「寅次郎」をやめ、本名の「寅二郎」を使うようになったということです。
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by sentence2307 | 2004-11-06 11:54 | Comments(4)