世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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カテゴリ:徒然草( 40 )

バナナの数え方

新聞を読んでいて、その時の自分の気持ちにピタリとくる一文に出会ったりすると、破棄できず、そのまま捨てずに保存してしまうのですが(だからといって特別にどうするということもしていません)、結果的に新聞がまたたく間に溜まり続けてしまいます。

そこで、その処理方法(断捨離です)について考えてみました。

つまり、捨てられないというのは、その記事だけのことではなくて、それを読んだ時に感応した自分の気持ちもあって、そのまま「捨てる」ということができないわけですから、就寝前のほんの数分間を利用して、チェックした部分を片っ端からパソコンに打ち込んでみたらどうか・そして、それを読んだときに感じた自分の気持ちというのもそこに付け足すようにすれば自分の気が済むのではないかと考えてみました。

そこでアットランダムに選んだ最初の一枚、これは日経新聞の読書欄(2017.9.23朝刊)に掲載されていた、政治学者・宇野重規の書いた定期記事「半歩遅れの読書術」のなかの「『ふたつの世界』生きた人・失われたものの懐かしさ」と題された記事です、故須賀敦子を回顧したエッセイの冒頭部分ですが、ちょっと転記してみますね。

《本を読む人の話を聞くのが好きだ。もちろん、本は自分で読むものだが、本について語る人の話に耳を傾けるのは、また、別の喜びがある。あの本をこんな風に読むのか、そんな素敵な本があるのか。本はそれ自体に滋味があるだけでなく、本を読むことがまた別の世界を形作る。》

実にいい文章だと思いました、自分など、「読んだ本について語るのが好きだ」という自分の立場ばかりに固執し、いつの間にか人の話に耳を傾ける喜びも謙虚さも失っていたのかと思うと、なんだか耳が痛く、気恥ずかしさで顔が赤らみ、いままで書き散らしてきた雑文を改めて読み返すのも怖くなってきたくらいです。

しかし、考えてみると、身勝手で独善的くらいでないと、何かを書いて人目にさらすなどという大それたことなど、ただ恐ろしく、とてもできるものではないとも思うのですが、この一文は、そこに、「人の話を聞くという喜び」を付け加えていることで、「身勝手で独善的」という部分を和らげることができるだろうし、また、そういう部分を失ってしまったら、たかが「書く」などという行為に、なにほどの意味があるのか、しかも、そんなふうに孤立した「持続」など、ただの空しい「暴走」でしかないし、それで自分の感動を誰かに伝えようなど、チャンチャラおかしな話で、はなから望むべくもないことなのだと思い知らされました。

たぶん、これって、なにについても言えるわけで、それが音楽でもいいだろうし、もちろん映画を見たり芝居を見たりして、その感動を誰かに伝えるということに通ずるのかもしれませんよね。

つづく一枚は、同じく日経新聞の夕刊(2017.9.21)の定期コラム「プロムナード」に掲載されていた森山真生の「素直な感性」という記事です。

筆者は、時折、頼まれて小学生低学年に数学の授業をしているのだそうですが、この年齢の子供たちの素直な感性にいつも驚かされると書き出して、あるエピソードを紹介しています。

引用してみますね。

《小学校から帰ってきた子供が母に、「ねえお母さん、今日学校で足し算を教わったよ! リンゴ2つとリンゴ3つを足すとリンゴ5つ。ミカン1つとミカン3つはミカン4つ」。得意気にそう言う彼に、母は「偉いわねえ。じゃあバナナ2つとバナナ3つを足すといくつ?」と聞いた。すると、子供は困った顔で「バナナはまだ教わってない」と答えたというのだ。
1万年以上前の古代メソポタミアでは、羊を数えるために羊のための、油の量を数えるためには油専用の「トークン」という道具が使われていたという。リンゴも、ミカンも、羊もバナナも、みな同じ記号で数えられるという認識に至るまでには、何千年にもわたる試行錯誤の歴史があった。「バナナはまだ教わってない」とうつむく子供は案外、知識に染まる前の人間の素直な感性を代弁しているのかもしれない。》

まだまだ読まなければならない新聞の山を前に呆然としながらも、なんだかとても不思議な気持ちに捉われました



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by sentence2307 | 2017-10-22 08:32 | 徒然草 | Comments(0)

人工知能とのつきあい方

梅雨入りしたというのに、一向にまとまった雨も降らず今日もカンカン照り、テレビでも、貯水池の水がどんどん心細くなってきたという不安なニュースを連日見せられています。

気分にそぐわない快晴の空を見上げながら、なんだかこのところ仕事の方も思わしくなくて、どうにも気分も晴れず、滅入る一方です。ため息さえ出なくなりました。

会社の手前、もろ業績不振を口にすることは憚られるのですが、ランチの席などで同僚と「大丈夫なのかな、今年の夏は」などと抽象的な言い方で、「ぼんやりとした不安」を駄弁ったりした帰りのことでした、会社の廊下で、ある講演会の告知と、そのポスターを見かけました。

テーマは、「人工知能とのつきあい方」と書いてあります。

これまで全然関心のなかった分野なので、普段なら無視して通り過ぎてしまうところですが、こう気分が落ち込むと、なにか起死回生の切っ掛けでもあれば、なんでもいいから縋りつきたい気分ですので、ここは関心があるの・ないのと言っている場合じゃありません。

仕事も私生活も、なんだか下降線をたどっているようなブルーのときには、なにかパッとした気分転換が必要で、ここはひとつ「人工知能」というものと、ひとつ付き合ってみるか、という気持ちになりました。

会社が呼びかけている講演会ですので、いざ行くとなれば、会社から半日の特別休暇が貰えるうえに交通費と入場料が支給され、おまけに「日当」まで付くというタイヘン「おいしい話」です。

まあ、これで行かない手はないだろう、ということになります。

それに、俄然行く気になった理由がもうひとつありました。

ポスターの左下隅に掲載されていた女性講演者(某新聞社の科学部長と書かれています)の顔写真を見て、その若さと美しさに、正直びっくりしてしまいました、女子大生といわれても十分に通用する若さです。

自分が知っている大手新聞社の「部長」といえば、不摂生と睡眠不足と酒の飲みすぎで血圧の上が優に200を超していそうな、病的にでっぷりと青太った、いまにも棺桶の覗き窓からコンニチハをしてしまいそうな、ほぼ死にかけているストイックなゾンビ爺さんというのが、いままでの定番イメージだったのですから、そのポスターに掲載されている科学部長嬢の「若さと美しさ」といったら、それはもう想像を絶する、ユリの花さえ彼女の美しさに負けて恥ずかしくてうつむいてしまうくらいの美貌です。

自分の陳腐な既成概念など根底から引っくり返してしまう、それはもう本当のびっくりでした。

まあ、今回の「講演」参加も、ズバリ言ってしまえば、「美人を見に行く」ということにつきますが、自分も歳をとるに従って、この「見に行く」という行為の奥深さを、最近だんだんと自覚するようになりました。

若いときなら、たとえ超美人でも、他人の眼を意識して見栄や体裁を取り繕り、せいぜい「ちら見」程度だったものが、こう歳がいってくると、そんなことでは到底満足できません。

まるでカラヴァッジョの絵をムサボリ見るように、図々しくごく至近距離まで接近し、眼を擦り付けんばかりの無遠慮さでなめ回すようにジロジロ「見つくす」というのが、本当の「見る」ということなんだよなと、最近つくづく思い至り、また、そうすべきと決心もし、「美人」を見るときには、いつもこの姿勢を貫いています。

女性の方にしたって、結構こういうのって嬉しいんじゃないんですか、なんてこんなふうにぬけぬけ言えるのも、それがまさに自分が正真正銘、ヘンタイ的に「オヤジ化」した証拠なのかもしれません、まさかストリップを見に行くわけじゃあるまいしね。

何もそこまでという感じがしないでもありませんが。

一方で、このままこの「見方」を過激に深化させていけば、なんだかゆくゆくは立派な痴漢になってしまいそうで、なんだかとても怖くて不安で、不吉な予感がします。

しかし、とにかく、動機なんてどうだって構わないのです、ここは躊躇なく速攻で参加を申し込み、入場券を入手しました。

その会場というのは会社からほんの二駅、常日頃ウォーキングに精を出している自分ですから、歩いたってどうということもない眼と鼻の先の距離です。

もし講演がつまらなければ、早々に途中退場して、時間つぶしなら幾らでもある隣接している大歓楽街に繰り出す所存です。心配ありません。

さて当日です、会社の連中と連れ立って30分前には会場入りしました。

すでに場内は、立錐の余地のないほどの超満員です。

まあ、半日とはいえ特別休暇がもらえて、入場料はロハ、さらに足代と日当まで出るとなれば、ご一同連れ立ってのレジャー感覚で即満員になるのというのも、なんだか頷けます。

さて開演、登壇した科学部長嬢は、予想にたがわぬスタイル抜群の超美人でした。

講演がはじまり、そのまた声の美しいことといったらありません、いままで聞いたこともない鈴をころがすような美声です、これが同じ「人間」の声とは、到底信じられません。

自分好みの小柄な美貌に見とれ、スタイルに見とれ、美声に聞きほれているのは、なにも自分だけではありませんでした。

満員のスケベな中年男たちはみな、心に期したはずのジロジロ「なめるように見る」などという邪心もどこへやら、いつの間にかウチ忘れて、しばし呆然と眺めていたというか、正確には、話に引き込まれて放心状態だったというのが相応しいかもしれません。

話は、今年の3月におこなわれた世界トップの韓国人棋士と人工知能の囲碁ソフトが対戦した話題から始まりました。
                                       ああ、その話ならよく覚えています、たしか人工知能の方が勝ったという、あれですよね。

4勝1敗で人工知能が勝ったという話しの衝撃的なところを十分に理解していなかった自分にとって、どれも初めて聞く新鮮な話ばかりで、いつしか「美人科学部長」の話しに引き込まれていったのだと思います。

ずっと以前に、人工知能がチェスのチャンピオンを倒したという話は聞いたことがあります。

そして、つい最近では、人工知能が将棋の名人を負かしたという話もありました。

しかし、当時だって、そしてつい最近まで、人工知能とはいえ、まさか囲碁のチャンピオンには、当分のあいだ勝てないだろうというのが囲碁の世界と、そして世界の常識でした。

というのも、囲碁は、その局面の複雑さにおいて、まさにゲームの「聖域」と考えられていたからです。

囲碁の盤面は広く、1回の対極で考えられる局面の数も「10の360乗」にのぼります。

チェスの「10の120乗」や、将棋の「10の220乗」と比べても、その数は格段に多いゲームです。

いくらコンピューターの計算能力が向上したからといっても、力ずくの計算でも、勝率が高い手を選ぶには、あまりにも局面が多すぎます。

また、チェスや将棋はそれぞれの駒に役割があって、動く範囲が決まっているのに対して、碁石にはそのような制約はありません。

碁石の位置関係によって形勢を判断する人間の「直感」には、コンピーターは、まだまだ人間に劣るとみられていました。

ところが、米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインド社が開発したソフト「アルファ碁」は昨秋、欧州チャンピオンに勝利しました。

しかし、その棋譜を見たプロたちは、世界トップにはまだまだ遠いと考えていました。

だが、実際は、たったの半年のあいだに「アルファ碁」は人間を圧倒する力を獲得してしまいました。

その急成長の秘密は「深層学習(ディープ・ラーニング)」と呼ばれる技術にあります。

たとえば、人間は、猫を何度か見た経験があれば、すぐに、それを猫だと認識することができます。

しかし、従来のコンピューターは、「ひげがある」「眼が大きくて吊り上っている」「しっぽがある」などというような特徴(条件)をひとつひとつ教え込まなければ、猫を識別することはできません。

深層学習(ディープ・ラーニング)は、人間の脳の働きを真似て、自ら特徴を見つけていく方法です。

「アルファ碁」は、プロ棋士の棋譜から約3000万の局面を記憶した上で、同じソフト同士での対局を繰り返し、どのような形が有利で、かつ最終的に勝つ確率が高いかを膨大な対局を通して自ら学習したのです。

それは、碁のルールを教えられなくても、小さな子どもが大人の対局を見ているうちに、打ち方を自然に覚えていくのと、どこか似ているかもしれませんが、しかし、その学習スピードたるや圧倒的に速く、そして、かつ膨大だったのです。

3月の世界トップの韓国人棋士との対局では、序盤で悪手と見られていた手が、結局勝利につながるという場面がありました。

これなど、碁というゲームの奥深さと魅力を人工知能が再発見した好例といえるかもしれません。

講演は、さらに続いていきましたが、もうこれだけで、カルチャーショックというのでしょうか、知的衝撃とでもいうのでしょうか(同じだ!)、十分に感動し、圧倒もされ、もはや彼女の「胸から腰にかけてジロジロ見る」などという失礼な、女性蔑視も甚だしい不純な気持ちも、どこかに吹っ飛び、いまではすっかり真人間になることができました。

さすがに科学部長です、人間がデカイ、おまけに胸も・・・おっと、これは失礼(舌の根が乾かないうちから、もうこれです、やれやれ)。

しかし、周りを見ると、みんな一心になって科学部長の話に耳を傾けています。

講演途中で、ふっと「我」に帰ってしまったのは、どうも自分だけのようでした。

なぜ自分が「素」に帰ってしまったのかというと、科学部長の話から派生的にある妄想に取り憑かれてしまったからでした。

人工知能に「名作映画の条件」をひとつひとつ入力していけば、はたして「名作映画」ができるだろうか、という妄想です。

かの科学部長も講演の最後の方で話していましたが、国内のSF短編小説の賞で、人工知能が人間と一緒に書いた作品が一次審査を通過したとかいう話もあるくらいですから、映画の分野にしたって、まったくの不可能とはいえないのではないかと考えました。

まずシナリオですが、人工知能が小説を書けるくらいですから、同じ方法でそこは十分書けると思います。

それに、なんせこちらは、創生以来100年の歴史の重みがある映画ですから、いままで地球上で創られたすべての「名作映画」を入力しておいて、まず物語のシチュエーションとか、もちろん悲喜劇の選択からはじめ、登場人物などは物語に必須の人物を算出し、それを自動設定器で読み解き、ああすればこうするとか、こうくればああするなどと、各人の行動を微分積分などを駆使して計算し、そして起承転結のポイントとなる重要な場面では、「アップ」だの「パン」だの「ローアングル」などの画面選択装置を使って完成に漕ぎ着けるというわけです。

ジャジャジャーン。どうです、いいアイデアでしょう。

「しかしねえ、あなた。そんな映画、だれが見るわけ」

ですから、ですね。まあ、人それぞれに個人差というものがあるということは十分に承知していますが、しかし、どうしてもこれだけは譲れないという映画に感動する重要な条件というものが誰しもあるじゃないですか(同じこと言ってね)。それがたとえ何百項目あろうと、何万項目あろうと一向に構わないんです、いやいや、これは多いほどいい、それだけ感受性豊かな「観客」ができあがるというものですからね、それを全部入力するわけです。

「はあ、はあ。それで?」

「えっ? それでって? それでおしまい。あとは名作映画を見て感動するだけ」

「だれが?」

「だれがって。人工知能が、ですよ。」

「ああ、そう。人工知能の作った名作映画を、感動しやすい人工知能の観客が見て感動するわけね。」

「そういうこと」

「そういうことじゃねえや、バカヤロー」

(諸説あり、おしまい。)



あっ、変な妄想しているうちに、大事な講演、終わっちゃったじゃないですか。

「まいったなあ、後半の方、全然聞いてなかったよ。残念」

「おれも。科学部長さんの顔と胸を交互に見ているうちに、いつのまにか講演、終わっちゃってた。」

「お前ねえ~」

(本当の お・し・ま・い。)
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by sentence2307 | 2016-06-18 20:28 | 徒然草 | Comments(0)

算段の平兵衛

読みたいという気持ちは十分にあるのに、なにかの事情で、なかなか読めないままになっている本というのが、きっと誰にもあると思います。

例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。

そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。

もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。

そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。

しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。

たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。

結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。

「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。

ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。

そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。

古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。

そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。

そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。

例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。

読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。

ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。

それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。

《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》

このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。

自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。

ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。

横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。

しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。

その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。

そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。

そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。

当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。

ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。

たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。

自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。

それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。

落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。

「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。

どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。

多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。

そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。

その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。

いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。

死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。

そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。

【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。

しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。

そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。

庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。

そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。

庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。

平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。

夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。

殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。

平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。

これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、

「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」

この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。

南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。

いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。

これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。

そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。

そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、

《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》

となっているのだそうです。

米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。

現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。

しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。

つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。

それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。

最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。

《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》
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by sentence2307 | 2016-05-15 19:12 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ①

まとまって休めるゴールデン・ウィークは、とても嬉しいのですが、あとで必ず「どちらかに行かれましたか」と、何人もの人から聞かれるのがとても憂鬱です。

先方は、社交辞令のつもりで聞いてくるのでしょうが、もうこの歳になると、話題づくりのために、無理して海外旅行へ出掛けたり、渋滞40Kmの高速道路上で、何時間も辛抱強くアイドリング運転を続けるなど、人並みなことをこなす気力も根気もありません。

時間をそんなふうに無駄遣いするくらいなら、女房の顰蹙をかいながらでも、家にいて本を読むとか、ゆっくり映画でも見ている方が、よっぽど気がきいています。

連休近くになると、女房は、「せっかくの連休なんだから、どこかへ行きましょうよ」と思いついたように必ず言うのですが、この時期にどこかへ出掛けるつもりの人は、何ヶ月も前から計画を立て、予約を済ませているようなキトクな人なのであって、「今頃言っても遅すぎる」と無理やり彼女を納得させ、例えばこの連休は、巨大ホームセンターを歩き回って特売の文房具を買い、また次の日には、近所のスーパー銭湯で半日お湯に浸かってお茶を濁した次第です。

いずれも超満員で往生しましたが、帰宅が午前零時を回るなどという「理不尽な激務」がないだけでも「良し」としなければなりません。

しかし、当方にしても、突然、まとまった時間を与えられ自由にしていいと言われても、実際は、困る部分もあります。

前日まで読んでいた本を引っ張り出して、その続きを読むなどという気分には到底なれません。

まあ、女房と同様「せっかくの連休なんだから」と気分を一新したい気持ちもあるので、なにか目先の変わった新しいものを読みたいと思いながら、とりあえずは溜め込んでおいたアレコレの雑誌・新聞に掲載された「書評」を引っ張り出して、片っ端から読み始めました。

経験から言うと、映画の予告編というのは、だいたい本編を見たくなるような素晴らしい出来のものが多いのですが、書評に関しては、感心するようなものが、ごく少ないというのが偽らざる実感です。

一冊の本を限られた字数で要約するということが、とても手間のかかる困難な作業(なにしろ一冊の本を熟読し、さらにまとめて要約までしようというのですから)であることはよく分かりますが、ひどいのになると「まえがき」と「目次」を掲げただけという手を抜いた、まるでやる気のない書評をwebで読んだことがあります。

そのやっつけ仕事には、読者として侮辱されたような憤りを感じました。

肩書きだけは「大学教授」と名乗っていますが、ろくに本を読まないヤカラであるのがミエミエです。

書評というのは、本当に本が好きで、取り扱っているテーマにも精通していて、要約の勘所を象徴的な言葉で直感的に言い当て、読者をいかに惹きつける簡潔な文章が書けるかということだと思うのですが、このように考えるたびに、卓越した読書人にして書評家だった丸谷才一の仕事が、自分にとっていかに大きかったかを、いまさらながら実感しています。

さて、読み漁ったその書評の中にこんな書評(「出版ニュース」2010.2)がありました。

「林浩一著『漱石のサイエンス』(寒灯舎/れんが書房新社発売)B6判、201頁、1800円」についての書評なのですが、ごく短いので、全文を引用してみますね、

「夏目漱石はもともと科学に対する好奇心が旺盛で、しかも学究肌の人であったから、書物やその道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた。
そのため、漱石の作品には、科学の知識や方法論が活かされている、と物理学者である著者はいう。
例えば「猫」には、「首くくりの力学」という話が出てくる。
これは寺田寅彦から紹介されたイギリスの物理学の学術論文誌に掲載されたホートンの論文「首くくりについて」に影響を受けたもので、吊るし首はアングロ・サクソンにおける最も普通の処刑方法であることや、実際に12人の侍女たちを絞殺した方法が「猫」には、延々と引用されている。
そして最後には首をくくると身長が伸びるという話になるのだが、ここからは漱石の低身長コンプレックスが窺えると著者はいう。
その他、猫の宙返りから位置と運動のエネルギーの関係を考えていたことなども明らかにしている。」

なるほど、「吾輩は猫である」のなかに、「首くくりの力学」という話が出てくるというわけですか。

ふむふむ、「首くくり」と「力学」、言葉の組み合わせからしても、なんだか、とてもシュールで面白そうじゃないですか、それに語感がとても素敵です。

しかし、漱石が、「その道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた」とあって、その理由として、「学究肌の人」だったからと理由づけていますが、むしろ、漱石は、単に知識や情報を得るというだけでなく、苦笑してしまうほどの人間臭いブラックな部分に惹かれたのではないかという気がします、なにしろ「首くくり」と「力学」です。

これこそ「吾輩は猫である」の真骨頂たる諧謔精神じゃないですか。

さっそく、「検索」の誘惑に駆られましたが、それにしても、まずどこから攻めるのか、が問題です。

自分は、根はコテコテのアナログ人間(先端技術などには、到底アタマの方がついていけません)ですが、なにかする場合はオシナベテ簡便・簡略を旨とする面倒くさがり屋なので、そういう意味では堂々たるデジタル人間です、「クリック、クリック、大いに結構、けっこう、ケッコー、コケッコー、ワッハッハのハ」です、なんだかワケが分かりませんが。

そんなわけで、まず、寺田寅彦の線からいくことにしました。

以前、「寺田寅彦の映画論」を調べたことがあるので、その際に読んだ「寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉 集」(現代日本文学全集22・筑摩書房)が、机の上にそのままの状態であります。

読んだあと、いちいち片付けることをしないから、机の上がとんでもないカオス状態になってしまうのですよね、まさに女房の言うとおり、だらしなく積み上げられた本の谷間に身を捻じ込ませ、手探りでパソコンの在り処を確かめては、ずるずると引っ張り出し、ようやく文字を打っている始末です。

「寺田寅彦集」の目次をみれば、やはり、目指すは「夏目漱石先生の追憶」ということになるのでしょうね。

5頁ほどの短い随筆なので、ざっと走り読みしたところ、ありました、ありました。中程からやや後半にかけての部分に、こんなふうに書かれています。

「自分が學校で古いフィロソフィカル・マガジンを見て居たら、レヴェレンド・ハウトンといふ人の「首釣りの力學」を論じた珍らしい論文が見附かったので、先生に報告したら、それは面白いから見せろといふので、學校から借りて来て用立てた。それが「猫」の寒月君の講演になって現れて居る。高等學校時代に数學の得意であった先生は、かういふものを讀んでもちゃんと理解するだけの素養をもって居たのである。文學者には異例であらうと思ふ。」(「夏目漱石先生の追憶」より)

なるほど、「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」に「首釣りの力學」が引用されているというわけですね。

明確にこのように書かれているわけですから、ここは素直に「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」の箇所をすぐに当たればいいようなものですが、そこはホラ、根が不精者ですし、そのうえ天邪鬼ときています、そう簡単には素直に応じることができません。

そのうえ、なにより決定的なのは、当の「吾輩は猫である」を自分が蔵書として所有していないことが判明したのです。

一応、メディア・マーカーで自分のすべての蔵書を入力して管理(らしきことを)しているので、「ある・なし」は、すぐに確認できます。

検索を掛けても蔵書2000冊(この数字は、既に手放して「不在」の本も含まれていて、正確には「自分を通り過ぎた冊数」ということになります)の中には、「吾輩は猫である」は、ついに存在しませんでした。

夏目漱石を蔵書として持っていない読書人なんて、いったいなんなんでしょうね、そんな人がはたして読書人なんていえるのか、という感じです。

しかし、事実だから仕方ありません。

ないものは、図書館にいって借りて読むしかないのですから、あとで借りに行くとしても、とりあえず、図書館のホームペイジで「在庫」を確認しておくことにしました。

ふむふむ、なにしろモノが国民的文学の「吾輩は猫である」ですから、図書館にないわけがありません、調べるまでもなく当然のように幾冊もありました。

そうそう、ついでに思いついたことがあります、キイワード検索で「首縊りの力学」とダイレクトに入力したらどうでしょう、こりゃあ我ながらいいアイデアです。

敵の不意を突いて、本丸を直接叩くという奇策です、真珠湾奇襲攻撃です、まさにニイタカ山のトラトラトラなのであります。

そして、この検索の結果、ただの一冊だけヒットしました、「中谷宇吉郎集 第一巻」です。あっ、そうくるわけ。

この反撃で、奇襲もあえなく撃墜されてしまった感じです。

中谷宇吉郎といえば、寺田寅彦の愛弟子じゃないですか、それに、あの松岡正剛センセイの「千夜千冊」の栄えある第一夜は、中谷宇吉郎の「雪」で飾られていましたよね。

こうしては、いられません、さっそく自転車を走らせ、おっとりガタナで図書館に駆け込みました。

「まってろよ、いまいくぞ~!」ジャンジャジャ~ン

まず、「夏目漱石集(一)」(現代日本文学大系17 筑摩書房)を借りました。

ちょっと意外だったのは、日本文学全集の「夏目漱石集」と名がつく本なら、どれにも「吾輩は猫である」くらいは入っているに違いないと安易に考えていたのですが、いくら探しても、この「現代日本文学大系」以外には、見つけることができませんでした。

「坊ちゃん」は、必ず入っているのに、です。

そして、二冊目が、「中谷宇吉郎集 第一巻」(岩波書店)です。

多くの読者の手から手へ渡り歩いた人気のほどが「栄誉の汚れ」に感じられる「夏目漱石集」に比べると、いままで誰ひとり借り手がなかったのではないかと思えてしまうほど変に真新しい「中谷宇吉郎集 第一巻」(奥付には、2000年の発行と記されています。)を手に取り、さっそく目次を拝見しました。

まさに、そのまんま、「寒月の『首縊りの力学』その他」というタイトルで掲載されているではありませんか。

頁数でいえば、たったの8頁くらい。

寺田寅彦が亡くなった少しあとで、「吾輩は猫である」のなかに挿話として、漱石が「首縊りの力学」を取り入れたいきさつを、寺田寅彦から直接聞いた中谷宇吉郎が、後世に伝え残すために書いた随筆であると、冒頭に記されています。

本文をパラパラと走り読みしましたが、どうもダイジェストっぽい感じです。

さっそく貸し出し手続きをして、家に持ち帰り、二冊の本を左右に置いて一文一文対照してみることにしました。

まず、中谷宇吉郎集から、最初の節の解説を以下に示し、そのあとで、「吾輩は猫である」の該当する部分をお示ししたいと思います。

【中谷宇吉郎集】
「寒月君の演説の冒頭「罪人を絞罪の刑に処するということは重にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして・・・」というのは、論文の緒言の最初の数行のほとんど完全な翻訳である。以下猶太人中にあっては罪人に石を抛げつけて殺す話から、旧約全書中のハンギングの語の意味、エジプト人の話、波斯人の話など、ほとんど原論文の句を追っての訳である。わずかばかりの動詞や助動詞の使い方の変化によって、物理の論文の緒言が、寒月君の演説となって、「猫」の中にしっくり納まってしまうということは、文章の恐ろしさを如実に示しているような気がするのである。」

【上記に対応する「吾輩は猫である」の原文】
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくくり)は重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂(いわゆる)ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエジプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌ったように思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。
「これから本論に這入(はい)るところですから、少々御辛坊(ごしんぼう)を願います。……

なるほど、対照してみて、ようやく分かりました。

結局、中谷随筆は、原文をなぞって、「簡単にまとめてしまえば・・・ということです」と注釈を加えているにすぎません。

すばらしい漱石の原文が「そこ」にあるのに、なにもわざわざ「まとめたダイジェスト」を読まなければならないのか、極めて疑問に感じ始めてしまいました。
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by sentence2307 | 2016-05-07 19:43 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ②

なんだか相当遠回りをしてしまったようですが、結局のところ、最初から原典にあたった方がよかったということなのだと思います。
いや、最初からそうするべきだったのだということに、ここにきてようやく気がつきました。
アサハカでした。

【あらためて「吾輩は猫である」、寒月君の演説部分原文】
それから約七分位すると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌(えんぜつ)をするといふので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟(カラー)を聳(そび)やかして、男振りを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落付き払って、挨拶をする。「先(さ)っきから二人で大待ちに待った所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已を得ず「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出なさるだらう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむ)ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈々演舌の御浚(おさら)ひを始める。
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくく)りは重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエヂプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌った様に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなる様だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入(はい)る所ですから、少々御辛防(ごしんぼう)を願います。……
偖波斯人はどうかと申しますと是もやはり処刑には磔(はりつけ)を用いた様で御座います。但し生きて居るうちに張付(はりつ)けに致したものか、死んでから釘を打ったものか其辺(へん)はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈さうに欠伸(あくび)をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらっしゃいませうから……」「あらっしゃいませうより、入らっしゃいませうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君(くしゃみくん)」と又迷亭が咎(とが)め立だてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「偖愈本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞(ことば)を使って貰ひ度ね」と迷亭先生又交(ま)ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでせう」と寒月君は少々むっとした調子で問ひかける。「迷亭のは聴いて居るのか、交(ま)ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな弥次馬(やじうま)に構はず、さっさと遣るが好い」と主人は可成早く難関を切り抜け様とする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相変飄然(へうぜん)たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二巻目に出て居ります。即(すなわ)ち彼かのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するといふ条(くだり)で御座います。希臘語(ギリシャご)で本文を朗読しても宜(よろ)しう御座いますが、ちと衒ふ様な気味にもなりますから巳めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云はんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言はん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それでは此両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
此絞殺を今から想像して見ますと、之を執行するに二つの方法があります。第一は、彼のテレマカスがユーミアス及びフヒリーシャスの援(たす)けを藉かりて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛入れて置いて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツの様に女がぶら下ったと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括(くく)り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い縄から何本か別の縄を下げて、夫に結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れておいて、いざと云ふ時に女の足台を取りはずすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉(ちょうちんだま)を釣したような景色(けしき)と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺(へん)のところかと思ひます。――夫でこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋(つな)いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做(みな)し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論(もちろん)女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人(りょうにん)が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐(お)って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架(こうしゅか)即(すなわ)ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度(ふたたび)同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令(たとい)兇漢でも二度絞(しめ)る法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフヒツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生(おうじょう)さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損(ぞこな)いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊(くく)ると背(せい)が一寸(いっすん)ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥(くしゃみ)などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背(せい)が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極(きま)っています。釣られて脊髄(せきずい)が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊(こわれ)るんですからね」「それじゃ、まあ止(や)めよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊(ふうらいぼう)のような珍語を挟(はさ)むのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振ふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れ様訳がない。
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by sentence2307 | 2016-05-07 19:38 | 徒然草 | Comments(0)

藤澤清造「根津権現裏」

西村賢太が芥川賞を受賞したあと、その後のインタビューで、繰り返し自分は作家・藤澤清造の歿後弟子であると話していました。

自分としては、それまで藤澤清造という大正期に活躍した作家の名前さえ聞いたことがなかったのに、さらにそのうえ、その歿後弟子になったというのですから、日本文学に少しは関心をもってきたと自認していた自分としては、虚をつかれたようなショックを受けました。

それから西村賢太が、すぐにしたことというのが、芥川賞受賞の勢いをかりて(といっていいのか)絶版になっていた藤澤清造の唯一の長編小説にして遺作「根津権現裏」を出版社に働きかけて復刊させた(新潮文庫9253、平成23年7月刊)ということも報じられていました。

まあ、悪く言ってしまえば、芥川賞受賞という権勢を借りてゴリ押し的に出版社に圧力をかけて刊行させたわけですから、やはり芥川賞っていうのは、業界にとってそれくらい権威もありチカラもある賞なのだなあとまずは感心した次第なのですが、しかし、そんなふうに考える必要などまったくない別の見方もあり得る、むしろそちらの方がなんだか信憑性があるような気がしてきました。

このところ、企画が枯渇してジリヒンなうえに、一方からは電子書籍の脅威に挟撃されている紙媒体出版社にとってみれば、芥川賞作家があれだけ宣伝してくれたあとでの出版なわけですから、むしろ売上げを保証されたうえの刊行という「渡りに船」の好機と捉えたに違いなく、その証拠のひとつとして、この自分もまた、その宣伝の勢いにウマウマと乗せられて文庫本「根津権現裏」を購入した一人なので、その威力や恐るべしということになるのでしょうが、しかし、読者の立場から言うと、こういうことがなければ、きっと生涯にわたって決して読むこともなかったかもしれない作家・藤澤清造と、その稀有な小説「根津権現裏」を読む機会を得られたのですから、読者にとってみればこれもまた「好機」と捉えるべきもので、こう考えてみればこの復刊は、いわば「三方一両得」(「損」では決してありません)ということになるのだろうと思っています。

しかし、自分としても、そもそも藤澤清造なる作家を全然知らないわけなので、ここは早速、文学辞典なるものを引っ張り出して「藤澤清造」の項を調べてみました。

最初調べたのは「新潮日本文学小辞典」、そこにはこんなふうに書かれていました。

藤澤清造(ふじさわ・せいぞう)1889~1932
小説家。石川県生まれ。小学校卒。
足袋屋、代書屋に奉公したが、上京して雑誌記者となり、小説を書く。
好んで人生の悲惨醜苦を描いたが、これに徹することにより真の人間が形成されるというのが彼の信念であり代表作の長編「根津権現裏」(大正11刊)も同系列の作品。
精神病院から失踪し、凍死した。(勝山功)

えっ~、なんか随分と素っ気無さすぎじゃないですか、これ。

これじゃあ、この作家がどのような人物で、どういう生き方をしたのかさえ全然分かりません。

「精神病院から失踪し、凍死した」というショッキングな箇所ばかりが目立ってしまい、これでは最初から「書くに値しない作家です」と吹聴しているようなもので、解説者のやる気のなさが露骨に見えて、これではまるで新聞の社会面の片隅に申し訳程度に掲載される「死亡記事」と同じか、いやいや、情報量の少なさ稚拙さからいえば「死亡記事」にも遥かに劣る仕事(ハシモト市長なら「小銭稼ぎのやっつけ仕事」くらいのことは言いますよ)といわざるを得ません。

勝山さ~ん(どこの誰だか知りませんが)、ちゃんとやりましょうよお。

とにかく「文学辞典」などと称するからには、もうちょっと書きようというものがあったのではないか、いくら寡作のうえに早世した作家だったからって、もう少し敬意をはらっても・・・などと考えながら2冊目の「東京堂・近代日本文学辞典」(自分が所有している「文学辞典」は、この2冊のみです)を引っ張りだしました。

なるほどなるほど、こちらの方は「文学辞典」らしく至極まともで、ちゃんとした記載になっています。

東京堂・近代日本文学辞典
藤澤清造(ふじさわ・せいぞう)明治22(1889)~昭和7(1932)
小説家、劇評家、雑誌記者。
明治22年10月22日石川県七尾市藤橋に生まれ、小学校尋常科(当時四年制)を卒業後、右足の骨髄炎のため自宅で療養、その間市内の足袋屋、代書屋に奉公したこともあり、独学で文学書に親しんでいたが、18、9歳頃上京、三島霜川が編集主任をしていた「演芸画報」の記者となる。
霜川の死後その後を継いで主任となり職業柄、徳田秋声、室生犀星、菊池寛、芥川龍之介、広津和郎らの作家と広く交わり、開放的かつ社交的な性格を愛された。
「演芸画報」を辞して、大正11年長編「根津権現裏」(日本図書出版株式会社)を発表するや世評もよく、新進作家として迎えられたが、まもなく震災後の新感覚派、プロレタリア文学の運動が起こると、新風に追随できず、落魄して「此処にも皮肉がある」(「文芸春秋」昭5.6)を最後に文壇から姿を消した。
晩年、悪疾により精神病を発し度々失踪したが、昭和7年1月、最後の失踪の後、29日、芝公園で凍死体となって発見され、行路病者として火葬にされた。
清造は寡作で、単行本は「根津権現裏」だけしか残っていないが、2人の雑誌記者の酒と女と貧乏の陰惨な生活を描き、最後にその一人が先輩を裏切ったことを後悔して謝罪するが許されず、自殺するという異常心理を描いたもので、ドストエフスキーの外形模倣のあとが見られるが、やや冗漫であり、かつ平板である。(杉森久英)

「文学辞典」の書き方というのは、これでなくっちゃいけません、これで十分です。

そりゃあ、栄耀栄華のうちに生きた作家もあるでしょうし、あるいは悲惨と野垂れ死にで生涯を閉じ、文学史からも相手にされず、やがて忘却を宿命づけられている作家もあるでしょうけれども、しかし、そこは有名無名にかかわらず、もし「小説家」という生き方そのものに少しでも関心をもち、敬意を払い、そして微かでも愛情を感じながら「文学辞典」の原稿を執筆して、イクバクかの原稿料でも頂戴しようかというご仁なら、せいぜいこれくらいの誠意と営業倫理くらいは守ってもらいたい(多かれ少なかれ、実態はせいぜい寄生虫のように「文学」周辺に取り付いて偉そうな関係者ヅラしてメシを喰っているヤカラであることは既に世間は周知しており、それを本人と出版社だけが気が付いてないという惨憺たる状況は十分に承知しているつもりですが)などと思いかけたとき、ふっと西村賢太が藤澤清造の「歿後弟子」を自称する気持ちに少しだけ触れたように感じました。

「悲惨と野垂れ死に」と「文学史からの拒絶と忘却」という状況こそは、少し前までの西村賢太自身のすぐそばにあったリアルでもあったはずですから、どこまでも「藤澤清造」にこだわるのは、西村賢太の意地のようなものだったのだなと感じた次第です。

しかし、なにも西村賢太が、むやみに「藤澤清造」を奉ってばかりいるわけでないことは、この「根津権現裏」の文庫本末尾の「解説」を読めば分かります。

「その清造について周囲の者は、律儀、古風、正義派、好漢、快男児、等の見方をする反面、他方では我儘、下悪、ぶっきらぼう、くどい、ねちっこい、ずぼら、引っ込んでいてもらいたい男、との評言も残っているように、かの人物像は、ともすれば自らの立場を持ち前の狷介な性格で危うくしてしまうというタイプの典型でもあった。在郷時より職を変遷していたのもそうした面のあらわれであったが、結句これが災いし、大正9(1920)年には「演芸画報」での仕事も退職に追い込まれる羽目になってしまう。」

ここに書かれている性格の極端な両面性は、だからといって、それほど矛盾したものとはいえません。

門地も学歴も職歴もない地方出の劣等感を抱えた若造が、洗練された都会に出て、いっぱし周囲に伍していくためには、どうしても身の丈以上の虚勢を張り自分を過大に見せる必要があったでしょうし(それが「律儀、古風、正義派、好漢、快男児」という部分)、それが「迎合」とは違うぞとばかり一線を画そうとしたのが、異常な自尊心(馬鹿にされまいという現れとしての「我儘、下悪、ぶっきらぼう、くどい、ねちっこい、ずぼら、引っ込んでいてもらいたい男」という部分)を必要としたような気がします。

熾烈な状況に応戦するために自己分裂を求められた藤澤清造が、かろうじて自分を支え、そして危うい均衡をたもたせ、さらに藤澤清造をして小説に向かわしめたものこそ、かの異常な自尊心だったような気がします。

そしてこの「異常な自尊心」はまた、同時に西村賢太自身のものでもあったという気がします。

「根津権現裏」の読後感想を書くまでに至りませんでした。

いずれ時を改めて書きたいと思っています。
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by sentence2307 | 2014-03-22 17:04 | 徒然草 | Comments(2)

スクラップの整理

去年の暮、いよいよ押し詰まった12月31日の午後、急に思い立って、いままで新聞や雑誌からスクラップしてきたものの整理をしようかと思い立ちました。

というか、だいたいは、切り取った記事などを100均で買い求めたクリア・ファイルにそのまま突っ込んでおくだけの話なので、あえて台紙に貼ったりして冊子化しようなどというつもりなど毛頭ありません。

読み終えたものは、片っ端からどんどん棄てていくつもりです。

つまり、興味のありそうな記事を見つけても、そのときは読めないという場合、とりあえず切り取っておいて、あとで読み返そうというだけの話しなのです。

しかし、そのとき読めなかったものを、あとになって読み返すなどということは、経験からいっても達成できたことはほとんどありません。

きっと時間が経過すると、そのとき感じた「興味」も半減するか、忘れてしまうかして、なんでこんな記事をわざわざ取って置いたのかさえも思い出せず、たとえその記事を読んだとしてもチンプンカンプンで何も得るところがないというあたりが実態なのかもしれません。

実は、このスクラップの整理を思い立った背景には、ある出来事がありました。

数日前の読売新聞朝刊のコラムに本居宣長の言葉が引用されていて強い印象をもったことを思い出し、無性に読み返したくなってその新聞を必死になって探したところ、ほんの一昨日の新聞だったこともあって難なく見つけることができました。

その本居宣長の言葉というのは、こういう言葉です。

「才のともしきや、学ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思いくずおれて、止(やむ)ることなかれ」(うひ山ぶみ)

この訳文はこんなふうに書かれていました。

「才能がない、学び始めが人より遅い、時間がたりない」

本居宣長先生は、すべてこれ、怠け者の言い訳とおっしゃりたいのだろう、とそのコラム氏は、この一文を結んでいます。

なるほど・なるほど、いいですねえ、なんだか年の初めに(まだですが)ぴったりの示唆に富んだ素晴らしい言葉じゃないですか。

しかし、もし、この記事をスクラップなどにしていたら、果たしてこんなふうに気に掛けたり、あせって新聞捜しなどしただろうか、いやいや、スクラップしたこと自体に充足してしまって思い出しもしなかったのではないかと一瞬不安になりました。

なんか、これってスクラップというものの危うさを象徴していますよね。

自分なりの情報として消化しておかなければ、なんの意味もないことに今更ながら気が付いた次第です。

そういえば、捨て切れないままに部屋の隅に積み上げてある新聞には、やたら傍線を引っ張ったものがあって、そのとき感じた「興味」が消化できないまま「未練」みたいに凝固して、部屋の隅にわだかまるように積みあがっただけなのだということに今更ながら気が付きました。

しかし、ひとつひとつ消化していくには、相当な量です。

試みに、その中の一枚を引き抜いて読んでみました。

そして、その「日経新聞」をなぜ取っておこうと(当時)思ったのか、なぜ棄てるに棄てられなかったかということが、一目見てすぐに分かりました。

文化欄に稲葉真弓が書いた「漂流するものたち」(2013.12.15)と題する記事のためです。

記事の内容というのは、作家という仕事柄、本(自費出版のものあります)を寄贈されることが多く、しかし、どうしても読めないまま、だから一層、むげには棄てられないという悪循環の中で部屋が次第に本に侵食される様子と、その状況に為すスベもないともらす無力感が描かれています。

「買う本に加えて友人知人のものはともかく、届く本が半端ではないのだ。
中にはあきらかに自費出版されたとおぼしき個人史も含まれていて、亡き親を偲ぶ追悼の歌集やら詩集もある。
ほとんどが見知らぬ人のものばかり。
すべてに目を通していたら、切実な時間や体験を抱えているであろう個人史に、おぼれ死ぬことにもなりかねない。
結局は床に積み上げ、部屋に流れ着いた見知らぬ人の本の背を、視線で愛でるだけになってしまう。」

そして「為すスベもないという無力感」を吐露した圧巻の一節です。

「何十年も迷いに迷ったうえで書かれたと推測できる、凄絶な戦争体験記、孤児として生きた半生を記録したもの・・・。
そんな本を簡単に捨て去ることができるだろうか。
結局本は、届いたときのまま部屋を漂流することになる。
無言を強いられ監禁され、この先行き着く場所のめども立たず、同じ所にじっとしていなければならない本たち。
かといって私に、なにができるだろう。
せいぜい月に一度程度、埃を払うことくらいだ。」

おこがましくって問題意識が同じだなどとは言えませんが、心の琴線にふれるとは、こういうことなのかもしれないなと、この一文に傍線を引いたとき、そう感じたのかもしれませんね。

【稲葉真弓の著作】一応五十音順です
☆稲葉真弓・エンドレス・ワルツ(河出書房新社) 1992/03 (女流文学賞)
☆稲葉真弓・環流(講談社) 2005/08
☆稲葉真弓・ガラスの愛(河出書房新社) 1997/01
☆稲葉真弓・ガーデン・ガーデン(講談社) 2000/08
☆稲葉真弓・午後の蜜箱(講談社)2003/07
☆稲葉真弓・さよならのポスト(平凡社) 2005/08
☆稲葉真弓・砂の肖像(講談社) 2007/04
☆稲葉真弓・千年の恋人たち(河出書房新社) 2010/01
☆稲葉真弓・抱かれる(河出書房新社) 1993/04 
☆稲葉真弓・猫に満ちる日(講談社) 1998/07
☆稲葉真弓・半島へ(講談社) 2011/05 (47回・谷崎潤一郎賞 平成23年度)
☆稲葉真弓・風変りな魚たちへの挽歌(河出書房新社) 2003/04
☆稲葉真弓・繭は緑(中央公論社)1995/05
☆稲葉真弓・水の中のザクロ(講談社) 1999/11 
☆稲葉真弓・海松(新潮社) 2009/04(34回・川端康成文学賞 平成20年度)(60回・芸術選奨・文部科学大臣賞 平成21年度)
☆稲葉真弓・ミーのいない朝(河出書房新社) 1999/04 
☆稲葉真弓・森の時代(朝日新聞社) 1996/03
☆稲葉真弓・私がそこに還るまで(新潮社) 2004/10
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by sentence2307 | 2014-01-07 22:33 | 徒然草 | Comments(3)

蔵書の苦しみ

先週の日曜日、読売新聞の書評欄にざっと目を通していたら、紙面の片隅のとても小さな囲み記事で、「蔵書の苦しみ」(岡崎武志著・光文社新書)というタイトルの本が紹介されているのが目に止まりました。

大きな扱いの書評(メインなもの)から順にざっくりと走り読みしていく習性の自分からすると、そのあたりの記事は見逃してしまっても決しておかしくない、それくらいとても小さな扱いの記事でした。

そして、数行しかないその紹介も本の内容の紹介というよりは、この意表をついた書名の斬新さについてだけちょっと書かれているだけなので、触れられてない内容の方が、むしろ気になり、とても知りたくなってしまうような「蛇の生殺し」的な記事でした。

これって、読者の気を本へと持っていかなければならない書評の役割からすると、本来の役割を十二分に果たした大成功の書評といえるかもしれません。

たしかに「蔵書の苦しみ」とは、言い得て妙、とにかく斬新です、斬新すぎます。

よくぞそこに気が付いた、という感じです。ただただ感心するばかりでした。

いままで多くの本好きが書いた本といえば、読書の楽しみとか蔵書の自慢の立場から書かれたバラ色のタテマエ論がすべてだったわけですから、その負の部分に敢然とヒカリを当てた着想というか本音の発見には、アメリカ大陸発見くらいの歴史的な価値があるのではないかと感じたくらいでした。

そこには、本好きの誰もが抱えている副作用(滓みたいな)として、増えすぎる蔵書に自分の居場所さえ脅かされ頭を抱えている現状が素直に吐露されているからでしょう。

自分なども、ちょっと危ない状態に入っています。

物置は既に本で満杯、庭の手入れ用具は、外に放り出されて風雨に晒されっぱなしの状態ですし、洋服ダンスは、服の代わりに本を入れ始めたら、家人に発見されて険悪な言い争いになりました。

それならばと、洋服ダンスと天井の空間を利用して本の収容場所にしました、こちらの方はなにも言いませんでしたが、なんかやたら暑苦しい。

そうそう、ベッドの下の空間は当然本の収容場所なのですが、マットレスのすぐ下に本を敷き詰めてみました。

本のツカというのがそれぞれ微妙に異なるので、寝苦しさという見地からすれば気になるところなのでしょうが、この非常時にそんなこといってる場合か、そんな些細なことを気にする方がおかしいです。

しかし、寝台の高さというのには情緒的な限界もあるので、ある程度の高さにとどめる必要は確かにあります。

そうそう、リビングの床一面に本を均等に敷き詰め、そこに絨緞をかけてしまえば分からないかなと考えてみたのですが、実際やってみると相当な違和感があり、バリアフリーとかいう余計な設計がかえって自分にはオタメゴカシの障碍以外のなにものでもないことを思い知らされた次第です。

そんなふうに本を抱えてそこらを右往左往している自分を見て家人は「そうしている間に実際にどんどん読んで、片っぱしから棄ててしまったら」と言いますが、そんなものじゃありませんよアナタ。

本なんてものはね、一週間でやっと一冊読めるかどうかの世界なのですから、「読んだ端から棄てる」なんて悠長なことを言っていたら、今に本にこの家を完全に侵食占領されてしまいますヨ。

だからこそ手遅れにならないうちにこうして収容場所を必死に探しているんじゃないですか、発想の転換をはかって思いもつかない場所に「収容場所」を創出するのがモッカの我が家の喫緊のテーマなんですから。

未開拓の空間を探しながらウロウロしている自分に「勝手にせー」という顔の家人を避けながら、どうして本が増えてしまうのか、つくづく考えてみました。

本を増やしてしまう原因が、棄てられない優柔不断さであるということに相場は決まっているのですが、その理由の内実というのが、思い数えてみればいちいちもっともなので、その辺のタチの悪さというのがあるのかなと。

既にほかの読書の計画もあって今すぐには読めないにしても「取りあえず買っておく本」とか、読み終えて「感銘を受けた本」はもちろん、たとえ「失望した本」だったとしても、それが愛想を尽かすほどのひどい「失望」だったのならともかく、いやいや愛想だろうと嫌悪だろうと「失望」というものだって知的刺激を与えてくれるひとつのインパクトであることには違いないのですから、そういうことも棄てがたい魅力として微笑みかけてきたりして、それをアナタむげに棄ててしまう? 見放す? そんなことができますかてんだ、というわけで本はどんどん溜まり続けています。

誰かもういい加減に止めてくれないかという連続殺人魔の、逮捕でもされなければ殺人を止められない病的な心境とでもいうのでしょうか、今日も衝動買いを抑えることができずに買い続けるのかと脅迫観念におびえるぞっとする毎日です。

そんな書籍の寝台に横たわっていたあるとき夜中にふっと目を覚まし、このまま急死してしまって、この状態で発見されたら、このなんとも無様な状態を新聞に書きたてられたりして世間様の笑いものになるかもしれないと急に不安になってきました。

それからというもの、なんだか眠れない夜が続いています。

まあ、ここだけの話、考えてみるまでもなく、この異常な収集癖の病因は、根深い知的コンプレックスによるものであることは明らかな気がします。

たとえ心療内科に行ったとしても、「そんなもの一挙に棄ててしまって楽になりなさいよ」と言われるくらいが関の山かもしれません。

それができれば、いまごろこんなに苦労してませんけどね、あははだ、こんちくしょう。

この話、本来ならばここで終わりなのですが、「蔵書の苦しみ」をキーワードにしてネット検索をしていたら、ちょっと面白い記事があったので、付け加えておきます。

それは、和田秀樹著「定年後の勉強法」(ちくま新書)の中に書いてあることなのだそうですが、人間、勉強するばかりではだめで、インプットした分だけ、ときにはアウトプットしなければバランスがとれないものだとかなんとか書いてあるのだそうです。

なるほど、それは道理だ、と感心しました。

だから、ブログなど立ちあげて、言いたいこと・書きたいことをせっせと書き散らして放出するのがいいのだそうです。

こちらも、とても勉強になりました。

なんだか今日は、とてもいい日に感じます。

やれやれ。
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by sentence2307 | 2013-08-17 17:08 | 徒然草 | Comments(1)

Ikebana

先週の金曜日の夜、地区の定例自治会がありました。

いつもは、班長さんに委任状を渡してちゃっかり欠席を決め込んでいたのですが、今回はちょっと重要な案件があるということで、久しぶりに出席してみました。

懸案の問題は、やはり、隣り合う班同士に利害の対立があって、夜の9時過ぎまで喧々諤々の討議をしたのですが、その日の決議はできないまま、結局、翌月に継続して審議することに決まり解散となりました。

帰り際、公民館の玄関で靴をはいていると、近所のMさんから声を掛けられました、帰り道が一緒です。

最初のうちは、「やれやれ、お金の負担の話になると、なかなかまとまらないものですな」など短い言葉の遣り取りがあったのですが、すぐに話も尽きてしまい、気まずい沈黙が続きました。

これでなかなかご近所づきあいというのは難しく、自分の家のことをあれこれと近所の人に話すのを妻はとても嫌うので、こんなシュチエーションのときは、余計なことを言わないようにとても神経を使います。

まあ、同じ地区に住んでいれば、いつなんどき利害の対立する問題がシュッタイしてお互いに相反する立場に立たされる場合だってないとはいえませんから、妻のその辺の危惧とか配慮は当を得たものと自分も同意しています。

ですので、懇意している人といっても、なんでもかんでも仲良くべらべら話すというわけにはいきません。

こんなふうなら、むしろひとりで帰ってきてしまった方がよかったかもしれないな、などと考えていたとき、相手のMさんも同じように考えていたらしく、気まずい空気を打ち破るみたいな張りのある声で突然話し始めました。

「日本の『いけばな』を、英語でなんて言うかご存知ですか」

話題そのものは、なんだか唐突な感じがしないでもありませんが、しかし、その唐突さには救われもしました、人畜無害のこういう話題がいいのです。

「『いけばな』ですか。う~ん、Japanese flower arrangementとでも言うのでしょうか」

「いや、それが違うのだそうですよ。英語でもフランス語でも、『いけばな』は、『いけばな』なんですって」

「へ~え、それは意外ですね。flower arrangementではないのですか?」

「ええ、実はね・・・」

Mさんが、日本で暮らしている外国人のために日本語を教えている「日本語教室」でボランティアの講師のひとりとして参加しているのは知っていました。

大手の商社に長年勤め、海外の勤務が長かったMさんは、英語がとても堪能です。

数年前に定年退職して暇になったとき、なにか自分にできるボランティアはないかと探していたときに、市の主催する「日本語教室」で講師のボランティアを募集しているのを知って応募したのだそうです。

つい最近、Mさんから自分にも講師をしないかという勧誘を受けたことがあったのですが、即座にお断りしました。

英語の方は、まるで駄目です、自信がありません。

中学生の最初の英語の授業のとき、アメリカかぶれした英語教師が、wellの発音を自慢げに披露する浅ましい姿に遭遇し(大口を開け、汚い舌をむき出して、さらに大仰に丸めてみせてから、wellとやって見せられ衝撃を受けました)、あのとき以来、あんなカメレオンみたいな真似をしなければ英語が喋れないというのなら、なにも英語なんか話せなくても一向に構わないと決意しました、thでは舌の先を噛まなければならないなどという奇妙な風習も到底受け入れがたく、人前であのような奇妙に表情を作らねばならないということに対して誇りある日本男子としては決して容認することのできないものがあり、その奇妙な異文化を、攘夷の立場でひそかに拒否し続けてきたというわけです。

しかし、拒否といっても、授業で繰り返される最小限度のフレーズなどはどうしても耳に入ってきて、結構身についてしまうもので、オトナになってから不意にポロリとそれが出てしまったりすることがありました(例えば、教師が生徒の注意を促す定番のフレーズlook at meなど)。

数年前のあるとき、朝の通勤電車に乗っていたときのことです、イラン人の家族とおぼしき集団(5人くらいで小さな子供もいました)が、わさわさと乗り込んできました。

そして自分のすぐそばで、なにか盛んに言葉を交わしています、たぶんアラビア語だと思いますが、降りる駅を間違わないようにとでも言っているのか、とても不安な感じでお互いに確認し合っている様子です。

「幾つ目だからよく数えておけとか、あそこに次の停車駅が出るから見逃すなとか、車内アナウンスに気をつけろ」とか、長老(だと思います)が家族に支持していることが雰囲気で分かりました。

そのうちに、その中の背の低い奥さんらしい女性が話しかけてきました、「そらきた」という感じで、言葉はさっぱり分からないものの、駅らしき名前だけを聞き取ろうと集中して身構えていたのが良かったのだと思います、「浜松町」という言葉が幾度も発音されたのを聞き取ることができました。

な~んだ、という感じです。

もちろん「そなたが降りるべき浜松町は、どこそこである」などと話すのは自分には到底無理ですが、ちょうどドアの上に関東近県の停車駅を示す広域地図が掲示されています。

あれを指で示せば、一目瞭然、なんてことはありません。

そこで、ドアのうえに掲示されている広域地図を指で示して「look at me」とやらかしました。

イラン人家族は、少し驚いた様子で私をじっと見つめています。

いやいや違うんだ、この場合の「look at me」は、「あの地図を見よ」という意味なのね、そのあたりの言葉の機微を、このイラン人家族は、まるで理解できていない様子でした。

朝のラッシュ時の混雑した通勤電車のなかで、日本人のおっさんが、まるで自由の女神のごとく、片腕を高々とむなしく差し上げたまま、じっとイラン人家族に見つめられて泣き顔になっているナントモ失笑の構図を思い出すたびに、いまでも顔から火を噴き出しています。おのれは、ゴジラか。

つい話が横道に反れてしまいましたが、Mさんの話に戻りますね。

いくらMさんが「英語が堪能」だからといって、できるだけ英語は使わず日本語で話し通して外国の人に慣れてもらおうというのが「日本語教室」の理想ですから、「英語堪能」というのは、なんだか話がちょっとずれているような気もしますが、案の定、外国人が理解できなくなると、つい英語で助け舟を出してしまうMさんのやり方は、さっそく教室側から注意され、講師仲間からも顰蹙をかったと聞いたことがありました。

「いけばな」の話というのは、最近、その日本語教室に遊びにきた若いアメリカ人のお嬢さんから聴いた話だということです。

彼女、アメリカの大学の日本語学科に籍を置いているだけに、話す方は、もうなんの支障もなく、難解な哲学用語さえも時折織り込みながら自由自在に日本語を操りますが、書く方がまるっきり駄目で、それで「日本語教室」をのぞきに来たのだそうです。

その彼女、来日直後に、学校で(たぶん大学だと思います)日本人の級友と雑談しているとき、数名に「いけばな」を英語で何というかと聞いてみたとき、全員の答えが「Japanese flower arrangement」だったので、大変に驚いたという話でした。

彼女いわく、「いけばな」は、英語でも「Ikebana」、フランス語でも「Ikebana」です。

もちろん、フラワーアレンジメントとは言いません。

たとえば、フラワーアレンジメントでは,花を「飾る」と言うけれども、いけばなでは,花は「生ける」と言います。

その言葉ひとつ取ってみても,この両者には、根本的に美に対するまったく異なる価値観があり、そして、世界でも、すでに日本独自のそうした文化を「Ikebana」として認知しているというのに、当の日本人は、いけばなを「Japanese flower arrangement」などと抵抗なく欧米の文化に言い換えしまって違和を感じない、それは、その国の文化の独自性を認識していないばかりか、みずから放棄・否定しているのではないかという意味でショックを受けたというのです。

フラワーアレンジメントは、いわば花の美の瞬間(いちばん美しいとき)を捉えて、その美しさを最大限に表すものだとすれば,いけばなは,花の美しさの移ろいを愛で、その時間の経過を大切にする芸術だといえます。

たとえば,結婚式で花嫁が手にするブーケは,満開の花に彩られ,花嫁が手にする幸福の最高の瞬間を見事に表しています。

一方で,いけばなは,つぼみの状態の花を生けて,その花びらが少しずつ開いていく様子を楽しむこともあれば,枯れたひまわりを花材にすることだってある。

いけばなのこうした感性は,桜のつぼみを見て心躍らせ,満開の桜を楽しみ,そして散り行く花びらを見て美とはかなさを感じる,そんな日本人が持っている固有の感性に根ざしているひと続きのものだというのです。

いけばなの基本の花型は,長さが異なる3点を中心に,美しい形を追求するもので、日本で数百あるとされる流派においても、基本の花型はほぼ共通していて,例えば,この3点を,草月流では,長い順に「真・副・控」と呼んでいると教わりました。

一般的に,主役になるのは、当然「真」ですが、しかし,大切なのは「真」よりもむしろ「控」です。

「控」がしっかりしていると,「真」の良さをさらに引き出し,あるいは「真」が「控」の美しさを際立たせることにもなる、そこで調和のとれた作品が完成するということです。

これも、フラワーアレンジメントにはない、とても日本的な考え方だと思いませんか。

「それを全部、そのアメリカ人のお嬢さんが日本語で話したのですか、信じられないな」

「そうですヨ、こんなふうに言われたら、自分の国の文化にあまりにも無頓着だったくらいの反省では納まりませんから、ボクだって。驚くよりも、なんだか恥ずかしくなりました」

「そうでしょうね」

この話にとても感心したMさんは、そこで思わずアメリカ人のお嬢さんに、こう尋ねたのだそうです。

「この話は、日本人みずからの文化に対する認識のあり方を否定的に示す象徴的なエピソードとして理解したらよろしいのか」と。

自分「それを日本語で?」

Mさん「いいえ、英語です、自分、英語堪能なので」

やれやれ、なんだかそのとき、そのお嬢さんが、少しいやな顔をしたそうなのです。

当然でしょう、トウモロコシを買い付ける商談じゃあるまいし。

それは、「あんた、いままで私の話をどう聞いていたんだ」という表情にも見えたということですが、そこまで分かっていて、どうしてそういうことを言うかな、と。

しかしまあ、こういうことってありがちなことかもしれませんね。

う~ん、あるある。きっとあるね。

そうですね。じゃ、おやすみなさい。

じゃ。
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by sentence2307 | 2013-05-04 11:55 | 徒然草 | Comments(0)

夫婦の歴史

先週、布施明が結婚したという小さな記事が夕刊に載っていました。

「もう65歳になるのね、布施明」とその記事を読みながら、女房は少し驚いた様子で話し掛けてきました。「それにしても65歳にもなって、なにも結婚しなくてもいいと思うけどねえ。『いいお友だち』のままじゃいけないのかしら。熟年者同士の結婚ってよく聞くけど、なんだかトラブルの話ばかりで、いい話って聞いたことないわ」

「ほとんどの『トラブル』は、金さえあれば大抵は起こらずに済むものばかりだから、印税がっぽり(先日、民放の「外国人カラオケ・コンテスト」で黒人が『シクラメンのかほり』を歌ってたほどの世界的名曲です)の布施明のところじゃ、そういう心配はないと思うな。それに、いい状態のカップルは当然話題にもならないだろうから、それで『いい話は、聞いたことがない』だけで、うまくいっている方がずっと多いはずだよ。むしろ、布施明のところじゃ、なんだか家庭の事情がありそうだよ」

たしか石坂浩二と浅岡ルリ子の離婚のときも、同じような身内の事情にまつわる話を週刊誌の記事で読んだ記憶があります。

しかし、この会話のなかには、ぼくたち夫婦のあいだの、ある暗黙の共通認識がありました。

それは、結婚相手の森川由加里、「彼女もう50歳になったんだ」という感慨を、どちらかが口にしたとしても、決して不自然ではないほど、彼女について、比較的強い印象をお互いが持っていました。

それは、彼女が柴又の出身者だったということで、結婚してすぐ柴又に住んだことのある僕たち夫婦は、そのことをよく話題に上らせていて、アイドル時代の彼女がタモリの番組「笑っていいとも」にゲスト出演したときのやりとり

《タモリの「入浴したとき、どこから洗う」のウッヒッヒなスケベ質問に対して、当時ごく若かったアイドルの森川由香里が「そんなシナシナ洗ってない、『次は腹だ』てな調子でさっさと洗う」とすんなりかわしていました。》

なども、つい最近あったことのように「ああ、またあの話」くらいによく語られます。

しかし、考えてみれば、長寿番組「笑っていいとも」の、それこそ数百人かそれ以上かもしれない芸能人たちとの膨大なインタビューの中のほんの一人(それも、さしてビッグネームとも思えない知る人ぞ知るアイドルで、最近ではその名前もいつの間にか聞かなくなりました)の、さらにそのインタビューのなかのほんの一瞬、たった数分間というその場面だけを、繰り返して語り合うということに、夫婦として時間を積み上げてきた奇妙さ・不思議さを感じます。

こんなふうに芸能人のゴシップを話しながら、ひとつのキイワードを切っ掛けに忘れかけていたことが、ナダレのように次々に甦ってくるその背景には、自分たち夫婦が辿ってきた偶然の土地や、たまたま過ごした時間などが確実に結びついていて、その共通のものに裏付けられ、あるいは、そうでないものは補いながら「夫婦としての時間を積み上げた」ことの「歴史」の重みというよりも空恐ろしさみたいなものを感じてしまいます。
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by sentence2307 | 2013-04-20 11:21 | 徒然草 | Comments(1)